第4章 それは、坂道を転がる石のように

 静まり返るカフェ、外からは蝉の声と、クラクション。そろそろ夕刻ともなるのに、未だに熱を帯びた窓辺から、傾いた陽の光が少しずつ店内を照らす。

 カフェはクーラーがしっかり効いていて、うっかり冷たいドリンクを頼んでしまうと逆に冷えてしまいそうな、そんな室温であった。それにも関わらず、俺は汗が止まらなかった。この女性は、米村を知っている。


「えと、あの……?」


 女性が気まずそうに問いかける。勢いよく訊ねたのはいいが、妙な視線を浴びているのだ。俺だったら、とっくに逃げ出しているだろう。そんな嫌な空気を吹き飛ばすかのように、宮尾は大声を上げてその女性を指さした。


「あー!!!」


 急な出来事にビクッとなった俺と岬。ガシャン、と店の奥から聞こえる。おそらく、カフェのマスターも宮尾の声に驚いたのだろう。金属の何かが落ちる音が聞こえた。

 当然、俺の横に立っている女性も驚いてはいたが、すぐに先ほどまでの表情に戻っていた。


「あの、何か……?」

みなと 花南かなでしょ! テレビで見たことある!」


 宮尾は興奮したままだ。湊 花南、そういえば聞いたことのある名前だ。数年前までアイドル活動をしていたタレント、だったな。


「あ、ほんとだ似てる!」


 岬もそれを思い出したのか、テンションが上がっているようだった。それなりに有名だったようだ。マスターも、その声につられたのか奥から出てきてこちらをチラチラとみている。


「えと、そうです、湊、花南。もう引退してるんですけど、覚えてもらっててうれしいです」


 宮尾と岬は、やっぱり本物だぁ、と言って何かはしゃいでいるようだった。マスターも、また慌てて奥に引っ込んでいった。まさか色紙でも持ってくるんじゃなかろうか。意外とミーハーなんだな。……それはそうとして、だ。


「……それで、その元アイドルが、なんで米村さんを知っているんです?」


 二人には任せられない。そんな思いから、少々きつめに質問をした。当然だ、素性すじょうが明らかだとはいえ目的が全く分からない。何故、俺たちの前に現れた? そして米村の、刑事の話を聞きに来たんだ?


「……」


 思わず黙る宮尾と岬。当の湊は、至って冷静に、そして凛とした佇まいで、俺をじっと見た。そして、さっきまで米村が座っていた椅子に座り、徐に話しだした。


「私の本名は、安藤あんどう 胡桃くるみ。あの、死んだモデル、安藤 理佐の妹です。」



 安藤 胡桃、芸名、湊 花南。10年ほど前から活動を開始した、『ラブ♡チェインズ』のメンバーだった。一時期は随分と売れていて、そのなかでも彼女ともう一人、東野とうの はるかはチームの二大看板として大いに活躍していた。

 そんな中、悲劇が訪れたのは5年ほど前。仕事から帰宅途中の東野を乗せたタクシーが、首都高から転落したのだった。タクシーは原型を留めておらず、運転手も、東野も死体として発見された。


 当時は大ニュースとなり、多くのファンが葬儀に参列していたのを、今でもぼんやりと覚えている。その事故は、単純な運転ミス、として処理されたようだが、熱狂的なファンがタクシー会社に押しかけて、ひと悶着あった、ということも記憶に新しい。

 その後、『ラブ♡チェインズ』は活動を続けようとするも、メンバーたちの精神的支障が大きかったようで、ほどなく解散したということだった。そんな中でも、一際ひときわ塞ぎ込んでしまっていた、というのが、湊 花南……彼女だった。


 そんな彼女は今、自分は安藤 理佐の妹、安藤 胡桃だと俺らに告げた。安藤 理佐、首なし死体、しかも水着で撮影現場に現れたという、あの。


「安藤 理佐って、あの?」


 宮尾は聞き返した。確かに当時、二人が姉妹だという話は出ていなかった。活動時期も大体同じ時期だし、どこかのゴシップ誌が嗅ぎ付けてもよさそうだったが……そんな疑問に、胡桃はまるで聞こえたかのように答えだした。


「事務所とか、先輩とかが随分と隠してくれていたようです。私としては別に、バレても問題はなかったんですけど、あの、姉はほら、ずいぶんと叩かれていましたから……」


 暗い顔になる胡桃。確か、音楽番組で生歌を披露した時、あまりの残念さに苦情が殺到したんだったか。それ以来、安藤理佐は歌手活動を休止していたような覚えがある。そんなことを彼女に確認すると、宮尾がニヤーッ、とした顔でこちらを見た。


「妙に詳しいんだねぇ、ハル」


 変なところに食いついてきた。いや、ぼっち期間が長かったから、テレビとかネット情報に詳しかった、とか、そういうことじゃないからな、あくまで常識として、だ! 俺が反論しようとしたところで、胡桃が口を開いた。


「……遥の死、あれは明らかにおかしかった。急カーブでもない、あんなところで運転ミスするような運転手はいない。そう思って、私は仕事を休んで、聞き込みをしたり、現場を確認したり、いろいろ調べてみたの」


 胡桃の剣幕けんまくに、思わず固まる宮尾と俺。途端に、いままでの自分たちの行動について思い返し、とても恥ずかしい思いでいっぱいになった。親友が死んだという彼女は、仕事を失ってでも真相を暴こうとした。一方、俺らは警察の態度に腹が立ったから、それだけだった。


「……」


 さすがに思うところがあったのか、宮尾はシュンとなる。こんな時に不謹慎であるが、普段からこうしていれば、可愛い女の子なのにな、と思う。


「それでも限界があって、結局諦めた。そのまま、遥の死は単なる事故で終わった。それが私の後悔。そして、今は私立探偵をしているの」


 ……私立、探偵? 随分とドラマとか漫画に毒されたようなことを言う。急に現実味がなくなったぞ。冗談かと思い胡桃を見たが、表情はいたって冷静だった。むしろ、さっきから何一つ変わっていない、まるで刑事のような、そんな表情だった。

 俺は、さっきまでそこに座っていた刑事のことを思い出した。そういえば、胡桃は米村のことを知っていた、それはもしかして。


「探偵の仕事中に米村さんと会った、ということか?」


 俺は確認した。探偵と刑事、いかにもな組み合わせだ。胡桃は、小さく首を縦に振った。


「……ええ、あの人にあったのは、二年くらい前のこと。不倫の調査だったけど、そこで事件が起きてしまった。参考人の一人として、私は彼、米村刑事に会った。そこで色々と話をしたから」


 不倫の末に男女が差し違える、もしくは一方的に切りつける、なんてよくある話だが、そこに元アイドルの探偵がいたら、それはまあ複雑な雰囲気になるだろうな。少し失礼な妄想をしてしまったが、事実としてそうなった、ということだ。


「それはわかった。けど、なんで米村さんの話を聞きたいんだ? 顔見知りなら、直接会って聞けばいいのに」

「それは……」


 言いよどむ胡桃。この雰囲気から言って、恋愛感情があるということはなさそうだ。それに、安藤 理佐の事件、あれは港区の方の事件だったはずだ。今回の事件を捜査している米村が、そこまで幅広くやっているとは思えない。じっと胡桃を見つめる俺。しかし――――


「そんなことどうでもいいじゃん、情報は共有したほうがお得でしょ?」


 今まで黙っていた岬が、いきなり言いだした。唖然とする俺と宮尾、そして胡桃。そのままの勢いで、岬は続けた。


「代々木の事件は知ってる? 回転した死体の」


 胡桃は呆然としながらも、頷いた。


「……商業ビルの屋上で、確か、奥村、という人が死んでいた、ってテレビやネットにあった。テレビはほとんど情報を出してないけど、ネットでは自殺説、サイコパスによる殺人説、あとは薬物中毒での事故死、とかいろいろ噂されてる」


 胡桃は小さな手帳を取り出し、かいつまみながら読み上げた。


「そう、その事件の、第一発見者がウチらなの。それで、トーカ……そこの宮尾 藤花を聴取したのが、米村」


 それを聞き、驚いた表情になる胡桃。そして全員の顔色を確認した後、小さくため息をついて、胡桃はしゃべり始めた。


「そう、だったんだ。ごめん、嫌なことを思い出させて。でも、私も姉が死んでるから……何か手掛かりがないかなって思って、米村さんに相談しようと思ってたの。連絡しようと思っていたときに、ちょうどあなたたちと米村さんを見つけた。代々木の事件についての聞き取りをしているんだな、とは思ったんだけど、まさか第一発見者だったとは知らず……本当にごめんなさい」


 頭を下げる胡桃。慌てて岬が話し出す。


「いやいや、謝らないでいいよ! ウチらも不純な動機で首ツッコんでるんだからさ!」


 不純って何さ、と宮尾が頬を膨らませる。態度が気に食わないって、充分不純だと思うぞ、宮尾。


「んで、もうぶっちゃけるけどさ、その被害者の、何村だっけ、その人の脳がさ、おかしいんだって。」

「脳が?」


 キョトンとする胡桃。構わず岬が話を続ける。脳の萎縮いしゅくがあったこと、彼は元々脳に病気はなかったこと。


「……脳、ですか。」


 考え込む胡桃。警察から、今さっき、黙っていてくれ、と言われた情報を開示する岬に蒼白そうはくになる俺。宮尾は何か楽しそうな顔をしている。多分よくわかっていないんだ、この人にこんなことを話す意味が。


「今のとこ、そんなもんかな。どう? 参考になった?」


 岬が明るく話しかける。胡桃は、なぜか申し訳なさそうな表情で、おずおずと話し出した。


「あの……大変言いにくいんですけど、私の姉は、頭部がまだ見つかっていないんです……」

「あ……」


 思わず凍り付く岬。頭部の無い死体の事件に、脳の異常を話すって、うっかりというか大事故だ。嫌な空気が再び流れ出す。しかし、胡桃は明るい顔でこう言った。


「いえ、貴重な情報です、ありがとうございます。できたら、その、連絡先を教えてもらってもいいですか? 今後、また米村さんと会ったら、何か教えてほしいんです。もちろん、私も情報を伝えますから!」


 ……芸能界を短い期間だけど生き抜いた人っていうのは、こうもタフなんだな、そんなことを考えつつ、俺は岬、宮尾に促した。


「ほら、アイドルの連絡先なんて滅多めったに手に入らないぞ。交換しておけよ」


 ちょっと偉そうだったかな、そう思っていると、胡桃が不思議な顔をしながら、こちらを見ている。


「えと、あなたの連絡先も交換してくれますか?」

「え?」


 思わず聞き返してしまった。女子の連絡先を、しかも元アイドルの連絡先を、俺が手にしていいんだろうか? 思えば、引き取ってくれた親戚のおばさん、宮尾、岬以外に、女性の連絡先を知らない気がする。大学の就職センターの人も女性だが、それはノーカウントとして、だ。


「いいい、いいんです、か?」


 俺は恐る恐る尋ねた。ああ、コミュ障全開じゃないか……


「良いも何も、もとからそのつもりです。どうぞ」


 俺のスマホに彼女の情報が入っていく。ああ、なんかドキドキする、そんなことを思っていると、ふと、年齢の項に目がとまった。あれ、もしや?


「……年上、なんですね」

「「「えっ!?」」」」


 三人が声を上げた。ガシャン、とまたマスターが何か落としたような音が響く。あの人、気が弱すぎやしないか。


「……ほんとだ、一年先輩だ。」

「う、うそ、あの熊西くまにし先輩と同い年なの……?」


 熊西先輩とは、クマである。……もとい、クマのように強靭な肉体を持った、柔道の強化選手である。大学内で何度か見たことがあるが、あれはおそらく、違法薬物を使って肉体強化をしているに違いない。ちなみに、女性だ。


「いや、えっと、なんかすみません……」


 なぜか申し訳なさそうな胡桃と、同じく申し訳なさそうな、今まで散々タメ口をきいていた岬。その様子にちょっと吹き出してしまった。と同時に、ちょっと気になることがあった。


「ごめん、ちょっといいですか?」


 胡桃に本当はこんなことを聞くのは、と思ったが、この雰囲気だ、もしかしたら聞けるかもしれない。そんな風に考えていた。


「はい?」

「お姉さんとは、事件の前に、会っていたんですか?」


 岬、宮尾が驚いた表情を見せる。不謹慎なことを率先して聞くようなキャラじゃなかったし、何より女性に話しかけることが少ない俺だ。予想してなかったんだろう。まあ、さっきから結構話していたし、慣れた、というのもあるけど。


「事件の日、ですか」


 ちょっと考え込む胡桃。覚えている、いない、ということではなく、おそらく話していいかどうか、という逡巡しゅんじゅんをしているのだと思う。それは仕事柄、ということもあるが、あまり無関係な人間を巻き込みたくない、という考えが大きいのかもしれない。


「無理に、とは言いませんけど」

「いえ、あなたたちは話してくれました。私が話さないのは、なんか不公平ですよね」


 諦め、というか吹っ切れたように、顔を上げた胡桃。改めて見ると、やっぱり元アイドルなだけあって、可愛い。でも、年上なんだよな、あの熊西先輩と同い年の。


「あの日、8月15日……姉は大事な撮影があるって言って、とても張り切っていました。いつも後悔しているような顔で仕事している姉だったので、私はとても安心したんです。やっと落ち着いたのかなって。でも、それが姉の最後の声でした」


 再度暗い表情に戻る胡桃。聞くべきではなかったかもしれない……そう思ったが、胡桃はまた口を開いた。


「あれは、12時すぎだったかな。電話では、何年振りかのファンレターと、差し入れを貰った、と言っていました」

「差し入れ?」


 芸能界ではよくある、という話の差し入れ。それは高級菓子だとか、地方限定の食べ物とか、いろいろだというが、水着の撮影で差し入れって、体のラインが出る仕事にそれはどうなんだろう、と考えていた。


「えっと、栄養ドリンクみたいなもの、でした。よくうるさく宣伝している、あの」


 ああ、エンドルパワー! とかいうやつ。あれを買う人がいたのか。


「その時の様子は?」


 岬が質問する。不謹慎だ、とかはもう考えていないようだ。むしろ身を乗り出して、真剣に聞こうとしている。


「様子……いえ、普通でした。いや、ちょっとテンションは高かったですけど、大きな仕事の前でしたし、不思議ではなかったかな、と」


 今のところ、彼女の話に違和感などはない。12時、つまりそのころはまだ生きていて、おそらく彼女が姉の家を出た、すぐ後に首を切断されたのだろう。スタジオに遺体が届いたのが15時ごろだったと思う。


「……私が知ってるのは、そのくらい。テレビとかには公表してないみたいだけど」

「あ、ありがとう」


 結局、大体の死亡時刻が分かったくらいで、特に進展はなさそうだった。それに、今回の代々木の事件と関連性は全く見いだせないし、これ以上聞いても意味はないだろう。


「うーん」


 宮尾が何かうなっている。なんだ、腹でも痛くなったか?


「どうしたの、トーカ」

「いやね、あのドリンクってどこで売ってるのかなって。広告のうるさいやつ」


 あのドリンク、とはエンドルパワーのことか? そういえば、街宣車は頻繁に見るけど、実際に売られているところは見たことがない。コンビニはよく使うが、そもそもそういうドリンクのコーナーなんて見ることがないから、気づくこともないのだけれど。


「ドラッグストアとか、専門店だけで売ってるんじゃないの?」


 岬が聞き返す。


「ううん、なんかたくさん宣伝してるから飲んでみたくなって、結構探したんだよ。でも、ネット販売もしてなかった」


 宮尾が返答する。なんでそんなものを飲みたくなるのか。サブリミナル効果とかいうやつだろうか。それにしても、宮尾が探しても見つからないって、相当市場規模が小さいのかもしれない。

 そんなことを考えていると、胡桃のスマホに着信があった。


「あれ? ごめんね、電話だ」


 席を立つ胡桃。席を立っても小さい背中に、宮尾が呟く。


「……あーあ、私もあれくらい小さかったらよかったのに」


 宮尾は、童顔な割に背が高い。165cm、と高校の時に言っていた。今はもう伸びていないとは思うが、それでも、同世代の女性が並ぶと、平均よりかなり高いことがよく分かる。


「いや、ウチはトーカくらい欲しかったよ」


 岬は逆に身長が低い。152cm、とか、宮尾が言っていたっけ。なんで親友の身長を知ってるのか疑問だが、それくらい仲がいいのだ、この二人は。

 そんな他愛もない話を聞いていると、胡桃の声が聞こえた。


「見つかった!? 本当ですか!?」


 かなり大きな声を出している。何かが見つかった、らしいが、彼女の様子を見る限りは、笑顔、というか、複雑な表情をしている。何が見つかったのだろう?


「……はい、それでは、はい。失礼します」


 胡桃が電話を切り、急いでこちらに向かってくる。先ほどまでの穏やかな表情はなく、緊張した様子だった。


「な、何かあったの?」


 宮尾が質問する。胡桃は、少し躊躇ちゅうちょしたようだが、はっきりと、しかし小声でこう告げた。


「姉の、安藤 理佐の頭部が見つかったの」


 一気に緊張が走る感覚。そんな俺らをよそに、胡桃はバッグを取り、出口へ向かった。しかし、はたと振り返り、こちらに向かってこう言った。


「あ、あとで連絡します!」


 カランコロン


 レトロな響きが店内に伝わる。残された俺らは、顔を見合わせた。いまさら、事件現場に行く気にもならなかったし、そろそろ18時になろうとしていた。陽もかなり傾いている。


「……今日は、帰ろうか」


 俺が呼びかける。二人は、うん、と頷き、俺に続いて店を後にした。ああ、今日は随分と疲れたな、そんなことを考えていると、岬が提案をし出した。


「現場に行くと、もしかしたらあの刑事に会うかもだし、しばらくは情報収集、といきますか!」

「え、まだ事件を追うのか!?」


 ぎょっとする俺。なんで? と言わんばかりに首を傾げる岬。さっきの米村の話を忘れたのか? 脳の話とか、まるで俺らの出る幕はなかったじゃないか。


「あのな……」


 俺が反論しようとしたその時、宮尾は限界だ、と言うように俺の背中に頭突きをした。


「いってぇ!」

「あのね、もう疲れたから今日は考えるの終わり!」


 むくれている宮尾。体調が悪いとグズる赤ん坊か、お前は。岬は、あー、と頬をポリポリ掻いている。そうだ、宮尾は頭を使いすぎると、急に機嫌が悪くなる。投げやりな発言も多くなるし、手に負えなくなるのだ。


「明日のことは明日考える! じゃあね!」


 そう言うと、宮尾は走り出してしまった。なんだ、元気じゃないかあいつ。はぁ、とため息を吐くと、岬がそっと囁いた。


「……どうにもできないってわかったら諦めるよ、あの子は。それまでは見ていてあげよう? 危ないし。ね?」


 あぁ、そういうことか。いつだって岬は、宮尾のことを優先している。今回も、ただ自分の気持ちの暴走、というわけじゃなかったんだな。誤解していた自分を少し悔やんだ。


「ま、いざとなったらよろしくね、ハル!」


 ポン、と背中をたたき、別の方向へ歩いていく岬。おい、俺の後悔を返せ、そう言いたかったが、岬の背中はもう人混みの中に埋もれていた。空はもう、明るさを失っていた。









 その夜。大学近くのアパートの自室に俺はいた。大学に進学するにあたって、通学するように親戚は言っていたが、どうしても一人暮らしがしたかった。それで今はこの狭い部屋に独り暮らしている。

 幸運にも、親戚は家賃を肩代わりしてくれており、バイトで忙しくて講義が受けられない、とかいう悲しいことにはおちいっていない。


 俺を引き取った親戚は、比較的裕福な家庭だった。しかし子宝には恵まれず、50歳まで二人暮らしだったそうだ。そんな中、俺の引き受けに名乗りでてくれたのだ。

 本当に、あの二人には感謝しているのだが、どうしても偽物の家族、という思いが抜けなかった。血のつながりなんて、ただの理由に過ぎない、そう思うのだけれど……俺は、両親を覚えているから、どうしても受け入れられなかった。


 今は適切な距離、とでもいうのだろうか、特に干渉しないことになってから、ようやく彼らのありがたみ、そして愛情を理解したのだった。まあ、いまさら言ってもどうにもならないけど。


(そろそろ寝るか)


 くぁ、と大きな欠伸あくびを一つ、そしてふとスマホに目をやった。その瞬間、チャットの通知が来た。発信先は、胡桃だった。


胡桃『起きてる、かな?』

ちー『起きてるよ! 今まで警察!?』


 岬のリアクションの方が早かった。乗り遅れた俺は、胡桃の返答を待ってみた。


胡桃『えっと、さっきまで。家に帰って、ちょっと頭を整理したかったから』

高島『それで、お姉さん、だったのか?』

ちー『言いたくなければいいからね!』


 くそ、いい子ちゃんぶってやがる。


胡桃『いいえ、大丈夫。やっぱり、姉でした』

高島『そうか……』

胡桃『でも、見つからないよりはずっとマシ。ようやく帰ってきたんだ、って思えたし』

ちー『ええ子やわ……』

高島『おい、年上だっての』


 そうか、彼女の姉、安藤 理佐の頭部で確定したのか。しかし、今の今まで一体どこにあったんだか。土の中、とか川の中だったのだろうか。


高島『隠されていたんだね』

胡桃『ううん、よくわかんないけど、お姉ちゃんの自宅にあったんだって』


 俺は思わず目を疑った。自宅……って、安藤 理佐の自宅に!?


ちー『え、なにそれあり得ないでしょ』

胡桃『うん、そう思ったけど、確かに自宅の、リビングにあったんだって』

高島『見落とす場所じゃないし、そもそも誰もが見る場所に、いきなり現れた、ということか……?』

胡桃『そういうこと、なんじゃないかな。私も頭が追い付かなくて』

ちー『いや誰も追いつけないよそんなの』


 つまり、おそらく規制線が張られているような部屋に、堂々と、生首を置いていった犯人がいる、ということになる。全く犯人の意図が分からない。


胡桃『でも、頭はとてもきれいな状態だったみたい。私も一応確認はしたけど、きれいすぎて不思議な感覚だった』

ちー『それなら、少しは良かったのかもしれないね……』

高島『うん、苦しんだわけじゃないと思う』

胡桃『ありがとう』

胡桃『でもね、よくわからないけど、首の一部はなかったって、警察の人が言ってた』

高島『首の一部?』

胡桃『そう、声帯』


 声帯がない? そこだけきれいに切り落とした?


ちー『そんなとこ切り落とせるの?』

胡桃『声帯だけっていうか、その首の部分だけ無いんだって』

高島『まるで意味が分からないな……』


 そういう趣味の犯人、ということはないだろう。声帯の部分を切り落としたって、別に声が聴けるわけじゃない。しかも、徐々に腐っていくんだから。


胡桃『でもお姉ちゃん、歌がコンプレックスだったし、叩かれたのも歌が原因だったし、無くなってお姉ちゃんは良かったのかもしれないけど……』

ちー『家族としては全部帰ってきてほしいよね』

胡桃『うん』


 寝る前だというのに、こんな話を聞いてしまって眠れる状態ではなくなってしまった。俺は色々と思案した。しかし、やはり動機が全く分からなかった。


胡桃『あ、それで、こうやって連絡したのは、それだけじゃないからなんだ』

高島『ほ、他にも何か見つかったのか?』

ちー『もうこれ眠れないね』

胡桃『あ、ごめん。明日にしようか?』

高島『いやそれもっと眠れないから』

ちー『言えてる』

胡桃『そう? じゃあ……あのね、代々木の死体……奥村さんの脳、萎縮いしゅくしてたって言ったよね?』

高島『そう、米村さんが言っていた』

胡桃『お姉ちゃんも、異常な萎縮いしゅくがあったらしいの』


 は? 脳の異常な萎縮いしゅくが安藤 理佐にもあったって!? ということはつまり、代々木の事件と関連があるかもしれないのか!?


ちー『うそでしょ、第一、そんなにきれいに画像が見れるの?』

胡桃『詳しいことはわからないよ。でも、外傷も、腐敗もほとんどなくて、きれいに撮れたって』

胡桃『それを聞いて、みんなのことを思い出したの。もしかしてって思って』

高島『……正直半信半疑だけど、ありがとう、自分の家族なのに、こんなに教えてくれて』


 正直、俺にはできそうもない。といっても家族はもういないんだけど。


ちー『これは、また情報を整理しないとだね!』

高島『で、肝心の宮尾は寝てるのか?』

ちー『そうじゃない? トーカ寝るの早いもん。それにすごい疲れてたじゃない』

高島『確かに、帰りなんて酷かったよな』

胡桃『でも、もう24時過ぎてるし、みんなも早く寝たほうがいいよ』

ちー『お母さんか』

高島『おやすみ、胡桃さん、ありがとうございました』

胡桃『いいえ、おやすみなさい』

ちー『ツッコミは!?』


 俺はスマホを放り投げた。まだ何か通知が来ているが、おそらく岬が何か言っているのだろう。しかし、まさか安藤 理佐と、ええと奥村、といったかな、彼の事件に関連性があったなんて。でも、脳の萎縮いしゅくなんて分かったところで、一体俺らになにができるのだろう……


(考えても無駄、かな。今日はとりあえず寝よう)


 俺はそのまま布団に横たわった。熱帯夜、いつもは蒸し暑く眠れないところだが、今日は疲れもあり、落ちるように眠りについた。


 スマホがまた通知をする。グループチャット、発信先は、宮尾 藤花。


トーカ『ぜんぶ、見てたんだよ』

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