竜道院羽衣と青龍

「……アレが本物の、『青龍』」


 はっきりとその姿を捉えて、舞桜まおが思わず感嘆をこぼす。本物の青龍が放つ風格と威厳は偽物のそれとはまるで比べ物にならなかった。


 空を泳ぐように飛ぶ青龍は、その眷属が神器の力を使って作り上げた虚像とはまるで違う。鱗一つ一つの輝きも、風になびくたてがみと髭の美しさも。そして、その風貌から伝わってくる計り知れないほどの力の気配も。

 もしも、相手にしたのが本物の青龍だったなら、舞桜は何一つ反撃できないまま蹂躙されて敗北を喫していたに違いない。


 空中で呆然としたまま、舞桜は青龍とすれ違う。

 黄竜おうりゅうの方へ向けて下降し始めた青龍の背を追って、舞桜は今更思い出したように地上で立ち尽くしている静夜の隣へと降り立った。

 気付けばいつの間にか、他の陰陽師たちは既に地上に降りており、大学の裏手で戦っていた勝兵しょうへい百瀬ももせ姉妹たちもこの異様な静けさに気付いて集まって来ている。


 京都の街の中心で突如として始まった神々の会合を、陰陽師たちは固唾を呑んで見守った。


「……なんか、とんでもないことになったね……」


 少女の着地を気配で感じて、静夜せいやからはそんな声が漏れる。


「ああ」と返す舞桜の声もどこか上の空だ。


 まるで、別の世界の出来事を眺めているみたいだった。


『……おいおい、……無理矢理叩き起こされて、仕方なく降りて来てみれば、俺がちょっと寝ている間にとんでもないことになってんな……』


 風に乗って聞こえてきたのは粗野で乱暴な言葉遣い。けれど、春のような暖かさと優しさを含んだそれは、聞いていて何故が安心してしまう不思議な声だった。


 纏った風を操って優しく着地した青龍はそこで姿を変化させる。


 思ったよりも小柄な高校生くらいの少年が、黄竜の横に控えて立っていた。


 静夜たちの方には背を向けているため顔立ちまでは分からないが、風に流れる青い髪が、その者の神名を自ずと物語っている。


「久しいのぉ、青龍。また会えてわらわは光栄に思うぞ?」


「ん? ……おぉ、誰かと思えばてめぇか。前に見た時よりも随分と小さくなったなぁ……。俺はもう二度とてめぇなんかとは会いたくなかったんだけどな……」


「そう連れないことを言うでない。ともに命を懸けて戦った仲ではないか」


「俺はお前たちの味方をしたわけじゃねぇ!」


「ふん、そう言えばそうじゃったのぉ……」


 いったい何の話をしているのか、周りの陰陽師たちにはさっぱり分からない。


 ただ、この世に生まれて十年ほどしか生きていないはずの竜道院りんどういん羽衣はごろもが、青龍と訳知り顔で話をしているその様子は、彼女が伝説の陰陽師の先祖返りだという迷信に、強い信憑性を持たせるものだった。


 青龍は、羽衣の椅子になっている黄竜の方へ目を移す。黄竜も爽やかに整った彼の顔を見返すが、交わされる言葉は何もなく、青龍はただ寂しそうな、また憐れむような視線で黙って黄竜を見つめていた。


 そして何も言わないまま、青龍は頭を垂れて縮こまっている己の眷属の肩に手を置いた。


土竜もぐら、お前にも苦労を掛けたみてぇだな。俺が賊の襲撃を予知出来ていればこんなことにはならなかったんだが……」


「も、もったいないお言葉にございまする、青龍様! 全てはわたくしの失態。如何なる罰でもお受けいたします」


 モグラと呼ばれた眷属は、さらに額を地面に擦りつける。


「うむ。罰を受ける覚悟は決まってるみてぇだが、土竜。……お前は何の罪で責められてんのか、そこんところちゃんと分かってんのか?」


 土竜は顔を上げた。すぐに答えようとして口を開くも、言葉は出て来ず、そのまま黙って俯いてしまう。待っていた青龍は困ったように呆れたため息をついた。


「はぁあ。……周りを見てみろ。お前は祠を荒らされた腹いせに、街ごと人々を焼き払おうとしたんだぞ? 俺に忠をしてくれるのは嬉しいがな、土地を預かり、守るべき立場のお前が怒りに任せて破壊の限りを尽くしてどうする⁉ きちんと反省しろ!」


「はっ、ははぁ。弁明のしようもございません……」


「……お主、青龍の姿と名前を勝手に借りて暴れ回ったことは咎めなくても良いのか?」


「それは俺の口から文句を言えることじゃねぇな。腐ってもコイツは俺の眷属。コイツの行いは全て俺の行いということになる。最初から土竜が自分の名前を名乗っていたとしても、俺が責任を負うことに変わりはねぇよ」


「相変わらず、そういうところだけは律儀じゃのぉ」


「うっせ、黙ってろクソババア」


「今の童は十一歳を迎えたばかりじゃぞ? ババアは失礼であろう?」


「……はいはい。お前に付き合うつもりはねぇよ」


 立ち上がって悪態をつく青龍。そのやり取りだけで、羽衣と青龍がかなり親しい間柄であることが見受けられた。


「さて、裁きの時じゃ、青龍。こちらはお主の可愛い眷属に、同胞を一人殺されておる。それ相応の沙汰でなければ童が許さぬぞ?」


 羽衣に睨まれた青龍はしばし考え込む。


「……そいつに子供は?」


「幼い娘が一人おる」


「じゃあ、その娘が二十歳を迎えるまで奉公に出て尽くすこと。それを土竜もぐらへの罰とする。嫌われても恨まれても、娘が成人するまではお前の命に代えてでも守り抜け。いいな?」


「は、はいぃい!」


 土竜はまた地に頭を擦りつけて主からの勅命を承った。


「少し刑期が短すぎるかもしれないが、その娘の心がいつまでも父の死に囚われてしまうのは可哀想だ。土竜は、気は弱いが根は優しく義理堅い奴だ。煮ても焼いても死にはしないから、召使でもペットでも好きに可愛がってくれればいい。もちろん、俺も後で直接謝罪に出向く。……これでいいか?」


「まあ、よかろう。……この焼け野原はどうしてくれる?」


「これは俺が何とかしよう。一晩もあれば壊れた街並みくらいは元に戻せる。死んだ人間は無理だが……」


「その心配は無用じゃ。童の同胞たちの人除けに抜かりはないでの」


 幸いなことに、今夜の戦いにおける死者は一人もいない。重傷者が多いことに目を瞑れば陰陽師は全員無事であるし、街の人たちはここが戦場になる前に《平安会》の人除けによって出払っている。街さえ元に戻れば、朝にはいつもと変わらない日常が返って来るだろう。


しからば、これにて一件落着じゃの」


「おい、馬鹿、待て!」


 勝手に一人で一本締めをしようとした羽衣を、青龍が鋭く見咎めて止めた。


「こっちは大事な祠を壊されたままなんだ。こっちはこれで手を引くんだから、お前たちにも義理は通してもらうぞ?」


「ああ、分かっておる。必ず盗人ぬすっとを捕えて、貴様の前に突き出すと約束してやろう。


 自信たっぷりに笑う羽衣。睨み合う二人の間に不気味な沈黙が下りた。


「……土竜、もういい、下がれ」


「はっ!」


 青龍が命じると、土竜は即座に返事をして小人の姿から本来の身体に変化する。モグラと呼ばれた通り、眷属の土地神としての姿は小型犬ほどの大きさの土竜で、土を掘るための両腕には銀色に光る巨大な爪が備わっている。おそらく、一昨日の夕刻に《平安会》の陰陽師を殺し、勝兵にも襲いかかった見えない凶刃というのはきっとアレのことだろう。傍から見ていた静夜はやっと事件のあらすじを理解した。


星明せいめい!」


 モグラが地中に潜って姿を消すと同時に、羽衣は信頼できる従者を呼びつける。


 野次馬の中から素早く羽衣の前へと躍り出た竜道院星明は、自分より少し背の低い青龍を一瞥した後、すぐに膝を着いて、従妹に対して頭を垂れた。


「はい。星明はここに」


「あとのことは任せる。……早くその傷を治せよ」


「はい。ありがとうございます」


 たったそれだけの指示で星明に雑事を全て押し付け、竜道院の姫君は黄竜に乗って春の星空の彼方へと飛び去って行った。


 童女の姿が見えなくなって、止まっていた時間がようやく動き始める。


 誰かが大きく安堵の息を吐いてその場に倒れ込むと、緊張しっぱなしだった陰陽師たちは我に返って、それぞれに怪我の痛みを思い出していた。


 長い長い春の夜が、遂に終わったのだ。

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