不穏な風は止まない

「……」「……」「……」「……」「……」

 唖然、驚嘆、絶句、恐怖、感心。


 思いも寄らぬ勝利に居合わせた五人は、何も言うことが出来ずにしばらくそのまま固まっていた。


 抜刀居合切ばっとういあいぎり。


 静夜の目にも辛うじて追うことの出来た水野の決め技は、星明の〈破矢武叉はやぶさ〉に勝るとも劣らない速度と精度で繰り出され、まさに一流の名に恥じない陰陽術だった。

 今の静夜では到底、敵わない。


 振り向いた水野に睨み返されて、静夜は思わず後退る。


「……後の処理は任せる。……じゃあな」


「……ちょ、ちょっと待って下さい、水野さん!」


 きびすを返し、表参道の方から出て行こうとする水野を、静夜は思い切って呼び止めた。

 水野はそれに足を止めて再び鋭い視線を突き返す。先程よりもさらに怖い、遠慮のない苛立ちと敵意と殺意を込めた眼光。

 静夜は怯んで押し黙ってしまった。何を言おうとしたのか、言葉が一瞬で消し飛ぶ。


 痺れを切らした水野は小さく舌打ちをして短い嘆息をつき、思ったことをそのまま言葉に乗せた。


「……もっと考えて仕事をしろ。妖の動きを抑え込むにしたって、もうちょっとダメージを与えてから結界を張っていれば上手くいっていたかもしれないのに、いきなり大袈裟な法陣結界を作って相手怒らせて更に状況を悪くして……。そんなに自分の結界術に自信があったのか? それで失敗して、また民間人に被害を出したら、今度はどうやって責任を取るつもりだった? ……学生のごっこ遊びじゃ済まないんだぞ?」


「……す、……すみません」


 謝罪の台詞が口を突いて出る。何に対して謝っているのか、よく分かってもいないまま。


「……仕事もできないくせに、俺に指図なんかするなよな」


 水野は最後にそう言い捨てて、現場を後にした。


「……」


 静夜は何も言い返すことが出来ずに俯いている。

 確かに、水野の言う通りだからだ。


(……いや、違う。だってアレは、早く結界を張って妖を抑えないと、あのまま水野さんが妖を祓ってしまいそうだったからで、それに、五行山の法陣結界を力づくで無理矢理破るなんて、普通の妖ならあり得ないし……!)


「……って、なんで言い訳ばっかり考え始めるんだよ、僕は……!」


 それは自分を正当化するためか、それとも自身の精神の安寧を保つためか。


 どちらにしても、静夜にとって都合のいい理屈ばかりを並べた弁明は、見苦しい愚かな言い訳にしか聞こえなかった。


 平野神社の境内は、建物がボロボロに傷つき、桜の木々は花がすべて吹き飛んで薙ぎ倒されている。神楽を奉納するための舞台は潰れ、残骸はぬかるんだ地面に沈み込んでいて最早跡形もない。


 ここに残された事実こそが全てだった。この光景こそが、静夜が今夜行った仕事の結果だ。


 萌依と萌枝と、それに栞は、静夜に掛ける言葉が見つからなくて堪らず彼から目を逸らす。

 舞桜は何も言わず、ただ黙って肩を落とす静夜の背中を見つめていた。


 ――プルルルル。プルルルル。


 突然の着信音が、淀んだ静寂を切り払う。

 静夜は少しびっくりしてから慌てて、ズボンのポケットから規則的に震えるスマホを取り出した。


「――……遅いです、星明さん」


 この電話がもう少し早かったら結果もまた違っていたかもしれない。

 性懲しょうこりもなく頭を過ぎった惨めな逃げ道にうんざりしつつ、静夜は通話を繋いだ。


『……ごめんごめん。なにせ京都市北区を収めている一族は蒼炎寺一門に所属しているからね。屋敷に連絡を入れるだけでもいろいろと筋を通さなきゃいけないから、一苦労なんだよ……』


「……風通しの悪い組織体制ですね」


 如何にも《平安会》らしい、旧態依然とした情報伝達の悩み事だ。


『……その感じだと、もう終わってしまったのかな?』


「はい。たった今、討伐しました。……相手は大型の鎌鼬で、こちらに人的被害はありません。かなり強力な妖でしたので、現場となった平野神社の境内が酷い有様なのですが、原状回復に何人か人を回しては頂けないでしょうか?」


『それは無理な相談だね。君たちがやったことなんだから、後片付けも最後まで君たちで責任をもってやってもらわないと……』


「……そう言うと思いましたよ。で、その後はどうすればいいですか? また苦情を聞きに伺えばいいんですか?」


 嫌味を込めて静夜が言う。いつもより言葉の端々に棘があるのは、無意識のうちに八つ当たりをしているからだろう。


『今回は事前の連絡もあったからね……、とりあえずは、詳しい報告書をまとめて提出してもらおうかな。具体的な処分があるかどうかは、その報告書の内容次第ということで』


「……そうですか、分かりました」


 素直に了承して頷きはするけれど、今回のことを馬鹿正直に話すと、絶対にまた厳しい批判が返って来そうなので、京都支部存続のためにも、ある程度は事実を歪曲わいきょくする必要がありそうだ。

 それはそれで、またなんとも情けない話なので、気が重くなった静夜はこぼれ落ちそうになる深いため息をぐっと我慢する。


『ああ、それからもう一つ。これは別件なんだけど、明日、また少し時間をもらえないかな?』


「え? ……なんですか? 急に」


 きな臭い要求に、静夜は嫌な予感がして身構えた。

 二日連続で星明から呼び出しを受けるなんて、静夜にとっては用件が何であろうと最悪なのだが、彼の口から告げられたその内容は嫌な予感を大きく通り越して、悪夢だった。


『……君たちが先日調査した、妖が出るって言うマンションの事故物件で、また妖が出たそうだよ?』


「……そ、そんな、馬鹿な……」


 四月上旬。桜の花は満開を迎えたばかりで、大学の授業はまだ始まってすらいないというのに、次から次へと何かが起こる。気が滅入る。

 光を探して天を仰いでも、夜空に月は見当たらず、花見茶屋の宴会の照明に霞んで、今夜は星の輝きさえも地上には届いていなかった。

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