第2話 森の竜

 風なんてすぐ止むだろうとタカをくくっていたが、二人はぐんぐん運ばれてしまう。クオンの足をつかむザクロの手が、鱗で傷ついて血が流れた。街を出て、森を通り抜け、いつか遊びに来た洞窟の入り口あたりで、ようやく地面に足をつけることができた。

 洞窟の周囲は、ぽっかりと空き地のように木々が避けていて、見通しがいい。洞窟は広く、大きい。今のクオンでも余裕を持って中に入れる。

 この前二人で遊びに来た時は、入ってしばらく歩くと元のところに帰って来てしまって、全然探検できなかった。きっと、入り口が大きいだけで中は狭く、一本道が円を描いているから、しばらくすると入り口につくのだろう、というのが二人の見解だ。

「ここって、竜がいるっていう洞窟じゃん。なるほど、クオンってば頭いいね。竜のことは竜に聞こうってことか!」

「いや、風に流されてただけなんだけど……そもそも竜なんていなかったじゃないか」

「でも今はここにクオンがいるから、あの話はほんとってことになったな……ねえ、あれ、あんなのこの前来た時あったっけ?」

 ザクロが指差す先には、大きな看板が立っていた。木でできた看板で、そう新しいわけでもないけれど、確かにこの前来た時はなかったものだ。二人は月明かりに目をこらす。

『よく来たね。入るといい』

 達筆な文字で、書かれている。

「よし、入ろう! 今度こそ竜に会えるかもしれない!」

「……兄さんは家に帰った方がいい。母さんが心配するよ。もしかしたら、ここにいるっていう竜が元に戻る方法を教えてくれるかも。そしたら、僕も家に帰るから」

「ダメだよ。僕だけ帰るなんてそんなの嫌だ。クオンを一人で置いていけない。それに、僕も竜に会いたいしね」

「竜にならもう、僕に会ったじゃないか。いいから帰るんだ」

 カラン、と木がぶつかる軽い音がした。見ると、さっきの看板の隣に、もう一つ看板が立っている。

『人間の子も来るといい。歓迎しよう』

「……増えたね」

「えっ、なにあれ。勝手に動いたよね? えっ?」

 今度は、洞窟の上から紐で吊るされた木の板が降って来た。そこにも、同じく達筆な文字が書いてある。

『すごいだろう? この仕掛け作るの、結構大変だったんだ』

「へ、へえー」

『中に入ればもっとすごい仕掛けがたくさんあるんだけどなー! せっかくだから見て欲しいなー!』

 今度は洞窟の壁の一部が崩れて、横向きに木の板が生えてきた。ザクロは目を輝かせて、次々と出てくる看板を指でつついて調べ始める。

「ねえ、早く入ろうよ! もっとすごいものがあるんだって!」

「ダメだよ、危ないかもしれない。もし本当にここにいるのが竜だったら、ザクロなんか簡単に殺せちゃうよ」

 洞窟の奥から、鹿が優雅に歩いて出て来た。その鹿の角には木の板が挟まっている。鹿は二人の前に看板を置くと、また元来た方へ帰って行った。

『うーん、やっぱりそう思う? 竜って怖いもんね。大丈夫だよ。その鹿は僕の友達。つまり、僕は肉を食べない竜なのさ』

「……鹿だったね」

「嘘でしょ?」

 もぞもぞと、目の前の地面が盛り上がった。土の中からモグラが顔を出し、でんと木の板を置いて、また潜って行く。

『ふふふ、僕は動物と言葉を交わすことだってできるのさ! 暇だったからね。覚えたんだ』

 もう一度モグラが顔を出し、しまった、置き忘れたと言った様子で、もう一つ木の板を置いた。モグラは、自分をじっと見つめるザクロと目があって、慌てて土の下に潜っていき、もう出てこなかった。

『君たちの助けになる話をしてあげる。僕は暇人だから、色々知っているのさ。二人一緒に、聞きにおいで』


 入ってみると、前と違って入り口に戻ることもなく、どんどん奥へ進んでいける。

 洞窟の中は呆れるほど手入れが行き届いている。ここの住人が暇人だというのは本当らしい。岩でできた洞窟の中だというのに、砂埃一つ落ちていない。小石は所々で綺麗な山の形に積み上げられ、岩肌の壁はツルツルに磨き上げられている。いたるところに天窓が開いていて、そこから差し込んで来る月の光で、洞窟の中だというのに視界には困らない。

「これなんだろう?」

 ザクロが、積み上げられた小石の山の前で立ち止まった。いくつかある山のうち、その山にだけ、小さな紙切れが貼り付けてあり、太い縄で固定されていた。その縄をザクロが指でツンツンつつくと、小石が一つ、転がり落ちた。それをきっかけに、一気に山が崩れた。

「あっ、やっば。やっちゃった。怒られるかな?」

「もー、人んちのもの勝手に触っちゃダメでしょ」

 恐る恐る二人は石の山を覗き込む。生暖かくて強い風が石の山から吹き出して、二人は思わず目を閉じて後ずさった。ザクロが少々バランスを崩して、地面に手をついた。すると今度はそこがへこんで、ザクロはさらにバランスを崩す。

「すごい仕掛けって、これのこと? なんかしょっぱくない?」

「……違うよ」

 クオンの前には、壁に埋め込まれた木の板があった。それがくるっと回転して裏面がこちら側に向くと、そこにも文字が記されている。

『あーあ、やってしまったね君たち。それは泥棒用に作った仕掛けなんだよ。頑張って切り抜けてくれたまえ』

「え? まだなんかあんの?」

「下がって!」

 洞窟の奥から地響きが近づいて来る。腹の底に響く、重たい音だ。なにか来る。きっと危ないものだろう。ここにたどり着く前に、盗賊たちにしたように、火を吐いてやっつけてしまおう。すうっと息を吸い込んで、お腹に力を込める。しかし、さあ吐き出そうというところで、目の前にまた看板が生えてきた。

『やめたまえ。ここは洞窟の中だ。君はともかく、人間は蒸し焼きになってしまうよ』

 グッと炎を飲み込んだ。口の中が熱い。地響きはどんどん近づいて来る。

 こちらに迫って来るものの正体が見えた。大きな丸い岩だ。岩がこちらに転がって来ている。

「そんな古典的な!」

 クオンの言葉に反応するように、また地面から看板が生えてくる。

『失敬な、これはここからが本番なのさ』

 クオンは体を丸めて硬くなり、衝撃に備える。しかし、いつまでたっても衝撃は襲ってこない。うす目を開けて確かめると、岩はクオンの前でピタッと動きを止めていた。

 岩の表面がひび割れ、小さな塊に分かれていく。その塊の一つ一つは人の形に変わり、こちらに向かって来る。それぞれの大きさはクオンの足ほどだが、数が多い。人形の拳が、クオンの鱗を叩いた。透明な鱗がひび割れ、破片が飛び散る。

「うわあ、なんだこれ!」

「ゴーレムだ!」

「なんだって!?」

「ゴーレム、土人形だよ!」

「クオンは物知りだなあ! なんでそんなこと知ってるんだ?」

「本で読んだんだ! それより僕の背中に乗って! そいつらに殴られたら、骨くらい一発で折れちゃうよ!」

 ゴーレムとは、魔術師が土に命を吹き込んで作る、動く人形である。とクオンが読んだ本には書いてあった。その本に載っていたゴーレムはバカみたいに大きかったけれど、こいつらはそうでもない。きっと、ここのドラゴンが洞窟に合わせて作ったのだろう。

 ザクロがクオンの背中に飛び乗ると、鋭い鱗がズボンを引き裂いて内股を傷つけた。

 思い切り足を振り上げて、ゴーレムたちを踏み潰す。一度はバラバラに壊れるものの、すぐに破片が寄り集まって元のように再生していく。

『一つ、ヒントをあげよう。そいつらに関しては僕が悪いしね。お客さんが来るというのに、しまうのを忘れていたよ。なんてったって、それを作ったのは百年も前だから』

 そろそろ木の板に飽きて来たのか、今度は白い布の垂れ幕が落ちて来た。

「ヒントって!?」

 クオンの問いに答えるように、布がスルスルと伸びて続きが現れる。

『そいつらの力の源は魔力だ。魔力、わかるかな? 魔法の力さ。君は本で読んだらしいから、知っているはずだね? その岩は、魔法の力が流れることによって動いている。つまり、魔力を断てば動きは止まる。その仕掛けを起動する方法を、君はもう知っているだろう?』

「兄さん! さっきこけたとこ、どこ!?」

「えっと、どこだっけ? 小石の山の前だ!」

「もう一回押して!」

「わかった!」

 魔力は、流れるもの。きっと、街の用水路の水のようなものだろう。用水路には堰があって、それを操作することで流れを調整していた。きっと、このゴーレムたちにとっての堰が、さっきザクロが触ってしまった部分だろう。クオンはそう見当をつけた。

 ザクロはクオンの背中から飛び降り、ゴーレムたちをかいくぐって、さっきへこんだ場所を押した。

 すると再び地響きが聞こえ始める。嫌な予感に、クオンは洞窟の奥へ目を凝らした。

「押したよ!」

「ごめん、違ったみたい」

「え?」

「二つ目が来ちゃった」

「ちょっとー!」

 洞窟の奥から、また大きな岩が転がって来る。ゴーレムたちを止めるつもりが、増やしてしまった。

 今度の岩には、ドラゴンからのメッセージボードが埋め込まれたいる。

『そこを押したらゴーレムがくるっていうのはさっき体験済みだろう!? どうしてまたやるのさ!』

「岩に仕掛けしてる暇があるなら、それ止めといてよ!」

 二つ目の岩もバラバラと分裂し、ゴーレムに変形する。いよいよまずい。身体中の鱗が砕かれてしまう。

 あれを止める方法を、クオンは知っているらしい。そんなこと言われても、わからないものはわからない。

「やるのか!? 来いよ! 僕がやっつけてやる!」

 ザクロは拾った石を投げつけて、必死で応戦するが、その程度で対抗できるはずもなく、じりじりと壁際に追い詰められていく。

 ザクロの投げた石が、鈍い音を立てて壁の岩盤に当たった。すると、上から金だらいが降って来て、ゴーレムの頭に直撃した。

「わあ、やったあ! クオン、ここ、他にも色々仕掛けがあるみたいだ! 使ってみよう!」

「なにが起きるかもわからないのに!?」

「試してみる価値はあるよ!」

 またザクロが石を投げた。石が当たったところの壁が上に持ち上がっていき、隠し部屋が現れた。そこには宝箱がしまわれている。

「やった! お宝見つけた!」

「ちょっと、そんなことしてる場合じゃないでしょ!」

 ザクロが宝箱に近づくと、宝箱がひとりでに開いた。箱の中には鋭い鉄の牙がびっしり生えている。宝箱はザクロに噛みつこうと襲って来た。ザクロが悲鳴をあげて逃げ出すと、宝箱は手近にいたゴーレムにターゲットを変えてそいつに噛み付いた。

 暴れるゴーレムと宝箱が、ピョーンと高く跳ねた。ゴーレムが天井に頭を打ち付けて砕ける。すると、天井に無数の穴が空いて、上から槍が雨のように降って来た。クオンの鱗はそれらを全て弾き、ザクロは手近にいたゴーレムを盾にした。顔の横を槍が落ちていき、冷や汗をかいた。

 クオンもそれを真似て、壁を翼でベシンと叩いた。ぱかっという音とともに床がなくなり、ゴーレムたちが次々と落ちていく。クオンは翼を広げて宙に止まり、危うく落ちかけたザクロの襟首を爪で引っ掛けた。

「ふー、なんとかなったね」

「なんか、正攻法じゃない気がするけどまあいいか」

 落とし穴の縁にザクロを下ろすと、クオンもその場に降りた。カチリと足元で音がした。二人は、嫌な予感に顔を見合わせる。案の定、次の仕掛けが動いたらしく、洞窟の奥からまた何かやってくる。

 それは、大量の水だった。洞窟の天井近くまである波が、二人を押し流そうと迫ってくる。

「うわあ」

「どどどどうしよう!? クオン、竜って泳げる? 僕泳げないから乗せてくれない!?」

「泳げてもあれは無理でしょ」

「なんで諦めるのさ! もうちょっと頑張ろうよ!」

 水が近づいてくる。水の勢いでここにくるまでの仕掛けが全部作動しているらしく、水の中には色々なものが混ざっている。鋭い棘の生えた鉄の玉、ピカピカに磨かれた剣、カビの生えたぞうきん、カタカタ動く鎧、鎖に繋がれた狼の骨。そんなものが、いっしょくたになって、こっちに迫ってくる。

「兄さん、僕の尻尾につかまって」

「尻尾? わかった」

 ザクロがしっかり尻尾を掴んだのを確認すると、クオンは尻尾を落とし穴の中に垂らした。穴の底で蠢いているゴーレムたちが、ザクロを引き摺り下ろそうと攻撃してくる。

「ちょっと! 危ないだろ! うわっ、くるな!」

「大人しくしてて!」

 クオンは大きく息を吸った。お腹に力を込めて、足を踏ん張る。口を大きく開けて、思い切り炎を吐き出した。確か、熱い空気は上へ登るはず。これで、多少はマシだろう。

 水と炎がぶつかり、じゅうじゅうと音を立てる。衝撃で少し先の天井が吹き飛んだ。炎に触れたところから水が蒸発していき、水と一緒に流れて来たものが燃えていく。熱でドロドロになった鉄が、地面に落ちた。さらに強く炎を吐き出す。水が蒸発する音がだんだん弱くなっていく。遠くでドーン、と大きな音がして、クオンはやりすぎてしまったことを察知した。

「あっ、やば」

「クオン? なにしてるの? 大丈夫?」

「うん。でも、ちょっと怒られるかも」

 穴からザクロを引っ張り出す。ザクロは「ふうやれやれ」と息をつくと、足にしがみついていたゴーレムを引き剥がして、穴の中に捨てた。

「うわっ、あっつ。これクオンがやったの? 沸かしすぎたお風呂場みたい」

「うん、まあね」

 そこから先の道行きは、安全なものだった。仕掛けは全部作動してしまっているので、壁から顔を出しているバネやら、天井からぶら下がっている鎖やらを避けて歩けばそれでよかった。

 一番奥には大きな扉があった。しかし扉は破れて消し飛んでいて、跡形もなくなっている。扉の向こうからは、ウンウン唸る声が聞こえてくる。

「あのー……こんにちは……」

「ああ、君たちかよく来たね。おかげさまで大忙しだよ。嬉しい嬉しい。暇は楽しく生きる上での大敵だからね。さ、どうぞ入って」

 促されるままに部屋へ入ると、中はひどい荒れようだった。ありとあらゆるものが散乱して足の踏み場がない。そもそもは綺麗な部屋だったのだろう。広い部屋だ。天井も高い。床や壁には隙間なく石が敷き詰められていて、平らに加工されている。竜にとってはちょうどいい大きさの本棚や飾り棚があちこちにあるのだが、全部倒れてしまっている。

 あちこちで書物が燃えている。分厚い本も綺麗な巻物も例外なく、端っこに火がついていて、チリチリとのたくっている。炎と煙を怖がっているのか、鹿が部屋の中を走り回り、ウサギが平積みされた本の山の上を飛んで行く。飾り棚は倒れて、その下には割れた瓶がゴロゴロ転がり、中の液体がこぼれて混ざり合っている。そこから上がってくる臭気はひどいもので、二人は思わず顔をしかめた。

「いやあ、僕は人間の子供というものを甘く見ていたよ。全く予測がつかない。ゴーレムを倒すために僕の仕掛けを利用するなんて。本当は体のどこかにあるお札を壊せばよかったんだけどね。しかし、流水の罠は失敗だったな。他の罠を全部ダメにしてしまった。もう一回作り直さなきゃ。ちょっと待ってね、今座るところ作るから。あっ、やばい。借用書燃えちゃった。これじゃ、渓谷の竜から取り立てられないなあ」

 荒れ果てた部屋の中を、竜が四本足でせかせかどしどしと歩き回っている。クオンよりもひと回りもふた回りも大きい。椿の葉のような濃い緑色の、透き通った鱗をしている。太い尻尾で瓶の破片をなぎ払い、弱めに吐いた小さい炎で怪しい液体を消しとばす。太く鋭い爪で器用に倒れた棚を引っ掛けて戻し、その傍ら、翼を器用に動かして燃えている書物の火を叩いて消していく。

「なんであんなに仕掛け作ったの? すごく大変だったよ」

「いやあごめんごめん。楽しくなっちゃって。凝り性なんだよね、僕。また一から作り直しだと思うと、心が踊るよ。普段は間違えて入り込んで死んじゃわないように、入り口を閉じろって動物たちがいうから、なかなか披露できなくてさ、君たちが来てくれてほんとよかった。さて、試練を乗り越えた冒険者には、ご褒美をあげないとね」

 緑色の竜は、天井からぶら下がっていた縄に鉤爪を引っ掛け、下に引っ張った。すると、上から紐で吊るされた丸い玉が降りて来た。玉はぱかっと二つに割れて、中から色とりどりの紙吹雪と「おめでとう」と書かれた幕が現れた。

「ふふふ、やってみたかったんだよね、これ」

 竜は満足げに鼻を鳴らしている。降ってきた紙吹雪が鼻息でくるくる散っていく。

「最近暇でさ。お客さんは大歓迎だよ。今日はもう遅いし泊まっていきなさい。あっ、迷宮突破のご褒美にこれなんかどうだい? マンドラゴラの干物。これだけだと毒だけど、うまく調合すれば万能薬が作れるよ」

「それで僕が人間に戻ることってできますか?」

 竜がじっとクオンを見た。そして、爪で顎の下をかき、ほほうと息を漏らす。

「君のような竜は久方ぶりに見るよ。突然そんなことになったら随分難儀だろう。なるほど、風が僕のところへ来るわけだ。うん、いいよ。助けてあげよう。この干物は効かないけどね。それは病気じゃないんだ。本来ならその気さえあればすぐにでも人に戻れるはずなんだけどね。うん、君の場合は大変そうだ」

 竜が石畳の一つをグッと押すと、二人の目の前にふわふわのクッションが飛んで来た。

「座りたまえ。それは雪山に住むウサギの毛を集めて作ったものさ。座り心地は抜群だよ。さて、少し話をしよう。君は、竜になる前、宝石を飲み込んだんじゃないかな?」

「そうです。どうしてそれを」

「それにまつわる話を知っているからさ。君たちにも聞かせてあげよう」


 昔の話なんだけどね。人間に恋をした竜がいたんだ。変わってるだろ? そいつは、自分の竜の部分を体から抜き出して、一つの宝石にまとめた。そうやって人間になって、会いにいったんだ。結婚を申し込むつもりだった。

 でも、姿形が変わりすぎて、人間にはそれが誰だかわからなかった。「お前は誰だ」と言われて激怒した竜は、人間の喉笛を噛み切って血をすすり、その心臓を飲み込んだ。

 心臓っていうのは不思議なものでね、どうやら心はそこにあるらしいんだ。心臓を食べた竜は、姿ではわからなかっただけで、人間も自分を好いていたことを知った。でも、もう遅い。

 後悔した竜は、愛した人が大切にしていたものを守ることに決めた。人間は、土地とそこに住む人をとても愛していた。竜は、この地を愛し、そこに住む者を愛した。その竜こそが、君たちが住んでいた国の、初代の王だよ。

 ここからは人づてに聞いた話なんだけどね、王家の人間、つまり初代の王の子孫の中には、時々竜の血を受け継いで生まれてくる子がいるんだ。そういう子は、宝石を握りしめて産声をあげるそうだ。その子達は、自分の宝石を体に取り込むことによって、変身すると伝えられている。

 君たちの街の近くに、お墓があっただろう? あそこの石版にはまっていたのは、歴代の王族たちの宝石だよ。

 それでね、結構最近の話なんだけど、十年くらい前だったかな? 宝石を持った赤ん坊を連れてここに来た女の人がいたんだ。その人は「このままだとこの子は殺されてしまうから、預かって欲しい」と言った。でも、僕は断った。ドラゴンと人とだと、生態が違いすぎて、きっとうまくやれないから。僕、一回寝たら五年くらい起きないからね。その間に子供が飢え死にしてしまうよ。

 その代わり、その子が生きていける場所を教えてあげた。まず、宝石を封魔のペンダントにしまいこんだ。それから、ここを流れていく風に乗って歩いて行って、最初についた家に預けるといいって教えたんだ。

 君はきっと、何かの事情で切羽詰まって竜になったはいいものの、何が起きたかよくわからないんだろう? いいだろう。先行きを示してあげよう。いい人だねって? 褒めないでくれよ。僕はこういう性質のものなんだ。

 一つ覚えておいて欲しい。君は不完全な状態で竜になったんだ。多分なんだけど、飲み込んだ宝石に傷があっただろう? 結構大きく、えぐられたような傷が。そのせいで、微妙に竜の力が足りていないのさ。ほら、そこの鏡を見てごらん。体にヒビが入っているだろう? それはゴーレムにやられたものじゃない。変容に失敗した時の傷だ。いずれその亀裂は大きくなって、体を砕く。君は砕けて、無数の石ころになってしまう。

 その傷を治すのは、竜の力だ。僕からも少し分けてあげよう。大丈夫、減るものじゃないから。よく覚えておくんだよ、その傷は、竜の涙で治るんだ。

 ここに、竜の角がある。僕の知り合いの大往生したおじいさんがくれたものだ。これは中が空洞で、水筒になっている。ここに、七頭分の涙を集めて一気に飲み干すんだ。そうすれば、完璧な竜の力が手に入る。ちゃんと、何人分集めたか数えておくんだよ。

 傷口にかけるだけでも多少の効果はあるから、一応やっておくね。これで、少しは期限が伸びるはずだ。

 完全な竜になれたあと、そのまま竜として生きるか、人に戻るかは君次第さ。

 それから、君。人間の君だよ。えっと、ザクロ君。君はこの旅について行くつもりだろう? それはとてもいいことだ。

 竜の君、クオン君だったね。君は反対しているようだが、ザクロ君が君の旅立ちを止めることができないように、君にもザクロ君の旅立ちを止めることはできないのさ。

 きっとザクロ君がついて行かなければ、クオン君はすぐに身も心も竜になって、人間であったことも忘れてしまう。心は体に引っ張られるからね。精神というものは、それを誰かが認識してくれて初めて存在できるんだ。「君が元は人間であった」と知っている者がそばにいることが、君の人間性をつなぎとめるだろう。

 君たちが一緒に旅ができるよう、三つのまじないをかけてあげよう。一つ、食べ物に困りませんように。二つ、困った時に、助けが現れますように。三つ、あらゆる鉤爪、あらゆる牙が、君たちを避けていきますように。

 それからこれが必要かな? これは魔法の鞍だよ。どんな生き物の背中にも載せることができて、鞍に跨ったものが振り落とされることはない。空の寒さからも守ってくれる優れものだ。これがないと、クオン君の背中にザクロ君を乗せた時に、鱗が擦れてザクロ君が血だらけになってしまう。

 さあ、旅に出るといい。出発は明日だ。この近くに住んでるのは、火山の竜と海の竜だね。 君たちに、希望の風が吹きますように。

海へ行く→4へ

火山へ行く3へ

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