第25章 亡者は生を恐怖するのだろうか
米村 奎吾。改めて考えれば、彼の言動には不審な点が多かった。
まず、俺たちが初めて会った、奥村の事件の翌日。あの時、彼はあのカフェで、俺たちに捜査情報……奥村の脳の異常を伝えていた。
事件を追いかけようとした俺たちを、諦めさせるための方法だった……最初はそう考えていたが、事実ではなく、嘘の情報を伝えても結果は同じだったはずだ。
でも、彼はそうしなかった。それはなぜか。
東京総合国際病院での、監視カメラの映像……あれを彼が仕込んでいたとすれば、あの後、映像データが消去されていた理由が説明できる。そもそも、あの映像を入手するまでの時間が早すぎたのだ。まるで、すでに用意してあったかのようだった。警察の仕事が早いと言っても、いくら何でもおかしかった。
あの映像を、わざわざ作成したのは、そして俺たちに見せたのはなぜだったか。
あの映像に映った女性を、いち早く鈴石だと決めつけたのは、米村だった。そして、例の組織という情報……あれによって、俺たちに鈴石があたかも生きているように思わせたのも、米村だ。それは、どう考えても偶然ではない。
考えれば考えるほど、彼の言動には不審な点が多いのだ。
「状況を考えると、だな……」
村田は、
「まず、あの病院で観たという監視カメラの映像の話。あれが俺に来なかったんだよ。今まで、どんな些細な情報でも相談しに来ていたアイツが、わざわざ隠すようにしたのはなぜだ? 簡単なことだ」
村田は、またタバコの火を探すかのように手を動かした。しかし、ここが中原の私室だということを改めて思い出したようで、諦めたようにため息を
「……チクショウ、こんな時に吸えねぇってのは、なかなか辛いな。なぁ、良いだろ一本くらい……」
「……ダメです。そもそも、火災報知機が鳴りますよ。いい機会なので、禁煙するか、電子タバコにでもしたらどうです?」
中原は、先ほどまで
「電子タバコ、なぁ……最近さ、孫に言われちまったんだよ。『おじいちゃん、くちゃい』ってな。さすがにちょっと
乾いたように笑う村田だったが、そんなことでは、この部屋の空気は変わりそうになかった。重苦しく、全身の毛穴に刺さるような、鋭い緊張感。
「ま、それは良いとして……問題は、アイツの動機が全く分かんねぇ、ということだ。ただ人殺しをしたいがために、こんな手の込んだ事件を起こすわけがねぇ。だとすれば、アイツにも事情ってもんがあるはずだ」
そう、俺も彼の犯行だと決めつけられなかった一番の要因……それが、動機だ。
岬のように、両親の
それに、その調査書は警察にも保管されているはずなのだ。それを、この村田が見ないはずがない。ということは、彼には今回の事件を起こす背景がない、ということになる。
であれば、
「……例の組織、くらいしか見当がつきません、ね……」
「そうだな、そうなっちまうと、こっちとしてはお手上げだ。何しろ、国……いや、世界全体でサポートしているような組織だ。一警察官が出来ることは何もねぇ」
そう、米村の動機が、例の組織内での問題だというのであれば、その騒動が収まるまではどうにもできない。米村自身を抑えておく、ということも出来なくはないが、今のところ動機がなく、殺害自体の証拠もない人間を拘束することは、人権に反する。それこそ、大きな問題になってしまうのだ。
「ただ、この事件がまだ続いていると仮定した場合だ。次に狙われるとすれば、俺……そう思っていたんだが……」
「え?」
妙に歯切れの悪い言い方をする村田に、戸惑う俺。
何か、途中で気になることでもあっただろうか。それも、自分自身が殺されるというよりも、また別の何かが。
「さっきの理論で言えば、岬 千弦……彼女は、俺と同じくらい危険な場所にいる。米村は、この事件を起こす動機のある彼女を、このまま放置すると思うか? 証拠が揃って、取調室で殺す……そんなバカなことを、アイツが企むと思うか?」
俺は、ハッと息を飲んだ。
そう、岬が犯人だと決めつける流れが出来れば、取り調べ中に殺すことも出来るだろう。しかし、そもそもこの事件自体が、警察の上層部から終わりを告げられている。本来なら、これ以上の殺人は意味がないし、捜査も無意味なのだ。
それでも、こうして捜査をしている人物がここに四人いる。ということは、俺たちの捜査も終わらせる一手を、彼は考えているはずだ。
そうであるならば――――
「岬を殺し、これまでの事件に関する遺書を残す。そして、何食わぬ顔で、米村は署に戻る……」
「そうだ、それが今、考えられる最悪の手……」
俺は、その答えに
「おい、今彼女はどこにいる!?」
村田の強い言葉に、俺と胡桃は我に返った。
そうだ、今は一刻も早く、彼女を保護しなければならない。急いで、俺は岬のスマホに着信を入れた。
プルルルル……
一コール終わるごとに、俺の心音は大きく、そして速くなっていく。今にも飛び出しそうに、心臓は胸の中で暴れている。
まだか、まだ出ないのか……
プルルルル……
四コール目……まさか、岬はもう……!?
プルル……ガチャ
着信音が止まり、向こうから雑音が聞こえた。テレビの音……ああ、岬は好きなテレビ番組の、録画を観ていたのだろう。少しだけホッとする俺は、そのまま岬に話しかけた。
「おい、岬、今何を……」
「ああ、高島くんじゃないか。久しぶりだね」
「え……」
今の声、それに、高島くん……まさか、そんな……
「おいおい、どうしたんだ? ……ああ、岬さんのスマホだもんな、これ。驚くのも無理はないか。でもな、俺を疑っているっていうのは、知っている……いや、聞いていた、というべきだな」
先ほどまで早鐘を打っていた心臓が、停止したかのように静かになっていた。呼吸も、思考も、全てが停止してしまった。
この耳から聞こえてくる音は、一体何を言っているんだろう。一体、俺は何を……
「おい、聞こえないのか? もしもーし」
そのまま呆然とする俺には、スマホからの音は、最早聞こえていなかった。
俺の異変に気付いた中原は、俺のスマホを奪い取り、電話を代わった。
「もしもし、岬ちゃん!? だい……」
「ああ、中原か。お前、警察官としてはちょっと抜けすぎだよな」
中原も、スマホから聞こえてきた声に驚き、体が硬直したようだ。表情も、みるみるうちに白く変化していく。
「お前の部屋に、念のため仕掛けておいた盗聴器が役に立ったよ。全く、村田先輩も嫌な真似をするよな。可愛い後輩を疑うなんてな」
「盗……聴……?」
中原の口から漏れ出た言葉に、青ざめる胡桃と、より険しい表情になった村田。
一方の俺は、まだ現実を直視できずに、ただ呆然とするだけだった。
「……あ? あー、お前もそうなるのか。本当にしょうがない……村田先輩いるだろ? 代わってくれ」
「……」
中原は、震える手で、スマホを村田に手渡した。村田は、険しい表情を変えず、しかし冷静に電話を代わった。
「おう、米村か? 取引でもすんのか?」
「……開口一番にそれですか。さすが先輩ですね……そうです、岬 千弦の命が惜しければ、先輩、死を選んでください。できれば、そうだな……ドラマチックに、銃で頭を、っていうのはどうです?」
その言葉に、さすがの村田も唇を震わせている。
しかしそれは、恐怖、というよりも憤怒の方が強いようだ。顔色も、徐々に赤みが増してきていた。
「……それはそうと、交渉をするには、まず、必要なことがあるだろう? 興奮しすぎて忘れちまったか?」
「……相変わらず、嫌味なことで。そうですね、安否確認。肉声でよければ」
「いい、早くしろ」
そう言って、村田は手慣れたようにスピーカーホンへと切り替えた。先ほどまでの米村の声とは違う、別の女性の声が、スマホから聞こえてきた。
「た……たす……け……」
岬の声だった。しかし、途切れ途切れで、くぐもったような声……それは、いつもの彼女の元気のいい声とは、明らかに異なっていた。
「おいおい、もっと気の利いた言葉を話せないか? やれやれ……先輩、これでいいです?」
「……あとで、写真も送れ。それで、期限はいつまでだ?」
「明日の、18時というのはどうでしょう。それまでに、先輩の死体の……そうですね、写真でもいいので、送ってください。それで、岬さんは解放します」
明日の、18時……
今、すでに21時を過ぎたところだ。もう24時間も残されていなかった。
「要件はそれだけですか? じゃあ、吉報を……」
「待て、お前は……組織の人間、なのか?」
村田は、また冷静に、しかしはっきりと言った。そう、彼の動機に繋がる情報……こんな状況になっても、まだ村田は、米村の動機を知りたかったのだ。
それは、警察官としての
「……ご明察、と言っておきましょうか。しかし、俺は研究なんてできませんから、彼らの小間遣い、といったところです。それでは、良い夜を」
プツッ ツー ツー……
米村は、電話を一方的に切ったようだ。ビジートーンだけが、虚しく部屋中に響き渡っていた。
放心状態の俺、中原と、吐き気を催したのか洗面所へと向かっていく胡桃。そして、赤い顔をしたまま、静かに俯いた村田。全員が、しばらく無言のまま、固まっていたのだ。
最悪の状況だ。
岬は既に米村の手の中にあった。その上、村田の自殺をもって岬を解放するという。しかも、金銭のように面と向かった取引ではなく、死体の画像を送ること、これが条件だった。
この場合、取引現場に来た犯人を取り押さえることもできず、また人質となっている岬の安否も、はっきり言って不明なのだ。村田が例え自殺したとして、本当に米村が岬を解放するのか、それについては全く確証を得られないのだ。
そして、米村は例の組織の一員だった。これが意味することは、警察上層部に知られてはいけないということ、それに、マスコミを利用することもできないということだ。つまり、ここにいる四人にしか、この事件を終わらせることはできないのだ。
ここにいない宮尾や森谷については、もうこれ以上この事件に首を突っ込ませる意味はない。岬の救出に失敗した場合、宮尾は暴走する可能性はあるのだが……そこまでの最悪のシナリオは、まだ考えない方が良いだろう。
森谷は、これ以上組織を刺激しないだろう。そこまで愚かな人間ではない。
米村の指定した期限は、明日、9月6日の18時。それまでに、一体どういう対応をしなければいけないのか、俺たちにはもう、手が残されていなかった。
9月6日 0時30分の代々木警察署内。
会議室には、俺と村田の姿があった。胡桃と中原は、そのまま中原の自宅に置いてきた。というのも、胡桃の精神的なダメージが大きく、あの後倒れてしまったのだ。その彼女の看病のために、中原は残ったのだ。
「……しかし、GPSもダメか。自宅も、電話に出られるような家族がいないとなると探したところで時間の無駄だろうな。全く、あの父親もひでぇ。娘の危機だっていうのに、『ああ、そうですか』だけかよ。人を何だと思ってやがる」
村田は、米村の電話を受けて以来、岬が監禁されていそうな場所を虱潰しに探していた。しかし、彼女が行きそうなところであればまだしも、米村が監禁場所に選ぶ場所、となると、全く意味が変わってくる。それこそ、彼の行動を理解できる者でも、困難を極めるのだ。
村田は、特に米村から指示されていなかったため、岬の父親にも連絡を入れていたのだが、結果は村田の発言通りだった。昔、彼に会ったことのある俺からすれば、そこまで驚くことではなかったが、それにしても愛情がない。
「んで、宮尾と森谷には言わねぇ、そういうことで良いんだな? 後で言われるぞ」
「ああ、そうかもしれませんが……仕方ありません。こうなった以上、こうでもしないと、俺の親友を守れないので」
こんなことが後で発覚したら、きっと宮尾は怒るだろう。最悪のことが起きた場合、彼女は俺に対しても牙を剥いてくるかもしれない。でも、危険なことに巻き込んでしまうのは、嫌だ。こんなことはもう嫌なのだ。
そう考えたとき、岬の発案で行った親睦会、あの時の宮尾と胡桃の発言を思い出した。『事件に巻き込まれてもいい、友達だから』……今の俺には、到底頷けない言葉だった。
それでもいい、もう、大事な人がいなくなるなんて耐えられない。
すると、村田はフッと笑った。
何かおかしいことを言っただろうか、そう俺は思ったのだが、その笑いは、苦笑いだということに気付いた。
そして、村田はその笑みを浮かべたまま言った。
「……全く、親友ってのは良いねぇ。でもな、お前、今から首を絞められるぞ。覚悟しておけよ」
「は? ……グゥ!?」
その言葉と同時に、俺の首が何者かにより締め付けられた。ギリギリ、ギリギリ、と締め付けられた俺の首は悲鳴を上げた。
(ま、まさか別の犯人が? で、でももう限界……)
突然の行為に、何の受け身も出来ていなかった俺は、腕をだらんと下げ、最早何の抵抗も出来なかった。
ああ、ここで死ぬのか、そして、今までの記憶が走馬灯のように、頭の中に広がっていく……
すると、急にその手の力が弱まるのを感じた。呼吸と、脳への血流が再開され、俺は床に倒れるような姿勢になった。勢いよく首が解放されたため、危うく床に頭をぶつけてしまうところだった。
「ゲホ、ゲホ……い、一体何が……」
「何が親友よ!!」
……え? 今の声は……
突然の出来事に、俺の頭はまたパニックになった。
「何が守るよ!! 私は、ハルに守られるだけなんてイヤ!!」
俺は、ゆっくりと振り返り、俺の首を絞めた女性の方を向いた。
宮尾 藤花。彼女がそこに、真っ赤な顔をして立っていた。その目には、薄っすらと涙を浮かべている。唇は震え、拳は固く握られていた。
「み、宮尾……? どうしてここに……うっ」
今度は右ストレートが、立ち上がったばかりの俺の腹部を直撃した。しかし、先ほど首を絞めた時の力とはまるで異なり、弱々しく、勢いのないパンチだった。
それでも、俺にはそのパンチが、とても痛く感じた。
「……仲間外れにして、楽しいの? 危ないからって、そんなの……」
そう言って宮尾は、声も上げずにさめざめと泣き出してしまった。
「……」
仲間外れ……宮尾にとって、大切な存在であった岬が大変な目に遭っている中、同じく大切な存在である俺から、その事実を伝えてもらえなかったこと。それは、俺の予想以上に、彼女の心を傷つけるものだった。
思えば、宮尾も幼いころから母親を亡くし、父親はまともに話せない状況になっていた。そんな中で、幼い弟の面倒を見ながらの生活だったのだ。きっと、気を許せる場所なんてほとんどなかったに違いない。
岬と俺は、そんな彼女にとって救いだったのだろう。それは、俺も同じことだった。そんなことに今さら気づくとは、やはり俺はバカなんだな、と改めて思うとともに、こんなことをしてしまって、彼女に申し訳なくなった。
「ごめん、ちゃんと話しておけばよかった。これは、俺の心の弱さのせいだ。ごめん」
ただ、謝罪の言葉を口にするしかない俺に、宮尾は小さく頷くだけだった。しばらく、その様子が続いたとき、村田は、やれやれと呆れたように口を開いた。
「はぁ、若いっていうか、子どもっぽいというか。そんな相手だったら、さっさと付き合えばいいんだよ」
「またそんなことを言って……茶化すのは止めてくださいよ」
村田の軽口に、俺は少し腹の立つ思いがした。
まだ、俺には人を愛するだけの余裕はない。養ってくれた親戚への気持ち、あれをちゃんと考えられていなかった俺に、まだ人を愛する資格はないと思う。
「ふぅん? ま、もっと成長してくれたまえ、若者諸君」
まるで遺言のような言い草だと、俺は思ってしまった。
「それで……もしかして連絡があったのか?」
「うん……大変なことが起きてるって、それで」
そうか、連絡を入れたのは胡桃だったのだろう。結果として、それは正解だった。俺は危うく、大きな間違いをするところだったのだ。それこそ、死んでも許されないような。
「その中身については?」
俺の問いかけに、宮尾は小さく首を振った。
「ちーちゃんが大変、っていうことだけ。……でも、さっきの話とかを聞いて、とっても危ない状況だっていうのは理解できた」
「そうか……」
俺は、村田の方を見た。村田も、軽く頷いた。
「じゃあ、これまでのこと、詳しく話すよ。……気持ちの整理はできているか?」
「うん、お願い」
その言葉を聞き、俺は今までの経緯……米村の電話に至るまでの一部始終を話し始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます