追及

 唐突に、雨が止む。

 まるで蛇口を絞ったかのように収まった雨脚あまあしはあまりに不自然で、雲に覆われた夜空を見上げると、屋敷全体を包み込むほどの大きな結界が雨を遮って、内と外を断絶させていた。


 これほどの結界を瞬時に展開させられる術者など、陰陽師の業界全体を見渡してもそうはいない。


 顔を上げた水野も、彼女の存在を認めるとさすがに足を止めた。

 彼女を突破して先に進むのは、たとえ《陰陽師協会》のSランクであったとしても至難の業だろう。


「少々、お話を伺ってもよろしいでしょうか? 《陰陽師協会》の水野みずの勝兵しょうへいさん?」


 複数の部下を脇に従えて和傘をたたみ、盲目の瞳で敵を射竦める、京都随一の結界術の使い手。

 かつて、かの九尾の妖狐に深手を負わせたこともあると言う《平安会》きっての実力者。

『鉄壁の巫女』。京天門きょうてんもん絹江きぬえ


「……俺に何か御用でも?」


 傘をとじ、警戒の姿勢を怠ることなく水野は先を促した。

 絹江女史は、彼の緊張を声音と息遣いだけで感じ取り、その不安を取り払うように微笑んで見せる。


「そんなにかしこまらなくても結構ですわ。私たちはあなたに二つほど、訊きたいことがあるだけです。お答えて頂けますか?」


「……内容次第だ」


 彼女を相手に強行突破を試みるのは愚策ぐさく。水野はひとまず出方を窺うことにした。


「では一つ目。あなたが昨日対峙し、取り逃がしてしまったというその妖は、どのような手合いだったのでしょう?」


「それは、昨日俺の後に来た《平安会》の陰陽師にも訊かれて、答えてやったはずだが?」


「報告は受けております。ただ、『どんな姿かよく分からなかった』と言うのは、どういうことなのか、私にも直接、詳しく説明して頂けます?」


「言葉通りの意味だ。奴は自分の力で姿を隠していた。気配は掴めるが、動きが速くて捕まらない。何とかつらだけはあばいてやろうといくつか術を試したが、全部弾かれてかなかった」


 水野の口調に淀みはなく、嘘をついているようには見えない。


「……亡くなった彼の死因は、出血性ショックでした。大きな爪のようなもので腹部を深く斬り裂かれていたそうです。他にも体中に爪で斬られたような痕が複数あったとか……。敵の妖は、そのような物理攻撃を仕掛けることが多かったのですか?」


「多いどころか、奴はそれしかしてこなかった。力は専ら自分の姿を隠すことや防御に使われて、攻めるときは全部直接だった。……くたばったマヌケの身体を見れば分かると思うが、あれは相当でかい爪だ。もろい人間を殺すだけなら、それだけで十分だっただろうさ」


 水野の話を元に、静夜たちはその凶暴な妖の正体を想像する。

 姿を隠し、守りに優れ、鋭く大きな爪で獲物を屠る怪物。


 おそらく、亡くなった陰陽師は死角からの奇襲を受けたのだろう。最初の一撃で重傷を負い、助けを求めたが駆け付けた水野は見えない妖を相手に応戦で手一杯となり、壮年の陰陽師は処置が間に合わず、力尽きてしまった。


 水野も、少しでも気を抜いたなら同じようになっていたかもしれない。


「……親切で忠告しといてやるが、アレは一流の陰陽師が数人掛かりで挑んでも倒せるかどうか怪しいってレベルの化け物だ。早く例の〈青龍の横笛〉を見つけて、元の場所に戻すことを考えた方がいいだろうな」


「……ええ、一刻も早くそうしたいですわ。けれど、〈青龍の横笛〉をほこらに返したところで、その妖の力が弱まるとは限らないのではなくて?」


 突然話が飛躍したように聞こえて、絹江女史は首を傾げる。

 ここ最近、京都の妖が力を増強し、凶暴化している件と、東の祠より〈青龍の横笛〉が何者かに盗み出された事件は、繋がりがあるかもしれないし、ないかもしれない。確証はどこにもないのだ。

〈青龍の横笛〉を盗人から取り返し、祠に祀り直したところで、強くなった妖が大人しくなるという保証もない。


 それに、今後もその妖が人を襲い続けるというのであれば、神器の捜索よりも先に妖の討滅を考える必要性も出て来るだろう。

 優先されるのは人命である。医者の妻という一面も持ち合わせる絹江女史の表情からはそのような信条さえも伺えた。


 それを見た水野は、顔に優越感を滲ませて再び不敵な笑みを浮かべる。


「ふん。……ついでだ。一ついいことを教えてやる。……お前らのところの陰陽師を殺したそいつは、戦いの最中でずっと、『横笛を返せ、横笛を返せ』と、まるで呪言のように何度も繰り返していたぞ?」


「なんですって⁉」


 絹江女史が息を呑む。

 水野の言葉が波紋を広げ、仏堂の中でもどよめきが起こった。


「……本当に、その妖がそう言いましたの?」


「ああ。少なくとも俺にはちゃんとした人語に聞こえた」


 喋ったということは、そのレベルの自我を既に確立させている存在であるということ。人間と話の出来る妖はまれである。最低でも、『名前』を手に入れる一歩手前の段階にまで力を得ていると言えるだろう。


 さらに「返せ」という言葉から推測すると、それは青龍の身内であると言う可能性すら考えられる。青龍の本体でなくても分身や眷属、あるいは高い霊格を保有し、青龍に仕えている神霊の類。


 もしそうであれば、それは普通の陰陽師がいくら束になって掛かろうと、どうにか出来るような相手ではない。


「……妖がそのように言ったのは、あなたが〈青龍の横笛〉を盗み出した張本人だからではありませんの?」


 閉ざされたまぶたの奥から、疑いの視線が鋭く刺さる。

 水野はそれを一笑に付して取り合わなかった。


「もしもそうなら俺も今頃はこの世にいないと思うぞ? ……それに、俺は正直に言って、あんな奴とは二度と戦いたくない。あんなのに目を付けられるぐらいなら、横笛なんて諦める。……お前らも敵を討とうなんて馬鹿な考えは捨てた方がいい。皆殺しにされるのが関の山だからな。いさぎよく〈青龍の横笛〉を差し出して、命乞いをした方がいくらかマシな結果が得られるかもな」


「……そうですか。ご忠告、感謝致します」


 引き出したい情報はすべて聞けたと満足したように、絹江女史は皮肉に応じてうやうやしく頭を下げた。

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