第22章 事件の回想と記憶

 中原の運転で、彼女の住まいへと向かう俺と胡桃。窓の外には、大きな積乱雲が立ち込めている。黒雲は地響きをとどろかせ、やがて来る豪雨を告げているようだった。


 そして、とある住宅の前で停車し、彼女は足早に車を降りた。


「ああ、雨が降る前に着けて良かった。さ、入って!」


 ここは、警察の社宅だろうか。一般人は通常、入ることのない集合住宅のようだった。こういった施設は本来、部外者の立ち入りを制限しているはずだ。しかし、村田の口利きも有ったのだろう、俺と胡桃は、特に何事もなく敷地内へと通された。


 中原の部屋は、この集合住宅の二階にあるという。何となくだが、俺は少しだけ彼女に親近感がわいた。俺自身がアパートの二階に住んでいる、というだけで外観も、そして中身も全く違う。それでも、地上からの距離と言うのか、それが同じということは少し安堵するものがあった。


 部屋の前に辿りついた俺たちは、まず中原が中に入り、少しの間、玄関前で待たされることになった。彼女も年頃の女性であるし、胡桃はともかく、男性を招くのだから少しは片付けようと思ったのだろう。


 そして、しばらくして中原から入室の許可を得た俺たちは、静かに彼女の待つ部屋へと入っていった。


 中原の部屋、というので少し荒れているかと思いきや、存外、彼女はきれい好きなようだ。とても片付いた部屋、そう思った俺だったが、ある一点のみ、この部屋から異様なものが見えていた。


 部屋の真ん中付近に、ドン、と鎮座ちんざする、大きなホワイトボード。まるで刑事ドラマに出てくるような、そんなものが部屋に置かれていた。しかも、ご丁寧に、顔写真は無いが、事件についての記載がいくつもあった。


「ごめんね、さっき大分片付けたから……どうしたの?」


 中原は、俺と胡桃が硬直した理由が分からなかったようだ。そして、俺たちの視線の先にあるものに目を移した彼女は、また俺たちと同じように硬直したのだった。


「あ、ええと……事件を常に忘れないようにする心がけ……ということでしょうか」

「え、ああそうそう! 個人情報は持ち出してないから、見ても大丈夫だとは思うんだけど……しまったなぁ……」


 そう言って中原は頭を抱え込んだ。警察の内部事情を知らない俺たちからすれば、自宅でも事件のことを考えているということは、仕事熱心なのだな、という評価に繋がる。個人情報を持ち出していたのなら話は別だが、そこまで頭を抱えるようなことなのだろうか。


「胡桃の部屋も、こんな風に事件の記録とかをまとめているのか?」

「いや……ノートにまとめたりとか、なるべくコンパクトにするようにしてるかな……これだと、ちょっと……」


 ああ、それはその通りなのだろう。ホワイトボードは、誰かと共有するような情報を書き込むものだと、普通は考える。こんな風に、住居に置くようなものではない。伝言板のような、小さなものならば理解できるが、大学の講義室にあるような大きさのものは、まず必要ない。


「あの、もうそれについては触れなくて良いから……ん? いやでも、ちょうどいいかも」


 先ほどまで頭を抱えていた中原は、思い立ったように、そのホワイトボードの前へと移動した。そして、書かれている事件……よく見れば、個人名などは無いが、恐らく今回の事件に関する記述だ。それを見て、こちらに向き直った。


「私の、村田先輩や米村先輩から聞いた情報が正しいかどうか、ちょっと確認させてくれる?」

「え? ええ、それは良いんですが……むしろ俺たちへの情報漏洩ろうえいになりませんか?」


 俺と胡桃は少し驚き、彼女に確認した。


「何、今さら。ずっと前から、米村先輩とかが漏洩ろうえいしまくってるじゃない。だったら、私もそれに乗っかるまで」


 なるほど、言われてみればその通りだった。中原は、あまり考えて行動しない人だと思っていたが、意外にもしたたかであると感じた。


「……わかりました。では、俺たちの知っている情報とすり合わせましょう」

「うん、そうこなくちゃ。……まずは、今回の事件を追っていくわね」


 そう言って中原は、ホワイトボードに向かって左上を指さした。





「今回の事件は、この松山の事件が始まりとされている。それは大丈夫?」

「ええ、8月10日、絵描きが焼死体となって発見された事件、ですね。それはもちろん」


 胡桃が返答した。そう、この事件自体は俺たちに全く関りはない。しかし、米村や村田からは、この事件が始まりであると聞いている。


「そう、彼が描いた絵、『火刑』にそっくりな様子で、彼自身が死んでいた事件。まぁ、結果として彼の絵は高額な値が付いているみたいだけど……この絵の価値を高める目的での殺人、もしくは自殺だという意見は、まだ根強いわ」


 警察内でも、未だに意見が分かれているということは、何となく察するものがあった。何しろ、焼死体となったせいで、遺体からの情報がほとんど得られないのだ。……しかし、彼には今回の事件に絡む、重要な点があった。


「……でも、彼は霊身教れいしんきょうの信徒だった。そして、あのエンドルパワーを飲んだ可能性が高いと思われている」


 そう、後になって分かったことだったが、松山は霊身教れいしんきょうの信徒だった。偶然にも、同じ信徒である奥村の写った写真に、彼が写り込んでいたことで発覚した。

 エンドルパワーについては、彼の住むアパートに空き瓶があったらしい。もちろん、それで彼がエンドルパワーを飲んだかどうかは不明だが、可能性としては充分に考えうることだった。


「私たちが知っている情報としては、こんなところでしょうか……他になにか、警察内で共有されている情報はありますか?」


 胡桃は、いつの間にか例の大きな手帳……もはやノートだが、それを取り出していた。手にはもう既にボールペンが握られている。あの、森谷にサインした時と同じボールペンだった。


「うーん……会社をクビになって、しばらく精神的に病んでいた時期があった、という話は聞いているけれど……それだけ。友達もロクにいなかったみたいだし、絵描きとしても、別に何か昔やっていた訳でもないそうよ」


 なるほど、簡潔に言えば、絵描きを称しているだけの無職なのだな。もちろん、会社をクビになり精神的に病む、というのは分からないでもないが……それにしても、絵描きとして生きていく、という行動には違和感があった。


「……とりあえず、分かっていることはそんなところですね。一先ひとまず、整理を続けましょう」

「そうね、次は……胡桃ちゃんのお姉さんの事件」





 俺は、思わず胡桃を見た。第二の事件は、彼女の姉が被害者だ。以前までは、その事件について語る胡桃は冷静そのものだったが、今の彼女はどうだろうか。先ほどの記者のせいで、精神的に不安定になっている可能性がある。そんな状態で、姉の事件の話が出来るのか、俺は不安だった。

 しかし、そんな俺の不安を察したのか、俺の目を見て、胡桃は力強く頷いた。


「……大丈夫。お姉ちゃん……安藤 理佐は、頭部が切断された状態で、その日グラビア撮影を行う予定だったスタジオに届けられた。そして、その事件の八日後……頭部が自宅のリビングで発見された」


 彼女の姉、安藤の頭部が発見された、という連絡は俺たちが胡桃に出会った、8月23日。ちょうど、あのカフェ・レストリアで会話していた最中のことだった。スタジオに届いたのは、八日前だから、8月15日だ。


「そうだ、それについては疑問だったんですが……どうして、彼女の自宅から頭部が発見されたのでしょうか。規制線もいてあったでしょうし、わざわざそんなところへ頭部を戻しに来る、なんて……」


 そう、彼女の頭部が発見されたのは、彼女の自宅リビング。すなわち、犯人は変死事件のあった人間の自宅に、発生から約一週間程度しか経過していないにもかかわらず侵入し、頭部だけを置いて行ったのだ。犯人にとっては危険なうえに、何のメリットもないことだと、俺は思っていた。


「……そう、ね。変死とはいえ、それなりに時間の経過した事件だったし、規制自体もそこまで強くは無かったと思う。だからといって、自宅に侵入してまで頭部を置いていく理由は分からないわ。でも……」


 中原は、またホワイトボードを指さした。そこには、一枚の写真……頭部のMRI画像と思われるものがあった。


「頭部の画像データが得られた。切断された遺体で、しかも死後一週間は経過しているというのに、鮮明に。それが意味すること……村田先輩の意見だけど、あえて、画像データを残したかったのかもしれない」


 あえて、データを残すということ。それは、犯人による何らかのメッセージだと考える。つまり、犯人の目的は、彼女自身には関係なく、脳にあった、そう捉えても良い。


「い、いや、共通することはまだありましたよね。確か、あの時宮尾が言っていた……そう、過去に霊身教れいしんきょうのCMに出ていたこと、それに、事件前にエンドルパワーを飲んだということ。あとは……」

「……あるとすれば、過去にひどいバッシングを受け、精神的に病んでいた時期があったということ、かな」


 胡桃が、少しだけ暗い表情をしながらも情報を付け加えた。


「あ、ああ……。歌が原因で、売れっ子だった安藤は世間からバッシングを受けた。……確か、彼女の頭部から、声帯だけ取り除かれていた、と聞きました。そう言う意味では、松山と同じように、望んで得た死である、とも考えられなくはない、ですね」


 望んで得た死、という表現は良くないかもしれない。でも、今回の事件で共通するもの、それを挙げていくと、どうしても遺体の状況……それを考えなければならなかった。


「そうね、その話は確か、君が襲われたあの夜……村田先輩と議論していた時に聞いたわね。あとは、マネージャーの伊藤の証言というのもあったけれど、特には関係ないと思うから省略するわ。……人道的にどうか、という議論は別としてね」


 ファンレターを偽造し、やる気を出させようとしたマネージャーの行動は、あくまでも本人や事務所のことを考えた上での行動だと思うが、人道的ではない。しかし、この事件には関係のない事実であることは確かだ。今それを議論する意義は、恐らくない。





「じゃあ、第三の事件に移るわね。……この事件の第一発見者、と言っていいのかは分からないけれど、少なくとも目撃者になったのは、君たち三人だった、そうね?」


 そう、忘れもしない、奥村の事件。代々木駅前の商業ビル屋上、そこで回転する遺体を、この目で見たのだから。


「……ええ。正確には、宮尾が見つけて、俺と岬は彼女の後に見ましたから、第一発見者、という意味では、宮尾です。まぁ、そこは大きな問題ではありませんが……」

「この事件は、8月22日……ああ、そういえばあの時、村田先輩に聴取されていたの、高島くんだったわね」


 徐々に蘇る記憶の中に、確かに中原の姿があった。村田の背後に立つ、彼女の姿。しかし、その時点では、まさかこんな風に濃厚に関わっていくことになるとは、全く予想もしていなかった。


「そう、でしたね。宮尾があの遺体を発見したのは、12時10分を過ぎたころでした。そして、それより30分前の11時40分頃、宮尾はあのビルの屋上に人影や、もちろんあの遺体も含めて、おかしなものはなかったと証言しています」


 そう、宮尾のスマホを見た時間が11時40分頃、そしてあのエンドルパワーの街宣車が通っていったのは、12時10分頃。その間に、あの遺体は出現したと考えられるのだ。


「確か、警察の方では監視カメラを当たってみたんですよね? それは結局、どうだったんですか?」

「あ、ああ。それは……」


 胡桃の質問に、なぜか答えにくそうにしている中原。何を言いよどんでいるのか最初は分からなかった俺だが、彼女の答えに言葉を失った。


「……11時41分、あのビル付近の防犯カメラに、被害者である奥村が映っているのを、米村先輩と村田先輩が確認したの」

「……は?」


 それは、つまり……俺たちがビルの屋上から目を離した、たった30分の間、しかもビル付近のカメラということは、恐らく路上を映したカメラに、彼が映っていた。理論的に考えれば、犯人は奥村を、たった数分の間に串刺しにし、そして逃げた、ということだ。


「それは……あまりにも……」

「そう、あまりにも鮮やかで、無駄のない殺人。でも、状況的にはそうとしか考えられないの。例えば、そうね、君の記憶が違うということでもない限り」


 ……そうだ、監視カメラの映像には、はっきりと時間が記録されている。しかし、俺の見たスマホの時間、そして街宣車の通った時間は、証拠となるものが一切ない。今まで、自信を持って答えてきたはずのものが、呆気あっけなく崩れ去っていく感覚が、俺の全身を包み込んだ。


「……春来くんが、自信を持って言っていたことは事実。それに、あの街宣車は確かに、毎日同じ時間に通っていたことは間違いない……」

「ま、その街宣車も、奥村の所有していたものだからね……その日は本当に、その時間に通っていたのかは分からない、かな」


 胡桃や中原の意見を聞けば聞くほど、俺の記憶は間違っていた可能性が高いと感じた。物的証拠があるんだ、そう、今はそれを優先して考えた方が良いのかもしれない……。


「でもね、死亡推定時刻は、あの回転があったから分からないんだそうだけど、9時から11時、遅くても11時30分よりは前、らしいのよ。そうなると、どの話にも一致しないんだけどね……」


 遺体の状況からして、死亡推定時刻に多少の差はあると考えれば、あまりその時間は参考にならないだろう。となると、やはり俺の記憶が違っていたのだろうか。


「……ま、今はそれを責める時間じゃないし、とりあえず今、分かっていることをまとめよう。ここで議論できることじゃないしね」


 そう言って、中原は一旦、時刻に関する話題をらし、松山、安藤との共通点の話を始めた。


「奥村は、霊身教れいしんきょうのホームページにも載るくらい、貢献した人物だったと思われるわ。街宣車の購入も、もしかしたら彼が単独でやっていたことかもね。彼の過去については、特に変わったところはない。大手牛丼チェーン店の店長だったから、仕事上の心労は絶えなかったでしょうけど……ま、だからこそ宗教にのめり込んだのかもね」


 となれば、奥村と他二人との共通点は、霊身教れいしんきょうとエンドルパワー、そして脳の異常、これだけということか。そうなると、非常に関係は希薄だし、犯人の狙いもはっきりしない。


「でも、そうか。奥村が霊身教れいしんきょうの中でも、上位に来る人間だとすれば……例の組織との関係性も、少し見えてくるのかもしれないですね……」


 例の組織、その言葉を口にした途端、中原と胡桃の表情が、一気に険しくなった。中原にとっては兄の敵であり、胡桃にとっても、先ほどの推測が正しければ、東野 遥の死に関係しているかもしれないのだ。それと関連づけるのは、まだいささか性急ではあった。


「そう、ね。可能性として、それは考えておきましょう。霊身教れいしんきょうの上位とは言っても、組織には何にも関与していない可能性だって高いんだから」


 少々、強引に話を区切った中原。彼女の言い分はもっともであるし、また例の組織が本当に存在し、この事件に関与しているのだとすれば、もう俺たちの手には負えないのだ。まだ、そこは考えないようにしておくべきだ。


「……じゃあ、次の事件に……」


 そう俺が口にしたとき、強い閃光と、大きな音が部屋に行き渡った。その光と音に、中原と胡桃は飛び上がった。

 それは、大きな雷鳴だった。この部屋に入る前から、少しずつ地響きをていしていたあの黒雲が、ちょうどこの建物の上空を通過しているようだ。


 ……そして、ポツ、ポツと、窓ガラスに雨粒が付着していく。


「ああ、もうびっくりした! なんだ、雷か……って、うわ、雨粒大きいね……」


 中原は、少し興奮冷めやらぬような声を上げた。雨粒は徐々に窓ガラスを侵食し、やがて、外の世界は雨粒によってモザイクがかかったように、灰色に覆われていった。


「ほんとだ、すごい雨……洗濯物、外に出さないでよかったぁ……」


 先ほどまでの緊迫した表情から一転して、安堵する胡桃。しかし、俺は気づいてしまった。そうだ、俺は洗濯物……血の付いたタオルなどを干したままだった。


「うわぁ、まじかぁ……」

「あ、なに、やっちゃった?」


 落胆する俺に対し、なぜか嬉しそうに声を掛けてくる中原。なるほど、あの米村や村田から、一定の信頼を得ているだけのことはある。


「類友、というやつですね……」

「え?」


 あえて聞こえるように言ったのだが、意味を理解していないのなら、それはそれでいいとしよう。逆に、気づかれた方が面倒かもしれない。


「……さてと、ちょっと気が抜けちゃったね。何か飲み物を用意しよっかな……みんな、コーヒーか紅茶、どっちがいい?」


 中原は、これを機に、文字通りのコーヒーブレイクをしようとしていた。実際、俺は先ほどまでの議論で喉が渇いていた。胡桃も、反応を見る限りは恐らく、俺と同じ状況に陥っている。


「あ、じゃあ……コーヒーで」

「私は、紅茶で……」


 その言葉を聞き、中原は手際よくカップを取り出していく。女性らしい、可愛いマグカップだ。


「……ねぇ、さっきの話なんだけど……」


 マグカップにコーヒーと紅茶を注ぐ中原を尻目に、胡桃が俺に耳打ちをしてきた。


「私は、春来くんのことを信じるよ。だから、あんまり落ち込まないでね……」


 そう言って、胡桃は静かに微笑ほほえんだ。どうやら、彼女は俺が自分の記憶に自信を無くしていたことに気付いたようだ。やっぱり、バレバレだったみたいだ。


「……ありがとう、胡桃」

「でも、それが本当かどうかは、事件の真相が解明されてから、だからね。今は、春来くんを信じる。ただそれだけ」


 そう言って彼女は、また真剣な表情に戻った。そうだ、俺の記憶が正しかったかどうかは、今後分かることだ。今は、変に気に病むよりも、前を向いていかなければ。





「さて、と……お待たせ。お菓子も用意したから、適当に食べて良いからね。……と、それで、次は……第四の事件、渡辺の事件、ね」


 俺と胡桃の前にマグカップを置いた中原は、そのままホワイトボードの前に立ち、話を再開した。渡辺の事件……あれはちょうど、森谷と初めて会った時のことだった。


「確か、8月26日……でしたね。俺はちょうど、米村さんとあのカフェにいました」

「そうね、そう聞いている。私もこの時、あの現場にいたから、君たちがどうして居たのかは聞こえていたかな。……全く、現場に乗り込んでくるなんてね」


 現場に乗り込んでいったのは、結果的に不可抗力みたいなものではあったが……警察の制止を聞かずに入っていったのだから、それはとがめられて当然のことだった。


「ま、それについては米村先輩や村田先輩から厳しく言われただろうし、私から特別、何か言うことはないわ。ただ……」


 そう言うと中原は、じっと俺を見つめた。


「村田先輩に話していたこと……あれが確かなら、この件と前の三件は別にして考えなくちゃいけない。そうなると、この事件の犯人は別にいる可能性がある、ということになる。『エンドラーゼ』の臨床試験を担当した医師、そしてその試験を中止に追い込んだ張本人、という大きな事実があるから」


 村田に話したこと……この事件だけ、前の三件と殺害方法が異なるということ。松山、安藤、奥村はある程度、希望に沿ったような殺され方をしていた。しかし、渡辺は希望に沿わない殺され方をしていた。それは、明らかに悪意を持ったものであり、渡辺だけは殺す、という明確な意図が伝わってきたのだ。


「その話、前に春来くんから聞きました。確か、殺害方法が希望した方法ではない、渡辺は栄養剤みたいなものが嫌いだった、って。だから、エンドルパワーを飲むこともないし、ましてや点滴なんて受けようともしない……」


 そうだ、そんな渡辺に、15本もの点滴を入れて毒殺したのだ。正確に言えば、毒殺してから、点滴を入れた。それは、明らかな殺意であり、強い怨恨によるものだと、俺は感じたのだ。


「ただ、未だに渡辺が『エンドラーゼ』の臨床試験を、わざと失敗させたという事実は見つかっていないし、彼が霊身教れいしんきょうからエンドルパワーを貰っていた理由も不透明。二課に知り合いがいて、こっそり調べては貰ってるんだけど……」


 刑事部捜査第二課……横領や脱税といった罪を捜査する部署、だったか。中原の知り合い、ということはその人も若手なのだろう。そうなると、こっそり調べるには時間がかかるのも良くわかる。


「それがはっきりすれば、渡辺の目的も見えてくるんですが……まぁ、少なくとも彼が殺された理由は、あの点滴の数からしても、分かりやすいですよね」

「そう、15本という明確な数字と、それに脳の異常……ここから、今回の事件と、10年前の事件を関連づけるようになった。そういう意味では、大きな事件だったけれど……問題は、あの監視カメラの映像、ね」


 あの監視カメラの映像……まるで、ホラー映画のワンシーンのような、あの映像。あれはもう、どこにも存在しない。見た瞬間から、あのデータは消去されてしまっていたからだ。あれも、ある意味では奥村の事件と同じく、記憶にしか残っていない証拠だと言える。

 しかし、あの女性は実在した。それどころか……。


「あの女性は、俺を襲ってきた。そして、あの女性が誰なのか、米村さんは突き止めた……」

「それが鈴石 初穂……それで、この事件は


 それで終わるはずだった……あの女性が鈴石であったならば、俺が狙われる理由もあり、他の事件への関与も、少なくとも渡辺の事件に対しては濃厚だと言える。しかし、鈴石は死んだ。いや、死んでいたはずの人間だった彼女は、再び殺された。





「その鈴石が、交通事故により亡くなった。……事故の様子については、米村先輩から聞いてはいないよね?」

「え、ええ。食事が出来なくなる、と言われました」

「……まったく、同僚以外には甘いんだから……でも、正解。見ない方が良い」


 中原はそう言って、少し身震いをした。気丈な彼女がそこまで言うのだ、俺なんかが見たら、恐らく卒倒するだろう。


「あの遺体は、鈴石のものかどうかはまだ不明。でも、あれが鈴石ではないという可能性を考えると、やっぱり君はまだ狙われる可能性がある、ということかな……」


 理論上は、その通りということになる。鈴石、という俺のトラウマをわざわざ用意し、しかも襲わせているのだ。俺を襲うということは、10年前の俺の両親の事件を想起させたい、という意図がはっきりしている。しかし、その理由とは一体何だ?


「あ、そうそう。礫死体れきしたいとなって発見された鈴石と思われる女性なんだけど、明らかに殺人だという証拠が出揃ってきつつある。しかも、あの『エンドラーゼ』の副産物を使用した可能性が高いの」


 その事実には、そこまで大きな衝撃はなかった。彼女や村田が、俺を保護するために動いていた、ということは、恐らくそういうことなのだ。

 一連の事件の犯人は、ある程度利用し終えた鈴石を殺したのだ。


「血液から、例の副産物が検出されたんですか?」

「ああ、それはまだ。でも、森谷さんに頼んだんだし、そろそろはっきりするんじゃないかな。あの人、そういう動きはすごく早……おっと」


 そう言いかけた中原は、何かに反応した。彼女の部屋に小さく響く振動音……スマホへの着信だ。


「ああ、さっそく村田先輩だ……悪いわね、ちょっと待ってて」


 彼女はホワイトボードから離れ、足早に玄関の方へ歩いて行った。俺たちに聞かれてはいけない話もあるのだろう。


「……こう、事件を一列にして考えると、やっぱり鈴石が凶行に及んだ、というのがしっくり来るんだよな……」

「うん、でも春来くんの言う通り、渡辺の殺され方はちょっと異質だよね……」


 松山、安藤、奥村は霊身教れいしんきょうの繋がりがあるとして、渡辺は治験を終了させた人間。そこで終われば、治験を受けた遺族たち、もしくは生きていた鈴石の凶行、とも言えるのだろう……しかし、今になって鈴石の遺体が見つかってしまった。しかも、事故に見せかけて殺されていたのだ。


 鈴石の遺体が見つかる、ということは、例の組織や警察からしても避けたかったことだろう。それを、わざわざ見せるような状況にしたのだ。交通事故という、明らかな物的証拠の残る殺し方で。その事実から考えると、例の組織がこの事件に関わっていなかった、ということにも繋がる。


「さっきも言っていた通り、鈴石は、やっぱり10年前に死んでいた、とする方が自然なんだよな……」


 今回の事件を起こしたのは、鈴石に遺族がいないという事実がある以上、『エンドラーゼ』の研究に関わった人間、もしくはあの臨床試験の被害者遺族たちが最も疑わしい。しかし、その場合は俺が狙われたという事実……これが全く証明できないのだ。この事件は、一連のものではないのか?


「はい、分かりました」


 俺たちが思考している間に、中原は電話を終えたようだった。そして、彼女は俺たちに言った。


「ごめん、少しだけここで待っててもらっていいかな? ……鈴石と思われる女性の、住居が分かったらしいの」


「え?」


 鈴石の、住居? そんなもの一体どうやって調べたのだろう。俺を襲ってきた時だって、ほとんどの監視カメラには映っていなかったほど、周到だったはず……。


「……ほんと、村田先輩ってすごいよね……集められる限りの映像を、片っ端から、ほぼ毎日見続けていたそうよ……あの年齢で、視力も衰えてきているというのに」

「ええ……!?」


 それは、素直にすごい。胡桃も驚嘆きょうたんの声を上げている。もともと現場におもむくことの多かった人間だったが、確か膝を悪くして、ほとんど現場には出なくなったと聞いていた……それでも、自分のできる限りのことはやり切る、そういう強い信念があるのだろう。


「で、私はそこに行ってくるから。二人はここで待ってて。誰か来ても、居留守にしてもらっていいから!」


 そう言って彼女は、素早く支度を済ませて、外へと出ていった。つい先ほどまで、豪雨により灰色に染まっていた外の世界は、いつの間にか澄み渡り、爽やかな風が吹き抜けるようになっていた。

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