ラヴレターに込められた悪意
「……なんか、すごいな、
「私は全然すごくありません。……父と兄がいなければ、小学校に上がる前にどこかで野垂れ死んで、存在ごとこの世からきれいに消えていたでしょうから。ただの死にぞこないです」
今の自分があるのは、本当に父と兄のお陰でしかない。彼らに出会っていなかったら、月宮妖花は決して今日まで生きていない。
17歳。かつて両親を、帰る場所を、自分の名前すら失くした半妖の少女は、高校三年生になりました。
妖花はすっかり冷めきってしまったお茶を飲み干して、ソファから立ち上がります。
「……話はこれで終わりです。随分と長居をしてしまいました。お茶とお菓子、美味しかったです。ありがとうございました」
気が付けば窓から差し込んでいた西日は陰り、外は薄暗くなり始めています。
懐かしい昔話はここまでです。
「そ、そうだね! そろそろ他の部活動も終わる時間だ。……俺の方こそ今日はありがとう。月宮さんの貴重な話が聞けて嬉しかった! 良かったら、今度また生徒会室に遊びに来てよ! 今度はもっとおいしいお茶菓子を用意しておくからさ!」
ラヴレターを送った相手と長話が出来て、生徒会長の杉本君は少し舞い上がっているようです。
表情は緊張で強張り、瞳の奥は何かを期待するようにキラキラと輝いていました。
はっきりと断ったはずですが、どうやら彼は諦めの悪い人だったようです。
妖花は思わず深い落胆のため息をつきました。
「いえ、私がこの部屋に来ることは二度とありませんので、お茶もお茶菓子も結構です」
「え? ……あ、そっか。今日は俺が手紙でここに呼んだから来てくれたんだもんな。……じゃ、じゃあ、俺がもう一回手紙を出せば――」
「――たとえもう一度、あなたが手紙を送って来たとしても、私はそれに応えません。……絶対に」
「……つ、月宮さん? どうしたの、急に……」
なぜか突然凍り付いた薄氷のように冷たい態度を取る妖花に、杉本君は首を傾げました。
「……杉本さん、……私に睡眠薬を飲ませて、何をするつもりだったんですか?」
本当は黙ったまま大人しく部屋を出て行くつもりでしたが、妖花は敢えて核心的な部分を鋭く指摘しました。
「……す、睡眠薬って、なんのこと?」
「入ってましたよね? 睡眠薬。私に出したあのお茶に。そしてあなたは、私の話を聞いているふりをしながら、ずっと腕時計を気にしていました。薬の効果が出始める時間を待っていたんですよね? それとも、部屋の外で待っている
妖花が部屋の出入り口を一瞥すると、誰かが廊下を走る去る足音が響いて、遠のいていきました。
杉本君は何も言いません。
「……残念ですが、私に睡眠薬は効きません。というか、風邪薬でも頭痛薬でも私には薬物というものが一切効きません。……生まれつき、そういう体質なんです」
月宮妖花には、学校の誰も知らない、もう一つの名前があります。
半妖としての妖の力が、身体に入り込んだ人工物の力を無意識のうちに無力化してしまうのです。
風邪を引いた時は困りますが、このように毒を盛られた時は助かります。さらにどんな作用を無効化したのか、本人はなんとなく感じ取ることが出来るのです。
「安心して下さい。誰にも言いません。あなたと仲のいい中村さんが私のことを快く思っていないことも分かっていますので。……ですが今後もし、あなたたちが私や、あるいは別の生徒にこのようなことをすれば、私は今日の出来事を教師たちに報告します。……それでは失礼します。さようなら、杉本さん」
最後に脅して釘を刺し、妖花は生徒会室を後にしようとしました。
引き戸に手を掛けた少女の背中に、生徒会長の少年が問いかけます。
「……月宮さんって、いったい何者?」
少女はこの問いに、妖しい笑みを浮かべて答えました。
「……先ほどお話ししたはずです。私は小学生の頃、クラスメイトから『化け物』、『妖怪』と呼ばれて、触れたら呪われると畏れられていました。そして先月の始業式の日、私は新しいクラスの皆さんにきちんと自己紹介をしたはずです。見ての通り私はハーフです、と。……つまりは、そういうことです」
日が沈み、昼が夜へと移り変わる、逢魔が時。
暗がりでも目に眩しい銀髪と、深淵から覗き込むような翠色の瞳を見返して、少年は彼女の存在そのものを疑いました。
何も知らない少年は、少女が何を言っているのか分かりません。
ただ、彼女が普通の人間ではないということだけは、はっきりと理解することが出来ました。
自分はきっと、触れてはいけないものに触れてしまった。見てはいけないものを見てしまった。
気が付くと、月宮妖花は杉本君の目の前から忽然と姿を消して、いなくなっていました。
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