それは嘘であっても虚構ではない

「……はぁあ……」


 校門を出てすぐの横断歩道で車が通り過ぎるのを待ちながら、妖花は重いため息を吐き出しました。


「……中村さんについては、何か対策を考える必要があるかもしれませんね……」


 三年生で初めて同じクラスになってから度々鋭い視線を送って来ていたことはもちろん感じ取っていましたが、まさか仲のいい男友達を使ってこんな直接的な手段に出て来るとは予想外でした。


 紳士な生徒会長を装って、その銀縁の眼鏡の下で腹黒い思惑を巡らせている杉本君にも今後は注意が必要かもしれません。


 憂鬱です。


 別に脅威とは感じません。同い年のただの人間を相手に、月宮つきみや妖花ようかがおくれを取ることはあり得ませんし、精神面もあの頃とは比べ物にならないくらいに成長したと思っています。ちょっとした嫌がらせをいくら受けたところで、妖花がそれに負けることはないでしょう。


 月宮妖花は、世界にたった一人の半妖の陰陽師です。

 普通の女子高生とはそもそも住む世界が違うのです。決して彼女たちと同じになることはありません。相容れない人たちのことを過度に気にしても仕方がないのです。


 ですが、――


 ふとした瞬間に、こんなことを考えてしまう時があります。

 もし、自分が半妖ではなくただの人間で、髪や瞳の色もみんなと同じで、陰陽師の世界とも一切関わりのない暮らしをしていたら、どうなっていたでしょうか。


 毎朝下駄箱に届けられるラヴレターに悩まされることもなく、学校中から聖女様と崇められることもなく、クラスメイトから嫌味を言われることもなく、小学校の時にいじめを受けることもなかったかもしれません。


 学校では友達と無駄話をして、テストの点数に一喜一憂して、放課後は部活動に汗を流したり、休日はどこかへ遊びに出掛けたり、修学旅行の夜には好きな人の話で盛り上がったり、誰かとお付き合いをして甘酸っぱい青春を過ごしたり、そんな何気ない普通の毎日を送っていたかもしれません。



「――あれ? ツッキーじゃん! どしたの? 今帰り?」


 自転車が横断歩道の前で止まると同時に、聞き慣れた快活な声が妖花の名前を呼びました。


長谷川はせがわさん……。部活終わりですか?」


「うん、そう! もうすぐ最後の大会だからね! 気合い入れて練習してたんだぁ~」


 まだまだ元気の有り余る笑顔を見せる少女からは柑橘系の爽やかな匂いが香って来ます。制汗剤の香りでしょうか。制服のジャケットを腰に巻き、ブラウスを腕まくりした装いはまさに青春をひた走るスポーツ少女です。


「逆にツッキーはこんな時間まで何してたの? ってそっか、いつものお礼参りか」


「はい、……そんなところです」


「……なんかツッキー、元気ない? なんかあった?」


「い、いえ、別に、何もありません」


 感情が顔に出ていたみたいです。意外と鋭いクラスメイトに指摘されて、妖花は慌てて表情を取り繕いました。


「……」


 長谷川さんは自転車から降りて、妖花の顔をじっと覗き込みます。

 妖花は逃げるようにそっぽを向いて、何も話しませんでした。


「……そっか、ま、ツッキーが話したくないなら無理には訊かないけどさ、……あ、そうだ! ツッキー、このあとって暇?」


「え? ……はい、今日は何もないですけど?」


 妖花が首を傾げると、長谷川さんは花が咲いたようにぱぁっと笑顔を綻ばせて、ぴょんぴょんと小さく飛び跳ねました。


「じゃあさ、これからご飯食べに行かない? あだっちーも誘って、三人で!」


「え?」


 それは思いも寄らない提案でした。


「私たちって教室の中だとよくつるむのに学校の外で遊んだことってなかったじゃん? だから、卒業するまでに一回ぐらいはなんかしたいねって、あだっちーとよく話してたんだ!」


「そ、そうだったんですか?」


 全く知りませんでした。自分の見ていないところで二人がそんなことを話していたなんて、気付きませんでした。


 いつも自分と仲良くしてくれる彼女たちのことですら、妖花は別の世界の人間だと割り切って、切り離して、無意識のうちに壁を作っていたからです。


 長谷川さんはすぐにスマホを操作して、安達さんに電話を掛けています。


「――OK、分かった、じゃあ駅前ね! 私たちもすぐに行くから! ……はい、はーい! じゃああとでねぇ~……。……あだっちーも来るって」


「……いいんですか? 安達さんは予備校の授業があるんじゃ……」


「大丈夫、大丈夫! 今はスマホでいつでも授業の動画が見れるから、ツッキーが来るならそっちの方が優先だってさ!」


「……」


 妖花が唖然としているうちに、あっという間に話が決まっていきます。


「……ツッキーってさ、やっぱ他の人とは違うよね? 雰囲気っていうか、オーラっていうか、美人過ぎるっていうのもあるけど、なんかもっと根本的なところから、私たちとは違う気がする……」


「……ど、どうしたんですか? 急に……」


 夜のとばりが下りる中、長谷川さんは突然、彼女にしては珍しく真剣な口調で語り始めました。


「たまにすっごく怖い顔で考え事してたり、すごい寂しそうな顔で窓の外を眺めたりしててさ、きっと私なんかじゃ、ツッキーの悩みを聞いても何の力にもなれないんだろうなぁって思っちゃうんだよね……」


「私、いつもそんな顔してますか?」


「たまにだよ? たまに。一人でいる時とか、スマホ触ってる時とかに、たまに」


「……よく見てますね」


 妖花は激しく猛省しました。感情が表に出ないように気を付けていたつもりですが、まだまだ修行が足りないようです。

 もしくは、長谷川さんが特別鋭いのでしょうか。


「だってツッキー、目立つし、……それになんか、すごいし……」


「すごいでしょうか? 私は……」


「すごいよ。両親いないし、お兄さんだって遠くにいるのにいつも堂々としてるし、ラヴレターだっていっぱいもらって、あの中村に睨まれても怯まないし、……きっと、私なんかよりずっと強いでしょ?」


「……」


 長谷川さんは、妖花のことを半分も知りません。出自も、家族のことも、悩み事も、学校の中で見せる表情さえも、それはほんの一部でしかありません。

 しかし、長谷川さんはそれが分かった上でなお、月宮妖花のことを『ツッキー』とあだ名で呼ぶのです。


「……私じゃ何にも出来ないかもだけど、それでも私はツッキーの友達でいたい。たまに一緒にご飯食べたり、遊びに行ったり、教室で無駄話したり、テストの点数とか比べ合ったり、そんな、大人になって振り返ったらどうでもいいようなくだらない毎日を、私はツッキーと一緒に過ごしたい。……って、いきなり何語ってんだろ、私……。ごめんね、キモいよね? 忘れてツッキー、あはは……」


 長谷川さんは思い出したように照れ隠しをして笑って誤魔化します。

 けれど彼女の独白は、そう簡単に忘れられるようなものではありませんでした。


「……ありがとうございます、長谷川さん。――いえ、……胡桃くるみさん」


 心からの感謝と胸に去来する万感を込めて、妖花は初めて彼女の下の名前を呼びました。


「……うわ、ヤバっ……、めっちゃ嬉しい」


 喜んでくれたようで何よりです。

 これが、今の妖花に出来る最大限のお返しでした。


「よし! じゃあお肉食べ行こ! 焼肉! 今日は祝杯だぁ!」


 胡桃さんは妖花の手を引いて、自転車を押して、勢いよく横断歩道を渡り始めました。


 人々が家路を急ぐ街中に紛れて、半妖の少女は人間の友達とご飯を食べに行きます。

 彼女たちの間を繋ぐ儚い友情は、もしかしたら本物ではないのかもしれません。

 薄っぺらくて、ハリボテで、見かけだけを取り繕った、醜い偽物の友情と呼ぶ人もいるかもしれません。


 ですが、たとえそれでも構わない、と半妖の少女は思いました。

 本物でなくても、偽物であっても、友達と繋いだ手から伝わる温もりは、彼女のもう半分の力をもってしても消し去ることが出来ないのですから。

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