理事会の理念

 騒動が静まる頃には雨も上がり、表向きの通夜も終わって、一般の参列者は帰り道で荷物になってしまった黒い傘を忌々しそうに持て余していた。


 仏堂の護摩ごまの火は今もなお燃え続けている。

 詠唱を続ける陰陽師たちは交代で休憩を取り、一晩に渡って行われる長い儀式を完遂させるのだ。


 最初に座っていた御三家の重鎮たちが一度目の休息を終え、再び護摩壇ごまだんの最前列に戻ったあたりで、静夜は上司であり義理の妹でもある妖花に報告の電話をいれていた。


『……本物、だったんですか?』

「……うん。残念ながらね」


 妖花は、今の状況にとどめを刺しかねない事実を確認して、深いため息をつく。

 先祖代々、四神の祠を預かる竜道院本家の鑑定によって、水野勝兵の懐からこぼれ落ちた例の品は本物の〈青龍の横笛〉であると断定された。


 これを証拠品として、水野は現在《平安会》に身柄を拘束されている。


「ただ、詳しく調べたところ、横笛からは水野さんの指紋をはじめ、誰かに触られた痕跡とか、術を掛けられた形跡とかが何も出て来なかったんだ。だから、まだ水野さんが誰かにめられたっていう可能性は十分に残ってると思うんだけど……」


『当の水野さん本人は何とおっしゃっているんですか?』


「何も知らないって、ただそれだけ……」


『横笛を仕込まれた時とか、人物などに心当たりは?』


「それもないらしい」


『そうですか……。……それでは、弁護はなかなかに難しそうですね……』


「そう、なんだよね……」


 兄は消沈しょうちんして項垂うなだれる。

 あの場に居合わせた多くの陰陽師が、〈青龍の横笛〉が水野の懐から出て来たところを目撃している以上、彼の無実を主張するのはかなり苦しい。


『横笛は現在、どうなっていますか?』


「竜道院家が預かるって。とりあえず今晩はここの屋敷で保管して、翌朝になったら持って帰るらしい。その後どうするかは、また後で話し合いをして決めるって感じ」


 実はつい先程まで、水野勝兵の処分や〈青龍の横笛〉の扱いについてなどを会議する緊急の話し合いが行われていたのだ。

 御三家の人間が通夜の儀式から休憩の為に離席する僅かな時間を利用した短い会合だったため、暫定的な決定は素早く下された。

 その結論として、明日の朝には、水野の身柄も拘留を担当する京天門本家の屋敷に移送されることになっている。


『……ところで、兄さんはどうして、横笛を盗み出したのが水野さんではないと思うんですか?』


「え? どうしてって……」


『状況だけを見れば、明らかに水野さん本人が怪しいじゃないですか……』


「もしかして妖花も、水野さんが犯人なんじゃないかって思うの?」


 静夜の口調が相手を非難するようなものに変わる。

 妖花は、若干その声の圧に押されて申し訳なさそうになりながら、それでも「……はい」と頷いて持論を展開した。


「……先日お話したように、水野勝兵を京都支部に送り込んだのは、あの藤原ふじわら泰弘やすひろです。彼は子飼いにしている陰陽師を個人的な都合で利用することがとても多い理事として知られています。政敵せいてきや自身に都合の悪い人物の暗殺を命じたり、汚職や不正の証拠を隠蔽させたりと、黒い噂も絶えません。もし、その〈青龍の横笛〉や四神の存在が、透文院とうもんいん一族や二大禁忌にだいきんきと繋がっているとすれば、水野さんにそれの入手を命じていたとしてもおかしくはないと思います」


「……でも、それで水野さんが実際にやったかどうかなんて、分からないじゃないか」


「水野さんのこれまでの行動や態度、協会内部における後ろ盾が彼であるというだけで、疑いをかけるには十分です」


「……随分と、水野さんに厳しいんだね」


 妹の差別的な態度が兄は気になった。


「……兄さんこそ、随分と水野さんに肩入れしているようですね」


 逆に妹は、兄の身内贔屓みうちびいきな主張が気になった。


「……部下の味方をするのは、京都支部の支部長として当然のことだよ」


 いっそ、義務だと言い切ってもいい。

 いくら協調性に欠けていて、単独行動が過ぎて、命令無視が当たり前で、上司や同僚に対して敬意を払うつもりがないような人物でも、上の立場の人間が、窮地に立たされた部下を死地に叩き落とすような真似を進んで行ってはいけない。

 それは、静夜が正式に京都支部を任されると決まったときに、自らに課した最低限の矜持きょうじだ。自分の部下として京都に配属される人間が、たとえどんなに気難しくて、扱いに困って、自分の苦手なタイプで、気に入らないと思っても、自分から部下を切り捨てるようなことだけはしまい、と。そんな支部長にはなりたくない、と自身にかけた一種の呪いだ。

 決して間違いではないと思うし、絶対に曲げるつもりもない。


「決定的な証拠が出て、かつ水野さん本人が認めない限り、僕は彼を弁護し続ける」


 どこまでも真剣に、誠実さを込めて固く言い切る兄に対し、妖花はどこか言いにくそうな声音でとある事実を伝えた。


『……残念ですが、今、理事会では、水野勝兵を京都支部から外そうと言う議題が上がって、協議が行われています』


「は? ……はぁ⁉」


 なかば拒絶を表すように、静夜は声を荒げて抗議を示す。

 いったいなぜ、どこからそのような話になったのか。経緯や理由の説明を省き、いきなり事実だけを突きつけられたら、誰だって同じような反応をするだろう。静夜には訳が分からなかった。


『《平安会》が《陰陽師協会》に強く抗議したんです。彼の京都での振る舞いは《平安会》の存在を軽んじており、いちじるしく礼を失している、と。それを受けて理事会でも、水野さんの単独行動が問題視されてしまったんです。折角設立させた京都支部を早々に潰すつもりなのか、と非難されていて……』


「い、今更? 京都支部を作らせた時はあんなにも強引だったのに、今度は《平安会》からの苦情一つでそんな大騒ぎになってるの?」


 昨年末、臨時総会の場で妖花に京都支部の設立を宣言させたあの不自然なまでに強気な態度はどこへ行ったのか。いざ支部が活動を始めたら急に弱腰よわごしなんて、《陰陽師協会》らしくもない。


『……どうやら、藤原理事が個人的な目的で水野さんを動かしていることが、少々問題になっているみたいです。全体の利益を省みない利己的な振る舞いは、理事会では嫌われますから……』


「……なるほど。そっちが本音か……」


 意外に思われるかもしれないが、《陰陽師協会》の理事会は、実力主義じつりょくしゅぎ強権主義きょうけんしゅぎとともに、全体主義的な考え方を強く共有している組織でもあるのだ。

 個人的な野心や欲望よりも、第一に国家への貢献と国民への奉仕を優先できる人物だけが《陰陽師協会》の理事の座につくことを許される。

 公的な秘密組織として政府が運営に関わり、活動に税金が投入されている《陰陽師協会》。その意思決定のトップに君臨する理事会には、国への忠誠と全体の利益の追求が強く求められているのである。


 理事の一人であるからと言って権力を暴走させたり、職権乱用による不祥事を起こしたりして全体の利益を損ねるような行動をとった者には、他の理事たちから何らかの制裁が加えられ、最悪の場合は理事としての権限を剥奪はくだつされてしまう。

 そういう意味では、現在問題となっている藤原ふじわら泰弘やすひろ理事は、以前から黄色信号の灯る理事だった。


 全体主義的な考えを持っているとは言っても、それは個人の野望や利己的な振る舞いを完全に否定するものにはならない。彼らは自分自身よりも全体を優先しているだけであって、個人的な願望を全て捨て去っているわけではないのだ。

 陰陽師の力を管理統制することで影から国を動かし、国に尽くしている、という自負と傲慢ごうまんが、時にこの優先順位を逆転させることがある。


 今までは見過ごされていたが、新設したばかりの京都支部の運営に私的な目的で介入し、《平安会》との睨み合いにおいて《陰陽師協会》が不利になるような行動を子飼いの陰陽師にやらせていたとなれば、全体の利益を損ねるとして他の理事から不興を買ったとしてもおかしくはない。

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