交換条件

 京天門きょうてんもん椿つばき紅庵寺こうあんじ陸翔りくとは、相思相愛の恋人同士だった。

 しかし、お互いに結婚は出来ないと諦めていた。

 家柄の問題だ。


 椿はその名の通り、京天門一族の本家の長女。

 陸翔は、蒼炎寺そうえんじの本家に近い分家筋の紅庵寺家の長男であり、母親は蒼炎寺家の次期当主、蒼炎寺空心くうしんの姉にあたる。


 京天門家と蒼炎寺家が御三家の一角として派閥争いを続ける以上、自分たちの結婚は喜ばれないことが分かり切っていたためである。


 そんな時、二人に転機が訪れた。

 御三家の中でも飛びぬけて古い歴史を誇る竜道院りんどういん家の勢力拡大を恐れた両家が歩み寄り、二人の婚姻によって友好関係を築こうと目論んだのだ。


 椿と陸翔にしてみれば、夢にも思わなかった渡り船。二人は華やかな結婚生活を夢見て準備を始め、親族に祝福されることを幸運に思い、これから待ち受ける幸せな未来に胸躍らせた。


 だが、


 これを面白くないと思った竜道院羽衣はごろもの戯れによって、二人は深い傷を負ってしまう。


 椿は母親と同じように両目を失明。

 陸翔は武術の為に鍛えた自慢の両足の機能を喪失。

 結婚の話は、白紙となってしまった。


「でも、俺たちは諦めたくないんだ!」


 陸翔は拳に力を込める。


黄竜おうりゅうの襲撃で全てがめちゃくちゃになった後、俺たちは周りから結婚を諦めて別れるように言われた。両目を失った妻と両足を失った夫では幸せになれない。結ばれても不幸になるだけだ。竜道院羽衣に逆らってはいけない……、と」


「みんなが私たちのことを心配してくれているのは分かっているつもりよ? でも、一度は掴みかけた夢を目の前にして諦めることは、どうしても無理だったの。私たちは結婚したい。たとえ、もう二度と生まれた家の敷居を跨げなくなったとしても!」


 二人の言葉は熱く、本気であることが伝わって来る。意志は固いようだ。

 無理を通してでも結婚したい。故郷を捨てでも好きな人と一緒になりたい。


 善悪はともかく、それは素敵な情熱だと思う。手助けしてあげたいとも思う。

 けれど、安易に頷くことは出来なかった。


「……《陰陽師協会》を頼るということは、《平安会》を敵に回すということです。親兄弟を裏切ることになってもいいんですか? ……最悪、この竜道院舞桜まおのように、親族から命を狙われることになるかもしれません。それを覚悟の上でおっしゃっていますか?」


「ええ」「分かっている」


 二人は迷わず首肯する。

 舞桜という具体的な前例を挙げてみても、全く怯む様子はない。

 考え直してもらうのは無理そうだった。


「……京都を脱出して、それからどうするつもりだ? 《陰陽師協会》の保護を受けるのか? それとも二人だけで自活するつもりか? ……どちらにせよ、茨の道だ」


 歯に衣着せぬ物言いで、舞桜が口を挟む。

 最初に《平安会》を裏切って《陰陽師協会》を頼った先達として、思うところがあるのだろう。


 少女は、十歳以上も離れた椿たちに向けてわざとらしいため息をついて見せた。


「はぁ……。お前たちは私と違って、そこまで強硬な手段に訴える必要はないだろうに。両親への説得がダメでも、他に力になってくれそうな奴らはいるんじゃないのか? お前たち二人に同情する者は多いと思うぞ?」


 それは、舞桜にはなかった選択肢だ。

 彼らと少女とでは根本的に組織内での立場が違う。


 霊媒体質を理由に親族からも忌諱されてきた舞桜とは違って、椿や陸翔は幼少期から《平安会》や京都の陰陽師たちを引っ張っていくリーダーになることを期待され、家族や一門の中で大切に育てられ、また本人たちもそれらの期待に応えて来た。


 結納の儀における羽衣の襲撃事件のことも合わせると、彼らに手を貸してくれそうな個人や集団は、探せば少しは見つかるだろう。


 しかし、当の本人たちは何もかもを諦観して首を横に振った。


「残念だけど、俺たちに同情してくれる人はいても、力になってくれる人は一人もいないよ」


 陸翔は自分の膝を撫でながら自嘲気味に笑う。


「あなたたちも見たのよね? あの子の力……。黄竜には勝てない。竜道院羽衣には逆らわない方がいいって、みんな口を揃えて言うのよ」


「京天門家も蒼炎寺家も今ではすっかり委縮している。みんな怖いんだ。……それでも結婚したいと思うのは俺たちのわがままで、情に訴えて一族をまた危険な目に遭わせるわけにもいかない」


「それで、僕たち協会を頼ろうと? ……お気持ちはお察ししますが、無茶な要求をされても困ります。僕たちだって竜道院羽衣や黄竜の力は怖いですし、まともに戦って無事で済むとも思えません。それに僕たちが首を突っ込めば、確実にご実家も反発するでしょう。京都からの脱出はさらに困難になりますし、余計な敵を増やすだけです」


 静夜は遠回しな言い方で、やんわりとこの要求を断ろうとした。


 はっきり言って、引き受けたくない。


 確かに椿と陸翔のカップルには同情するし、出来ることなら手を貸したい。

 でもだからと言って、彼らと心中する気にはなれない。


「僕たちだってボランティアではないんです。あなた方に命の危険が迫っているというのなら一考しますが、そうでないのなら僕たちに義務はありません。申し訳ありませんが……――」


 静夜はその場で軽く頭を下げ、席を立とうとする。


「――もちろん、ただで、とは言わないわ。……もしも引き受けてくれるなら、あなたにはこれをあげる」


 唐突に差し出されたそれを見た途端、静夜の答えは一瞬で覆った。


 目を見張る。思考が数秒間真っ白に消し飛んで、身体は石のように固まった。


 ――そして、

 月宮静夜たち《陰陽師協会》京都支部は、京天門椿と紅庵寺陸翔の駆け落ちを手助けすることになったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る