第15話 春の桜が舞い散る夜に
春の夜を舞う桜の死神
京都大学、時計台前のクスノキの下で、
愛用の
「行かせてください! たとえこの怪我でも、戦線を立て直すまでの時間稼ぎくらいは出来るはずです!」
「ダメだ、星明! 利き腕が上がらない状態で無理をするな! それに我らは、
竜道院一門の中でも強い発言力を持つ強面の長老が頑として星明の前に立ち塞がる。彼は、星明の父、竜道院才次郎から、息子が
そんな歴戦の陰陽師である彼にも、今が非常に不味い状況であることは分かっていた。
今の《平安会》に足りないもの。それは、青龍を結界の外に釘付けに出来るような対抗力だ。星明が万全の状態であればその希望を託すことも出来たのだが、手負いの英雄は壮年の陰陽師三人掛かりの制止すら振り払うことが出来ないでいる。
いつもの彼ならば、この程度の妨害はすぐに振り解いて青龍の正面に躍り出ているはずだ。それが出来ないということは、彼の右肩の傷はそれほどの深手であるということ。
先日、星明が
本来なら、現場で作戦の指揮を執ることすら控えるべきだと言うのに、彼は強引に屋敷を飛び出し、そのまま京都大学に集まって来た陰陽師たちを取りまとめている。これ以上の無理をさせるわけにはいかなかった。
しかし、このままでは本当に戦線が崩壊してしまう。
次々と脱落していく結界班の陰陽師。攻勢を緩める気配のない青龍を見上げて、《平安会》の長老は苦虫を噛み潰した。
そこへ、――
「――兄上、失礼」
頭上から飛び降りて来た桜色の影が、星明の手から最前線への切符を奪い去った。
駆け出していくその後ろ姿に誰もが目を見張る。
たなびく桜色の長髪は花の残り香を漂わせ、春風は花びらを攫って彼女の元へと集まっていく。細腕の小さな両手には少女の背丈ほどもある大きな鎌を携え、その鋭い刃先は妖しく煌めき、見る人すべてに恐怖を与える。
「……し、死神」
誰かが思わず呟いた。
春の月夜に照らされる少女はまさに、大鎌を振るって人々の命を刈り取る桜色の死神。
「――連れていけ、〈
春一番の突風が、少女の身体をまるで花びらのようにすくい上げる。大鎌を手に宙へ浮かんだ舞桜はそのまま旋風に背を押され、桜の花舞う夜空へと翔け出した。
風に乗って空を飛ぶ。
〈禹歩〉とは全く違う、それは彼女にのみ許された空での振る舞い方だった。
青龍へ向かって一直線に、真正面から飛び出した舞桜は、兄から奪った呪符を飲んで結界を超えると、すれ違いざまに怪物の龍角をその〈
正中線を斜めに薙いだ一撃は青龍の顔面を深く抉り、体内を巡っていた妖力が血潮の如く盛大に吹き上がる。
青龍は大きく体勢を崩し、鼻頭から眉間に掛けて走った痛みに悶えた。
舞桜はしばらく飛んで十分に距離を取り、空中に滞空したままで振り返ると、同様に後方を振り向く青龍と対峙する。
誇り高い
『……貴様、今更単身で我に逆らおうというのか?』
頭に直接声が響く。舞桜はその威圧を聞いても臆することなく〈
「ああ、その通りだ。……ところで青龍、お前はこの大鎌に見覚えはあるか?」
突然の問いに青龍は目を細めた。少女が担ぐ神器を見定め、やがてそれを鼻で笑う。
『……ふん、知らぬな。見たことがあったとしても、取るに足らない下賤の輩の得物など、偉大なる我の記憶に残っていようはずがない』
「……なるほど。どうやらアイツの言っていたことは本当らしい」
『何の話だ?』
「別に何でもない。偽物のお前には関係のない話だ」
『……貴様は今、我を侮辱したか?』
「ああ、侮辱した。虎ではなく、竜の威を借りたただの狸だとな」
『その安い挑発を高く買ってやろう』
最早名乗りの口上は不要とばかりに、天に渦巻く黒雲が更に大きく膨張を始める。
怒髪天を突く青龍は、情け容赦ない妖力と殺意を小柄な少女へと向けて、対する桜色の死神は下段に構えた桜花刈で受けて立とうと、春風を身に纏って飛び込んだ。
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