望まない才能
鬼の妖が力尽きるのを見届けて、舞桜は安堵と脱力感からその場に座り込む。
危なかった。今のは本当に。
勝兵の咄嗟の切り返しが無かったら舞桜は間違いなく、あの金棒で頭を砕き割られていた。
死の恐怖が今更になって追いかけて来て、少女は自分が生き延びていることを改めて実感する。
そして、その感覚をもたらしてくれた一人の術者を仰ぎ見た。
鬼の残骸が乾いた紙くずになって風に吹かれていく様を静かに見下ろしている青年。
彼は陰陽師としての力を失いかけていた血筋からの生まれだ。身近に
この二文字が少女の頭には浮かんだ。
おそらく、才能だけで言えば、あの
「……大丈夫か?」
立てないでいる禁術の使い手に、五行の使い手が手を差し伸べる。
疲労を感じさせないその爽やかな顔色を見て、舞桜は思わず目を逸らしてしまった。
「……私は、お前のような才能が欲しかった」
そんな本音が少女の口からこぼれ落ちた。
その才能は、この京都でも通用するものだ。この京都に住まう、古臭い考え方の陰陽師たちでも誰もが認める、真っ当な陰陽師としての陰陽師らしい才能だ。
もしも自分に、そんな才能があったなら……。
みんなが忌み嫌う霊媒体質などという、禁術にはおあつらえ向きの適性ではなく、あの腹違いの兄やこの不世出の天才のような力があれば、こんな苦しい想いをすることも、母をあそこまで追い詰めることもなかったかもしれないのに……。
今更ないものねだりをしても、どうにもならないことは分かっている。
それでも、そんなありもしない人生を想像せずにはいられなかった。
「……俺はこんな才能、無くても良かった」
勝兵は、失礼を承知で本心を口にする。取り繕う気はなかった。
「俺はお前たちと違って、陰陽師になる義務も必要もなかったし、別に陰陽師になりたいわけでもなかった」
舞桜は、その発言を不快には思わなかった。
それはただ、
「……だったら、なぜお前は陰陽師になった?」
だから逆に、理由が気になった。
それは彼自身の選択だ。その義務も必要もなかったのに、水野勝兵は陰陽師を選んだ。思いがけない才能があろうとなかろうと、それを選んだのは彼の意志。そこには何であれ、理由があるはずだ。
「……大した理由じゃない。……ただ、陰陽師の世界というものに馬鹿げた幻想を抱いただけだ」
もしかしたらそこは、自分が思い描いた通りの、そうではなくてもまだマシな、大人の社会なのかもしれない。そんな夢を見てしまったのが、彼の過ちだった。
憧れたのは、正当な評価が下される世界。
欲しかったのは、自分が何者であるかという観念的な問いに対する答え。
誰もが一度は経験する『学生』という身分は、あまりにも退屈だった。
いくらテストでいい点を取っても、自分だけが先に進めるわけじゃない。結局はみんな一斉に横並びで次の学年へと進級する。留年なんて大学へ進むまではほとんど起こらない。
入試などを経て環境が変わっても、そこに集まるのは自分と同じような力を持つ、同じ『学生』ばかり。以前の環境では突出していても、そこでは自分もよくいる奴の一人に成り下がり、努力を重ねて抜きん出たとしても、『学生』以外の何かには成れない。
ようやく、自分も『学生』ではない、『何か』に成れると思った。
その『何か』に『陰陽師』を選んだのは、たまたま自分にその才能があったからだ。そしてこの才能を使えば、自分は他の誰にも成れない、自分だけの『何か』に成れると思ったから。それだけの理由に過ぎない。
そして、実際に足を踏み入れた陰陽師の現実は、理想とはまるで違っていて、上の人間が理不尽を振りかざして不条理を押し付けて来る、今までに見て来たその他多くの組織と何ら変わりがなかった。
「……でも、せっかくこの道を選んだからには、そこになんらかの意味があって欲しい。そう思わずにはいられなかった。……辞める勇気がなかっただけかもしれないが、やっぱり俺は諦め切れなかったんだろうな。自分にこんな才能があったと、それに気付いた意味や理由を知らないままにしてここを見限り、全部をなかったことにして他に逃げるのが嫌だった。……俺はまだ何一つ、納得できていないんだ」
彼が、盛岡支局にいた時代に覚えた規則通りの術式を今でも使い続けているのは、きっとこれが理由だ。
水野勝兵は、陰陽師の仕事を続けている。
「……なるほどな」
その理由を聞いて、舞桜は得心がいった。
奇しくもそれは、以前少女がとある青年に対して言い放った決意と同じ言葉だった。
少女もまた、納得できていない。
まだ、こんなところで引き下がることなど到底できない。許されない。
今更ないものねだりをしても、仕方がないことは分かり切っているから。
少女は、今自分が手に持っているものを改めて握りしめた。
誰もが忌諱する禁忌の術法を、京都の陰陽師たちが無粋と嘲る現代兵器の力を、手に取ると決めたのは己の意志で、己の覚悟。
この道を進むと決めたのは他でもない、自分自身の選択だ。
たとえそれが、茨に覆われた険しい道行きだったとしても、後戻りはもうできない。
分かれ道が無いのなら、今はこの先に進むしかないのだ。
竜道院舞桜は、差し伸べられた手を借りることなく、自分の力だけで立ち上がって見せた。
後悔も絶望もまだ早い。
自分の足はまだ動く。
未来にはきっと何かがある。それが自分の思い描いた通りのものではなかったとしても、無意味ではないと、無価値ではないと信じて。
「行くぞ。静夜たちと合流する」
少女はまた、歩き始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます