少女が意地を張る理由

 右肩を負傷し、腕を釣ったままだった竜道院りんどういん星明せいめいは、神獣しんじゅうからの圧を真っ向から受け止め、右腕を支えていた包帯をはぎ取った。


「ちょ! あの人、あの怪我でアレに立ち向かうつもりッスか⁉」

「いくら何でも無理ッスよ! 絶対返り討ちにされるッス!」


 萌依めい萌枝もえが慌てて声を上げる。


 周りにいた人たちが星明を止めようとしても、錫杖しゃくじょうを手に取った京都の英雄は彼らを振り払って足を踏み出そうとしていた。


「どうする? 俺たちが前に出て、あの化け物の相手をするか?」


 勝兵しょうへいの苦笑い交じりの提案は、悪い冗談にしか聞こえない。

 静夜は迷わず首を横に振った。


「……《平安会》から何らかの要請が入れば別ですけど、それもないうちにこちらの独断で持ち場を離れるわけにはいきません。……それに何より、水野さんはアレを相手にして何か出来ると思いますか?」


「……愚問ぐもんだな」


 勝兵は肩をすくめて支部長の意見に賛同した。腕に覚えのある彼でも、あの強大過ぎる龍を相手に自分が一矢報いるような未来は、どうしても思い描けないようだ。


「やはりここは、京都の英雄に任せるほかにないでしょう。現場指揮官本人が最前線に立つつもりなら、今は一旦様子を見て……――って、ちょっと舞桜まお⁉︎」


 桜色の少女が何も言わず、ただ黙って前に進み出たのを見て、静夜は慌てて彼女の腕を掴んで引き留めた。


「どこにいくつもり?」


 少女の前に躍り出て立ち塞がる。


「……そこを退け、静夜」


 下から射抜くような視線の迫力に静夜は気圧されそうになった。

 少女の意志は、いつも以上に強くて固い。


「ダメだ。許可出来ない」


 それを察した上でなお、静夜はかたくなに首を振った。


「持ち場に戻るんだ、舞桜! 僕たちには、僕たちに課せられた役割がある。あれだけの妖がバリケードを超えて雪崩なだれ込んで来たら、本隊も青龍の足止めどころじゃなくなる! それは君にも分かるはずだ!」


「ここで最優先されるのは、何よりも青龍の足止めだ! いくら後ろを食い止めても、青龍を討ち果たさなければ意味がない! いいから、私に行かせろ!」


「――それで無茶して君が死んだら、それこそ元も子もないだろ!」


 胸を引き裂くような絶叫が、我慢の限界を超えて爆発した。


「せ、……先輩?」


 滅多に声を荒げることのない青年の激昂は部下たちを驚かせ、舞桜ですらその気迫に一歩退く。

 静夜は大きく深呼吸して息を落ち着け、今度はつとめて冷静に生き急ぐ少女をさとした。


「……本物かどうかは分からないけど、相手は『青龍』を名乗る怪物級の妖だ。真っ向勝負を挑んだ《平安会》の陰陽師たちは見ての通り全滅した。あれが本気になれば、本当に京都の街を滅ぼすことも出来るかもしれない。そんな化け物の侵攻をたった一人で食い止めたとなれば、それは確かに立派な功績だ。星明さんの酒呑童子しゅてんどうじ討伐とうばつにも負けないほどの名誉が手に入る。みんなが君を見る目も変わるだろう。……でも、それは君が生きててこそだ。死んだら終わり。待っているのは、すすり泣く声の代わりに陰口が聞こえてくる、虚しい葬式だけだ」


「……」


 冗談ではなく、脅しでもなく、高い確率で起こり得るだろう未来の予想を口にする。

 絶句した舞桜はその光景を想像して下を向き、悔しさに引きった表情で奥歯を噛み締めた。


 大勢おおぜいの陰陽師たちが夜通し護摩ごまの火をいてきょうを絶やさない葬儀は、決して楽なものではない。故人との縁が薄い人物は少しの参加だけで帰ってしまう。誰もが進んでやりたがる儀式ではないのだ。


 それでも、昨晩の通夜のように儀式が成立するのは、残された陰陽師たちの、義務を果たそうとする確固たる矜恃きょうじとともに、亡くなった人に対する敬意や追悼ついとうの意が集まるからこそである。


 残酷なことを言ってしまえば、今の舞桜が死んでも、その死を惜しみ、泣いて悲しんでくれる人はたぶん少ない。せいぜい、友人である三葉みつばしおりと下の兄である竜道院紫安しあんくらいだろう。


 むしろ今ここで彼女が死ぬようなら、身の程も弁えずに青龍の前へ飛び出して無駄死をし、余計な儀式を行う手間をかけさせてくれた、と多くの陰陽師からは嫌味をささやかれることになってしまう。


「君が命を張って戦う場所は、今ここじゃなくてもいいはずだ。少しずつ地道に頑張って結果を出して、味方になってくれるような人を増やしてからでも遅くはない。たとえ上手く行ったとしても、無断で持ち場を離れた上での参戦となれば、結局は難癖なんくせをつけられる。手柄を横からかっさらおうとしたんだと、不名誉なひがみを言われて、後ろ指を刺されることになる。それらは何一つ、君のためにならない」


 今の竜道院舞桜には、後ろ盾になってくれるような人がいない。


『妖に愛された呪いの子』として疎まれている少女は、


 禁忌とされている憑霊術を会得して破門された、出来損ないの末娘は、


 京都に《陰陽師協会》の介入を許すことになった原因を作った疫病神は、


 成功したところで、それを素直には認めてもらえず、失敗すれば、ざまぁみろと笑われてそのうち誰からも忘れ去られることになる。


「……《平安会》の首席になりたいなら、みんなに認めてもらいたいのなら、相手に隙を見せちゃダメだ。揚げ足を取られるような材料を残したら、百倍になって返って来る。実績を積み重ねるなら、着実に少しずつ、根気強くやるしかない。今日のところは下がるんだ」


 人の信頼は、一朝一夕には勝ち取れない。

 少女が願いを叶えるためには、単純に結果を出すだけでは届かないのだ。


「……違う。お前は間違っている」


「違わない。冷静になって考えるんだ」


 俯いたまま、首を横に振って否定する少女に、青年は厳しい声音で告げる。

 なんとしても、彼女をここで思い留まらせなければならない。


「……いいや、違う。間違えているのはお前の方だ」


「何も違わない!」


「違う!」


 再び顔を上げた少女は頑なに、やはり真っ直ぐ青年の目を見つめて、自身が今ここに立っている意義を芯の通った言葉で示した。



「――今ここで何もしないのは、絶対に違う!」



 今度は静夜の方が、彼女の気迫に押し返されて一歩後退る番だった。

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