第7話 渓谷の竜
谷の狭間は、戦場の跡だった。地面には無数の矢が突き刺さり、錆びた剣が転がっている。
ただ、不思議なことに、そこには死体がなかった。
不規則な横縞模様の崖の土は思いの外脆く、ザクロが指でつつくとポロポロと崩れる。崩れた土の奥から、巻き貝の形をした石が顔を出した。
クオンは動くものがないか目をさまよわせる。どれだけ見ても、地面にあるのは無機質な武器だけだ。
「ここにいるって噂だったよね」
近くの村に立ち寄った時、若い母親が子供に話して聞かせていた。
西の谷にはおっかない竜がいるから行ってはいけないよ。見つかったら頭からバリバリ食べられてしまうからね。
「死体がないの、竜が食べたからだったりして」
「そういえばさ、クオンって人食べるの?」
「さあ。食べたことないからわかんないよ」
「……ほんとにやばくなったら僕のこと食べていいからね」
「いらないよ。おいしくなさそう」
強い風が吹き抜けていく。西日が武器の影を色濃く地面に映す。
また強い風が吹いた。剣の柄に巻かれた紐が不規則になびく。クオンは気分が悪くなった。このあたりの空気は、鉄の匂いがする。
「いないね」
「ただの噂だったのかな」
びゅうと強い風が吹いた。風に紛れて、刃が鞘走る音がしたのに気がついて、クオンは翼で押してザクロを突き飛ばした。
キィンと澄んだ音がして、クオンの翼に刀が打ち付けられた。切り掛かって来たのは日に焼けて顔にシワがよった男。鋼の鎧で身を包み、鉢金の下の鋭い目でクオンを見据えている。
「なんですか」
「儂はドラゴンスレイヤー。去るがいい。死にたくないのならな」
ギリギリと刃がクオンの鱗に食い込む。尻餅をついたザクロが、こちらを見上げている。
「ちょっと! なにするのさ!」
「黙れ小童。ここは儂の戦場じゃ。竜は皆、わしの敵じゃ」
「やめてよ! 僕の弟なんだ!」
瞬間、男から発せられる闘気が緩んだ。その隙をついて、クオンは刀を押し返して弾き、距離を取る。
「人と竜の兄弟とはけったいな」
「ちょっとわけがありまして」
「おい爺さん! よそ見してんなよ! お前の獲物はこっちだろうが!」
けたたましい喚き声が頭上から降って来た。見上げると、崖の上に煮込まれた蜂蜜のような、濃い黄色の竜が佇んでいる。
竜は断崖から飛び降りると、小さく翼を折りたたんでまっすぐこちらへ突っ込んで来る。クオンはとっさにザクロの上に覆いかぶさって身をかがめた。
硬く澄んだ音が響いた。老人の刀が竜の爪を受け止め、弾いた。重い一撃に、刀の刃がこぼれている。
竜から目を逸らさないまま、老人は半歩脇へそれた。老人の背後の壁が不自然に割れていることに気づいて、クオンは息を飲んだ。
竜が身を翻し、男に飛びかかった。男はすんでのところで身をかわし、爪の下をくぐり抜ける。勢いを殺しきれず、竜の爪は崖の土を削る。そこを起点に崖は崩れ落ち、竜の上に大量の岩がのしかかる。
「ぐえ! なにしやがるクソジジイ! 卑怯だぞ!」
「はっはっは! 引っかかる方が馬鹿なのじゃ愚か者め!」
老人が刀を振りかぶった。竜は岩に埋もれて、かろうじて首が出ているだけ。もうダメだとクオンは目を瞑った。しかし、その刀はいつまで経っても振り下ろされない。老人は、石像にでもなったように動かない。
「……らしくないじゃん」
竜が首を振った。のそりのそりと這い出して来るのを、老人はただ見ている。
「あー! やめだやめ! てめえになんか付き合ってられるか! バーカバーカ! おたんこなす!」
「なんじゃと貴様! 馬鹿だと言った方が馬鹿なんじゃ! こんなあからさまな罠にまんまと引っかかりおって!」
「いい歳こいてガキみてえなこと言ってんなよ! もっとちゃんと向かってこいよ!」
「だからこうして殺す手筈を整えたんじゃろうが!」
「お前、本気で言ってんの?」
クククと竜は笑いを押し殺す。笑いは次第に大きくなり、谷全体を震わせる。
「ちょっとクオン。苦しいよ」
もぞもぞとザクロがクオンの下から這い出した。それを見て竜は目を輝かせる。
「ちょうどいいところにおあつらえ向きな奴がいるじゃねえか。お前、ちょっと付き合え」
「えっ、なに!? やめてよ!」
竜はザクロの襟首に爪を引っ掛けてつまみ上げ、そのまま翼を広げて飛び上がった。ザクロはジタバタもがくが、逃れられそうもない。
「明日の夜明け、この谷の最奥部に来い! そうすればこのガキは開放してやる!」
「兄さん!」
「クオン! 助けてー!」
ザクロを連れて、竜はどんどん遠くなる。ザクロの助けを呼ぶ声も、次第に聞こえなくなって来る。
二人がすっかり見えなくなってから、クオンと老人は顔を見合わせた。
「……巻き込んですまん」
「いえ、こちらこそ不注意でした。あの竜は、本当に兄さんを返してくれますか?」
「ああ、そこは保障しよう。約束は守る奴だ」
老人は、ふっと小さく笑った。シワの下に埋もれてしまいそうな鋭い目が、武器の転がる谷間をさまよう。
「なぜ、そんなことがわかるのです?」
「奴は今までずっと、儂との約束を守っておるからな……かはっ」
老人が口元に手を当てて、その場にへたり込んだ。指の隙間から、ポタポタと鮮血が滴り落ちる。
「それにひきかえ儂ときたら、このザマじゃ」
パチパチと焚き火がはぜる。炎の明かりがクオンの鱗に反射して、周囲を明るく照らす。もうすっかり日は落ちている。この老体に夜風は良くないかもしれないと思ったが、ここ以上に風のしのげる場所もない。
「もう大丈夫ですか?」
「うむ、まさか竜に心配される日が来るとはの」
老人は水筒に口をつけ、グビグビと喉を鳴らす。こぼれた水滴が、喉を伝って襟元を濡らした。
「さっきはすまんかったな。せっかく仕掛けた罠がよそ者相手に動いてしまってはいかんと思って、追い払うつもりだったんじゃ」
「言ってくれればよかったのに」
「すまん、まさかこんなに話の通じる竜がおるとは思ってもいなくてな」
この人は、自分をドラゴンスレイヤーだと名乗った。そして、クオンに切り掛かり、渓谷の竜と敵対している。どういう人なのだろう。
「ドラゴンスレイヤーとはなんなんですか?」
「竜を殺す者じゃ。儂の故郷は悪しき竜に支配されていてな。一年に一人、生贄を要求していた。儂はみんなを守るため、その竜を殺した。きっと他にも苦しんでいる人々がいるだろうと、世界中の竜を全て殺すために旅に出た」
彼の目線は炎を見ているが、ここを見てはいなかった。彼の遠い目に映った炎の光が、怪しげに揺れている。
「儂は竜をたくさん殺した。たくさん血を浴びた。人は儂をドラゴンスレイヤーと呼んだ。そしてある時、あいつに出会った。奴は、この近くの町を襲って楽しんでおった。儂はそれを止めようと、戦いを挑んだ。しかし、勝てなんだ。まだ若かった頃の話じゃ」
ギリギリと、男が拳を握りしめた。額に青筋が浮かんでいる。
「儂は奴に『儂を倒すまで他の人間に手を出すな』と言った。奴は儂に、『俺を殺すまでは他の竜に手を出すな』と言った』
焚き火が弱くなってきた。老人が火に薪を投げ入れ、そこにクオンが火を吐きかける。
「この谷に転がっておる無数の武器はな、儂らの戦いの記憶なんじゃ」
老人はまた火の中に薪を投げ入れる。新しい薪も炎に舐め取られ、焚き火の一部になっていく。
「儂はありとあらゆる手段を使って奴を殺そうとした。毎回今度こそはと意気込むんじゃが、毎回武器を拾う余裕もなくなって引き返す羽目になる。それが積み重なって、この景色はできておる」
老人が、手近に落ちていた武器を一つ拾い上げた。針のように先端の尖った、細長い円錐形の剣だ。先端がひしゃげて折れ曲がっている。
「これは、確かわざと飲み込まれて内側から突き刺せば殺せるのではないかと試した時の武器じゃな。失敗したが、胃の腑を突かれたショックで奴も儂を吐き出した。引き分けじゃった」
「すごい体の張り方しますね」
「そうだとも。どうにかして儂が死ぬ前に奴を仕留めなければならん」
「無茶ですよ。そんな体で」
「それでもじゃ。奴を仕留めんうちは、死んでも死に切れん」
谷間を吹き抜ける風が炎を揺らす。弾けた火の粉が、クオンの鱗に降りかかった。
「それならなぜ、さっき殺さなかったんです? あの時刀を振り下ろしていればそれなりの手傷を負わせられたはずです」
「……そうじゃな、何か違うと、思ってしまった。絶好の機会じゃが、これでは奴に勝ったことにならん気がしてな」
「あの竜を殺すことが目的なんですから、それでいいじゃないですか」
老人はもう一つ、薪を火に投げ入れた。
「儂はそれでは納得できんかった。我が生涯をかけて挑み続けた敵が、あんなチンケな罠で死んではいけないと、思ってしまってな」
馬鹿な話じゃ、と老人は笑う。その笑みはとても、清々しいものに見えた。
谷は奥へ行くほど狭くなり、最奥部では両岸がくっついている。今来た方を振り返ると、ここから大地の亀裂が発生し、広がっている様が見てとれて、ザクロはほうと感嘆の声をあげた。
丸く地面がえぐれた場所がある。竜はそこで体を丸めて休んでいる。どうやら、ここが巣のようだ。
「まったくあいつありえなくね? まじないわー。お前もそう思うだろ?」
「うんうん。あんなに岩ぶつけられたら、いくら竜でも痛いよね。クオンだったら泣いちゃうかも」
「だろ〜? あの爺さんマジで鬼だわ」
ザクロは寝そべった竜の顔の前であぐらをかいて、その顔をじっと見ていた。顎の下から鼻のてっぺんまでの高さが、だいたい座っているザクロの高さと同じくらいで、時折竜の鼻息が顔にかかる。縦に割れた瞳孔が、せわしなく膨らんだりしぼんだりしている。
ふんふんと鼻を鳴らして、竜は愚痴をこぼし続ける。ザクロの髪がそれに合わせてぴょこぴょこ跳ねる。
「だいたい、なんだってあんな卑怯な真似しやがるんだ。あんなことする奴じゃないと思ってたのに」
「それだけ君に勝ちたいんだよ」
「昔は真正面からやりあってくれたのにさ〜、最近俺様寂しいんだよね」
「あのおじいさんとは、付き合い長いの?」
「おうよ、あいつがまだちんちくりんの若造だった頃からだな。昔からガッツだけはある奴だよ」
琥珀色の鱗が、きらきら輝く。鱗はそこら中が傷だらけだ。古いものも新しいものも、淡い月明かりに照らされている。
「俺、昔は暇つぶしで町を襲ってたんだよ。それくらいしかやることなくてさ。でも、ある時若い頃のあいつが『俺を倒すまで他の人間には手を出すな』って喧嘩売ってきたんだよ。虫のいい話だって、当時の俺はブチ切れた気がする。俺のダチは山ほど殺しておいて、自分の仲間は殺すなときた。それで俺は『じゃあ俺を倒すまで他の竜にも手を出すな』って言った。それでお互い殺せないまま今に至るってわけ」
「へえ、あのおじいちゃんすごいんだね」
「おうよ、あいつ人間のくせにすげえんだ。最近はあいつが俺を殺しに来るのが、楽しみでしょうがない」
フンッと強い鼻息が顔にかかって、ザクロは思わず目を閉じる。それから、ん? と首をかしげた。よくわからない。
「どうして殺されそうになるのが楽しみなの? 僕たちはクオンが死なないで済むように旅をしてる。死ぬのは怖いからね。なのに君は、死ぬかもしれないことを楽しみにしてる。よくわかんない」
強い風に耐えきれなくなって、ザクロはコロンと後ろに倒れた。見上げる竜の目は、歓喜にきらきら輝いている。
「そりゃあ、死にも色々あるからさ。確かに、お前の弟の傷は、命の輝きを奪うものだろう。でも逆だ。あの爺さんは俺の命を輝かせてくれる」
「……やっぱりよくわかんないや」
「お前、弟と遊ぶの楽しいだろ? それと一緒さ。あの爺さんが刺し違える覚悟で本気出して、いたちの最後っ屁をしようってんなら、俺は殺されてやってもいいと思ってるんだ。でも、奴はそれを望まない」
竜の笑みは、お祭りの前の子供のようだ。
「まったく、人間ってのは馬鹿な生き物だな」
翌朝、日の出とともに老人は谷の最奥部にたどり着いた。クオンは老人の後に続き、ともに歩みを進める。
斜めに差し込む朝日は、谷の底までは降りてこない。上の方をわずかに照らすのみだ。
「来たぞ、渓谷の竜よ。勝負じゃ。この子の兄を、返してやってくれ」
「おうよ、待ってたぜ。じゃあなザクロ。またな。楽しかったぜ」
竜の陰からひょこりとザクロが現れた。クオンはホッと胸をなでおろす。が、あまりにもけろっとしているものだから、頭がカチンと鳴った気がした。
「うん、じゃあね!」
「楽しかったの?」
「ただいま! うん、楽しかったよ。たくさんお話ししたんだ」
「へえ。兄さんは僕が一晩心配で気が気じゃなかった間、のんきに楽しくおしゃべりしてたわけだ」
「ん? そんなに心配してくれたの?」
「……まあいいや」
老人は一歩一歩、歩みを進める。老人の腰で、刀が揺れる。
竜が首を下げて、老人に目線を合わせた。二人の口の端がクッと上がる。
「もうくたばったかと思ったぜ」
「抜かせ。儂は諦めが悪いんだ。今日こそは、その首切り落としてくれる」
ひゅうと夜明けの冷たい風が、二人の周囲を取り巻いて吹き荒れる。
「今日は観客もいるんだ。みっともない真似するんじゃねえぞ」
「……当然」
老人の節くれだった手が、刀の柄をしっかりと握る。
「いくぞ」
「ああ、来いよ」
キンッ、と鋭い音が、谷間に反響した。竜は爪で刃を薙ぎ払う。横薙ぎに払われた老人はその勢いに逆らうことなく、攻撃を利用して飛び上がる。老人の両足が、崖の壁面を蹴った。ジャンプは、高い。老人の刃が、今度は竜の目玉を狙う。
「は、早い! クオン、見える?」
「なんとか」
竜は、顔面に向かってくる老人に向かって、炎を吐いた。炎の息が通り過ぎた後、そこに老人の姿はない。
「やったか?」
「ここじゃ! 自ら視界を遮るとは愚かな!」
老人は、反対側の壁面に張り付いていた。竜の頭上から飛び降りながら、鋭い一撃が振り下ろされる。
「邪竜滅殺奥義其の五! 稲妻落とし!」
重たい音とともに、刃が竜の角に食い込んだ。
「へっ、やるじゃねえか。だがしかし、お前こそ愚策だったな!」
竜が大きく頭を振り回す。竜の角に食い込んだ刀を掴んだまま、老人はされるがままに振り回される。竜は勢いをつけて、頭を壁に叩きつけた。
「かはっ」
老人の口から、血が飛び散る。叩きつけられた壁面から土くれが飛び散り、老人周辺の壁が派手にへこむ。
「おい、まだ死ぬなよ。もっと遊ぼうぜ」
「……この程度で、死ぬわけなかろう」
竜の角がぐっと老人の腹を押した。人の顔ほどある竜の大きな瞳が、怪しい光を宿して老人を睨む。骨の軋む嫌な音が、クオンとザクロのところまで聞こえる。
苦しそうに歪んでいた老人の口元が、引き結ばれた。振り回されている間も、決して手を離しはしなかった刀に、再び力が込められる。
「これは、まだ見せたことがなかったな」
「あ? 何がだよ。早く逃げねえと内臓が潰れちまうぞ?」
「分厚く硬い竜の鱗を切り裂くための太刀。刃が獲物に食い込み、勢いが止まった後、それを押し切るための奥義。邪竜滅殺奥義其の十! 谷割斬!」
ゆっくりゆっくりと、刀が角の中を進んでいく。メキリと亀裂が広がった。竜は慌てて、壁に押し付けていた頭をそこから離し、男を振り払おうと頭を振る。再び老人は旗のように振り回されるが、彼は意地でも手を離そうとはしない。
「くそっ、離れろ!」
「愉快愉快! 儂との戦いにおいて、お前がここまで焦ったことはなかったな!」
大きくなった亀裂の隙間から、刃が抜けた。竜が頭を振る勢いのまま、老人は放り出される。しっかりと着地して老人は笑う。心底嬉しそうだ。
しかし、その顔はすぐに苦痛に歪んだ。老人は激しく咳き込み、その場にうずくまる。口を押さえた手の隙間から、鮮血がこぼれ落ちる。
「どうしたの? おじいさんの様子がおかしい」
「……病気なんだよ。もう長くない」
急に動きを止めた老人を前に、竜はうろたえる。
「お、おい、どうしたんだよ。もう終わりか?」
「そのようじゃな。どうやら儂はここまでじゃ。とどめを刺すがいい」
「……嫌だ」
「はあ!?」
老人は立ち上がって竜に食ってかかろうとするが、すぐに咳き込んで立ち止まってしまう。
「お前の勝ちだと言っておるのじゃ! さっさと殺さんか!」
「あんたが昨日、俺を殺さなかった理由がわかったよ。嫌なもんだな。あっけない終わりってのは。これじゃあ俺は、あんたに勝った気がしない」
竜が低く首を垂れた。じっと目線を合わせ、老人を覗き込んでいる。
「儂にどうしろというのじゃ。もう戦えんぞ」
「……結局俺は、あんたに勝てなかったわけだ」
「何を言う。この有様を見ろ」
ついに老人が膝をついた。地面に血だまりが広がって行く。喉元からひゅうひゅうと、命が抜けていく音がする。
「その血は俺が負わせた手傷じゃないだろ? あんたは俺が全然関係ない理由で死ぬわけだ。それでもなお、約束のためにそんな体で俺に向かって来た」
「諦めが悪いだけじゃ」
「あんたに敬意を表する。俺はもう、人間を殺さない」
竜は自分の角に爪を立てて、自らの手で引き裂いた。根元から離れた角が、地面に落ちて土埃を立てる。
「これをあんたの墓標にしよう。誇れよ、人間。あんたはその短い生を持って、俺に不殺の誓いを立てさせた」
「……さらばじゃ」
老人はゆっくり目を閉じ、その人生を終えた。
竜の爪が、硬い岩盤を削っていく。クオンは手伝おうかと申し出たが、竜は俺がやるからいいと断った。
「へえ、お前、人から竜になったのか。変わってんな」
「ええ。望んでなったわけではありませんが」
掻き出された土が、穴の周りで山になっていく。土にはたくさん石が混じっていて、気をつけていないと当たりそうだ。
「いいじゃねえか。俺は竜の人生をかなり楽しんでるが、人間の人生も楽しそうだと思うぜ? どっちもできるなんて、お得だよ、お得」
「そう言うものでしょうか」
「短い人生を精一杯生きるってのは、俺にはできないことだ。できないから、暇つぶしで人間を殺してたわけだしな」
「また暇になっちゃうけど、どうするの?」
ザクロが聞いた。ザクロは老人の遺体の身だしなみを整えている。死に顔は穏やかで、晴れ晴れとしている。
「まあ、そうだな。この谷の片付けでもするか。ずいぶん散らかしちまったし」
竜は、谷底に散らばる数々の武器を眺めて、はらはらと涙を落とす。
「長い戦いだったけど、終わっちまったな」
「勝負はついてないんじゃないんですか?」
「確かにそうだが、これで節目だ。俺の涙、持ってけよ。今は、人助けがしたい気分なんだ」
「人かどうかは怪しいですけど」
「いいんだよ。どっちでも」
ザクロが水筒の蓋を開けた。涙一滴ぶん、ザクロの手の中で水筒が重くなる。
ようやく、谷底に日光が差して来た。太陽が真上に登ったのだ。竜は穴から這い出すと、老人の遺体を丁寧に爪でつまみ上げ、穴の底に寝かせる。
「あばよ。あんたは、いい友達だったと思う」
ゆっくりと竜が老人に土をかけるのを、クオンとザクロは黙って見ていた。
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