救いの手

「……そ、それで、……月宮つきみやさんはずっと、いじめられてたの?」


 救いを求めるように、杉本君が顔を上げます。

 妖花ようかは、春の雪解けのように微笑んで、ゆっくりと首を振りました。


「……最初に兄が、私の異変に気付きました。家族に心配をかけまいと家ではいつも通りにしていたつもりでしたが、兄には通用しなかったみたいです。『学校で何かあったのか』と聞かれて、私は『何もないよ?』と嘘をつきました。すると兄は、勝手に私のクラスのことを調べて、私がいじめられていることを私の担任の先生に伝えたんです。兄なりに妹を助けようとしてくれたんだと思います」


 兄は当時、同じ小学校の六年生で、教師の間では真面目で行儀のよい子どもだとある程度の評価を受けていました。

 そんな長男からの密告を受けて、妖花のクラス担任は本人への聞き取り調査を行います。

 教師に呼び出されて、いじめの有無を問われた妖花は、「そんな事実はない」と否定しました。


「え? なんで?」


「全部自分が悪いと思い込んでいた部分もありましたし、教師が介入しても状況は良くならない、むしろ余計に悪くなってしまうと思っていた部分もありました。とにかく、私がいじめられていることで、先生や家族に迷惑をかけたくなかったんです」


 その日家に帰ると、妖花は生まれて初めて兄に激昂しました。


『勝手なことしないで! お兄ちゃんが何かしなくてもヨウカは大丈夫だから!』と。


 本当は『ありがとう』と感謝を伝えるべきだったのに、口をついて出たのは精一杯の強がりでした。

 兄は、何も言い返して来ませんでした。


「その代わりに翌日、父が学校に来ました」


「お父さん?」


「はい。両親のいない兄さんと私を引き取って育ててくれた、義理の父です」


 兄が告げ口をした相手は、教師だけではなかったのです。

 今はもうこの世にいない、妖花にとっての二人目の父親、月宮つきみや兎角とかくです。


 彼は学校長やクラス担任からの許可を得て、娘のクラスを一日授業参観したいと申し出ました。

 学校内での出来事に親が過剰に介入するのは如何なものか、と学校長は難色を示しましたが、兎角は教育委員会を通じて学校側に圧力をかけ、強行したそうです。


「……きょ、教育委員会?」


 杉本君はまた別の意味で絶句します。


「そこはあまり気にしないで下さい。それくらいのことは電話一本で出来るような人だったんです」


「……月宮さんのお義父さんって何者?」


《陰陽師協会》の元理事です、とは言えないので、妖花は無視して話を続けます。


「父は朝から放課後まで、休み時間の間もずっと私のことを見ていました。兄のクラスにはいかず、私のクラスに一日中居ました。さすがにその子の親が目を光らせている前でいじめをするような人はいません。……まあ、父の見た目が少し怖かったことも要因の一つだと思いますが、その日はいじめが始めってから一番平和な日でした」


「なるほど。それからいじめがなくなるまで、毎日お義父さんが学校に来るようになったんだな」


 話が明るくなって来たからか、杉本君の口数が増えます。

 妖花は彼の早とちりに、首を横に振りました。


「いいえ、父が学校に来たのはその日の一回だけです」


 その日の授業が全て終わった後、兎角はクラスメイトや担任の先生が見ている前で妖花に言いました。


『静夜から、お前がクラスでいじめられていると聞いて心配したが、良かった。クラスメイトはみんないい子たちばかりで、誰もお前をいじめてなんかいないじゃないか。……まさかこのクラスに、お前を仲間外れにしたり、お前の物を盗んだり、隠したり、ましてや、お前のことを『化け物』とか『妖怪』とか言って、触ると呪われるなんて言ったりする子はいないよな?』


 娘の頭を優しく撫でながら、父は全てお見通しであることをクラスメイトたちに伝えたのです。

 年老いた義父の穏やかな微笑みの影で、クラスメイトたちは息を呑み、凍り付いていました。


『……どんな事情があっても、いじめは絶対にいけないことだ。お前の目や髪の色がみんなと違っていても、お前がクラスの男の子たちからモテモテだったとしても、いじめは、いじめている方が絶対に悪い。……だから、嫌なことをされたらはっきり嫌だと言いなさい。やめてくれないなら先生に相談しなさい。きっとこの学校の先生たちは、お前をいじめた子をきちんと叱ってくれるはずだ。だから安心しなさい。……お前は何も、悪くない』


 そう言われた妖花は、クラスのみんなが見ているにもかかわらず、父の力強い腕に抱かれて泣きじゃくりました。


「その日以降、いじめはぱったりとなくなりました」


「……すごく、いいお父さんだったんだね」


「はい。……私は、あの人の娘になれて本当に幸せでした」


 心の奥底からあふれ出る嘘偽りのない本心で妖花は父を語ります。


「いじめを経て私は自分を変えたいと、強く思うようになりました。引っ込み思案で人見知りで気弱な性格を直して、自分の意見をはっきり言えるようになって、強くなりたいと思ったんです。いつまでも、兄や父に守ってもらうだけの自分ではいたくない。今度は私が、兄や父を守れるくらい強くなりたいと。……そして、今の私があります」


 確固たる自信を胸に秘め、月宮妖花は断言しました。

 今の自分はもう、あの時の少女とは違うのです。


「……どうして私がもらった手紙にいちいち返事をしに行くのか、というお話でしたね。……私は、自分が強くあるために自分自身が正しいと思える行動を常に心掛けています。迷った時は、自分が正しいと思える方を選びます。これもその一つです」


 受け取った手紙をきちんと読むことも、返事をする時は誠実な対応をすることも、全ては妖花が自分で定めた、最も正しいと思える正解なのです。


「他人の反感を買わないようにという側面も多分に含まれてはいますが、いくら人の顔色を窺ったところで、全ての人を納得させることは出来ません。ならせめて、自分だけでも納得出来る方を選びます。それで多くの人の理解が得られれば何も言うことはありませんし、分かってもらえなかったとしても、自分自身を損なわずに済みます。つまりこれは、私自身が傷付かないための極めて自己中心的な方法論が導き出した私なりの結論なんです」


 長かった話も、結局のところは全てそこに行き着きます。


「みなさんの言う〝ラヴレターポリシー″とは、月宮妖花が月宮妖花を守るために定めた、保身のための六箇条なんです」


 彼女が聖女や天使などと呼ばれて崇拝される理由の一つも、蓋を開けてみればその程度のものでした。


 幻滅したでしょうか。失望したでしょうか。

 しかしこれが、月宮妖花です。自分自身の在り方です。


 たとえどのように思われても、人が勝手に抱いた幻想に期待通りに応える必要はありません。

 妖花はそう割り切って、話を締めくくりました。

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