月宮静夜を知っている

 真面目に働いてきたつもりだ。頑張ってきたつもりだ。

 先輩の横柄な態度にも耐えて、仕事も覚えて、我慢してきた。

 それが全て、たった一度の失敗で、自分一人が悪いわけでもない失敗で、何もかもが水の泡になる。


 なんだったんだろう? 必死で走り回った半年間は。

 なんだったんだろう? 涙を堪えて眠った夜は。

 なんだったんだろう? ため息を殺して家を出た朝は。


 少しずつ積み重ねて来た信頼も、見つけかけた居場所も、同僚たちから向けられる視線はがらりと変わって、恐ろしかった。


 いつまで我慢すればいい? いつまで耐えればいい? いつまで頑張ればいい?


 そうやって生きて、働き続けた先に、本当に幸せとか、生きがいとか、やりがいとか、そういうものは本当にあるのか?


 いつも疑問に思う。いつも不安に思う。

 自分は今も、道に迷い続けている。



「「――バッカみたいッ!」」



 彼の怒りも、苦しみも、虚しさも、話を聞いていた双子はそれらをまとめて吐き捨てた。


「なに子どもみたいなこと言ってんスか? アンタおいくつ?」

「わがままばっかり言うなし! みんなおんなじなんスからね?」


 取るに足らないと小馬鹿にして、年下の姉妹は冷笑を浮かべる。

 その聞き飽きた正論が、あまりにも不愉快だった。


「そんなことくらい分かってる! でも、だから何だ? みんな我慢してるんだから、お前も我慢しろってか? 辛いのはお前一人じゃないんだから黙ってろって、そう言いたいのか?」


 正論は時に暴力だ。

 正しいからこそ、逃げ場がない。


「でも辛いもんは辛いんだよ。我慢にだって限界があるんだよ! ……それでも耐えろって言うんなら、教えろよ。……俺はいったい、いつまでこんな人生を続ければいいんだよ!」


 正論を否定して、正道から目を背けることは、自分が間違っていると認めること。

 正しさに準じる力は最早なく、開き直るのは余計に惨め。


 結局は、八方塞がりになって立ち尽くす。

 どこにも行けずに、うずくまる。


「「――馬鹿みたい」」


 彼の悲しみも、愚かさも、諦めも、双子は再びそれらをまとめて吐き捨てた。


「だから子どもみたいだって言ってんスよ。アンタは何にも分かってない」

「それでもホントに社会人ッスか? うわ、マジで引くんスけど」


 呆れ果てたと頭を抱えて、年下の姉妹は嘲笑を浴びせる。


「それが働くってことッス」

「それが生きるってことッス」


「我慢してるのは、アンタだけじゃない」

「頑張ってるのは、アンタだけじゃない」



「「――だからアンタは、一人じゃない」」



 萌依めい萌枝もえの、二人の言葉は重なった。

 顔を上げると、全く同じ顔をした、全く異なる人間が二人いる。


 揺るぎない目をしていた。何かを肯定するわけでも、誰かを否定するわけでもなく、二人はただ頑なにそれを信じて現実を見ている。

 一つの言葉と四つの瞳が何を伝えようとしているのか、勝兵しょうへいにはすぐには分からなかった。


「ほら、さっさと行くッスよ」

「あまり長居してたら、バレるッス!」


 それ以上は何も言うことがないと言わんばかりに、双子は揃って急ぐように振り返り出口の方を向く。


「……」


 呆気にとられたままの勝兵は、その場に座ったまま動けなかった。


「あ、それと、……これは前々から言おうと思ってたことなんスけど、アンタが実力主義を唱えるなら、アンタは先輩に従わなきゃいけなくなるッスよ?」


 言ったのは姉の萌依。妹の萌枝は「うんうん」と力強く頷いて賛同を示す。


「……俺がアイツよりも弱いって言うのか?」


 それは勝兵にとって聞き捨てならない侮辱だった。


 月宮静夜はCランク。月宮流陰陽剣術の使い手であの月宮妖花の義兄だとしても、彼の陰陽師としての実力はAランクの勝兵に遠く及ばない。実際に腕前を見た限りでもこの評価は覆らなかった。

 彼は所詮、あの程度だ。


 ムッとなった勝兵の反応を見て萌枝は、「ホントに何にも分かってない」とひとりごちる。


「強いとか弱いとか、そういうことじゃないんスよ……」


「は?」


 きょとんと首を傾げた勝兵の顔を見て、萌依はさらに苛立ちを募らせた。


「……先輩がアンタに勝てるわけないッス」


「……」


「でも、――先輩はアンタなんかに絶対負けない」


 どこまでも真剣で、大真面目な顔をして、一見矛盾していそうで、矛盾していない屁理屈を自信満々に言い放つ。


「アンタは知らないんスよ」


「本気の先輩を」

「本当の先輩を」


 それを見たなら嫌でも分かると、二人の声音には確信が宿っていた。


 以前から疑問に思っていたことだ。

 なぜこの双子の姉妹は、実力で劣るあの支部長にいつも文句を言いつつも最後にはきちんと従っているのか。


「……萌枝もえ特派とくはの中で一番強い人って誰ッスか?」


 姉から唐突な愚問を投げかけられて、問われた妹は苦笑する。


「そんなの室長に決まってるッス! あの月宮つきみや兎角とかくの愛弟子で、Sランク陰陽師で、しかも半妖! 右手の覇妖剣はようけんは押し寄せる妖の群勢をことごとく斬り伏せ、その流れる銀髪と翠色の瞳は見る人全てを虜にする、あたしたちの頼れるリーダー!」


「じゃあ逆に、特派の中で一番弱い人って誰ッスか?」


 寸劇のような問答はまだ続く。これもまた愚問であると、一笑に付して萌枝は答えた。


「そんなの先輩に決まってるッス! 兄弟子のくせに室長に負けて、ついこの間まではアルバイトだったCランクの三流陰陽師。剣術と結界術には多少の覚えがあるけれど、実力も見てくれも平凡な、あたしたちの便利なパシリ!」


 それは誇張でも皮肉でも謙遜でもなく、ただの事実。勝兵が前もって入手していた特派の情報と何ら相違ない。


 しかし。

 続く三つ目の質問の答えを、勝兵は持ち合わせていなかった。


「では、ここでクエッション。……あたしたち特派の中で、一番怖い人は誰ッスか?」


 問い掛けの意味が分からない。

 水野勝兵は答えを知らない。


「あたしたち特派のメンバーが、最も敵に回したくないと思っている仲間は誰……?」


「最年長の亜弓あゆみさん? 最年少のなぎちゃん? それとも室長の月宮妖花?」


 不敵に笑う口元と、全く笑っていない目元。

 二人は同時に、首を振る。


「「ううん、違う。全然違う」」


 彼女たちは、知っている。


「「――あたしたちは、月宮静夜を知っている」」

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