カップルからの依頼

「……こうしてお話しするのは初めてね、舞桜まおちゃん」


「……」


 円形のテーブルを挟んで向かい合うように座った静夜たちの間には微妙な沈黙が流れていた。

 特に、舞桜は何もしゃべろうとしない。


《平安会》の御三家の人間とこうして対峙するのはなかなか慣れないのだろう。異母兄妹ならいざ知らず、他の家の人間ともなれば何を話していいのか分からない。

 黒髪の少女は、逃げるようにグラスに注がれた水を飲んだ。


「――お待たせしました~。ご注文のウーロン茶が三つと、……先輩には特別サービスとして、バーボンのストレートを持って来たッス!」


 気まずい空気を吹き飛ばすような快活な声を上げ、テーブルに飲み物を運んできたのはキャバ嬢姿の萌依めい萌枝もえ。自分たちの分まで用意しているところは相変わらずちゃっかりしている。


「……って、ちょっと待って? 僕はみんなと同じウーロン茶を頼んだはずなのに、一人だけグラスが違うのは何で?」


「え? お酒とソフトドリンクでグラスが違うのは普通ッスよ?」


「だから僕が頼んだのはウーロン茶! ソフトドリンク! みんなと同じもの!」


「え? でも、色はみんなと同じじゃないッスか?」


「色だけ! 一緒なのは色だけ! それにバーボンのストレートって何? 紅茶じゃないんだから、こんな度数の高いお酒をそのまま飲んだら普通に死ぬよ?」


「静夜、初対面の人の前でみっともなく騒ぐな。少し落ち着け」


「舞桜ちゃんの言う通りッス! ついこの間やっとお酒を飲める年になったんスから、大人になって下さい、先輩」


 図々しく静夜たちの隣に座って来た双子の姉妹は悪びれもせず、舞桜の加勢を受けてさらに調子に乗り始めた。


「あら、月宮君、二十歳はたちになったの? いつ?」


「え、っと……、本当についこの間の6月22日です」


「まあ、おめでとう。お酒は飲んでみた?」


「は、はい、まあ……。友人の家でお祝いも兼ねて軽く……。でも、自分はかなりお酒に弱いみたいで、すぐに酔っ払って眠ってしまいました……」


 京天門きょうてんもん椿つばきが自然と会話を広げて、答えた静夜は恥ずかしそうに頬を赤らめる。


 静夜の記念すべき二十歳の誕生日は、同級生である坂上さかがみ康介こうすけの自宅で祝われた。

 どれだけお酒を飲めるか分からないので、初めては居酒屋ではなく身内だけで集まって宅飲みにしたのだが、静夜は乾杯してから先の記憶がほとんどない。


 気が付いたら朝になっていて、誕生日を祝ってくれた康介やしおり、舞桜や百瀬ももせ姉妹に話を聞くと、「お酒を一口飲んだらすぐに寝てしまった」とのこと。


 そして、外のお店で酔っ払って寝てしまうと他の人に迷惑がかかるかもしれないから、身内の集まり以外ではあまり飲まない方がいいと、なぜか強く言われてしまった。特に栞に。

 静夜自身も記憶がないため、言われた通りに外でお酒を飲むのは極力控えた方がいいだろうと思っている今日この頃である。


「……本当に、何も覚えていないんだな……」


「え?」


「いや、なんでもない。こっちの話だ」


「……ん? ……とにかく、そういう訳だからこれは返品で。遊びに来てるわけじゃないんだから、おふざけはなしで頼むよ?」


「はーい。……ちぇ、あの時よりももっとすごい先輩が見られると思ったのに……」


「え? なんだって?」


「何でもないッス! 飲み物取り換えて来るッス!」


「……?」


 静夜の猛抗議を受けて萌依と萌枝は渋々、香りを嗅ぐだけで頭がくらくらし始めるウーロン茶色の液体を交換しに行った。


 最後に何かぼそぼそと呟いていたのは、静夜の気のせいだろう。


 百瀬姉妹の悪ふざけで場の空気が和らいだところで、椿つばき陸翔りくとが分かりやすく居住まいを正した。


 向かいに座る静夜と舞桜も表情を引き締める。


「改めまして、今日はこんなところにまで来てくれて、本当にありがとう。まずは私から妹の失礼について謝罪を申し上げるわ……。うちのあおいが本当にご迷惑をおかけしました」


「あ、いえ! 僕や舞桜はその件については何もしていませんので、頭を上げて下さい、椿さん」


「そういうわけにもいかないわ。京天門一族本家の人間として、京天門葵の不始末は本来であれば私たちだけで清算しなければならなかったのに……。よそ様の力をお借りして、その上お詫びすらしないなんて末代までの恥だわ。一族を代表して、またあの子の実の姉として謝罪と感謝を言わせて欲しいの。……妹の愚行を止めてくれて、本当にありがとう」


 椿さんは立ち上がり、深々と腰を折って頭を下げた。嘘偽りのない気持ちがこもっていて、言われた方が思わず恐縮してしまうほどの誠実な謝罪と感謝。

 家名や自分自身のためではなく、純粋に妹のことを想っての行動は、それだけで京天門椿の人柄を表していた。


「……それで、その葵さん、今は……?」


「月宮君が葵を引き渡してくれたおかげで、あの子は数年ぶりに実家に帰って来たの。だから今回のことは今までのことも全て含めて両親、特に母から厳しく叱責されて、今は母の結界の中で謹慎しているわ。近いうちにあの子が開いたお店は全て閉めて、詐欺の被害に遭われた皆さんに謝罪と返金をして回る予定なの」


「そ、それは……、なかなか大変そうですね」


「仕方ないわ。穏便に済ませる代わりにきちんとけじめはつけさせると、母が言っていたから」


「あの京天門絹江きぬえさんが……」


 一流の結界術師『鉄壁の巫女』の異名をとる京天門絹江。彼女の母親としての一面は見たこともないが、想像しただけでも怖そうだ。


「堅苦しい挨拶はそれくらいにして、速く本題に移れ。……わざわざ事故物件に住んでいただけの一般人を使って《陰陽師協会》と接触を図った理由は、こんなつまらないお礼を言うためではないだろう?」


 舞桜は普段と変わらない態度を貫いて身構える。


 静夜たちが今晩このクラブに足を運んだのは、大学の後輩である牧原まきはら大智だいちに頼まれたからだ。会って欲しい人がいる、と言われて。

 大智は、事故物件の騒動が落ち着くまで京天門家の屋敷に保護されており、椿とは面識があった。さらに葵との一件で再び京天門家と関わることとなり、その時に椿から折り入って頼みがあると言われたそうなのだ。

 それがつまり、月宮静夜。《陰陽師協会》京都支部支部長との密会の手引きだった。


 人目につきにくい闇市の外れの、開店したばかりのクラブに、こんな回りくどいやり方をしてまで呼び出すなんて、怪しすぎる。

 意外過ぎる人物からの申し出に、静夜も最初は目的がさっぱり分からなかったのだが、彼女の恋人が同席すると分かった途端、彼女たちの要件はおおよその検討が付いた。


「……そうね。だいたいの察しは付いていると思うけれど……、この度はあなたたち、《陰陽師協会》京都支部の力を貸して欲しくて、このような場を設けさせてもらったの」


 椿は腰を下ろして畏まり、隣の陸翔は彼女の手を握る。


「どうか私たちを、京都の街の外へ連れ出してもらえないかしら?」


 周りには聞こえないように、けれど切実な願いを込めて、それは語られた。

 この内容に、静夜と舞桜は内心でやっぱりと頷く。つまり彼らは、駆け落ちの手伝いを静夜たちに依頼してきたのだ。

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