陰謀と暗躍

 ビニール袋に入った生八つ橋の箱を片手に持ち、冷やかし程度に嵐山を見て回った勝兵は、日が沈む夕暮れ時に、JRの山陰本線に乗って京都駅まで向かい、そのまま東京行の新幹線へと乗り込んだ。

 これで、この京都の街ともおさらばだ。


 思い返してみると、本当にあっという間の三週間だった。


 走り出した新幹線の窓から、流れる景色を呆然と眺める。

 郷愁などありはしない。それどころか全ては他人事で、自分は本当にこの街にとってよそ者だったのだと改めて思い知らされる。


 勝兵自身も、この街に馴染むつもりなど毛頭なかった。それにしても、こうしてまだ四月も終わり切らないうちに京都から追い立てられて出て行く自分をかえりみるとやはり、何か得体の知れない者の陰謀を疑わずにはいられない。


 根拠のない仮説がある。


 四月。京都支部が活動を始めてすぐに起こった〈青龍の横笛〉を巡るこの騒動は、最初から水野勝兵という陰陽師を京都の街から追い出すために画策された何者かの謀略なのではないか、と。


 勝兵は自身の異動が正式に決まってから、その疑念をさらに強くしていた。


 青龍の眷属である土竜もぐらが、京都の街で暴れてから一週間。

 未だに《平安会》は東の祠から〈青龍の横笛〉を盗み出した犯人の正体について何も掴めていないらしい。


 竜道院りんどういん羽衣はごろもの勅命により、京都の陰陽師たちが全力を挙げて捜査に当たっているにも関わらずここまで手掛かりがないのでは、真相は闇に覆い隠されたまま解き明かされることは永遠にないだろう。


 それに、謎はまだ残っている。


 あの日、勝兵を二条駅に呼び出して、怒りに震える土竜をけしかけて襲わせたのは何故なのか。

 真犯人が、盗んだ神器を勝兵の懐に忍ばせたのは何故なのか。


 全ては、水野勝兵を京都の街から追い出すためだった。


 仮にこれを答えとして当てはめると、一つの筋道が通ってしまう。


 では、この答えが真実であると仮定して、最後に残る最大の疑問。

 真犯人はなぜ、いったい何の目的があって、神獣の宝物を盗み出すという危険を冒してまでそれを実行に移したのか。そこまでのことをする理由や意味が何かあったのか。


「……やめよう。もう俺には関係のない話だ」


 決して触れてはいけない深淵を覗こうとしている気がして、水野勝兵は考えることを辞めた。

 そうだ。やめておこう。これ以上先に踏み込んではいけない。


 勝兵を乗せた新幹線が、ちょうど京都と滋賀の県境を超えたところで、勝兵は沈み込んでいく思考を投げ出す。

 イヤホンを耳に着け、お気に入りのバンドの曲を再生させて、水野勝兵は京都の街を出て行った。



 京都。吉田神社。

 青龍を祀った東の祠が隠されている山の麓にある見事な朱色の鳥居に背中を預けて、その人物は眩しく光るスマートフォンの画面を見ながら酷薄な笑みを浮かべていた。


『……余計なことをするな』


 後ろに人の気配を感じて手を止める。

 敢えて振り向くことはせず、会話を誰にも聞かれないように注意して答えた。


「酷いなぁ、人が折角気を回してあげたっていうのに……」


『明らかにやりすぎだ。たったアレだけの為に、あんな大騒ぎを起こす必要がどこにあった? けが人ならともかく死人まで出して……!』


「それはボクの知ったことじゃないなぁ……」


『貴様!』


 殺気を即座に殺気で返す。背中越しに相手を威圧し、両者は睨み合う。

 夜風が吹いて葉桜の揺れる音が闇の中を不気味に蠢いた。


「……忘れちゃったの? ボクは君の部下でも仲間でもないんだよ? それに君だってボクの企みを上手いこと利用したくせに……。邪魔だったんでしょ? あの人が」


『……』


「もう一度改めて言っておくけど、ボクを破滅させたら君が望んでいるものは一生手に入らないよ? それが嫌なら、ボクの邪魔だけはしないことだね」


 相手が黙ったのを見てさらに畳みかける。

 しかし、その脅しはあまり効果がないようだ。


『貴様こそ、自分の立場を忘れていないか? こちらがその気になれば、お前の破滅は一瞬だ。長生きしたいなら大人しくしていろ。……そして、早く約束を果たせ』


「……はいはい、分かってますよ、それくらい。相変わらずせっかちだねぇ、君は」


 殺気が収まったのを感じて、適当な返事であしらう。手をひらひらと振って退散を願うと、気配は音もなく消えて残された人物は必死に隠していた緊張をため息にして逃がした。


「……はぁあ。……全く、こっちだって二回も同じこと言われたくないってば……」


 その顔を仄かに照らしているのは液晶画面の妖しい光。開いて見ていたのは、つい先程届いたばかりのメッセージだった。



『余計なことをするな』



 もう一度その画面を見返して、ついついこぼしたため息が初夏を思わせる南風に攫われて消えていく。


 四月が終わる。春が過ぎる。

 次に桜の花が咲き誇り、儚く舞い散るのは、一年先か、それとも……――。


 あの満月の夜。天を舞った桜の花を思い出し、その人物はまた微笑みを浮かべ、頬を不気味に吊り上げていた。


第4章『東風吹かば春の騒乱』〈了〉

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