坂上康介の慧眼②
週末の連休が明けた月曜日。
俺は朝から履修していた講義をさぼって、国際コミュニケーション学部の基本棟で張り込みを行っていた。
ロビーの隅で息を潜め、怪しまれないようにそれとなく、施設を出入りする学生たちの顔を盗み見て確認していく。
探しているのは無論、先週の金曜日、合コンの終わりに俺を誘って
まるでストーカーみたいだ、とは決して思わないでいただきたい。
俺はただ確かめたいだけなのだ。彼女の無実を。彼女があの京天門葵の仲間ではないことを。
坂上先輩の言っていた冗談が、どうしても脳裏にこべりついて離れない。湧き上がってしまった疑惑が気になって気になって、正直俺は大学の授業どころではないのだ。
時刻は丁度午前10時を回ったところ。一限目の講義の真っ最中でキャンパスの中を歩き回る学生の数は少ない。
先輩が講義を受けに来るとすれば二限目からだろうか。それとも学食で早めのお昼を取って三限目から? でも実家暮らしだって言ってたし、午後から授業が始まる時間割だとすれば、昼食は家で食べて来るんじゃないか……?
ここでの張り込みは空振りかもしれないという不安がわずかに過ぎった。
国際コミュニケーション学部と言うだけあって、この学部には多くの外国人留学生が在籍している。
ちょっと施設内を見渡すだけでも金髪のブロンドが眩しい白人女性や、背が高くて手足の長い黒人の男性などを見つけることが出来て、国際色が豊かだ。
飛び交う言語も日本語だけじゃない。英語、中国語ぐらいは辛うじてわかるが、中には何語なのかすら分からない言葉も聞こえて来て何だか子守唄みたいだ。
だからこそ余計に、だろうか。
雑多に混ざり合った多言語のるつぼの中で、耳に慣れ親しんだ母国語はより鮮明に聞き取れた。
「あ、
「ごめんごめん、結構バスが込んでて……」
居眠りしそうになっていた俺は両目をパッと見開いて声のした方を見る。入口からやって来た斎間先輩がそれに気付いた友人たちの元へ駆け寄って、何やら楽しそうに談笑を始めるところだった。
ここからでは会話の内容までは聞き取れない。でも先輩を見つけられたことはすごくラッキーだ。まさか山勘が当たって一発で上手くいくとは思ってなかったから、ここで粘っていたのは正解だったな。
しかし、一緒に講義を受ける友達と待ち合わせをするにしても中途半端な時間だ。まだ一限目の講義が終わるまで30分近くもあるというのに……。
先輩たちの様子を観察していると、しばらく立ち話をした後、先に来ていた友達がリュックサックからレジュメの束を取り出して斎間先輩に渡した。
パラパラと資料を確認した後、先輩はそれを自分のトートバックに入れ、簡単なお礼を言うと回れ右して建物から出て行ってしまった。
俺は慌てて立ち上がり、急いで先輩の後を追う。
ここで講義があるわけじゃないのか?
とにかく、運よく先輩を見つけることが出来たんだ。ここからはばれないように尾行して、先輩と葵さんの関係を探らないと……。
小走りで飛び出した先輩はちょっと急いでいるみたいだ。まだ二限目の講義が始まるまではかなりの猶予があるはずなのに、なんでだろう?
そう思いながら追いかけていると、先輩は大学内のどこの施設にも入らず、そのままキャンパスの敷地の外に出てしまった。
もしかして、月曜日は講義が何もないのか? それともサボり?
俺は急いで駐輪所まで走り、つい最近購入したばかりのクロスバイクに跨った。
京都の街はとてもコンパクトに収まった造りをしている。その気になれば、バスや電車など使わずとも自転車一つで街中を駆け回ることが出来そうなくらいだ。
一度は見失うものの、
これは京都市内を少し自転車で走れば分かることだが、市バスを自転車で追いかけることはそんなに難しいことではない。市内はバス停ごとの間隔が短く、広い通りは車の交通量も多いためスピードにも乗りにくい。利用客も結構多いのでたとえ信号で突き放されたとしてもバス停で人が乗り降りするところを確認するだけなら自転車を少し飛ばすだけで十分可能だ。
それに、俺が生まれ育ったのは北の大地、北海道。田舎の広大さを舐めて貰っては困る。
先輩が乗り込んだのは204系統のバス。西大路通を北から南に向かって走って行った。
俺は京都に引っ越して来たばかりで、雨の日以外は全くバスを利用しないので何番系統のバスがどの通りを走るかなんて覚えていない。先輩の目的地も分からないので、とりあえず先輩がバスを降りるところを見逃さないように気を付けないと。
春の連休を目前に控えた四月の終わり。天気は快晴。
清々しい青空には雲ひとつなく、照り付ける日差しは初夏のそれ。
バスは緩やかな下り坂になっている西大路通を南下し、
それはつまり、先輩の自宅へと続く道であると同時に、例のぼったくりバーに近付く方向でもあるわけで……、もしかしてやっぱり、先輩は葵さんたちの仲間なのだろうか……?
東へ走り続けるバスを追ううちに、信じたくない不安が湧き上がって強くなる。
先輩がバスを降りたのは、
でも、坂上先輩の車を降りた地点なら既に行き過ぎている。自宅の最寄りで降りたというわけではないようだ。
俺は自転車のペースを落とし、距離を保って尾行を続行する。
バスから降りてしばらく歩いた先輩は、烏丸丸太町の交差点に差し掛かったところで進路を変え、すぐ横にあった某有名ファストフードチェーン店へと入っていった。
まだ昼前で、食事をとるには早すぎる時間。大学の授業には出ずに、わざわざこんなに離れたお店に来る理由は間違いなく食事ではないだろう。
考えられるとすればテイクアウトか、誰かとの待ち合わせ、あるいは……――
交差点の信号待ちを装いつつ、俺はさりげなく先輩の背中を目で追った。
彼女の後姿は、注文を取るためのレジのカウンター、ではなく、その脇のスタッフオンリーと書かれたドアの向こう側へと消えていった。
やっぱりそうか。ここは、斎間先輩のバイト先なんだ。
❀❀❀
――状況報告。優先事項第三位にイレギュラー。尾行者を発見。通りの向こうのファミレス店に入って張り込みをすると思われる。
――第三位、またはその尾行者に気付かれる恐れは?
――ないと判断。しかし念のため、双方の動きを監視できる場所へ移動する。
――そちらの状況は?
――優先事項第一位に異常なし。監視を続行する。
――了解。
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