黄金の竜

 しかし、たとえどれだけの人数が束になってかかろうと、星を砕き割る絶滅の一撃を前にしては、陰陽師も所詮は地上を這いまわる虫けらと何ら変わりがない。


 殴れど蹴れど、巨大ないわおにはヒビの一つも刻まれず、何重にも折り重なった強固な結界もその質量と重力には抗えず、脱落する者が出る度に綻びが生じる。

 頼みの綱である『鉄壁の巫女』も、隕石を支えるほどの結界をいつまでも維持していられるわけがない。次第にその表情は険しくなり、額には汗が滲み、伸ばした腕も震え始める。


 先陣を切った静夜せいや舞桜まおも、既に限界だった。

 抗いようのない運命が今、現実の未来となって来迎する。


『我が名誉と共に堕ちるがいい! 人間ども!』


 遂に、青龍の神威かむいが陰陽師たちの結界を打ち破る。

 再び落下を始める隕石。大気を押しのける轟音を発しながら、全てを闇に葬り去ろうとする。

 静夜たちにはもう、それを食い止める手立ても力も、何一つ残されてはいなかった。



「――……そそるのぉ」



 絶望の果てに聞こえて来たのは、星と星とがぶつかる大災厄を、嬉々として楽しむ童女の嗤い声。

 隕石の向こうに広がる夜空に、黄金の輝きがたなびいていた。


「――黄竜おうりゅうよ、喰らえ」


 名を呼ばれた伝説上の神獣は、その命令に驚くほど素直に従った。

 強靭な顎が星に喰らい付く。人の力では傷をつけることすら叶わなかった隕石に無数の亀裂が走り、噛み砕いて掘り進めた穴が上から下まで繋がると、黄金に輝く竜の首は地上へ向けて雄々しい尊顔を覗かせた。


 青龍の首より一回り以上も大きく、頭には琥珀で出来た立派な双角。たてがみと髭は月の光を浴びて白く輝き、深緑の双眼が地上の全てを見透かして睥睨へいげいしている。


 轟く咆哮が天空から大地を揺らし、その衝撃によって穴を穿たれた隕石は音を立てて砕け散り、その破片すらも細かい砂と化して風に攫われてゆく。


「……どうやら、ちゃんと間に合ったようじゃのぉ」


 竜のたてがみの中から、幼い少女が顔を出す。


「は、羽衣はごろも様!」


 黄金の竜に乗って現れた童女を仰ぎ見て、誰かが救世の聖女を呼ぶような声でその名を呼んだ。


「羽衣だ」「羽衣様だ!」「羽衣様が来て下さった!」


 彼女を尊ぶ竜道院一門の陰陽師たちはもちろん、他の家の陰陽師たちも、竜の威光を示して君臨する童女の様を見上げて歓声を上げる。

 竜道院りんどういん羽衣はごろも。その昔、平安の都を暴れ回った竜を退治し、時の天皇に讃えられたという竜道院家の始祖、その先祖返りと噂される少女。


 そして、彼女の従える竜こそが、かつて京都の街を壊滅させかけたと伝わる四神の王。


「……あれが、黄竜」


 静夜も見入ってその名を呟いていた。

 陰陽師に倒され、今や童女の式神となって仕えているいにしえの怪物。あの竜道院羽衣が始祖の魂の生まれ変わりだと崇められる証明。


『お、黄竜だと? 馬鹿な! あやつは封印されてもう二度と目覚めないと、昔、青龍様が……!』


 目に見えて狼狽える自称青龍の生首は、隠れる巣穴を探す小動物のように視線を泳がせている。

 しかし、隕石の召喚によって力を使い果たしてしまったのか、変化の術もままならないようで、生首だけは動けず逃げられない。


 黒い雲が晴れた春の夜空には、星の輝きが静かに満ちていた。温かく柔らかい春の風が邪気を祓い、妖の気配は消えていく。

 青龍の威光は、最早どこにも残されていなかった。


 天高くから、一部が焼き払われた京都大学の敷地を見回し、羽衣はグラウンドだった場所に転がっている青龍の首を見つけて、獰猛な笑みを浮かべる。


 黄竜の頭を二度叩いて下に降りて来ると、動けない生首は額から大粒の冷や汗を垂らして弁明の言葉を考えた。


「……初めまして、と言っておこうかのぉ、青龍殿? 童のことが分かるか?」


『……』


 頷くべきなのか、それともかぶりを振るべきなのか、正解が分からず青龍を名乗ったその口は固く閉ざされる。

 羽衣は、何もかもを見透かしたような目を微笑みで細めたまま、のしかかる沈黙を許した。


「……まあ、分からずともよい。あの頃とは随分と姿形が違っておるからのぉ……。して、周りを見渡す限りお主はかなり虫の居所が悪いようじゃが、何かあったのか?」


 問いが変わって、またしても青龍は答えに窮する。

 二人の問答を見守る京都の陰陽師たちには、物音を立てることすら憚れた。地上に立つ静夜たちはその場で固まったまま。上空にいる舞桜たちは地上に降り立つことさえも忘れている。


 二度も質問に答えないのは不味いと思ったのか、青龍の首は意を決して口を開いた。


『……な、な、何者かが、我の領地を踏み荒らした挙句に、祠に納められた神器を持ち去ったのだ! これは明らかに、我に対する侮辱。捨て置けぬ故、この地にのさばる強欲な陰陽師どもを根絶やしに来たのだ!』


 目を見開き、勢いに任せて大義名分を語る。聞き届けた羽衣は「ほぉお?」と顎を上げて理解を示した。


「なるほど……。それは確かに、お主の怒りも計り知れよう……。じゃが、少し順番が違うのではないか?」


『じゅ、順番だと?』


「都を滅ぼす前にすることはまず盗人探しであろう? 誰のせいでお主の名誉に傷がついたのかを検め、しかと罰を受けさせるのじゃ。祠を派手に荒らした無法者じゃ。祠を祀った土地一帯を収めている土地神とちがみにでも話を聞けば、面はすぐに割れるじゃろう……」


『と、土地神に、か?』


「そう、土地神に、じゃ」


 その瞬間、青龍の顔が引き攣った。

 全てお見通しであろう羽衣は、その反応に嗜虐心を刺激され、恍惚とした表情で腕を組み不敵に笑って傲岸不遜に顎を高く持ち上げる。


「そう言えば、風の噂で聞いた話じゃと、お主はわらわが黄竜を支配した後、祠を守る土地神を自身の眷属として召し上げて、いたく可愛がっていたそうではないか……。其奴そやつに訊けば正直に答えてくれるのではないか? そして話を聞いた後は、主人が眠っている間の留守を守れなかったその眷属とやらに、たっぷりとお灸をすえてやらねばならぬのぉ……」


 元から青い鱗で覆われている顔がさらに真っ青に染まっていく。

 話を聞いていた誰もが、青龍を名乗るあの生首の正体と、その事情を察した。


『……』


 本当に何も言い返すことができなくなる偽りの青龍。

 羽衣は、最初から立場のない相手をさらに追い詰めて苦しめる遊びをようやく終わりにして顎を引き、最低限の礼を尽くしてまっすぐに相手を見つめた。


「……もう良い。下手な芝居はやめよ、青龍の眷属よ」


 命令に従い、青龍の首はその姿を変えた。青い光が宙に溶け、魂を失った虚像が消え失せると、そこには白い着物と黒い烏帽子えぼうしを被った小人の下男げなんが地に頭を付けてひれ伏していた。


「……あれが、青龍の眷属……」


 ついに正体を現した眷属の姿に、静夜は思わず声を漏らす。周りの陰陽師たちも同様に驚きざわついた。


「……お初にお目にかかります。黄竜の主様。我が名は『青き龍の東域を預かりし護り手』。青龍様より、東の祠の守護を任されていた土地神にございます」


「よい。面を上げよ」


「はっ」


 小人、と言ってもそれは幼少の時分に成長が止まってしまった初老の召使のような容貌だった。顔にはしわが浮かび上がり、男性にしては小柄過ぎる体躯と細い腕からは隕石を堕として街を滅ぼそうとした時の威厳をまるで感じない。それどころか、本来の彼は生涯下男というか、他人には強く出られない気の弱さが滲み出ているように感じられる。


「こ、この度は、大変申し訳ございませんでした。わ、わたくしめはただ、奪われた青龍様の神器を取り戻そうと――」


「言い訳は聞かん。まずは〈青龍の横笛〉を返すがよい」


 許可なく口を開いた土地神に対し、羽衣は厳しい口調で咎める。

 震え上がって「はいぃ!」と返事をした下男は即座に懐から横笛を取り出し、頭上に掲げて奉った。


「……貴様への罰は、貴様の主人が直接決めるじゃろう。――いい加減に起きよ、青龍」


 羽衣の投げた言霊に、〈青龍の横笛〉は青白い輝きで答えた。

 誰もがその反応に目を疑い、横笛がその光を一筋に束ねて東の空へ放つと、夜空の暗闇から姿を現した巨大な龍の影に一部の陰陽師は腰を抜かした。

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