第6章 真夏の雪狐
序 夏のイベントは盛りだくさん?
七月下旬。
夏本番を迎えた京都は、連日うだるような暑さが続き、
暑い。暑い。そして、暑い。
目の覚めるような
地球が丸ごとアイスクリームのように溶けてしまうのではないかと想像すると、無性に冷たいバニラシェイクが飲みたくなってきた。
「……静夜君、ほんまに大丈夫? 朝からぐったりしとるし、なんやお疲れみたいやし、それに今だってすごい汗……。ちゃんと水分取らんと倒れそうやで?」
隣を歩く
少し屈んだ彼女の胸元に視線が吸い寄せられそうになって、静夜は慌てて身を引いた。
「う、うん! ごめん。大丈夫! 昨日、徹夜でレポート仕上げてたから寝不足で……。それにこうも毎日暑いと、さすがに参るよね……」
「せやなぁ……。今日で授業は終わりやけど、期末試験で大学にはもうちょっと来なあかんし、クーラーの効いた部屋ん中で一日ゆっくりしときたいなぁ……」
「だね」
と言いつつも、夏らしい薄手の服装の彼女を見ていると暑い日に外に出るのも悪くないかも、なんて思えて来るから不思議だ。
夏の日差しを跳ね返して光る白い肌。フリルのついた涼しげなブラウスとそれを押し上げて存在を主張する豊かな胸のふくらみ。丈の長いスカートは風に踊り、足元には今年の流行らしいサンダル。最近明るく染め直したという髪は、いつもの簪で後ろにお団子を作り、ハーフアップにまとめて少し大人っぽく仕上げていた。
暑さのことなどすっかり忘れてしまうほどの可憐さには、夏という季節の評価をひっくり返してしまうほどの威力が秘められている。
しかし残念ながら、夏の装いをした彼女とこうして毎日のように会えるのは今日までだ。
大学の前期の講義はこの日で全て終了し、明日からは期末の試験期間に突入する。
試験の代わりに論文の提出を求める授業については今日がその締め切りとなっており、徹夜で仕上げたいくつものレポートをつい先ほどまとめて提出してきた静夜たちは、あとは試験を乗り切るのみとなっていた。
試験が終われば二か月近くに及ぶ長い夏季休暇が待っている。
全く会えなくなるわけではないが、やはり栞と一緒に居る時間は減ってしまうだろう。
それを惜しいと思うくらいに、夏の彼女は魅力的だった。
「……どないしたん? 静夜君……?」
「え? ……あ、いや、別に何でも……」
暑さのせいでぼーっとしていたのか、静夜は髪とスカートを
すると、視線の先には最近建てられたばかりの立て看板があった。
『就活生のための特別講座・雪ノ森
「……」
静夜は思わず足を止め、再び呆然としてしまう。
表題の下には得意気に笑う壮年の男性の写真があり、スーツ姿にマフラーという不思議な格好をした彼の顔は、静夜のよく知る銀髪の少女とどことなく似ている気がした。
「そういえば静夜君、これ知っとった? スノーフォックスの社長さんがうちに来るって……」
「ああ、うん。……ちょっと前に康介から聞いて知ってはいたよ。社長自らこんな中途半端な大学に講演に来るなんて、物好きだよね」
皮肉を言って肩を竦める。
どうせやるならもっと有名で優秀な大学でやればいいものを、何に気を遣ったのか、よりにもよって静夜たちの通う大学で講演会を開くとはいい迷惑だ。
「静夜君は興味あらへん?」
「ないよ。だって僕たちはまだ二回生。就活なら三回生になってからでも――」
「――そうやなくて、この会社のこと!」
「……」
誤魔化そうとしても無駄だと言わんばかりに、栞は声を張り上げた。
「だってスノーフォックスって、妖花ちゃんの――」
「ダメだよ? 栞さん……」
不用意な発言をしようとした彼女を遮り、静夜は黙って首を振る。
それは、口に出してはいけない話だ。
「……そりゃあ、僕にだって思うところはある。でも、あの子が何もしないって言ったんだ。だったら、これは僕が口を出すことじゃない」
株式会社スノーフォックスとは、静夜の義理の妹、
スノーフォックスが作るマフラーやセーターは、一つ身に着けるだけで身体も心も温まり、どんな寒さからも人を守ると評判で、最近ではエベレストの登頂や、南極探索の現場でも重宝されるようになったとニュース番組で取り上げられていた。
この魔法のような力を持つスノーフォックスのニット製品は、狐の魔法〈フォックスマジック〉と讃えられ、高級品でありながらも市場の中で確固たる地位と人気を獲得している。
しかし、創設者である雪ノ森冬樹の死後、雪ノ森の親族は彼から会社とブランド、そして彼の妻であった九尾の妖狐『果て無き
そして今のスノーフォックスは、密かに陰陽師協会の力を借りて、〈フォックスマジック〉や『悠久の宝玉』を研究し、ニット製品以外の物にも魔法をかけて新たな商品開発に取り組んでいる。
今年の冬、静夜たちはスノーフォックスとその親会社であるスノーフォレストが運営するホテルとスキー場でとある事件に巻き込まれ、これらの事実を知ることとなった。
それからは、静夜も多少は気になってスノーフォックスや雪ノ森の経営者たちの動向に注意を払うようにしていて、社長自らが学生たちに向かって講演をするという今回のイベントにも実を言うと興味がある。
スノーフォックスの代表取締役社長、雪ノ森達樹と言えば、冬樹の弟で、妖花にとっては叔父にあたる人物だ。
だがその妖花本人が、しばらくは静観して様子を窺うと決めている以上、静夜が図々しく
静夜はあっさりと引き下がって、看板の前から立ち去ろうと背を向ける。
それを、情に厚い異性の友人が引き留めた。
「――せやったらウチが、一緒に聞きに行かへん? って誘っても、静夜君は来てくれへんのやろか?」
「……え?」
青年は立ち止まり、後ろを振り返る。
その決意に満たされた言葉は、静夜のためか、妖花のためか、それとも自分自身のためなのか。
夏の日差しに焼かれた熱風が葉桜を揺らし、簪に付いた金色の鈴は、風鈴の如く涼しげな音色を響かせた。
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