そこにあるだけの存在

「……いや、でも、藤原氏を失脚しっきゃくさせたところで、他の理事にもそんなにメリットはない。《平安会》からの抗議にはそもそも証拠がないんだから、そっちを突っぱねた方がもっと簡単だったんじゃ……?」


 理事会はあえて水野の件をやり玉に挙げて、藤原理事を糾弾きゅうだんしようとしている。

 そのことが、少しだけ引っかかった。


 いくら藤原氏のことが気に入らなくて、《陰陽師協会》の理事として相応しくないと思っても、現職の代議士だいぎしという表の顔を併せ持つ彼に歯向かうのは同じ理事といえどもリスクが伴う。

《平安会》からつけられた因縁に真面目に取り合う必要がないのなら、他の理事の多くはそちらを選択したに違いない。


「……つまり、《平安会》からのクレームを口実にして、藤原氏の排斥はいせきを目論んでいる理事が誰かいる……」


 それは、藤原氏の権力にも恐れをなさい人物で、かつ彼を排除しようとする動機を持った人物。

 一人だけ、心当たりがあった。


『……』


 電話の向こうで、妖花が息を飲み押し黙る。悟られたことに気付いて咄嗟に何かを隠すような気配。

 その息遣いを兄は見逃さない。


「……妖花、もしかしてあの人に水野さんのことを何か話した?」


『……はい。……報告を、求められたので……』


 その消え入りそうな答えだけで十分だった。

 静夜にとって特派の室長である妖花がそうであるように、妖花にも立場上の上司がいる。報告を求められたら答えなければならない相手。命令されたら従わなければならない相手がいる。


 まだ高校生とは言え特派の室長であり、数少ないSランクの実力者で唯一無二の半妖でもある彼女に、こんなしおれた声を出させる人物は《陰陽師協会》の理事の中でも一人しかいない。


「チッ! ……あのストーカー……ッ!」


 本気の舌打ちが出た。

 あの男だけは、いつまで経っても受け入れられない。


 今となっては三年半前。妹との決闘に敗れて倒れ伏す静夜の目の前から最も守りたかったものを、嫌らしい笑みと共に連れ去って行った張本人。

 どうせ、困っている妖花を助けてあげようとか、そんな気色の悪い勘違いを暴走させて行動を起こしたに違いない。


 そして、決して馬鹿ではないその男は他の理事も巻き込んで味方につけ、巧みに藤原氏を追い詰めていることだろう。


 さらに妖花の口から今回の件、――水野が例の〈青龍の横笛〉を所持していたことが報告されれば、藤原氏は完全に立場を失うことになる。

《平安会》が追加で苦情を送っても同様だ。

 このままでは事の真相がどうであれ、水野は京都支部を辞めさせられることになってしまう。


 問題となっている水野勝兵の直属の上司は静夜であるはずなのに、自分はその話し合いに参加するどころか、意見を申し立てることも出来ないまま、いつの間にか勝手にすべてが決められていく。


「《平安会》も《平安会》だ。京都支部をすっ飛ばして、いきなり理事会に文句をつけるなんて、《平安会》の方こそ僕たちをないがしろにしている。筋が通ってないし、失礼だ!」


 周囲に誰もいなかったためか、静夜は声を荒げて八つ当たりをしてしまう。行き場のない怒りを抑えきれなかった。


《平安会》からの苦情は、本来であれば京都支部に送られて来て然るべきものだ。

 京都支部全体に不満があるというならともなく、水野勝兵個人の行動を非難するためであれば、まずは静夜と話し合い、理事会に意見をするにしても間に入るべき京都支部にひとこと断りを入れるのが礼儀ではないのか。


 それを事前の了承どころか、事後の報告もないまま《平安会》と理事会との間でやり取りがなされ、静夜の頭上で話は進み、理事会で会議が行われた後になって、支部長であるはずの静夜は妹からの伝聞で事態を聞かされるということになっている。

 これでは、京都支部という組織そのものが何のために存在しているのか分からなくなる。


 静夜にとってこれは、簡単に頷いて納得できるような問題ではなかった。

 厳しい現実が付きつけられる。


『……そんな風に考えているのは、きっと兄さんだけです』


 妹の、いや、上司からのその言葉は、容赦なく静夜の心臓を刺し穿うがった。


『……《平安会》はもちろん、理事会の誰も、これを筋の通らない話だとは思っていません。理事会は《平安会》がまた何か文句をつけて来たぞ、くらいにしか受け止めていないでしょうし、《平安会》は京都支部というよりも、《陰陽師協会》そのものに不満がある。ただそれだけです。兄さんたちを蔑ろにしたつもりはないと思います』


「……それってつまり、誰も僕たちのことなんか気にしてないってこと?」


『いえ、そういうわけではなく、あの人たちにとってはそれが当たり前なんです。設立してまだ日も浅い京都支部はまだそういう段階にいないというだけで、これからちゃんと活躍して力を認めてもらえれば、《平安会》の対応や理事会からの評価は変わってくるはずです。まだ兄さんたちはそこに存在しているだけなんです』


 妖花は、上に立って彼らを評価する立場から言葉を選んで諭している。今の静夜たちの立ち位置を。彼の怒りも理解できるが、今はその怒りの方が筋違いなのだ、と。まだそれを主張するには早いのだ。


「……結局、何かを成さない事には、何も言えないってこと?」


『……そういうことなんだと思います』


 思い知る。思い知らされる。

 頭では分かっているつもりでも、実際にそれを目の前にするまでは心のどこかでそんなに厳しいものではないとか、自分の身には降りかかって来ないだろうとか、都合のいいように楽観していたけれど、いざ立ち現れたそれは想像以上に高く分厚い、理不尽の壁。


 こぶしひとつで突き破ることは到底叶わず、よじ登って超えるには時間がかかる。

 社会という概念にそびえ立つこの壁は、たとえ如何なる神剣をもってしても斬り裂けない。

 そして、どんなに声を張り上げたところで自分の言葉は壁の向こうに届かない。


「……分かった」


 静夜は、胸に去来する様々な感情を一つ一つ数えて飲み込み、頷いた。

 納得のいくいかないではなく、これが現実というものであるなら静夜には最早どうすることも出来ないのだ。


「……でも、理事会や《平安会》がどうするつもりでも、僕は今のまま水野さんを辞めさせるつもりはないからね」


 それでも、やはりこれだけはどうしても譲れないとだけ、静夜ははっきりと口にした。

 諦めの悪い兄の宣言に、妹は言葉を呑んで頷く。


『はい、分かりました。……あとそれから、私だって自分から部下を裏切るようなことは絶対にしません。……たとえこの先どんなことがあっても、私は兄さんたちの味方でい続けるつもりです』


 力強く、妖花はお返しとばかりにそう言った。

 時には厳しいことも言うけれど、それも彼女なりの思いやりで、あるいは責務で、妹は真摯しんしに彼らの味方であるだけなのだ。


 それは当たり前のことかもしれないけれど、いざとなったら難しい。

 これから先、たとえどんなことがあったとしても。

 そんな不確定な未来まで信じて言い切るなんて、よっぽど自分に自信があるか、相手を信頼していないと出来ない。


 心強いと思う反面、妹が寄せてくれる信頼に少し後ろめたさを覚えつつ、静夜はただ、


「……ありがとう」


 とだけ返事をした。


 通話を切ると、ホーム画面に戻ったスマホは、大きな数字で現在の時刻を知らせてくれる。

 22時24分。いつの間にか、随分と遅い時間になっていた。

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