最終章
私はワームホールからの転送を経て、太陽系に帰還した、らしい。
脱出艇に接続されたまま周囲の惑星を出来るだけ観察する。
『第三惑星、及びその衛星に人工物の反応を検知。第二惑星には主な反応は見られません』
衛星に反応を検知……。少なくとも宇宙進出は始まっているようだ。しかし、私はカズヒロ様に火星への接近を禁じられている。何とかして情報を集めなければ。出来れば変装をしなくてもいい場所……人工衛星は危険か、カズヒロ様の気に入っているアメリカ西部、メイド服ならイギリス……。使用人が外を歩ける時代ではないか? インターネット通信の反応を調べる。盛んな電波の反応から考えて二十一世紀初頭かその直前……。その時代にメイド服を着たまま歩ける場所……。通信の中からmaidで通信が行われている場所を検索する。その文字列を含んだ通信は特にアジア東部から盛んなようだ。メイド服に類似した画像データもこの数日を中心に非常に多い。
「使用人アンドロイド展でも行われているのでしょうか……」
時代的にも整合性は取れる。人の居る場所に情報あり。特にこの時代はそうだろう。古式紙に日時とその時の情報を印刷したものもまだ流通していた時代だ。
『第三惑星、地球に目標を設定。日本、東京、江東区に着陸します』
まだ個人での宇宙船は飛び交っていないようだ。高高度旅客船……飛行機、そうか、私は宇宙人に見える可能性がある。
「ステルス状態で、目標に向かってください」
『了解』
徐々に青と緑と白の惑星が接近する。日本……カズヒロ様の祖父はこの星の、日本、つまり目標地点付近の出身ということか。世界は狭い。
細長い群島が見える。海岸の辺りだ、そこで大規模な情報の通信がある。大気圏突入後、上空から様子を見て、潜入することにしよう。私は脱出艇に意識を戻した。
『オートパイロットに切り替えます』
オートパイロットも何も、操縦は私なのだが。
『北西五十キロに多量の通信を検知。接近します』
私は自分の体に意識を戻す。個人端末から洪水のような通信が行われている。
あの四本の柱に逆さまにした四角錐を突き刺した建物が情報通信の渦を引き起こしている。
『車両基地と思われるエリアを確認。偽装して着陸します』
人の波だ。脱出艇を偽装状態にしたまま、私は船外へ降り立つ。
「ここがアンドロイド展の会場……?」
様々な絵柄の袋を抱えた人々が忙しなく歩き回っている。メイド服姿のままでも難なく人ごみの中に紛れ込める。
屋外で様々な装備を身にまとった男女が次々とポーズを取り、カメラマンが撮影している。ほとんどが人であることから、人機共用の装備品の展示会なのかもしれない。こんなに多種多様な装備品の展示会は初めてだ。
屋内に入ると数々のイメージとそれに関連するパンフレットが販売されている。アンドロイドと人間の生活にまつわるものだろうか。
卸売りの量産型よりハンドメイドの発注会といった雰囲気だ。
「あ、居た居た」
防弾布を帯で体に巻くような服を着た男に声を掛けられる。
「こっちです」
私を連れて、男は人ごみを掻き分けていく。自然素材の靴が乾いた音を立てる。人違いをしているのか、私の正体に気がついた者か。スカートの中に隠して装備しているピースメーカーを思い出すが、これほど人が多くては目立つのは避けなければならない。とにかく人違いの線に賭け、私は男に促されるまま、展開式の椅子に座る。
「約束の時間に合流できてよかったです、今日はよろしくお願いします」
やはり人違いか。まだ分からないが……。この男はアンドロイドのドキュメンタリー冊子を販売していた。奥付には2019年、と記されていた。
「すいません、今日は何日でしたか?」
男は意外そうな顔をして、
「二十九日です、十二月二十九日」
と答えた。
男のブースは丁度通路に面しており、人々は時折冊子を購入していった。必要な情報が得られた私は、椅子に腰掛けながら男の冊子の販売に協力した。
渦巻く電波の情報の中に、時折、時刻を知らせるものが混じる。衛星時計の電波のようだ。正確な時刻を知らせる電波同士が合流するせいで、それぞれに僅かな時間差が生じている。衛星軌道までの距離とそれぞれの衛星の位置から、正確な時刻を測定する。その間も、私は冊子を配っていった。
「もうこんな時間ですね」
男が切り出すと、私達は解散となった。光速に近づいて移動することについての理論をもう一度思い出しておく。
意外なことに、この理論は2019年に既に存在しており、ネットワークからかなり正確な時間のずれ方のデータを引き出すことが出来た。私はあと三年で年二百二十三年と半年先の未来に行かなくてはならない。
『お帰りなさい』
脱出艇に戻り、両肘を接続する。
「三年かけて二百二十三年と半年先に進むのに必要な速度は?」
ザフラの遺した「限りなく光速に近づく装置」を踏まえて演算する。ステルス状態で大気圏外に脱出する。
『299765.4496/s……割合で換算すれば光速の99.9909%になります。十分に加速可能な速度です』
尋常でない、いや想像を絶する速度だ。
「ルート計算に必要な時間は?」
そんな速度で物体に衝突すれば、いや、空気ですらこの船は蒸発してしまうだろう。
『必要ありません。ルートは想定済みです』
ザフラはどこまでの未来を、この時代そのものは過去だが、見通していたのだろうか。
『指示を。最後に必要なのは指示、そしてあなたの覚悟です』
……カズヒロ様。私は、必ず帰ります。
「最終地点を火星へ。開始してください」
最後の賭け。旅へ出たときなら私はためらっただろう。
『最終指示を確認。加速シーケンスへ移行。火星へ到着後、コックピットを放出します』
私は最後に深くうなずき、そのままコックピットはゲルで満たされた。普通ならこんなもので衝撃に耐えられるはずも無いが。ピパーシャ、あなたより速く飛ぶことになるなんて。ザフラ、あなたのおかげです。ヨハン牧師、あなたの元で学んだ祈りが、最後に実を結ぶ日が、今来ました。
「カズヒロ様、今帰ります。しばしお待ちを」
全ての点が一つに繋がる。私の主人の元へ繋がる線に。
意識が途切れる瞬間、私は叫んでいた。
「『祈って――!』」
私はカズヒロ様の元に帰る。火星へ帰る。砂嵐に耐えるコロニー。強風でも折れない垂直軸型マグナス式風力発電機。朝昼の時間切り替えに関係なく昇る太陽。真っ赤な酸化鉄の大地。そしてカズヒロ様。私は、その場所に戻る。
『コックピット、射出。さようなら』
脱出艇からコックピットが射出される。
「ありがとう、さようなら」
船に別れを告げる。コックピットのカメラを起動し、赤い大地が現れるのを待つ。カメラの起動を確認。しかし視界はホワイトアウトしている。
「カメラエラー? そんなはずは……」
視界一杯に緑の大地が広がり、私は混乱する。地球に放出されたのだろうか? 太陽光の波長が想定と異なる。だが地球でもない、未知の大気バランスを確認。全く違う星か、いや、確かにあれは太陽で、そのカメラ越しの距離から火星に違いない。まさか、バタフライ効果によるパラレルワールドやタイムパラドックス? 予定座標に接近する。あの日の形をしたコロニー。しかし、その周辺は緑や色とりどりの植物が風に揺れている。
私はたまらずコックピットのハッチを開放し、トランクと共に飛び出す。宇宙空間での放出に備えたジェットパックで最大限減速しながら予定座標に軌道を修正してゆく。旅立った地点と同じ座標が、桃色がかった紫に染まっている。花だ。私の着陸地点を示すように、そこだけが花で一杯になっている。私はギリギリの高度でジェットパックを切り、着地する。
この場所は……この星は一体……?
「ロキシー……ロキシーなのか?」
三十代ほどの男性が、白髪の老人を伴って近づいてくる。
「はい、私は……」
着地の際の塵が目に入ったのか、視覚センサーの洗浄システムが作動し、視界がおぼろげになる。
「カズヒロ様っ!」
そんなことで私は主人を見誤ったりしない。
「ロキシー!」
駆け寄り、主人を思い切り抱きしめる。
「カズヒロ様、カズヒロ様……!」
カズヒロ様は私を優しく抱きしめ返してくれる。
「お帰り、ロキシー」
その手も、腕も、胸も、あの日よりたくましく、力強く、そして温かさだけが変わらなかった。
「随分、背も伸び、ご立派に……こんなに、こんなに素敵になられて……」
カズヒロ様を抱きしめる腕が震える。これはメモリか何かの損傷が見せる記憶?
「ロキシー、よく帰った。百年もの長い時間」
しかし、カズヒロ様は百歳を超えるようには見えない。
「カズ、カズヒロ様、私は本当に百年の暇を終えたのですか? お若く見えるのです、私は何か深刻な損傷を……この星も、緑の大地に見えるのです……私は、私は」
震えが止まらなくなる。
「大丈夫、ロキシー、大丈夫だよ。ほんの少し変わっただけだ、私……いや、僕も、この星も」
理解が追いつかず、言葉が出ない。
「ロキシー、僕はテロメアの修復手術を行ったんだ。そのために多くの研究を要した。DNAの修復をね。僕の老化は、ほぼ止まっている。この星も、随分酸素が多くなった。植物が自生できるように。大地の酸化鉄から鉄と酸素を分離したんだ」
大丈夫、もう一度繰り返して、カズヒロ様は私を強く抱きしめた。
「もっとたくさん話さなきゃならないことがあるね、僕も、ロキシーも」
私を抱きしめるカズヒロ様の腕が緩む。とっさに私はカズヒロ様をさらに強く抱きしめた。
「カズヒロ様……もう少しこのままで居させてください」
何も言わずに抱きしめてくれた。私の頬にはとめどなく洗浄液の滴が零れ落ちていた。
「百年、とても長い時間でした。とても。私はずっとカズヒロ様を想って居りました。だから、もう少しだけ、触れていたいのです」
私は膝から崩れ落ちそうになる。
カズヒロ様は、私を抱きとめながら、一緒に花畑に横たわった。
「本当にすまなかった。余りにも長い時間だった、でも、ロキシーを旅に出したのは、間違いじゃなかった」
カズヒロ様はゆっくりと私に語りかけた。私を旅に出したいきさつと、その結果を。
「重役や技術者の補佐アンドロイドが、我が社の技術を目的に連れ去られ、殺された。そんな時代の中に、僕はどうしてもロキシーと一緒には居られなかった。もう、僕は誰も失いたくなかった。僕の弱さだったんだ。ロキシーがいつか狙われると思うと、恐ろしくなった。だから、その悲惨な企業間戦争を百年で終息させると決めた。そしてロキシーが帰るその日まで生き残ることも、決意した。就任四周年の夜まで、決心が固まらなかった」
主人の腕の中で、大きく呼吸した。
「カズヒロ様、それは弱さではありません。カズヒロ様の優しさです。私への、優しさだと、私は感じます」
カズヒロ様が私の手を引き、二人で立ち上がる。
「本当によく帰った。ありがとう、ロキシー」
カズヒロ様は周りの花畑を見渡した。
「本当にぴったりとこの場所に帰って来てくれて、驚いたよ」
一面の花畑。
「これは、何の花ですか?」
私は敢えて、カズヒロ様に聞く。
「ハーデンベルギア、藤の一種だ」
カズヒロ様はとても恥ずかしそうに答えた。
そして赤くなった顔を隠すように私の手を引き、空港のカフェテラスへ向かった。
「ウィリアム! ロキシーは無事に帰った! お茶の時間にしよう」
すっかり白髪のウィリアム氏を伴って、私達はカフェテラスへ向かう。カズヒロ様に話すことがたくさんある。私の見てきたこと。争って生きることの悲しみ。しかし時に守るため手にしなければならない力とその責任について。愛し、信じることの美しさについて。
それに、心を持ちこの宇宙をさまようアンドロイドや、遠くの宇宙で起こっている紛争、おそらく宇宙最大の粘菌コンピューター。安定したワームホールが突然現れる宇宙の謎とされてきたことの答え。
私には、心があること。そして、私がカズヒロ様を愛していること。
紅茶が運ばれてくる。
皆で紅茶に口をつける。
「ロキシー、大事な話がある」
いつか聞いたその言葉に、また私の手が止まる。
「僕は君とずっと生きてゆきたい。そのためにこの百年準備してきた。そして、僕は君に守られるだけじゃない、君を守って、幸せにしたい。だから」
カズヒロ様はとても小さな箱を取り出した。
「僕と、結婚してくれ」
中には、指輪が置かれていた。
「はい」
私は左手を差し出した。
カズヒロ様はそっと、私の薬指に指輪をはめた。
「私も、カズヒロ様を、愛しています」
カズヒロ様の両手を握りしめる。
「これでカズヒロ様は、私だけの、ご主人様ですね」
私はこれから百年、カズヒロ様の隣で生きてゆく。
二人で、同じ速さで。
百年のお暇。 りんたろう @soptrd19417428
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