波紋

 鬼が振り向き、怒髪天どはつてん形相ぎょうそうで桜色に染まった少女に殺気を飛ばす。


 舞桜は静夜に教えられたとおりに尾栓びせんを開き、空の薬莢やっきょうを排出。新しい12番スラッグ弾を二つ、バレルに押し詰めて銃身を戻した。

 大鬼は、左腕に巻き付いた鎖と呪符を強引に引きちぎり、今度は金棒を両腕で振り上げ、大地を砕き割る威力で叩きつけて来る。

 舞桜は上に跳んでこれを躱し、金棒を足場にしてさらに跳躍。散弾銃を構えて鬼の額を狙い、正面から至近距離でぶっ放す。


 ――バコン!


 鬼は頭を弾かれ、身体を大きく仰け反らせて一歩後退る。

 しかし、頑丈な鬼の頭部にこれといった損傷は見られない。再び舞桜を睨んで怒りの咆哮を発した。


 舞桜が小さく舌打ちをして苦虫を噛み潰す。

 想像を遥かに超える防御力だ。このままショットガンを撃ち続けても望みは薄く、また慣れない武器をいきなり長く使い続けるのは危険でもある。そのうち隙が生まれて手痛い反撃を貰ってしまうかもしれない。

 静夜にも言ったが、潰される時は声を上げる暇もなく、一瞬だ。


「――いい。そのままそいつを引き付けろ!」


 勝兵しょうへい御影堂みかげどうの上から声を張り上げる。いつの間にあんな高いところに飛び乗ったのか、彼は舞桜にも見えるように呪符を示し、それを自分の足下に設置した。


 それを見た舞桜は彼の意図を一目で看破し、考えるのをやめて走り出す。


 できるだけ近付いて、目元を狙い、散弾銃を撃つ。鬼は左腕で大袈裟に顔を庇った。やはり、鬼にとっても目は重要かつデリケートな器官なのだろう。

 有効なダメージは与えられずとも、気を引く効果は十分にあった。


 勝兵はこの隙に、何枚もの呪符を知恩院の建物の外壁や地面に次々と設置し、鬼を立体的に取り囲むように配置していく。

 そしてすべての準備が整うと、勝兵は印を結び、術を唱えて発動させた。


「――〈光閃格子呪縛霊祭符こうせんこうしじゅばくれいさいふ〉、急々如律令!」


 設置した呪符は一筋の光線を放って、二枚が一組となり繋がっていく。置いた呪符は計16枚。つまり8対。闇を貫く八条の光の鉄格子が鬼の頑丈な体躯を穿ち、一瞬のうちに標的をはりつけにした。

 体長が3mを超える双角の大鬼は、法力でできた光芒こうぼうにあらゆる角度から手足や体を串刺しにされて、悲痛な絶叫を轟かせる。


 勝兵はさらにここでたたみかけた。


「――〈百鬼浄火除霊祭符ひゃっきじょうかじょれいさいふ〉、急々如律令!」


 目の前に呪符をばら撒き、事前の詠唱を省いて浄化の術を発動させる。

 念の込められた呪符は鬼の身体に飛んで行って張り付き、火を噴いて燃え上がった。清めの劫火が妖を包み、断末魔の悲鳴はさらに大気を震わせる。


 炎上する鬼を見て舞桜も言霊を飛ばした。


「ッ! ――加勢しろ、〈桜火〉!」


 桜色の炎が火力を加える。直視に耐えない眩しさと肌を焦がす熱波が離れていた舞桜の元にも伝わって来た。

 勢いを増す炎は鬼の叫び声すらも呑み込んで月の照らす夜空へと昇っていく。


「……やった、のか?」


 静観したまま舞桜は呟いた。走り続けたせいで息が上がっている。憑霊術の維持もそろそろ限界に近かった。


 圧倒的優勢が生んだ僅かな気のゆるみ。


 大鬼は、激しく燃え盛る煉獄れんごく渦中かちゅうに居ながらも、その緊張の弛緩しかんを見逃さなかった。


 ――ぐうぉぉおおお!


 雄叫びが再び唸りを上げた。

 鬼の本能が、その存在を妖たらしめる生存と闘争の念が、鬼神の力を解放させる。

 光の鉄格子にひびが走った。炎に包まれた鬼の影が巨大化し、手足が太く隆起する。


 その変化を見て取って、勝兵は叫んだ。


「不味いッ、距離を取れ!」


 直後、鬼は強引に体を捻り、己を縛り付けていた光のくさびを粉砕して脱出する。そして、灼熱しゃくねつの炎を身に纏ったまま金棒を拾い上げ駆け出した。


 血走った双眸そうぼうは、呆気に取れて固まっている桜色の少女を捉えている。


 咄嗟に散弾銃を構えて撃つも、早まった迎撃は適性距離から遠く、十分な威力を発揮しない。狂戦士と化した鬼には豆鉄砲も同然だった。

 そして最悪なことにこの焦った一発で多くの法力を雑念で逃がしてしまった舞桜は集中を切らし、身体に纏わせていた妖力を霧散させてしまう。


 憑霊術が、ここで解けたのだ。


 鬼の金棒が、炎を纏って舞桜の視界を覆う。

 防御も回避も既に不可能だった。


「――五行より「すい」の力を我に貸し与え給え。ことわりに従い、我がもとに集え、――〈満潮みちしお〉!」


 術を唱えた勝兵は、即座に鬼の背後へと回り込み、その巨体を自らの方へと引き寄せる。


 大海の摂理が、突如として戦場に現出した。

 潮の満ち引きは、月の引力に影響されているといわれている。

 大地を砕くほどの怪力を誇る大鬼といえども、天体が有する引力には逆らえない。


 舞桜に向けて振り下ろされるはずだった金棒は後ろに引っ張られて動きを止め、鬼は得物を構えた大勢のまま足を引き摺られて、身体が後ろへ吸い寄せられていく。

 ならばと鬼は体の向きを変え、今度は力に逆らわず、先に勝兵を仕留めようと金棒を構え直した。身を焦がし続ける劫火の熱は意識の埒外らちがいに追いやって、獲物との間合いを測り、鬼神の全力を双腕の筋肉に込めて振り下ろす。


 豪炎の鬼が繰り出す必殺の一撃。


 しかし、鯉口を斬って待ち構えていた勝兵にとって、それは愚かな特攻を仕掛ける、哀れな獣と相違なかった。


「――五行より「水」の力を我に貸し与え給え。水面に写る波の響きを刃に乗せて、不浄必滅ふじょうひつめつの一刀を叶え給え。……――!」


 銀鉄の刃が闇夜に煌めく。


 引き抜き放たれた一条の軌跡は、鬼の一撃を掻い潜って鮮やかな弧を描いた。


「――〈波紋はもん・涙の写し〉」


 ――カキン。


 刀が鞘に収まる凛とした金切り音が余韻を残す。澄み切った残心が鬼を包んでいた炎をかき消した。

 黒焦げになった鬼は、金棒を地面に叩きつけた体勢で沈黙している。

 やがて右の脇下から左の肩にかけて体が裂かれ、角を生やした頭部は首と右腕ごと地面に転げ落ち、妖の存在は絶命を告げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る