第21章 過ぎ去りし日の亡霊
その日、カフェ・レストリアの店内は、いつも通りの寒さではなかった。恐らくだが、以前俺たちが訪れた際に宮尾が勝手に設定温度を上げてから、コントローラーには触れていないのだろう。普段から寒いくらいのレストリアでは、この温度でもちょうどいいくらいだった。
「さて、とりあえず有り合わせで作ってみました。メニューには無いので、お代は結構です」
コト、と料理皿を置く大野。そこには、非常にシンプルなタマゴサンドと、付け合わせのピクルス。作り立てを証明するかのように、タマゴからは
「……本当にいいんですか、こんな風にしていただいても」
思わず俺は、大野に問いかけた。店を空けるだけでも、そんな店などないだろうに、あろうことか彼は料理まで無償で提供したのだ。そして、喫茶店であれば定番であるはずのタマゴサンド、これがメニュー外というのだ。気配りの精神、というにもほどがあった。
「こんな風に店を構えるのが、若いころから夢でしたから。……さて、私もお腹がすきましたので、この辺で」
「すみません、ご配慮いただいて」
立ち去ろうとする大野に、中原が申し訳なさそうに言った。チラリとこちらを見た大野は、少し
「……さてと、マスターの厚意は無駄にしないようにしないとね。私も、もう心を決めたんだから」
パシン、と頬を叩く胡桃。その目は、先ほどまでとは打って変わっていた。
「……忘れもしない、五年前の10月25日……あの日、遥は私の目の前で死んだ。その時の話は、春来くんには話したよね」
「……ああ。タクシー運転手の異常に気付いて、シートベルトを外した時に外に投げ出された、そうだったな」
以前、四人で親睦会、という名の買い物会に付き合わされた時のこと。立ち寄ったカフェで、彼女の口からその事件の話は聞いていた。
「そう、それは紛れもない事実。タクシーの運転手さんは、異常な行動を起こして、首都高速道路の側面に激突した。それで、何も支えのない私は、外に放り出された」
「……その事件は、私も何となく覚えてる。でも、それと睡眠薬とは何の関係があるの? まさか、運転手にも薬を?」
「いえ、そうではありません。そうだとしたら、私はあのタクシーには乗らなかった、そうでしょう?」
冷静に受け答える胡桃。そうであれば、あの芸能記者の、田中とかいう男の話で、彼女があそこまで動揺する理由はない。タクシーの事故による殺害を目的としていたのなら、普通の神経ならば、同乗はしないはずだ。そんなことは誰にでも分かる。
「私が遥とタクシーに乗ったのは、収録終わりの深夜だった。本当は、私は別のタクシーに乗るつもりだったんだけど、遥が、一緒に帰ろう、って言ってきたの」
拳をギュッと握りしめる胡桃。その表情は、何かを我慢し、後悔しているような、そんな様子だった。
「何この子、ふざけんじゃないわよ、なれなれしい……そんな思いだった。遥は私にとって大事な存在だったけど、同時に、大きなライバルだったから」
「ライバル……」
アイドルたちは、キラキラとした笑顔を振りまきつつ、お互いを蹴落とし合うのが日常……そんな話を、まことしやかに岬が言っていたことを思い出した。どこかの三流雑誌の言葉を引用したのだろうが、
「それが、どうして東野さんに睡眠薬を飲ませることになるの?」
「……きっかけは、ほんのちょっとした出来心。帰りのタクシーが思いもよらないところに停まって、次の現場に間に合わなくなったら、なんて考えてしまった。そんな、バカみたいなことが理由」
中原の問いに、静かに答える胡桃。いたずらにしては過ぎる行為だということは、今の彼女にはよく理解できていた。それくらいに、当時の彼女たちは、よく言えば切磋琢磨、悪く言えば足の引っ張り合いをしていたという訳だ。
「でも、遥は私と一緒に帰りたい、そう言ったの。……正直、すっごく焦った。私が同乗していたということが分かったら、遥に何かしたということがバレるかもしれなかったから。一緒に帰るのは嫌がったけど、……こういうときは子供っぽいのよね、遥って。全然言うことを聞かなくて」
「……その結果が、あの事故、だった」
俺の言葉に、沈黙する胡桃。
「……そう。私は、適当なところで降りようと思っていた。でも、遥が眠りに落ちてしばらくした時。あの運転手さんの様子に気付いたの。目をグルグルと回しながら、何か夢でも見ているかのような、そんな様子だった」
「それは、まるで……」
「……ええ、薬物中毒者のようだったわ。私が焦ってシートベルトを外した時には、もう白目を剥いて、涎を垂らしていた。それでも、どんどん車は加速していった。何も知らず、薬によって眠ったままのお姫様を乗せたまま、ね」
そして、東野はそのまま、永遠に醒めない眠りについてしまった。それが、この事件の真実だった。
「……遥の、シートベルトを外そうと思った瞬間。このまま遥を眠らせておけば、運転手さんが気を持ち直して、いたずらが成功する、そんな
胡桃は、また全身を震わせた。今、彼女の目の前には、当時の光景がよみがえっているようだった。
「それで、でも、このままじゃ、って思って、手を、伸ばして……でも、どんどん離れていって……ああ、ダメ、遥が、車が、どんどん遠くに。手が、私の、手が……」
震えながら手をさし伸ばした胡桃。ああ、彼女には今、その時の光景が蘇っているのだろう。眠り続ける、ライバルでもあり、とても良い仲間。その体へと手を伸ばし、空を掴み続ける彼女。……そんな彼女を、中原は涙を零しながら、そっと抱き寄せた。
「……そんな苦しいこと、一人で抱え込んでいたんだ。辛かっただろうね」
「……あ、ああ、ああああああ……」
そのまま中原の腕の中で、胡桃は泣き崩れた。彼女の手は、まだ遠くにいる、東野へと差し出されたままだった。……些細なことがきっかけだった、しかし、もう取り返しのつかないことだった。東野 遥を掴もうとする胡桃の手には、ただ空虚だけが残っていた。
「……うん、こんな話、ワイドショーでも取り上げないよ。……悲しすぎるし、虚しい」
中原は、胡桃の頭を撫でながら、呟いた。そうだ、事件の結果は知られている。これ以上のことは、広く知られるべきではないし、知ったとしても、この心の痛みが残るだけなのだ。やはり、あの記者にはもう、彼女を合わせてはいけない。
「……そう、ですね。とはいえ、あの記者は胡桃を追いかけ回すでしょう。彼も、それが仕事で生きています。今度こそ、それこそ死に物狂いで来るに違いない」
「だろうね。でも大丈夫、手は考えてある。それよりも、今は胡桃ちゃん自身の方が心配だな。こういう記憶のフラッシュバックって、後に残るんだ。……私も、まだ兄の夢を見ることもあるし、その夢を見た日は、もうダメ」
はは、と乾いた笑いを浮かべる中原だったが、彼女も胡桃に触発されたように、過去のことを思い出しているようだった。
「そう、ですよね。俺も、両親のことはまだ夢に見ます。岬も多分、同じように思っているんじゃないかな、と思います」
「……そうね、その気持ちは、みんな分かるのかも。私も、一時期は心的外傷後ストレス障害……PTSDって分かるかな、それにかかっていたから」
PTSD……強いストレスを受けた人が、その後の生命活動に大きな影響を受けてしまう、そんな病気だ。俺も、両親を殺害された当時は重いPTSDにかかっていた。生肉を見ることはもちろん、調理済みの肉を食べることすらできなかった。
「よっぽど、お兄さんのことが好きだったんですね、中原さん」
「うん……でも、そっか。井上さん、岬ちゃんの大事な人だったんだ。知らなかったけど、奇妙な偶然だよね」
井上さん、とは井上 翔也のことだろう。彼のことを中原は知っていた。しかし、それについて大きな疑問は抱かなかった。同じ大学で、同じアルバイトをしたんだ。多少は交流もあったに違いない。しかし、奇妙ではあった。こんなに身近に、接点を持った人たちが集まっている。類は友を呼ぶ、なんて諺もあるが、正しくその通りだ。
「井上さんって、どんな人だったんですか? あの岬が慕う人なんだから、すごい出来た人なんだろうなって思うんです」
「岬ちゃんに失礼な言い方ね。でも、そうね。出来た人というよりは、物静かで、でもちゃんと受け止めてくれるような、そんな雰囲気の人だったかな」
「そうでしょうね。そうじゃなきゃ、あのテンションは制御できませんから」
そう言って俺は、少し笑った。つられたように、中原も少し
「ごめん、なさい。そうやって、明るい話題を振ってくださって。……やっぱり、まだ私、受け止められてないのかな。私が殺した、直接じゃないけど、でも、結果は……」
そう言ってまた俯き出しそうになる胡桃。それに対し中原は、彼女の両肩を強く掴んだ。
「手を差し伸べて、それで助かったのかどうかは分からないことよ。それに、重要な問題はタクシー運転手の状態でしょう。急におかしくなるだなんて、それこそ今回の事件みたいじゃない」
そうだ、胡桃の話が本当だとすれば、急変したタクシー運転手の方に問題がある。しかし、以前の彼女の話では、タクシー運転手の健康状態に全く問題はなく、何かおかしな行動を取っていたという話も聞いていない。つまり、急変する何かがあったとしか思えないのだ。
「今回の事件、ですか。確かに、異常行動を起こして死亡する、というのは合致しているけれど……それこそ、その運転手が
「だとすれば、本当に病死だったのかな。当時の警察は……ううん、もし仮に、その事件にも例の組織が絡んでいた場合、証拠なんて残さない。捜査資料も偽造されて、何の役にも立たないでしょうね」
「……証明不可能、ということですね。あの運転手さんのご家族も、私みたいな思いをしたんでしょうか。そうだとしたら、やりきれないです……」
胡桃の言葉に、俺と中原は小さく頷いた。そうだ、彼にも家族がいたはずだ。仕事でアイドルを乗せた父親、もしくは夫が、大きな事故を起こし、死んでしまった。そうなれば、世間からのバッシングは、誰に向けられるのか。それは、言わずもがなだった。
「……その運転手のこと、聞いたんだよな。やっぱり、家族がいたのか」
「うん、奥さんと、娘さんが一人。運転手の、
「……支倉!?」
中原が、急に大きな声を上げた。突然の出来事に、俺と胡桃は飛び上がった。
「うわっ、な、なんですか急に! 驚くじゃ――――」
中原は、俺の言葉に耳を貸す様子もなく、胡桃に問いかけた。
「支倉、茂夫って言ったよね? ……まさか、そんなことって……」
「え、ええ、支倉さん。ちょっと珍しい名字だけど、そんなに驚くことかな?」
「そうじゃなくて、支倉 茂夫……そう、なの?」
そう言って中原は、カバンから手帳を取り出した。特に年季の入っていない、あまり使いこまれていないような印象を受ける手帳だ。その手帳のページを、数枚だけめくった。
「やっぱり、そうだ。米村さん、ここまで把握していたのかしら……いえ、それはさすがに……」
独り言をブツブツと呟く中原に、俺は
「あの、一人で完結させないでください。一体、その支倉という男は、誰なんですか! ただの運転手じゃないんでしょう!?」
やや語気を荒げた俺の言葉が、ようやく彼女の耳に届いたようだった。ピク、と少しだけ反応し、こちらを睨み返すように見つめている。そして、彼女は静かに言った。
「……支倉は、10年前の『エンドラーゼ』の件、あれの被害者遺族の内の一人よ。彼の息子は、あの臨床試験に参加していたの」
五年前、東野 遥が死亡した事故。それを引き起こしたとされる運転手の支倉 茂夫は、『エンドラーゼ』の事件に関わっていた。それも、被害者として。
「……ちょ、ちょっと待ってください。支倉の息子が、『エンドラーゼ』の事件の被害者だったって、本当なんですか!?」
あまりにも
「……嘘、だったら良かったかもね。私、米村先輩に言われて、15人の被害者遺族について調べていたの。多くの遺族たちは、ただ臨床試験を受けて亡くなった、そう聞かされていたみたいだけど……一部の遺族たちは、この事件に対して
「……そうだとすれば」
震える唇を、ギュッと噛み締めながら、胡桃は静かに言った。
「『エンドラーゼ』の事件を調べていた支倉さんが、狙われていた……」
「そう、そういうことになる」
まさか、そんな事実が隠されていたなんて。俺は、開いた口が塞がらなかった。そして、そうであるならば、『エンドラーゼ』の事件を起こした犯人と、胡桃の巻き込まれた交通事故を起こした犯人は、同一である可能性が高い。思わず、背筋が凍った。
「……ちなみに、だけど。私の調べた限りでは、支倉のように事件を調べようとしていた遺族たちの何人かは、事故や事件に巻き込まれている。その内、半分以上は死亡し、残りの人たちは、一生を病院で過ごすような体にされていたわ」
「つまり、完全な口封じ、ですね。そして、あくまでも自然な事故に見せかけて、殺した、そういうことですか」
俺は、震える手を必死に抑えながら、中原に確認した。彼女は、特に反応をしなかったが、無言ということは、そういうことだ。
「……それじゃ、私と遥は、偶然巻き込まれたっていうの……? 私は、そんな偶然のために、こんな……」
胡桃は、肩をわなわなと震わせている。偶然、彼女たちが乗るタイミングで、支倉が殺された。そうだとしたら、あまりにも浮かばれない。しかし、それは単に偶然だったのか、と言われれば、そうではない。何故なら――――
「……現役の、しかも売れているアイドルと共に事故に遭わせる、これが目的だったとしたら、どうかな」
俺の意見に、中原と胡桃は、ハッと息を飲んだ。
「そう、ただ事故で殺すのは簡単だ。でも、普段ニュースを見ていて分かるだろう? ただタクシー運転手が、事故を起こして死亡した……それだけでは、恐らくテレビでは一分も放送されないし、新聞にだって、
「……世間の注目を一身に浴びる。しかも、支倉が悪者として。『エンドラーゼ』の事件を知らない人たちは、居眠り運転だの、タクシー会社の監督責任だの、言いたい放題。でも、あの事件を知っている人たちが見たら、そうは思わない」
俺の言いたいことを、中原が補足した。そうこれは、一種のプロパガンダ。あの事件を追うとこうなるぞ、という強烈な意識付けになる。そして、そんなことを平気で行い、しかも世間一般に知られることも無く過ごしている犯人、それは――――
「あの組織の連中しか、この一連の犯行は行えない。マスメディアまで利用した犯行を、いとも簡単に行うことが出来るのは、警察組織などに大きな力を持つ組織じゃないと、できないはずだから」
「……そして、その組織は帝都大学の事件も引き起こしている。実験と称した拷問を、一般の大学生に与えて、精神を崩壊させた。……怖いくらいに出来過ぎているけれど、そうとしか考えられないわね」
ぶるっと、小さく身震いをした中原。それは、このカフェの空調のせいではないことは、もう言うまでもなかった。
「……そんな、ことで……」
胡桃は、また
「私はもう、兄の事件のことは、過去のことだと思っているよ。……もちろん、それで忘れることなんてできないけど、でも、前を向いて行かなきゃいけない。大学生にならず、そのまま警察官になった私は、もう過去を振り返る余裕なんて、無いの」
中原は、胡桃に向かって励ます意味を込めて言った。しかし、それは同時に、彼女自身を前に向かせるための言葉だと、そう俺は感じた。精いっぱいの、彼女なりの気遣い。それを俺は、無駄にはしたくなかった。
「朝食を摂る余裕は、あるみたいですけどね」
「……なぁに、ケンカ売ってるのかしら?」
「いやぁ、村田さんの受け売りですよ」
「……ふふ、そうですね。前を向かなきゃ、遥にも顔向けできませんよね。……ありがとうございます、中原さん、それに、春来くん」
俺たちのやり取りをみて、明るくなったように胡桃は、弱々しく笑った。中原の気遣いは、彼女の心に届いたようだ。そして、この彼女の言葉で、ようやく俺の言葉の真意を、中原は理解したようだった。
「……ま、そこは許してあげる。社会人としては先輩なんだから」
中原は、俺にツン、とそっぽを向いた。その様子に、また胡桃はクスクスと笑っている。
「……さて、今時間は……あ、もう14時になるわね。……あのマスター、一体どこまでお昼を食べに行ってるのかしら」
その言葉に、俺はカフェの時計を見た。13時50分……あの芸能記者が来てから、もうそんなに時間が経過していた。その間に、胡桃は少し元気を取り戻し、今ようやく、タマゴサンドを
「っと、噂をすれば……」
カランコロン
カフェの鐘が鳴る。入り口を見ると、大野がお腹をさすりながら店内に入ってきていた。
「いやぁ、調子に乗って銀座の方まで行ってしまいました。おかげでちょっと、食べ過ぎましたかね。……おや、まだ食べていなかったのですか?」
大野は、胡桃がまだタマゴサンドを食べ始めたばかりだということに気づき、目を丸くした。彼は、胡桃の事情を知らない。こうして驚くのも無理は無かった。
「……もしかして、やっぱりあまり美味しくなかったかな?」
しょんぼりとする大野に、慌てて胡桃はタマゴサンドを口にねじ込み始めた。
「お、おいおい無理するなよ……大野さん、美味しかったですよ? ああ、ピクルスは俺、あまり得意じゃないので残しましたけど……」
「ええ、私も。彼女は、ちょっと、ね。だからほら、無理して早く食べなくて良いから。ああほら、こぼしてるじゃない」
中原は、胡桃の様子を見て呆れたように、こぼれて服に付いたパン屑を
「あっふぉ、ふぇ、ふぉお」
胡桃は、恐らく大野にお礼を言っているのだが、口に詰まったタマゴサンドが、その発言を許さなかった。思わず苦笑いをする大野。
「……冗談ですよ、ゆっくり食べてください。それで、そろそろお店を開けたいのですが……お話は終わりましたか?」
「あ、そうですよね。じゃあ……どうしましょうか」
大野にとっては、そろそろ店を開けないとさすがに死活問題だ。しかし、俺たちにはこうして内密な話ができる空間は貴重だった。他の店では、まずこうはいかないし、他の客がいる前で、こんな話はできないのだ。
「そうね……じゃあ、私の家に来たらどうかな」
「「えっ?」」
俺と胡桃は、揃えて声を上げた。大野も、その声にビクッとしている。
「ど、どうしてどうなるんですか?」
「……人がいないところを考えてみたら、まず浮かんだのは警察署。でも、今私は米村さんとは別行動をしているの。それは村田先輩の指示だから、多分、鉢合わせるのも良くないの。それで、胡桃ちゃんの家はマズいでしょ、で、君のアパートは話が筒抜けになる。そうなったら、私の家かなって」
彼女の言っていることは、
そして、俺のアパートは論外だ。中原の言う通り、各部屋での物音がかなり響くのだ。そうなると、内密な話などできないのだ。
「……分かりました。中原さんが良いというのなら、そうしましょう」
「すみません、私のせいで……」
また少し俯き加減になる胡桃。
「いや、それを言うなら、そもそも俺が狙われている時点で……」
「はいはい、いいから行くわよ。マスター、会計をお願いできますか?」
パン、と軽く手を叩いた中原は、その場を仕切りだした。性差別の無い時代とは言え、年下の女性に代金を払ってもらう、なんてことはできない。こういうとき、男は格好をつけたいのだ。
「会計? いえ、店番をしていただいたので、お金など必要ありませんよ。むしろ、ありがとうございました」
「え、いや……さすがにそれは」
店番をした、というが、ただクローズしているカフェにいただけなのだ。むしろ、レンタルスペースのように利用している分の代金を払うべきだとも思った。
「そうですか? そこまでして代金をお支払いしたいとおっしゃるなら、まぁ、私は
「え、あ、いや……払いたいわけではないですが……」
「では、
そう言って、大野はニコリと笑った。結局、格好がついたのはマスターだけだった。この男、気が付くと良いところを持って行っている気がする。
「はぁ、すみません、ありがとうございます。……じゃあ、二人とも、付いてきて」
そう言って中原は、足早にカフェを後にした。俺と胡桃は、お互いに顔を見合わせ、すこし苦笑いをした後、彼女の後を追った。
いつの間にか空は雲に覆われ、まるで嵐の訪れを告げるかのように、暗くどんよりとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます