竜の宝石
櫂矢 真衣
第1話 変身
昔々、あるところに人間に恋をした竜がいました。
人間は言いました。
「竜と人は共には生きられません」
それを聞いた竜は、竜であることを捨てました。
人間のやわらかい肌を削らないように、鱗を捨てました。
同じものが食べられるように、牙を捨てました。
目の高さが同じになるように、大きな体と翼を捨てました。
捨てたそれらをくしゃくしゃに丸めると、へし折った自分の角で入れ物を作って、そこに詰め込んで蓋をしました。
そうして人の姿を手に入れた竜は、人間に会いにいきました。
人間には、それが誰なのかわかりませんでした。
クオンは読んでいた本をパタンと閉じた。物心ついたころからずっとある絵本だ。古くなって角が毛羽立ち、あちこち汚れている。この本には、最後の数ページがない。この話の結末を、クオンは覚えていない。なぜないのかと聞くと、母さんは「あなたとザクロが喧嘩した時に破れてしまったのよ」と言っていた。
今度は別の、少し分厚い本を取る。背表紙には『竜の生態』と記されている。そこにはこう書かれている。
『竜とは災厄の化身。自然の分身。世界のかけら。めったに人前に姿を表すことはないが、生命のあるところには必ず存在すると言われている。見た目はそれぞれ違っているが、その多くがトカゲによく似ている。コウモリのような羽根のない翼で空を飛び、大きな口からは全てを焼き尽くす炎を吐き出す。時として人の世に滅びをもたらすが、また時として恵みを与えることもある』
文章の横には、緻密に描かれた絵がいくつも載っている。こちらもやはり、紙がボロボロだ。
その本も閉じて、うつ伏せで寝転ぶ。おなかが圧迫されて痛かった。ペンダントが下に入り込んでいるせいだ。
クオンの首には、ずっと昔からロケットがぶら下がっていた。中身はわからない。結構大きくて、正直邪魔だ。
昔は、光沢のある紫色の本体を銀の縁取りが飾っていたのだけれど、遊びにいく時も水浴びする時も寝る時もつけたままなものだから、今ではすっかり傷だらけで、あちこち掠れている。
母さんは「本当に困ったとき以外は開けてはいけないよ。肌身離さず持っているんだよ」と言う。どうしてなのかはわからないけれど、母さんが言うならそうなんだろう。ロケットの蓋はいつも、銀の留め金で固く閉ざされている。
毛布にくるまって、表面を指で撫でる。いつできたかもわからない傷が、でこぼこと指の腹に引っかかる。
ロケットを手の中で転がしながら、クオンはいつも考える。困ったとき以外は開けてはいけない。それはつまり、困ったときに開けろという事だろうか。開けたらなんとかなるという事だろうか。両手で包めばすっぽり収まってしまう大きさのペンダントに、困りごとを解決できるようなすごいものが、果たして入っているだろうか。
部屋のドアが開いた音がした。兄のザクロだろうと、クオンは見当をつけた。本人は忍び足で歩いてきているつもりなんだろうけど、床がギシギシなっていて丸わかりだ。
予想通り、毛布がはぎ取られた。はぎ取ったのはやっぱりザクロだ。
「クオン、遊びにいこう!」
こんな風にはしゃいでいる時、ザクロはいつも、クオンを面倒なところに連れて行く。幽霊が棲みついている廃屋だったり、ドラゴンが眠る洞窟だったり、財宝を積んだ船が沈んだ早瀬だったり。いつも幽霊もドラゴンも財宝も、ありはしないのだけど。
「やだよ。もうちょっとゴロゴロしてる」
外を走り回りたくてうずうずしていた目が、クオンの答えを聞いて不満げに曇った。
「せっかくまだ外も明るいじゃないか! 遊びにいこうよ!」
「せっかく人が気持ちよく寝てたのに、邪魔する人とは遊んであげません」
「起きてただろ」
「いや寝てたけど」
「いいだろ! それに今日は、お祭りじゃないか!」
「去年も行ったしその前も行ったし、出し物も毎回似たようなものじゃないか。それに兄さんはさっきまで遊びにいってただろ?」
ふふん、とザクロは鼻を鳴らし、得意げにチッチと指を振る。クオンは内心ため息をついた。きっとまたろくでもないことを思いついたのだろう。そうでなければ、祭りで酔っ払いに余計なことを吹き込まれたか。
「今年の僕は去年までの僕じゃないのさ。いいかクオン。想像力を働かせるんだ。祭りの主催は誰だ?」
「王様だね」
初代の王が誕生した日を記念する祭り。それが今日だ。屋台が城下町にたくさん現れ、城からは一日中楽しげな音楽が流れている。窓から外を見れば、人々がにこやかに行き交っている。
ザクロはそういう場が好きだからいい。でもクオンは、人ごみが苦手なのだ。障害物が多すぎる。歩きづらい。
部屋の中からでも音楽は聞こえるし、屋台のご飯は、ザクロや母さんが買ってきてくれる。パレードや楽団の催し物は、二階の窓からの方がよく見える。毎年そう思って家でじっとしていようと思うのに、毎年ザクロに引っ張り出されてしまう。
「そうだ。つまり、この祭りは王様が開催しているんだ!」
「わかってるけど。そんなこと」
うぐ、とザクロが言葉に詰まった。クオンにそんな意図はなかったが、少し傷ついたらしい。
「話は最後まで聞いてよ」
「わかったよ。聞くよ」
もう一度ザクロはふふん、と鼻を鳴らし、得意な表情を取り戻し、窓の外を指差した。
「つまりだ、お城の兵隊さんは、祭りの仕事に駆り出されているんだ」
窓の外では丁度、槍と盾を構えた兵士が巡回していくところだった。祭りに浮かれて騒ぎを起こす輩は、毎年必ずどこかにいるのだ。
「そうだね。忙しそうだ」
「ということはだクオン、祭りで兵隊さんが出払っているということはだよ? いつも見張りをしている人がいないってことだ! 忍び込めるんだよ、宝石の丘に!」
「……本当に?」
クオンは、ずっとそこに行きたかった。
町のはずれに、小高い丘がある。丘の斜面には、点々と黒い石版が不規則に並んでいる。石版には全てにそれぞれ一つずつ、キラリと光る小さなものが埋め込まれている。それは、一つ一つ異なる輝きを持っていて、眺めていて飽きることがない。例えば、光にかざしたオレンジのようなみずみずしい輝きであったり、グラスの中のミルクのような、とろみのある光であったり。
それらの光があんまりきれいなものだから、きっとあれは宝石に違いないとザクロは言う。クオンもずっと、もっと近くで見てみたいと思っていた。
しかし、丘は高い塀に囲まれていて、入り口は鉄柵の扉が一つしかない。そこにはいつも怖い顔の兵士が二人立っている。中には入れないから仕方なく、クオンとザクロはいつも、近くに立っている木の上から丘を眺めていた。そうして遠くから眺めているだけでも、兵士はクオンたちに気づくと顔をしかめて立ち去るように要求してくる。
その兵士たちが、今日はいないという。
「だから、な? 遊びにいこう!」
ザクロが、手を差し出した。クオンは頷いて、その手を取った。
まだ明るい、といってもすでに太陽は赤く色づいている。街には灯りがともり始め、人々の影が色濃くなっていく。お化けのように揺れる影の間をすり抜けて、二人は森へやってきた。
森の中にはもう、夕焼けの光は届いていない。夜の鳥がどこかで鳴いている。湿った風が木立を揺らした。
「……やっぱやめない?」
ザクロがぶるっと身を震わせた。でも、このチャンスを逃せば、次は一年後だ。そんなの、クオンは嫌だ。
「行こうよ。兄さんが誘ったんでしょ」
「じゃあわかった! 手をつなごう!」
「歩きにくいじゃん」
「はぐれて迷ったら大変だろ? 頼む!」
「ここ、何回遊びに来てると思ってるの?」
「ほら、えーと、あったかいし」
「今真夏なんだけど。……しょうがないな」
ザクロの手は冷や汗でうっすら湿っていた。ゴツゴツした木の根につまづかないように、足元を見ながら歩く。
森の中は音で満ちている。風で木の葉が擦れる。二人が落ち葉を踏む。すると、そこから逃げるようと、虫たちが這い出していく。二人は、周囲を無数の生き物に囲まれているのを感じながら、森の奥へ進む。
丘に着くと、ザクロの言った通り兵士はいなかった。夕日は完全に沈み、ほのかな月の明かりが、鉄の扉を青く照らし出している。
「な? 僕の言った通りだろ?」
今のうちに行こう! と勢いよくザクロが鉄柵に飛びついた。よじ登ろうと上に向かって手を伸ばしたのだが、ギイと重い音を立てて扉が開いた。扉が急に動いたせいでザクロはバランスを崩し、ゴロンと転げ落ちてしまった。思い切り地面にぶつけた尻をさすって立ち上がると、ザクロは目を輝かせた。
「開いてる! ラッキー!」
「え? なんで?」
おかしい。見張りを立てられないなら、むしろ戸締りは厳重にされるはず。クオンはいやな予感がして、走って行こうとするザクロの手を掴んだ。
「やめよう」
「えー? せっかくここまできたじゃないか。開いてるんだし入っちゃおうよ」
ザクロはクオンを引っ張って、ずんずん中へ入っていく。不規則に並んだ石盤の一つに近づいて、目を凝らす。何か文字が刻まれているようだが、暗くてよく見えない。
「ランプを持ってこればよかったね」
「そうだね。あの光ってたのはなんだったんだろう?」
せめて触って確かめようと、手を触れてみる。指先に、なにかぬめりのあるものがついた。
「なんだろ? これ。ぬるぬるする」
「鳥のうんこじゃない?」
「やめてよ兄さん」
クオンは手を伸ばして、そのぬめりをザクロの服で拭い取ろうとした。ザクロはキャアと楽しげな悲鳴をあげて身をかわす。
ざあと、強い風が吹いた。木立がなびいて雲がちぎれて、一瞬だけ、月の光が差し込んでくる。
クオンの指先には、べっとりと血がこびりついていた。
「なに今の! 怪我?」
ザクロがクオンの手を掴んで、ベタベタと触って様子を確かめる。
「違う。僕の血じゃない」
「なんだ、びっくりした。じゃあ動物の血かな」
肉食の動物が獲物を食べた時の血だろうか。それなら、近くに小鳥の羽やネズミの骨が落ちているはず。そう思って、周囲を確かめる。
踵に硬いものが触れた。これが骨だろうかと顔を近づけると、いつも見張りをしている兵士の盾だ。なぜこんなところに、と拾い上げると、盾の持ち手を、誰かの手がしっかりと掴んでいる。その手には、肘から先がついていなかった。
悲鳴をあげる寸前だったクオンの口を、ザクロが塞いだ。
「静かに。誰かいる」
二人は、石盤の陰に隠れた。耳をすますと、遠くの方で雄叫びが聞こえる。獣のようではあるが、確かに人の声だ。
「これはしばらく遊んで暮らせそうですぜ、頭!」
「ふん、墓荒らしもしてみるもんだな。取り残しはねえか! ずらかるぞ!」
見なくてもわかる。盗賊だ。クオンは石の陰でぎゅっと身を縮こまらせた。きっと、宝石を盗みにきたんだ。
「逃げるぞ!」
ザクロが、クオンの手を引いた。でも、クオンはなぜだか、そこを動きたくなかった。奴らを滅ぼしてしまいたい。激しい怒りが腹の底で渦巻いている。
「逃げたら、宝石を持って行かれてしまうよ」
「仕方ないだろ! 僕たちじゃどうにもできない! 兵隊さんを呼んでくるんだ!」
「なんだ? ガキの声だな。オイ、様子見てこい」
気づかれた。木の葉を踏む音が一つ、だんだんとこちらへ向かってくる。どうやら松明を持っているらしく、不安定な赤い光がじんわりと強くなっていく。
「いいかクオン。僕があいつの前に出て行くから、その隙に逃げるんだ。兵隊さんを呼んで来てくれ」
ザクロはそう言い残して、石の陰から出て行った。
「わ、わー、おじさんたちなにしてるの?」
「てめえこそ、こんなとこでなにしてやがる。お頭、やっぱガキです」
「面倒だな。殺せ」
「えー、殺すんですか? 売り飛ばせば結構な額になりますぜ?」
「そんなはした金いらねえくらい、今日は稼いだだろうが」
間に合わない。もしもクオンが思い切り走って逃げて、兵隊さんを呼んで来たとしても、帰ってくる前にザクロが死んでしまう。どうして自分は、まだ見たこともない宝石なんかを気にかけたのか。おかげでザクロが危ない目にあっている。どうにか助けなければいけない。でも、考えなくても、クオンの力で盗賊たちを追い払うのは無理だとわかる。
「本当に困った時以外は、開けてはいけないよ」
耳にタコができるほど、母さんから聞かされた。本当に困ったんだ。開けるなら、今だ。
松明の弱い明かりを頼りに首のロケットを掴んで、留め金に指をかける。長い間閉じたままだった留め金は硬く、力を入れても開かない。
「くそっ! 開け!」
ギチギチと、金具が軋む。力任せに引っ張ると、ばちんと外れて、中身が外に飛び出した。それは松明の光を浴びて、キラッと一瞬輝くと、少し離れたところに落ちた。
それを拾おうと、クオンは走る。盗賊に気づかれたらしい。背後から、ザクロの慌てた声が聞こえた。足音がクオンを追ってくる。
「連れがいたのか。おい、そいつも捕まえろ」
「クオン! 早く逃げて!」
地面に飛び込んで、ロケットから転がり出たものを掴んだ。それは冷たくつるりとしていて、クオンの手のひらにぴったり吸い付いた。同時に足首を強くつかまれて、引きずられていってしまう。小石や枝が身体中に引っかかる。
松明の光が、クオンの手元を薄く照らした。クオンの手の中にあったのは、雨上がりの雫のように透き通った、丸い石だった。ところどころに走った亀裂が、淡い虹色にきらめいた。
その石は、表面が所々削り取られている。削られた傷は白く、どうやら文字が刻まれているようだ。暗闇にちらつく火の光ではよく見えず、目を凝らす。
「たべて」と、そう書かれている。これは食べ物ではない。一瞬躊躇したが、盗賊たちのざわめきが近づいてくる。迷っている暇はない。クオンはそれを口に放り込み、蛇が卵を飲み込むように丸呑みにした。
冷たいものが喉を滑り落ちていった。おうとつが喉のあちこちに引っかかってチクチクする。胸のあたりを圧迫する塊が、だんだん下の方へ下がっていく。
なにかが変わったような気はしない。これで困ったことが解決できるものか。クオンは後悔した。きっと、おまじないやお守りのようなものだったのだ。これがあれば大丈夫だと思い込めることに意味があるのであって、実際になにか起こるわけではないんだ。
「くそっ! 離せ離せ! 僕が相手だ! 離せってば!」
「ごめんね、兄さん」
ついに、ザクロのところまで引きずられて来てしまった。うつ伏せのまま顔をあげて見上げる。ザクロは自分の襟首を掴んでいる盗賊を蹴とばそうと暴れていたが、クオンの顔を見るなり固まってしまった。
「ねえ、そのツノ、なに?」
「ツノ? こんな時になにふざけてるの」
「いや、ほんとなんだってば。これだよこれ」
ザクロの足が、寝転んでいるクオンの頭を蹴った。なにをするんだ、と抗議しようとしたがザクロの足は、頭に届く前に何かに阻まれる。
「なんだこのガキ、変だぞ」
背中で、布の破れる引き攣れた音がした。纏うものがなくなって、背中が空気に触れた。
「ちょっと、服破らないでよ。せっかく母さんが作ってくれたのに」
はるかに自分より強いはずの盗賊が、なぜだか怖くない。お腹に入ったお守りのおかげだろうか。
「兄さんを離して」
盗賊たちが、一歩後ずさった。急にあたりが明るくなった。なにかに反射した白い光で、周囲の樹々や落ち葉、盗賊たちの驚いた顔が照らされている。
「バケモンだ!」
「離してって言ってるでしょ!」
炎が、暗い森を照らした。自らの背後に一瞬現れた巨大な影に、クオンは気づかない。一歩前に踏み出すと、地面が大きく揺れた。
「クオンなの?」
ザクロがいつもより小さい気がする。気をつけていないと潰しそうだ。盗賊も、クオンの半分くらいの大きさしかない。盗賊と同じように、ザクロもぽかんと口を開けている。クオンがその場で足踏みすると、ぐしゃぐしゃと足元が湿っていく。
「もういい! やめろ!」
やめるなんて、そんなの、ダメだろう。不可侵の庭を踏み荒らして、ザクロに危害を加えた奴らは、滅ぼしてしまわないと。
「どいて兄さん」
「やめろってば! やめろ! みんな死んじゃう!」
それのなにがいけないんだ。
森が焼けている。盗賊はいつのまにかいなくなっていた。代わりに、折れた骨の突き出した肉塊があちこちに散らばっている。盗賊がさっきまでたむろしていたであろうところに、なにかがうず高く積もっている。炎で照らされたそれは、煤で汚れてしまってはいるが、石版にはめ込まれていたキラキラであるらしかった。
「きれいだね」
「うん。きれいだ」
それらは、色味や質感こそそれぞれ違えど、さっきクオンが飲み込んだ石によく似ていた。つるりとした石の一つ一つに、周囲の炎が映り込んでチラチラと揺らめく。クオンはもっとよく見ようと顔を近づける。すると、たくさんの石の表面に、見たことのない顔が現れた。
すごく固そうな顔だ、とクオンは思った。全体が角質のようなもので覆われている。トカゲが百年生きたらこんな感じだろう。頭の上には透き通った角が二本、後ろに向かって伸びている。「ねえ」とザクロを呼ぼうとすると、宝石の中の顔も口を開いた。そこには、包丁のように鋭い歯が生えている。
「帰ろう。母さんが心配する」
体が重たかった。一歩一歩踏みしめて、ようやく家に帰る。もう夜も遅く、街には誰もいなかった。
家も、ザクロ同様小さくなっていた。これでは、中には入れない。ここまでくると、さすがにクオンも自分が大きくなったのだと理解した。森の木々も、町の街灯も、クオンの頭くらいの高さしかない。逆に、空がいつもよりも近いのだ。
「ただいま!」
ザクロの声が聞こえたらしく、少しだけドアが開いて母さんが顔を出した。母さんはクオンの姿を見ると顔を強張らせて、ザクロの腕を引いて家の中に引き入れた。
「こっちに来なさい。食べられるわよ」
「大丈夫なんだ、これはクオンだよ」
「そんなわけないでしょう!」
「僕だよ母さん」
「嘘をおっしゃい! うちのクオンはバケモノじゃないわ!」
腹の底がすうと冷えていった。もう僕は、「うちのクオン」じゃないらしい。ここは、もう自分の居場所ではなくなったらしい。
母さんは家に入れてくれないし、入口がクオンには小さすぎる。この家に、もうクオンは入れない。
家の窓ガラスに、さっき宝石に写っていたのと同じ顔が写っている。本でいつも見ていた姿。竜だ。これが、今の自分なのだ。
さっきと違って、顔だけではなく、首や体がちゃんと見える。クオンの体は、石のようにゴツゴツしていた。街灯の光を反射して、うっすらと光を放っている。先ほど飲み込んだ石に、質感がそっくりだ。透き通っていて、所々に入ったヒビが虹色に輝いている。鱗の表面にはべったりと赤黒い血がこびりついていた。
背中には翼がついている。がっしりした骨組みに、ガラスのような薄い膜がたわんでいる。うまく動かすことができれば、空だって飛べるだろう。
クオンは翼を動かす。膜が空気をはらんで、風をつかまえた。足が地面を離れ、浮き上がっていく。
ここにいられないのなら、別のところに行くしかないだろう。片足がぐっと引っ張られて、がくんと体が傾いた。重さに顔をしかめて引っ張られた足を見ると、ザクロがしがみついている。
「離して。ついてこないで」
「どこ行くんだよ」
「どこでもいいだろ」
強い風が吹いた。翼が持ち上げられて、それに引っ張られてクオンの体も運ばれて行く。
「ちょっと! ほんとどこ行くの!?」
「わかんないよ!」
待って、行かないで。遠くで母さんの呼ぶ声が聞こえたが、もう戻ることはできない。
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