第5話 街の竜

 枯れ木の森を抜けると、町が見えてきた。遠目に見ても、栄えている町だとわかる。高い建物がいくつか頭を突き出し、時間を告げる鐘の音がここまで響いたくる。

「おっきい街だね」

「ここの竜って人間になってるんでしょ? 見つかるか……な!?」

 なにあれ! とザクロが頭上を指差した。見上げると、ボロをまとった少女が木の枝から吊るされている。太い縄が彼女の首に食い込んでいるのが見える。

「死んでるみたいだね。自殺かな」

「あの街の人かな。かわいそうに」

 風に吹かれて少女が揺れる。ザクロは青い顔で目をそらした。死体の首に、乳白色の石のペンダントがかかっている。その石は、光の加減によって緑がかっているようにも、赤みがかっているようにも見えた。

「じゃあ、僕街に行ってみるよ。夜までには戻ってくるから……待ち合わせ場所どうしようか」

「ここにしよう。目印もあるし」

「……本気で言ってる?」

「えっ? なにかまずい?」

 ザクロは目を見開いてクオンの顔を見ている。

「ここはダメだよ! えーっと、そうだ、僕、街から出たら口笛を吹くから、それが聞こえたら来てくれる? それまでは散歩でもしてて。じゃあ、行ってくる!」

 走り出したザクロを見送って、クオンはもう一度上を見上げる。

「兄さん、口笛なんて吹けたっけ……」


 街のにぎわいに、ザクロは圧倒されていた。きれいな街だ。道路は石で舗装されて歩きやすく、見やすい位置に大きな時計塔が立っている。白いレンガで作られた家々が立ち並ぶ様は、絵本の挿絵のようだ。

 多くの人々が行き交い、店先では店主が大声で商品を勧めている。チーズ、ワイン、干した魚、艶やかな透けた布、無骨で丈夫そうな剣、毛並みのいい牛や馬。様々なものが並び、やり取りされている。

「坊や! お出かけかい?」

 キョロキョロしながら歩いていると、若い男に声をかけられた。黒いマントを肩にかけている。絵本で見た魔法使いみたいだ。

「うん! 弟と旅行してるの! それでね、この街には竜が住んでるって聞いて、会いに来たんだ!」

 にぎわいにかき消されないよう、声を張り上げる。男は、露天の店主をしているらしい。店は、荷車を改造した屋台だ。どうやらこの男も流れ者のようだ。

「へえ、竜か! 君たちは不思議なものが好きなのかい? それなら、うちの店はお役に立てると思うよ!」

 見てごらん、と男は荷車の中身を指差す。色々なものがないまぜにゴタゴタ置かれている。僕とクオンの部屋がこんなんだったら、きっと母さんは怒るだろうな、とザクロは思ったが、どうやら男にはわかる区分があるらしい。

「あれは千年生きた猫の尻尾。これは引き抜くと泣き叫ぶ鉢植え。これは未来が見える望遠鏡だ。流れ星のかけらに、月から落ちて来た雫もある」

 ガラクタの山の中から、男は次々に商品を取り出す。興味がないことはないけれど、どれもピンとこない。

「うーん、僕はどれもいらないかな」

「じゃあこの首飾りは? 嵌ってる石自体は普通のものだけど、この前石の採掘場が火山の噴火でなくなってしまったから、もう手に入らない貴重な石なんだ」

 次に出て来た赤い石の首飾りにも、ザクロは首を横に振った。

「それならこれはどうだろう。失恋した人魚が流した涙だよ」

「人魚のはいらないかな。竜の涙はない?」

 これはおかしなことを聞くね、と男は目を丸くして、手を叩いて笑う。

「竜が涙を流すなんて、そんなことあるはずがないだろう? 彼らは冷酷で残忍な、災厄の化身なんだよ?」

 ザクロは首をかしげた。少なくとも、クオンはそうではないと思うけど。ああ、でも、冷酷っていうのはその通りかもしれない。クオンにとっては、首吊り死体は待ち合わせの目印らしい。

「災厄の化身?」

「この街にいた竜もね、ここに災いを持って来たんだって。それで街の人は協力して竜の魔女を打ち倒したんだ」

「ええ、倒されちゃったの? せっかく会いに来たのに。その竜はなにをしたの?」

 きっと、とてつもなく悪いことをしたんだろう。

「さあ、わからないな。僕もこの前この街に来たばかりだから。噂では、人の姿でこの街に紛れ込んで悪さをしていたそうだよ。病気を流行らせようとしたとか、井戸を使い物になら無くしたとか、畑の作物をダメにしたとか」

「そうかー。教えてくれてありがとう。じゃあ、僕はもう行くよ。次の竜を探しに行かなきゃ」

 クオンのところに帰ろうとしたザクロを、男が呼び止めた。

「そんなに会いたいんだったら、会いに行けばいい。災厄の竜は、まだ生きているんだって。何度処刑しても死なないそうだ」

「処刑?」

「首を縄でくくって、木から吊るすんだ。普通の人間なら首がしまって死ぬんだけど、彼女は竜だからいつまでたっても死なずに、まだ生きたまま吊り下がってるんだよ」

「それってもしかして、枯れ木の森に吊るしてあるの?」

 ザクロは嫌な予感がして、恐る恐る尋ねた。もしも、あの首吊り死体がその竜だったら。噂の通り、恐ろしくて悪いやつだったら。

「どうしてわかったんだい?」

「僕、見たんだ。それで、弟をそこに置いて来ちゃった……どうしよう」

「なんだって!? 災厄の魔女のところに弟を置いて来た!?」

 通りすがりの人々が、露天の男の声に驚いて一斉にこっちを見た。

「大変じゃないか! 今すぐ助けに行こう!」

 また、別の誰かが声を張り上げた。

「心配するな坊や。俺たちも一緒に助けに行こう」

 町中の家々から、たくさんの人が現れる。人から人へ子供が危ないらしいという話が伝播する。

 気がつくと、ザクロの周りにはたくさんの有志が集まっていた。


 クオンは暇を持て余して、丸くなってまどろんでいた。

 長時間飛ぶのは疲れた。枯れ木の森を吹き抜けて行く風の音が心地いい。

 木の枝が軋んだ音がして、上を見上げる。風に吹かれて、少女の足が揺れている。揺れていた足がぐっとつっぱり、足の指が丸まった。

「ふわぁ、よく寝た。今もうお昼くらいかしら」

 少女は吊るされたまま体を伸ばしてあくびをしている。クオンは面食らって目を瞬かせた。

「生きていたんですか」

「あらこんにちは。見かけない竜ね」

「こんにちは。僕は最近、人間から竜になったものです」

「それじゃあ私と反対ね。私はこの前人になった竜なの」

 くすくすと少女が笑うたび、振動が縄を伝わって木が軋む。

「どうして人になったんです?」

「人間と一緒に暮らしてみたかったの」

 ごうっと強い風が吹いた。少女の体が振り子のようにゆらゆらと振り回される。ボサボサの髪から、汚れがパラパラと落ちる。赤茶色のその塊は、どうやら乾いた血のようだ。

「どうして大人しく吊るされているんです?」

 なにがあってこの有様なのかはわからないが、縛られているわけでもないし、見張りがいるわけでもない。簡単に逃げられるだろうに。何か、逃げるのを邪魔するものがあるんだろうかと、クオンは辺りを見回したが、それらしいものはなにもない。

「私がここに吊るされているとね、あの町が平和なの」

「それは……なぜ?」

「さあなぜかしら? 私にもよくわからないけど、人間の習性のようなものじゃないかしら。群れの中の一人を攻撃していると、その一人以外が強く結束するのよ。不思議ね」

 ふふふ。と微笑んで、彼女は首をかしげた。痛々しい縄の跡が、首筋に赤黒く張り付いている。

「だからと言ってあなたが吊るされてやる筋合いはないでしょう。今すぐ逃げるべきです」

「ええ、そうね。でも、私が逃げると、あの町の人は、また別の人を吊るすの。その人は竜じゃないから、きっと死んでしまう。そしてね、吊るされそうになった人は、死にたくないからって別の人を告発するの。「私じゃない。魔女はあいつだ」って。その連鎖は、ずっと止まらない。一人ずつ死んでいくの」

 少女の目が、町の方へ向けられた。彼女は愉快そうにゆらゆらと体を揺らす。

「こうしていれば、私は人間の一員でしょう? 私は人間の仲間なの」

「違う!」

「どうして? これは人間の習性なのでしょう? その習性の一環にいるのなら、私も人間よ」

 少女は、嬉しそうだ。掠れた声でくすくすと笑う。ささくれまみれの指を縄に這わせる。

「おーい! おーい! クオン! おーい!」

 遠くからザクロの声がする。案の定、口笛は吹けなかったらしい。

 こっちだよ、と返事をしようとしたが、違和感を覚えてやめた。ザクロ以外にも、クオンを呼ぶ声がする。この街に知り合いがいた覚えはない。

「街の人たちだわ。あなたは隠れていた方がいい」

 竜に言われた通り、近くにあった大きな木の陰に身を隠す。すぐにわらわらとたくさんの人間が現れ、竜を取り囲んだ。人々は敵意を持った目で竜を見つめ、手には金槌や包丁を携えている。先頭にいるのはザクロだ。

「こんにちはみなさん。今日も来てくれたのね」

「僕の弟を知らない? キラキラしてる大きい子なんだけど」

「さっきまではここにいたわ」

 その返答に、人々がざわつく。群れの中の一人が、少女に石を投げた。

「子供を殺したな!」

 それを引き金に、他の人間も次々と石をぶつけ始める。気がつくと、ザクロも少女に向かって石を投げていた。

「クオンになにしたのさ!」

「兄さん! 違う!」

 クオンが木陰から姿を表すと、人々は悲鳴をあげた。

「化け物だ!」

「クオン! よかった!」

 無事なクオンを見て、ホッと息をついたザクロに、誰かが石を投げた。

「騙したな! 悪魔め! 俺たちをここへ誘い出す罠だったんだな!」

「えっ!? 違う違う! あれが僕の弟なんだよ!」

 誰かのフライパンが、ザクロの頭上に振り上げられた。クオンが兄を呼んで叫ぶと、その轟きで人間たちは体を竦みあがらせた。

 すうと深呼吸して、腹に空気をため込んだ。ザクロが「やめろ!」と叫んだ気がしたが、もう止まらない。クオンは人々めがけて炎を吐き出した。

 空気が燃える音に混じって、かすかに悲鳴が聞こえた。人々はほうほうの体で街へと逃げていく。

 散った火の粉が枯れ木に落ちた。乾燥した森は、瞬く間に炎に包まれる。

 ロープの上を、炎が這っていく。脆くなった縄はぶつりと切れ、少女は地面に落ちた。

 爪の剥がれた足で、少女はしっかりと立ち上がる。燃える森を見て、小さくため息をついた。

「なんてことなの。私を吊るすところがなくなってしまったわ」

 柔らかな目尻からポロポロと涙が落ちた。

「この涙、持っていていいわよ」

「……ありがとう。兄さん、お願い」

 ザクロは、少しだけためらって、角の水筒に涙を収めた。

「あなたは、まだ逃げないんですか」

「そうしたいけれど、きっと彼らはもう、私に近づいて来てはくれないでしょう。別の街に行くわ」

 それがいい、とクオンはうなづいた。ザクロは釈然としない顔で二人を見ている。

「あなたも人間になりたいのね。わかるわ。その気持ち」

「僕にはあなたの気持ち、わからないです」

「きっといつか、わかる時が来る。だって、あなたは人間と共にありたいのでしょう? 私もそうなの」

 首にかかっていた縄を外し、少女は自由になった。燃え盛る炎をものともせず、森の奥へ消えていく。

「ねえ、あの人って悪い人なんじゃないの? 街の人たちが悪口言ってたよ?」

「そういうのを、すぐ鵜呑みにするの良くないと思うよ」

「そうなの? 嘘をつくような人たちには見えなかったけど。さっきも、クオンが危ないって思って来てくれたんだ。話せばわかってくれただろうに、燃やすことないだろ」

 いつも通りのなんでもないような顔で、ザクロは首をかしげている。この程度の認識で人に石を投げつけたのかと、クオンは内心で呆れた。

「ゆっくり話すよ。あの人はね……」

城へ行く→8へ

渓谷へ行く→7へ

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