第9話 帰還 ラスト1

「ここは僕の故郷なんだ。どうか壊さないでほしい」

「私にとってもここは故郷よ」

 竜が大きく息を吸い込んだ。あれは、炎を吐く構えだ。

 一直線に炎がザクロを目指して伸びる。クオンはとっさに二人の間に割って入った。炎が硬い鱗の上を滑り、熱さが染み込んでくる。

「なっ! お兄ちゃん!」

「クオン!」

 体のヒビが大きくなったのがわかる。翼膜が高熱で爛れ、鱗が剥がれ落ちる。足元がふらついて、クオンはその場に倒れた。

「バカ! ダメだろそんな危ないことしたら! あぁ、どうしよう! なんでこんなことしたんだよ!」

 だって、仕方ないじゃないか。クオンは駆け寄ってきたザクロを見上げる。

「兄さん、大丈夫?」

「僕は大丈夫。痛い?」

 死が近いのを感じる。体が砕けていく。端の方から体が崩れていく。

「どうして? お兄ちゃん。なんでその人を助けるの?」

「僕の兄さんはね、いつも僕を守ってくれるんだ。だからかな」

 いつだってザクロは、クオンを弟と呼んだ。実の弟ではないとわかっても、姿形が変わっても。クオンは思い返す。きっとそのことに、自分は救われていた。

 翼がごとりと音を立てて地面に落ちた。

「ねえ君、お願いだ。クオンを助けて欲しい。君なら助けられるんだ」

「私が?」

 竜が目を丸くした。ザクロが竜の前に、角の水筒を突き出した。

「七人分の竜の涙で、クオンは助かるって、森の竜が言った。ここに六人分ある。君が涙を分けてくれれば、もしかしたら助かるかも。僕たちはそのために来たんだ」

 それを聞いて、竜は牙をむき出した。

「私を助けに来てくれたわけじゃ、なかったんだね。私、ずっと待ってたのに」

「うん。悪いけど、クオンはずっと、君の存在を知らなかったよ」

「自分が助かるためにここに来たんだね」

「そうだ。助けてくれないかな」

「私のことなんか、どうでもいいんでしょう? お兄ちゃんが迎えに来たと思ったけど、やっぱり、私の居場所なんて、ないんだわ」

 また、竜が息を吸い込んだ。クオンは、ザクロに逃げろと言いたかったが、うまく声が出ない。

「大丈夫。君を受け入れてくれる場所は、きっとあるよ」

 ザクロは、竜の姫を見つめている。

「てきとうなこと言わないでよ!」

「てきとうなんかじゃないよ。僕とクオンは見て来たんだ。確かに分かり合えないことはある。でも、全てがそうじゃない。君の居場所はきっとある」

 クオンは薄く目を開けた。視界が裂けている。目が割れたのかもしれない。二人の姿が、よく見えない。

 すっと身体に、水が染み込んできた。


 気がついたら、洞窟にいた。体の痛みは、消えている。

「おや、気がついたかい?」

 森の竜が目の前にいた。丸まっている森の竜の足元で、鹿や鳥、もぐらたちに混ざって、竜の姫とザクロが並んで眠りこけている。

「ここは?」

「僕の家さ。君のお兄さんと妹が、君を連れて来たんだ。大変だったみたいだよ。君の無事がわかった途端に寝ちゃったんだ」

 身を起こす。部屋の中はすっかり片付いていている。森の竜に促されて鏡を見ると、体のヒビが消えていた。クオンの体は、一点の曇りもない水晶のようだ。

 二人の体が、記憶にあるよりもかなり汚れている。また何かしらの罠に引っかかったのだろうなと思って、クオンは小さく笑った。

「さて、君は、どうやって生きていくつもりだい?」

 クオンは、少し考える。自分は、どういう自分でいたいだろうか。

「もう少し、旅をします。もっと色々見てみたい」

 あと少しで掴める気がする。自分が何者なのか、その答えが。

「あの、おじさん、僕の妹を保護してもらえませんか?」

「彼女は君と一緒にいたがると思うよ」

「あの子は人間を憎悪している。その怒りが落ち着くまでは、離れていた方がいいと思うんです。心と体の傷が癒えたら、そのあとはあの子が決めたらいい。大丈夫、彼女を一人にはしません。時々会いに来ます」

 ふうと息を吐いて、森の竜は微笑んだ。

「なるほど。君は、その道を選ぶんだね。いいだろう。希望の風は、いつも君とともにある」


 満足するまで旅をした後、クオンとザクロは、昔のように手を繋いで家に帰った。

 四つ足で歩くことにすっかり慣れていたクオンは、歩いている時に両手が使えるとはなんと便利なのだろうと感動した。

 柔らかい手のひらで、家のドアを開ける。

「ただいま!」

「ただいま!」

 家の奥から皿が割れる音がした。一拍おいて、ドタバタと母が現れる。

「……どこの子かしら? うちの子は竜にさらわれて何処かへ行ってしまったわ」

「僕だよ、母さん」

「わかる? 僕、クオンだよ」

 母は、目を見開いて二人を凝視する。まじまじと二人を見た後、嘆息を漏らす。

「二人とも背が伸びたわねえ。わからなかったわ。もっと顔をよく見せて」

 こっちへ来てと、母は二人を呼んだ。


 久しぶりの家でゆっくり休み、旅の疲れがすっかり取れた日の朝、クオンとザクロは宝石の丘にやって来た。相変わらず丘は壁で囲まれ、中の様子はわからない。母に聞いたところ、泥棒が入ったこともあり、ここにあった大事なものは城の中に移されたらしい。前までと違い、門の前に見張りはいない。

 ここなら、周りに人がいなくて好都合だ。

「じゃあ、行こうか」

「うん。あの子が待ってる」

 クオンは服を脱ぐと、胸のロケットから丸い宝石を取り出した。それは曇り一つない透明な丸い石で、濡れているように艶やかだ。

 それを飲み込むと、体がメキメキと大きくなり、背中からは翼が生えてくる。

「うん、久しぶりの人間もいいけど、こっちはこっちでしっくりくるよ」

 どちらの側面も自分なのだ。どちらかを選ぶ必要はない。今のクオンは、そう思う。

「母さんが心配するから、晩御飯までには帰ろうね」

「わかってるよ」

 ザクロがクオンの背中に鞍を取り付ける。ザクロが乗ったのを確認してから、クオンは翼を広げて飛び立った。

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