第7話 春の桜が咲き誇る日に

少女の学校生活

 舞桜の通う高校は、京都御所きょうとごしょのすぐ西に位置している。

 中高併設の伝統ある女子学校らしく、校舎は赤茶色のレンガで出来た外壁が目に鮮やかで綺麗だった。


 正門の前には『入学式』と大きく書かれた立て看板に、日の丸の国旗と校旗が飾られている。真新しい制服に身を包んだ少女たちは、今日からここで、また新しい学園生活を華々しくスタートさせるのだろう。


 穏やかな春の陽気が心地よい。浅い青色の空には小さな白い雲が浮かび、ゆっくりと春風に吹かれて流れていく。薫るそよ風は暖かく、咲き誇る桜の花は静かに揺られて散りゆく花びらが美しい。


「……ふぁ、ああぁああ……」


 思わず大きな欠伸が出てしまい、静夜はのんびりとした所作で口元を抑えた。あまりにも気持ちが良くて、油断していると舞桜が校門から出てくる前に路上で立ったまま居眠りをしてしまいそうだ。


 平野神社で夜桜見物をした翌日。


 竜道院星明から連絡を受けた静夜は、これから大学の後輩である牧原まきはら大智だいちが借りているマンションの事故物件の一室に、もう一度足を運ぶことになっていた。


 本来ならすぐにでも大智のところへ駆け付けるべきだったが、静夜たちは大型の鎌鼬と戦った平野神社の境内の後始末をしなくてはならず、また、今回は星明も現場に立ち会いたいとのことで、日を改める運びとなったのだ。


 さらに、昼過ぎに現地集合ということを聞き付けた舞桜が「私も行く」などと言い出したため、静夜は仕方なく、高校の入学式に出席する彼女をわざわざ校門前まで迎えに来ているというわけだ。


 昼間で月もない時間帯。憑霊術の使えない舞桜がついて来ても大して出来ることはないだろうに、それを言っても素直に聞き入れる少女ではない。


 それに今日は、酒吞童子を討伐した京都の英雄、竜道院星明もいる。

 あの部屋に何が潜んでいようと、大事に至ることはないだろう。


 ちなみに、今日は栞も、萌依も萌枝も現場には来ない。

 今日は週明けの月曜日。静夜たちの大学もついに今日から今年度の講義が始まるのだ。

 栞は二限から、萌依と萌枝は一限から初回の講義があるらしく、成績や単位に関わる重要な情報を聞き逃さないためにも、今日は学生としての本分を優先してもらった。

 特に一回生である萌依と萌枝にはほぼ毎日必修の講義が入っており、それらの単位を落とすと後で痛い目を見ることになるので、いくら《陰陽師協会》京都支部の正式なメンバーとはいえ、いきなり欠席させるわけにはいかない。


 それに比べて静夜の方は、幸か不幸か、月曜の午後から受講しようと思っていた一般教養の講義が抽選に外れて履修できなかったため、今季の毎週月曜日は図らずも全休(講義のない平日の休日)になってしまった。

 どんなに受けたい授業でも抽選に漏れたら受講できないなんて、なんとも理不尽な制度だ、と文句をつけたいところだが、空いている講義室の規模と学生の数の兼ね合いを考えた上で行われる抽選は、昔から多くの大学で取り入れられている仕組みであるらしく、これもまた一種のオトナの都合である以上、静夜にはどうすることも出来ないのだ。


 そして、この事故物件での騒動に深く関わったはずの水野勝兵とは、昨晩の鎌鼬の件から一切、連絡が取れていない。


 電話はもちろん、メールにも反応はなく、既読を確認できるメッセージアプリはそもそもIDを教わっていない。彼の性格を考えると、本件の内容を聞けば絶対に顔を出すと思ったのだが、もしも静夜からのメールを開いてすらいないのなら、期待は出来ない。

 それに彼を無理矢理呼びつけて、責任を全て押し付けるような真似は静夜もしたくなかった。今日のところは大人しく、京都支部支部長として《平安会》からの糾弾を受け止めるしかないだろう。


 深刻そうなため息を何度も堪えながら待っていると、ようやく校舎の方から慎ましいチャイムの音が鳴り響き、やがて女子高生たちのかしましくも溌溂はつらつとした話し声と笑い声が聞こえて来た。

 どうやら行事が全て終了し、生徒たちが帰途に着くようだ。


 続々と校門から出てくる女子生徒たちの顔をこそこそと覗き見ながら静夜は舞桜の姿を探す。当然、学校まで迎えに行くことはあらかじめ本人にも伝えてある。

 胸にコサージュをつけた新入生が何人も歩き去っていく中、目当ての少女はしばらく待っても一向に現れなかった。


 何をしているのだろうか。高等部に上がったばかりで、部活動もまだ何も始まっていないだろうに。


「……」


 考えてみれば、静夜は舞桜の学校での様子を何も知らない。本人から話を聞いたことすらなかった。

 改めて想像してみようとしても、いまいちよく分からない。


 仲の良い友達はいるのだろうか。楽しみにしている学校行事はあるのだろうか。


 ダメだ。そもそも女子校という場所が、静夜にとっては未知の世界だ。

 聞くところによると、共学の学校に通う女子高生と女子校に通う女子高生では、その生態が完全に異なっているとか、いないとか。


 静夜も二年前までは高校生だったわけで、妹の妖花はこの春から三年生になったばかりの現役女子高生だ。だから女子高生という生き物をそこまで遠くに感じることはない。が、ここに集う女子高生とは、静夜の知る女子高生とは全く別の生き物だとでもいうのだろうか。


 今時、お嬢様学校などという言葉は死語である。


 いくら昔ながらの考え方や風習が残っているような伝統校でも、ここには様々な家庭環境で生まれ育った、いろいろな個性や特性を持った生徒たちがまるで魑魅魍魎ちみもうりょう百鬼夜行ひゃっきやこうの如く、跳梁跋扈ちょうりょうばっこしているに違いない。


 そんな異世界のような環境で、あの竜道院舞桜がどのような学校生活を送っているのか、静夜には全く想像もつかなかった。

 もしも舞桜が同級生に対しても、静夜と一緒にいるときのような態度を取っているのなら、残念ながらクラスでも浮いた存在になっているに違いない。


 それに彼女は仮にも、竜道院という由緒ある名家の生まれで、れっきとしたお嬢様の肩書きを持っている。周囲も当然それは分かっているはずで、加えて彼女は中学まで、家庭の事情で学校にあまり通えていなかった。運動も苦手であるため、行事やイベントなどで目立った活躍をするようなこともなかっただろう。


 どう考えても、友達がたくさんいて、充実した学校生活を謳歌しているようには思えない。


 きっと舞桜は学校でも一人で、休み時間は窓の外の景色をぼーっと眺めて過ごし、誰もいない校舎の物陰で静かに昼食を取り、体育の授業で二人組を作る際には教師が彼女の相手役を務めるような、そんな、思わず同情してしまいたくなるような寂しい学校生活を送っているのかもしれない。


「……」


 なぜだろう、急に目頭が熱くなってきた。

 仕方がない。今日の夕食は、舞桜の好物である春巻きをたくさん作ってあげることにしよう。タケノコとチーズも入れてカリッと揚げれば、何かと味にうるさい少女も満足してくれるだろう。


 静夜がスマホのメモ帳で買い物リストを作成していると、校舎の方から一際大きな新入生の集団がぞろぞろと歩いて来るのが見えた。


「――……わたくし、あの新入生代表の挨拶には本当に感銘を受けましたわ! 美しい言葉選びと壇上での堂々としたお姿。他の生徒ではとても真似出来ませんわ!」


「お体の具合は、もうよろしいんですの? 最近は学校をお休みになることも少なくなって、わたくしたちもうれしく思っておりますわ」


 彼女たちは、静夜が今までに見送ってきた女子生徒たちとは明かに雰囲気が異なっていた。

 上品で洗練された言葉遣い。穏やかで慎ましい笑い声。あまりにも自然でさりげない微笑。細かな所作のひとつひとつにそれぞれの育ちの良さが滲み出ており、それはまるで異世界の上流階級を生きている本物の貴族のご令嬢たちのようだった。


 特に、多くの女子生徒から囲まれるようにして集団の中心にいる、小柄で長い黒髪の少女は、謙虚な微笑みを浮かべて同級生たちからの羨望を一身に集めている。


「お褒めに預かり光栄ですわ。中等部の頃はよく体調を崩して皆様にご心配をお掛けしましたが、皆様の温かい応援と優しいお心遣いのおかげで、私は無事に新入生代表などという大役を果たし終えることができました。高等部では一日でも多く皆様と同じ教室で机を並べて勉学に励んでいきたいと思っておりますので、何卒よろしくお願い申し上げますわ」


 鮮やかな朱色の瞳が温和で柔らかい輝きを放っている。

 それは静夜にとって、とても信じられない光景だった。

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