舞い散る夜桜の音をかき消さぬように
「……あれは、本当にあの子なのか?」
敵の懐へ飛び込んでいった少女を見上げて、
縦横無尽に空を翔ける少女は、巨竜の爪や牙を掻い潜り、大鎌による斬撃を的確に叩き込んでいく。
腕に覚えのある陰陽師なら一瞥しただけで気付くだろう。彼女が身に纏っている妖力の総量が、その密度と純度が、今まで目にして来た舞桜の
それはおおよそ、妖力を纏った術者が自我を保っていられるような優しい量ではなかった。
まともな陰陽術が何一つ使えなかった落ちこぼれの
「何をぼさっとしてるんですか! 早く結界を張り直して、戦線を立て直して下さい!」
呆ける《平安会》に喝を入れるような声が、時計台の上から降りて来た。
《陰陽師協会》京都支部支部長の
「青龍はしばらく彼女に任せておけば大丈夫です」
「貴様! 《陰陽師協会》は時計台裏手の防御が任務だったはずだ。その役目を放棄して、手柄欲しさに出しゃばるつもりか⁉」
老成した竜道院一門の陰陽師が、独断の介入に異議を唱える。
縄張り意識をむき出しにした対抗意見。予想していた通りのつまらない罵声を、静夜は苛立ちを隠さない鋭い流し目で一蹴し、黙らせた。
「《平安会》がこの体たらくでは仕方ありません。後ろは部下が抑えています。それにあの青龍は偽物です。〈青龍の横笛〉を取り返すことが出来れば、まだ勝機はあります!」
「何故あの青龍が偽物だと言い切れる?」
「確かな筋からの情報です」
静夜は、今はもうどこかへ消えてしまった少女の声を思い出す。
『……いい? あの青龍はほぼ間違いなく偽物だから、倒す必要はどこにもないの。アレがどこかに隠し持っている〈青龍の横笛〉を奪い返せばそれで決着がつくから』
当然、最初は静夜も訝しんだ。少女の気配にその根拠を尋ねると、風に乗った声はあっけらかんとした様子で、
『だって、言葉遣いが違うんだもん。あんなに偉そうじゃなかったよ? 昔、私に求婚してきたときの青龍は』
と答えて、静夜たちを絶句させてくれた。
『これ、生涯の自慢ね』
最後に弾んだ声でそんなことを言われてしまっては、もう返す言葉など浮かんで来ない。
「とりあえず今のうちに、外で倒れている負傷者を下がらせて治癒するなり、応援を呼ぶなりして彼女を援護する準備を整えて下さい! 話はそれからです」
静夜が再び、広場に
上空を見上げると、風に乗って天を舞う少女は
ちょこまかと動き回る目障りな羽虫に苛立ちを覚え、青龍はその短い前足で少女を捕まえようともがいた。左右から挟み込むようにして四本の指を持つ前足が迫る。
空中で急停止した舞桜は、巨大な前足に叩き潰されてしまう直前でひらりと身を翻し、宙に舞う桜の花びらの如く指の間からすり抜けて攻撃を躱した。
さらに身体を捻って回転させ、遠心力で大鎌を薙ぎ払う。すると刃は青龍の右前足の指を一本切り落とし、そのまま刃先を喉元に突き立てると急上昇。下顎までを一気に深く抉って引き裂いた。
青龍の上体が大きく仰け反る。舞桜は月を背にして振り返り、気を緩めることなく敵を警戒して大鎌を構えた。
やはり、強い。
〈
妖力の扱いは、非常にデリケートで難しい。半妖である月宮
それを舞桜は、まるで自分の手足と同じように使いこなしていた。
これは彼女の、時代には恵まれなかった才能の成せる業なのか、それとも、少女の覚悟に応えようとしているあの妖たちの意志なのか。
真相はよく分からない。だが静夜にとって、そんなことは既にどうでもよいことだった。
今、竜道院舞桜は、自分が進むべき道を、自身の意志と信念に基づいて、自らの手で切り開こうとしている。
朱色の瞳は未来を見ていた。乗り越えなければならない困難と対峙し、挫けそうになる己と戦い、理想とする夢に手を伸ばしている。
たとえ、どんな結果に終わったとしても、今夜の戦いは決して無駄にはならない。
立ち向かうことそのものに、結果では語れない意味が存在する。価値が生まれている。
春の月夜を舞う桜色の死神は、悠然とそれを示していた。
「……ふん、あれほどの憑霊術など、そう長くは持つまい。そのうちすぐにまた暴走を起こすに違いない」
「あれだけの妖力が
「手柄欲しさに出しゃばって来て、余計な面倒事を増やされるんは堪らんなぁ」
しかし、少女の勇姿を見てもなお、恥知らずな囁き声は、周囲の同意を求め、喧伝するかのように堂々と
「まあよい、最悪、羽衣様が来られるまで持ち堪えてくれれば、あとはどうとでもなるやろ」
「欲を言えば、同士討ちになってくれたほうがええんとちゃうか?」
「そしたら、竜道院家も嬉しいやろ。厄介払いと一緒に、一族の末娘が街を守るために命を懸けて戦いましたっちゅう美談が作れるわけやさかいなぁ……。ハハハッ」
虫唾が走るほどの嘲笑が聞こえて来た。
「――うるさい」
静かな反論を思わず返す。
月宮静夜は、殺意を隠さない視線で《平安会》の陰陽師たちを睨み、腰に差した小太刀の柄に手を掛けた。
その冷笑は、涙を堪えた少女の苦しみさえも馬鹿にしている。
「ん? なんか文句でもあるんか? 三流陰陽師」
若い陰陽師が眉間にしわを寄せて静夜を睨み返したその刹那、――逆手に抜いた〈
咄嗟に、《平安会》の陰陽師たちが一斉に身構える。
その時既に、彼らは全員、青年の間合いの内に捉えられていた。
「――黙って見ていろ」
肉薄した静夜は、挑発してきた陰陽師の耳元でそう呟くと、彼らを置き去りにしてさらに駆け出す。
全く反応できなかった《平安会》の陰陽師たちは、青年の姿を目で追って慌てて振り返り、大学の正門の前に転がった無数の妖の残骸を見て、言葉を失った。
小太刀を払って鞘に納める三流陰陽師。
密かに忍び寄って来ていた何体もの妖たちが霞となって春風に攫われていくその傍らで、瞬く間にそれらを斬り伏せた青年が、冷や汗の止まらない自称一流の陰陽師たちを、その揺るぎない瞳で睨み付けていた。
「……今いいところなんだから、――雑音を立てるな」
何か言い返そうものなら、声を発した瞬間に二度と口が利けなくなる。
その目に射竦められた者たちは、誰もがそれを直感して口を噤んだ。
得も言わさぬ恐怖と迫力が夜を支配し、そこにはようやく静寂が下りる。
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