第8話 塔の竜
騒ぎにならないように夜を選んだ。久しぶりの里帰りは、泥棒のようにひっそりしたものになった。
お城の塔には、竜の姫が閉じ込められている。そんな噂を耳にした。まさか、自分たちの故郷にいただなんてと、二人は驚いて故郷へ帰って来た。
「久しぶりだね」
「うん。懐かしいね」
そこまで長い期間ではなかったはずだ。街並みも、全然変わっていない。
いつもザクロと遊んでいた場所が、はるか下の方に見える。幽霊が棲みついている廃屋も、竜が眠る洞窟も、財宝を積んだ船が沈んだ早瀬も、変わらずそこにあった。
ただ、宝石の丘だけは、二人が旅立った日のまま、焼け野原になっている。
空を飛んで、城を目指す。満月の、明るい夜だ。クオンの影が、寝静まった街の上を滑っていく。
城下町からずっと見上げていた城は、近くで見てもやっぱり大きい。石造りのどっしりした城は、堀に囲まれた山の上に建っている。
「あれかな」
ザクロが指差した先を見ると城から少し離れたところに、塔が立っている。窓からは微かに明かりが漏れ、中に誰かがいるのがわかる。
「行ってみよう」
近づいてみると、中の明かりは松明であるとわかった。ステンドグラスの奥で、光が揺れている。ステンドグラスは、森の竜から聞いた、この国の興りについての話がモチーフの絵だ。
「誰かいるの?」
中から不安げな声が問いかけた。
「こんばんは。あなたは竜ですか?」
「そうだよ。……ああ、やっと来てくれたんだ。入って」
内側から窓が破られた。色とりどりの破片が夜の闇へ落ちていく。
誘われるままに、塔の中へと入る。クオンの背中の上で、ザクロがぎゅっと身を縮めた。
グラスの切り口を頑張って避けて、中に入る。そこにいたのは、クオンよりも一回り小さい黒い竜だった。極彩色のガラスに囲まれた部屋の真ん中に、艶やかな黒い竜がうずくまっている。
「初めまして、お兄ちゃん」
「お兄ちゃん?」
「ああ、知らないんだね。お兄ちゃんはここから逃がされた。私は逃げられなかった。そういうこと」
竜の足には、頑丈そうな石の枷がつけられていた。枷の周りの鱗が擦り切れて、傷ついた皮膚が顔を出している。
自分に妹がいるだなんて、考えたこともなかった。でも、確かにこの子は自分の同胞だという、懐かしさに似た感覚に襲われる。どこかが似ているというわけではないのだけれど、自分と縁のある子なのだという、確信が胸にすっと落ちてくる。
「君はクオンの妹なの?」
「クオン? ああ、お兄ちゃんはクオンっていうんだ。そういうあなたは?」
「僕はクオンのお兄さんだよ」
「でもあなたは人間だよ。私に人間のお兄ちゃんはいない」
「確かにそうだけど、クオンのお兄さんではあるんだよ」
ふうん、変なの。と竜は興味を失ったように呟いた。
クオンは、竜の尻尾が不自然な形をしていることに気がついた。本来ならばしなやかな曲線を描いて先細りしていくはずの尻尾は、不格好にひしゃげている。
「君、その尻尾はどうしたの?」
「人間が切って持っていったわ。人が竜になる方法を探してるんですって。私の尻尾にそんなこと書いてあるわけないのに、変でしょ?」
尻尾の断面はまだ乾いておらず、滴った血が大理石の床を汚している。
「彼らはすごいね。希望がある限り、どんなことでも試すんだもん。色々試されすぎて、お母さんは死んじゃった」
見ると、竜の体はあちこちが欠けていた。翼膜は四角く切り取られたあとがいくつもあるし、角も途中で欠けている。爪も抜かれたらしく、ところどころ抜けている。
人から竜になった時以来だ。激しい怒りが、ふつふつと湧いてくる。今ならわかる。あの時も、今も、この怒りの源は同胞を傷つけられたこと。
「君ならそんなひどいことをする人間を、簡単に殺せるだろう? どうしてしないんだ?」
クオンが聞くと、竜は心底愉快そうに口を大きく開けて笑った。
「だって、ここが私の故郷だし。それに、私が手を出さなくても、あの人たちは勝手に死んでいくの。竜になろうとして、私のかけらを体に入れて、最後には石になって砕けてしまう。ここでこうしているだけで、私は人を殺しているの。おかしいでしょう?」
ふふふ、と竜は肩を震わせて笑い続ける。気圧されて、クオンとザクロは一歩後ずさった。
「ああ、でも、そうね。お兄ちゃんの言う通りだね。なんだかんだあの人たちが育ての親だと思っていたけど、私、ひどいことをされてるんだよね。お兄ちゃんの言う通り、皆殺しにして逃げ出すのも悪くない」
笑い声は次第に大きくなり、竜の笑いがガラスを震わせる。
「そうね。人間なんて皆殺しにしましょう。最初はお兄ちゃんのお兄ちゃん! あなたからよ!」
竜は地面を蹴った。砕けた石畳の破片が飛び散って、クオンの鱗を叩く。ピシリと亀裂が広がった。ジャラジャラと鎖が引きずられる。
「やめて! 殺さないで!」
突進する竜とザクロの間に、クオンは割って入った。竜はつんのめるようにして動きを止め、首をかしげる。
「どうして? お兄ちゃんがやれって言ったのに」
竜の前足が振り下ろされ、鎖がちぎれた。穴だらけの翼が強風を起こし、ステンドクラスを粉々にする。砕けた破片が宙を舞い、夜闇の中に落ちていった。
「僕の兄さんなんだ」
「人間と一緒にいたって嫌なことばかりだよ。私と一緒に人間なんてみんな殺しちゃおう。ひどいことをする人は殺していいんでしょう? 一人残らずすり潰そうよ! 人間が一人もいないって、とっても素敵だわ!」
「そんなことはない!」
「嘘よ!」
クオンの脳裏に、今までに出会った竜と人間の姿が浮かんでは消える。
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