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悠一くんの周りには常に人がいた。
クラスには見えない輪みたいなものがいくつかある。同じ部活動同士だったり、似たような容姿だったり、輪のきっかけはなんてことのないものだが、それを崩すのは容易なことじゃない。だけど彼はどんな輪の中にも器用に入っていった。彼が入ってきた輪は、今までなかった中心点を見つけることで急速に確固な円へと変わっていく。それでも決まった輪に籍を置かないという点では、ぼくと悠一くんは同じだったのかもしれない。
「この前の絵、コンテストで入賞したんだってな」
トイレで用を足していると、小便器を一つ空けて彼が話しかけてくる。
「うん、銅賞だったけどね」
「モデルがいいからだな。お前の腕が上がれば、次は銀賞だ」
「金賞が取りたいよ」
「金賞取るなら、俺のヌードじゃないと」
彼の軽い冗談に頬が熱くなるのを感じる。彼は笑いながら、小便を終え便器を後にした。彼はどの輪に入っても、自分を裸にするようなジョークが言えるタイプなのだ。
美術の授業以降、ぼくは悠一くんの青い瞳を覗き込みたいという欲求に常に駆られていた。彼はいつもどこかの輪で中心にいたから話しかけるなんて無謀だったし、あちらから来てくれても目なんてなかなか合わせられなかった。
ぼくの脳内には、彼の横顔の記憶ばかりが積もっていく。板書をノートに書き写す横顔、校庭でクラスメイトとサッカーをする横顔、給食の時間に友達とふざけあってる横顔、午後の授業で眠そうに首を動かしている横顔。たくさんの横顔をどれだけ脳裏に焼き付けても、青い瞳への欲求はさらに深まるばかりだった。
我慢できないぼくは、終業後に彼がチャリで帰るのを追いかけた。
「やあ、ぼくも帰るところなんだ」
何度もそう心の中で反復練習しながら、それを口に出すことはなかった。結局、彼が川辺のグラウンドに向かい、サッカーの練習に励むのを見守る日々が始まっただけだった。
ある日、いつものようにグラウンドで彼の姿を眺めている時、ぼくはつい居眠りしてしまった。すると突然悲鳴のような猫の声で目が覚める。何があったのだろうと思い、声の先に向かった。そこには耳から血を流す猫と、それを抱き抱える悠一くんの姿があった。
「その猫どうしたの?」
「耳を切られたらしいんだ。早く病院に連れて行かないと」
ぼくの姿に驚きながらも、彼は目の前の猫で必死な様子を装っていた。しかしぼくは彼が血のついたナイフを背後に隠すところを見てしまった。猫は必死の形相で彼から離れ、土手の向こう側へと逃げて行った。そうしてぼくは彼が猫の耳を切り取っている犯人なんだと気がついた。
彼が必死にナイフを隠したあの光景は、不思議とぼくに元気を与えた。クラスメイトの誰からも好かれている悠一くんが、猫の耳を切り落としているのだ。ぼくはこの事実をみんなに打ち明けたらどんなに気持ちがいいのだろうと思った。
こんなことを打ち明けても、誰ひとりぼくを信じてくれないかもしれない。もし悠一くんが「あいつが嘘をついているんだ」と言ったらそれまでだ。
それにぼくはこの秘密をぼくだけが知っていることにとても快感を覚えた。彼があれからもクラスメイトの輪の中で、どれだけ光輝いていようが、以前ほど不快感や嫉妬を感じることもなくなっていた。結局は猫の耳を切り落とすような変態なのだ。ぼくのこの感情は、初めて裸を見せ合った男女が親密さを増す気持ちと、似通っているのかもしれないと思った。
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