春からの祝辞
弛緩していく空気につられて、静夜もようやく身体から余計な力を抜いた。
「舞桜、お疲れ様」
隣の少女に声を掛けると、彼女は表情から強張りが取れた途端、憑霊術がこと切れて身体が膝から崩れ落ちる。
慌てて支えると、華奢な身体がずっしりと寄りかかって来て重たかった。
「……かなり無茶したね」
「そ、そんなことは……、いや、白状すると今もまだ右半身の感覚が戻らない」
強がろうとしても、こんな状態では無意味だと悟ったようだ。
無理もない。
「ホント、〈桜花刈〉があってよかった」
アレが無ければ今頃、竜道院舞桜は確実に死んでいた。
つい先刻まで彼女の身を優しく包んで守っていた妖たちと、力を貸してくれた死神の少女に、静夜は心の中で感謝を述べる。
「だが結局、私は勝てなかった」
「え?」
舞桜は自嘲をこぼし、左の拳を強く握って震わせた。
「
俯く少女の悔しそうに漏れる声を聞いて、静夜は胸に痛ましさを覚える。
「アレは仕方ないよ。あんな大技、
「だとしても、私がこの戦いで成せたことは何もない……」
自身への失望からか、少女の小さな握り拳から力が抜けた。
そんなことはない、と静夜は即座に舞桜の自虐を否定しようとして、出来なかった。
舞桜は、たった一人で猛威を振るう青龍に戦いを挑んでいった。勇敢に立ち向かい、青龍を翻弄し、遂にその首を堕として見せた。
しかし、それらはあくまで過程に過ぎず、結果ではないのだ。
最終的に、青龍の眷属に負けを認めさせ、京都の街を救ったのは、黄竜を引き連れて現れた竜道院羽衣だった。
他の陰陽師たちもほとんどがそういう認識でいる。
竜道院羽衣がいたから、全てが丸く収まったのだ、と。
最早、禁術を操る15歳の少女の孤軍奮闘など、その他の出来事に掻き消されてみんなの記憶の中で色褪せているのかもしれない。
それでも、
「それでも、今夜の君の戦いは、絶対に無意味じゃない」
静夜は力強くそれを断言した。
ふり絞った勇気が、堪えた涙が、貫いた意地が、無価値だったなんて言わせない。
「きっといつか実を結ぶ。今夜のことも、これまでのことも全部合わせて。……それに、今日はみんなが、君を見ていた。あの大鎌を持って空を飛び回る君を。龍の首を堕とした君を。……あれはそう簡単に忘れられる光景じゃないよ」
少女が顔を上げ、二人は至近距離から見つめ合う。
静夜は決して目を逸らさず、その言葉に嘘がないことを証明しようとする。
「よく頑張った。今は、それだけで十分だよ」
「……」
舞桜はしばらく無言で静夜の瞳を奥まで覗き込んだ後、反論することなく、ただその励ましを受け止めて穏やかに目を閉じた。
「……ありがとう」
小さな声で呟かれたその言葉を耳にするのは、これでようやく二回目だ。
静夜は舞桜に肩を貸して、面倒な事後処理に巻き込まれる前に現場から立ち去ろうとする。疲れて座り込んでいた
静夜がそう思って足を踏み出した、その時、
「――おい、ちょっと待て、お前たち」
後ろから声が掛かった。
あまりにも意外なその声に驚いて、無視するわけにもいかず、静夜と舞桜はゆっくり振り返って、自分たちを引き留めた声の主を確認する。
「……せ、青龍」
思わず名前を呼んでしまい、慌てて口を塞いだ。
改めて近くで見ると、少年の姿に変化した青龍は思っていた以上に小柄な体躯をしていた。
月の光に照らされる顔はやんちゃでわんぱくな男の子といった風貌で、少し長く伸ばした青色の髪は遊ばせており、何と言うか、烏帽子を被っていた眷属のモグラと比べるとかなりイマドキな格好をしている。背丈は160センチほどと低く、見上げられると神獣の威厳を感じるというよりも、ちょっと尊大な態度が過ぎる生意気な男子高校生を前にしているような気分になった。
「……さっき〈桜花刈〉を持っていたのは、お前だな?」
静夜も舞桜も何も言えずに固まっていると、青龍は舞桜を見つめてあの神器の銘を口にする。
「……そう、ですけど……?」
舞桜は緊張した面持ちで、珍しく敬語を使って答えた。
青龍は、静夜に寄り掛かる舞桜の容姿を頭の頂点からつま先までじっくりと不躾に観察すると、清々しく嫌味のない笑顔で、
「思ってたよりもちんちくりんだな!」
と、見事なまでの嫌味を言い放った。
「ち、ち、ち、ちんちくりん?」
今まで誰にも言われたことがないであろう衝撃的な言葉を聞いて、舞桜の声が怒りに震える。
「あれ? もしかして気に触ったか? 悪い悪い。……いや、アイツの跡を継ぐ者がやっと現れたってことで俺にもちょっと思うところがあってさ……。それでどんな奴かと思って声を掛けたんだけど、想像と大分違ったもんだから、ついな」
「その言葉、そっくりそのままお前に返してやる! 私をちんちくりんと言うなら、お前だって十分に子どもだろうが! まさかとは思うが、お前はその見てくれで先代への求婚が上手くいくとでも思ったのか?」
「ちょ、舞桜! 仮にも神様に向かってその口の利き方は――!」
侮辱の言葉に顔を赤くした舞桜の暴言を止めようとして静夜が割って入る。
怒ったかと思って青龍の顔色を恐る恐る窺うと、言い返された少年は何故か舞桜以上に頬を真っ赤にして視線を泳がせ、パタパタと手で顔を扇いでいた。
「き、き、きゅ、き、求婚だと⁉ お、俺がいつ誰にそんなことしたって言うんだよ! まさかアイツ、あの時のことを今もまだ変なふうに解釈して勘違いしてんじゃねぇのか? お、俺は別にあんな奴のこと好きでも何でもなかったんだからな! 今でもそうだ! 今度アイツに会ったらちゃんとそう言っとけっ!」
「……」「……」
神獣の威厳はどこへ行ったのか。
あまりにも見た目の年齢に相応の反応が返って来て、静夜と舞桜は唖然としてしまった。
遠い昔、青龍とあの桜色の死神との間に何があったのかは知らないが、少なくとも、この神獣があの少女に今もまだ恋心を抱いていることだけは確かなようだ。
「ああ、クソ! とにかく、その、……なんだ⁉ ……一応、アイツの古い友人として? あと、春の季節を象徴する神獣としても、――俺はお前の誕生を心から祝福する」
「……ぇ?」
突然、思いも寄らない祝辞を賜り、舞桜の口からは戸惑いの声がこぼれる。
おそらく、竜道院舞桜という少女にとって、そんな台詞を真顔で言われたこともまた生まれて初めてだっただろう。大きく見開かれた朱色の瞳が震えるように揺れている。
今までその霊媒体質を忌諱されて、『妖に愛された呪いの子』と蔑まれ、父や兄には目も向けて貰えず、産んでくれた実の母にすら疎まれた。
生まれてきたことを祝福する。まさかそんな言葉を、四神の一柱たる青龍から受け取ることになろうとは、思ってもみなかったに違いない。
静夜もまた舞桜の隣で、開いた口が塞がらなくなっていた。
「……それじゃあな! 今度こそ、アイツらとの約束を果たしてやれよ」
最後にそう言い残して、照れくささから逃げるように、青龍は片手を挙げて立ち去って行く。
置き去りにされた静夜と舞桜は、まるで有名な映画俳優に声を掛けられた後のような夢見心地の感覚に陥っていた。
春の色は青。
遠ざかっていく青龍の背中を見送りながら、あの神獣は「青春」という言葉がよく似合う少年だな、と静夜はぼんやり、そんな感想を抱いた。
桜の舞い散る春の夜に、穏やかな東風が優しく頬を撫でていく。
今宵の戦いが、そして、青龍との
願わくば、彼らを待ち受ける運命に一筋の希望があらんことを。
夜空には黄金に輝く満月が、数多の星々の光に負けないように夜道を明るく照らしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます