桜花繚乱

 一方で舞桜は、〈青龍の横笛〉の在り処を未だ掴めずにいた。

 あたりを付けて桜花刈を振るい、その巨体を斬り開いて中を覗いてみても目当ての神器は見つからない。なんとか戦いの主導権だけは手放さずにいるものの、青龍を名乗る怪物が痺れを切らして本気を出せば、戦局はすぐにでもひっくり返るだろう。


 桜花刈おうかがりで斬った傷跡はすぐに再生され、最初に斬り落とした指も既に元に戻っている。

 力で押し切れるような相手ではなく、舞桜は思った以上に苦戦を強いられていた。


「……ふッ!」


 もう一度、桜花刈を振り上げて仕掛ける。

 青龍は真正面から受けて立った。その大顎で少女を噛み殺し丸呑みにしようと口を大きく開ける。


 舞桜はまた身をひらりと翻して攻撃を躱し、青龍の懐に飛び込んだ。今度はその胴体を真っ二つに断ち切るつもりで大鎌を構える。


 すると青龍は、舞桜のすぐ頭上でとぐろを巻き、腹の下に青い光を放つ法陣を敷いた。


『これなら逃げられまい! ――〈針雨しんう天蓋てんがい〉』


 降り注ぐ雨の矢。法陣の中心に捉えられては、全速力の飛翔でも回避は間に合わない。距離を取るため背面にそのまま急下降するが、振り切ることは叶わず、無数の矢が少女の身体を容赦なく貫いて、――そのまま全てすり抜けて行った。


『――何ッ⁉』


 手応えの無さに青龍は目を見張る。少女の姿は煙となって揺らめき、風に流されて、まるで蜃気楼のように消えていく。


「――〈花霞はながすみ〉」


 声がした方を振り向くと、すぐ目の前を鋭い銀閃が横切った。直後に視界が暗転する。

 幻術によって青龍を欺いた舞桜は、両の目を斬り裂き、光を奪ったのだ。


 即座に、顎の下へと回り込む。

〈青龍の横笛〉を隠し持っていそうな場所でまだ調べていない箇所はただ一つ。


 口の中だ。


「――焼き切れ、〈桜火おうか〉!」


 桜色の炎が大鎌の刃を包む。視覚を失い、動きを止めた青龍の顎の関節に言霊を乗せた灼熱の斬撃が夜空に弧を描いて火の粉を散らした。


 下顎を支える筋肉の腱が断たれ、牙の生え揃った龍の口が不格好に開かれる。

 再生が終わる前に、舞桜は閉じることのできない口の中へと飛び込んで、〈青龍の横笛〉らしき異物を探した。


『……あまり、頭に、乗るな!』


 怒りに震える青龍の思念がこだまする。暗い口の中で物探しに神経を注いでいた舞桜は喉の奥の方に淡い光を発見すると、飛びつくようにそちらへ手を伸ばそうとした。


 直後、青龍の体内から溢れ出るその光が爆発的に膨張していく気配を感じ取って、少女は不用意な深追いしたと悔恨する。


『――消し飛べ』


 伸ばした右手を引っ込めて、風をり飛び退ろうとしても最早遅い。

 青白い極光が天を穿つ。宵闇を掻き消す熱光線は、少女の右半身を跡形もなく消し炭へと変えた。


 さらに青龍は、再生した顎を強く閉じ、少女のか細い胴体までをも容赦なく噛み砕く。


 舞桜の身体は無残にも、腹から下の部分が龍の口に飲み込まれ、桜花刈を握った左腕と左肩、首から上の頭だけを残して消滅した。


 朱色の瞳は光を失い、飛ぶための風を無くした遺骸は奈落の底へと堕ちていく。


『……ふ、口ほどにもない』


 勝ち誇った青龍は天高くに浮遊したまま、再生した龍眼で少女の最期を見送った。


 一人と一柱の戦いを地上から見上げていた京都の陰陽師たちは、身の程も弁えず神へ挑んだ愚かな少女の、闇へ散って消えゆくその結末に、驚嘆と失望と嘲りを抱き、取るに足らないと呆れた誰もが目を逸らして見るのを止めた。


 竜道院舞桜の、敗北。


 その先に待ち受ける奇跡の御業みわざを見透かして、青年はただ一人、思わずこぼれるにやけた笑みを隠した。

 千切れかけている少女の左手は今もなお、死神から授かった大鎌を力強く握って放していない。

 散り際の刹那にまた、世界は永遠の狭間へと誘われた。


 見果てぬ夢に、桜の報いを。


「――〈因果桜報いんがおうほう〉」


 舞い戻る桜は、返り咲き。


 知らぬ間に巨体の大部分を失っていた青龍は、目に映る世界が落下を始めてようやく、その異変に気が付いた。


 クスノキの下で、どよめきが起こる。


 誰もが、天上から堕ちていく青龍の生首と、それを刈り切って見せた桜色の死神の姿に目を奪われ、驚愕するとともに息を呑む。


「……さすがに、今のは本気で死んだと思ったぞ……」


 満月を背にした竜道院舞桜は、失ったはずの手足と身体を確かに取り戻し、墜落を止められない青龍は対照的に、左腕を残した体の全てが虚空に呑まれて喪失していた。


 いったい何が起こったのか、目を逸らしていた陰陽師はもちろん、その奇術をかけられた怪物でさえも、少女が何をしたのか皆目検討もつかなかった。


 全ては一瞬。否、時が止まっていた間の出来事。


 堕ちていく青龍の首を見下ろしながら、舞桜はもう一度〈青龍の横笛〉を奪取せんと大鎌を振り上げて構えた。


「……次で仕留める」


 狙いを定めようとする朱色の瞳が天を睨み付ける青龍の龍眼に吸い込まれる。屈辱と悔恨に歪んだ龍は憤怒の炎を滾らせて少女を見上げていた。


 背筋に悪寒が走って、舞桜は咄嗟に後ろを振り返る。

 夜空には、天を覆い尽くして広がる極彩色の法陣が、闇を払って地上を照らしていた。


『――こうなれば、我が名誉もろとも、貴様にも堕ちて穢れて貰う!』


 憎悪に震える青龍の声が残響となる。残された力を振り絞った最後の一撃は、人も街も死神さえも全てを道連れにする心中の暴虐であった。


『――〈陰陽失墜いんようしっつい天蓋てんがい〉!』


 ――ゴゴゴゴゴゴォォオオオ!


 大気を押し潰さんとする振動が轟音となって伝わって来る。

 見上げた法陣より現れたのは、あらゆる天の光を遮って街に巨大な影を落とす武骨な岩石。圧倒的質量が常識外れの速度で飛来し、気圧の抵抗を受けて表面を削りながらその摩擦によって炎を纏う文字通りの天災、天罰。――隕石いんせきだ。

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