水野勝兵の実力

 大型の鎌鼬かまいたちが起こすつむじ風は広範囲にわたって周囲を斬り裂いていく。四柱の神を祭っている平野神社の本殿や右近の橘に左近の桜、さらには敷地内を埋め尽くす見ごろを迎えた様々な種類の桜の花までもが、切れ味鋭い風に斬られて壊れ、散ってゆく。


 戦闘に参加していない静夜たちも、この境内に居続ければ、手足や首がいつ斬られて吹き飛ばされてもおかしくない。


 スマホの画面をいくら睨み付けても、星明からの連絡が入るような気配はなく、かと言ってこのまま撤退して、暴れ回る妖を見逃しては、それはそれで《平安会》から文句を言われそうだ。


(……やっぱり、やるしかない……!)


 腹をくくった静夜は呪符を取り出して近くにいた萌依と萌枝に目配せをする。

 二人は彼の考えを瞬時に汲み取り、すぐさま行動を開始した。


「静夜君!」

「馬鹿、栞、危ない!」


 静夜を心配するあまり、不用意に鎌鼬の間合いに踏み入ろうとした栞を、舞桜が寸でのところで引き戻す。


「これ以上前に出るな! 死ぬぞ!」


 否。もしかしたら栞は、冬に妖犬に噛まれて大量出血した時と同じように、鎌鼬に斬られてもまた身体が再生して死にはしないのかもしれない。

 それでも舞桜は、二度も自分の目の前で同じ女性が血塗れになって倒れる姿を見たくはなかった。


「舞桜は栞さんについてて! あの鎌鼬はこっちでなんとかするから!」


「まさか祓うつもりか?」


「いや、動きを封じるだけだ!」


 倒しはしない。そんなことをすれば、決定的に弁明が出来なくなる。《平安会》に後でこの件を問題にされてもいいように、言い訳だけは残しておく必要があるのだ。


「先輩ッ! 準備完了ッス!」

「こっちもOKッス!」


 素早く準備を整えた忍びの双子が帰って来る。視線を走らせて確認すると、静夜の立ち位置を頂点に含めて鎌鼬を囲む正五角形の配置に、呪符を結び付けた四つのクナイが地面に突き刺さっていた。

 静夜は自身の体内に祀られた月宮一族に伝わる霊剣〈護心剣〉の存在に意識を向けて、手に持っていた呪符を地面に叩きつける。


「――〈五行大山封印符ごぎょうたいざんふういんふ〉、急々如律令!」


 静夜の持つ呪符から光が伸びる。萌依と萌枝に仕込んでもらった他の四枚の呪符に光が繋がると、鎌鼬が居座る神楽の舞台を中心に五芒星ごぼうせいの紋様を描く強力な法陣が展開された。


 発動した法陣結界は、中に捕らえた対象の力を封じ込め、動きを抑えつける。前足の鎌を乱暴に振り回す怪物に霊峰の圧倒的な重量がのしかかった。


 ――グギュッ!


 足場にしていた神楽の舞台ごと押し潰されてひれ伏す鎌鼬。境内を荒らし続けたつむじ風も途端に収まり、舞台の崩落によって起こった砂煙は、風に舞い上げられた桜の花びらと共にゆっくりと落ち着いて静まっていく。


 静夜は法陣結界の維持に力を込めた。百瀬姉妹の協力を得れば、法陣の起動は迅速で相手を取り逃がすこともない。実際に今も、鎌鼬は結界の中で最も強い負荷を掛けられる極地に捕らえられている。


 そのはずなのに、――


「――……不味い。押し返される……!」


 鎌鼬の抵抗力は、静夜の想像を遥かに上回っていた。

 保有している膨大な妖力にものを言わせて強引に身体を起こし、のしかかる霊峰の幻影を力づくで跳ね除けようとしてくる。

 組み合わせた両手が無理矢理に引き剥がされそうだ。


「え? 嘘⁉」「マジ⁉」


 見ていたくノ一の姉妹も声を震わせて驚いている。無理もない。術師である静夜本人も信じられないほどのパワーなのだ。


 大晦日の決闘の時に星明がしたように、九字切りなどで術そのものが解呪されるのならまだ分かる。だが、妖の本能的な抵抗と、単純な膂力りょりょくだけでこの法陣結界が破られることなんて今まで考えたこともなかった。


「……ダメだ! もたない!」


 何かに弾かれたように静夜の両手が離れると法陣結界は完全に瓦解し、消え失せた。


 起き上がった鎌鼬は怒りの咆哮を上げ、再びつむじ風の斬撃を無秩序に繰り出す。目に映るものすべてを切り刻む破壊力が陰陽師たちに襲い掛かった。


「――〈堅塞虚塁けんさいこるい〉、急々如律令!」


 静夜は即座に防御の結界を複数展開し、この場にいる全員を攻撃から守ろうとする。

 しかし、威力を増した突風は、容赦なく結界を叩き潰し、瞬く間に無数のヒビを作らせた。これも長くは持ちそうにない。


 活路を見いだせず、下唇を噛み締める静夜の耳に、


「……チッ、……本当に使えないな、お前は」


 小さな舌打ちが、この暴風の中でもはっきりと届いた。

 細かくヒビの入った、今にも壊れそうな結界の中、水野は刀を鞘に納めて腰に携え、右手を柄に据えて、さらに腰を低く落として構えている。


 それを見て、静夜は目を見張った。


(まさか、単身で突っ込む気なのか? この風の中を⁉)


 全てを斬って壊す災害級の暴風が、絶え間なく吹き荒れている。

 身を晒せばその瞬間、身体はフードプロセッサーに放り込まれた果実のように、鮮血と肉片を飛び散らして見るも堪えない姿になるだろう。


 真っ向勝負では押し負ける。隙を突こうにも、単純な力比べで歯が立たない以上は、如何なる奇策もねじ伏せられる。


 それとも、水野には静夜とは違う光景が見えているとでもいうのだろうか。


 鎌鼬が起こした春の嵐に吹き飛ばされて、儚い桜が散るかの如く、水野を守っていた結界が遂に砕けて攫われた。


 その瞬間に、水野は地を蹴って走り出す。


「――五行より「水」、〈泥沼どろぬま〉、急々如律令!」


 唱えた途端、鎌鼬の足下の地面が突如ぬかるみ、潰れた神楽の舞台の瓦礫が崩落する。その上に立っていた鎌鼬は足を取られてバランスを崩し、風による攻撃がわずかに乱れた。


「……でもまあ、アイツを地面に叩き落としてくれたことには感謝しておこう。手間が省けた」


《陰陽師協会》が認めるAランク陰陽師の実力は、このたった一度の、ほんの一瞬の好機を決して逃さない。


「――五行より、「すい」の力を以って、我に貸し与え給え。……――」


 瞑目めいもくし、穏やかに整った心で、ただ相手を斬り伏せることだけを念じて法力を練り上げる。


 森羅万象しんらばんしょうを形作る五行の一要素「水」の力を宿して、彼は風圧の壁を駆け抜け、祓うべき妖の元へと肉薄した。

 針の穴に糸を通すような精密さと大胆さで最後の一撃が放たれる。


 嵐が、凪いだ。


「――〈波紋はもんしずくうつし〉」


 刹那の後、鎌鼬を背にして駆け抜けた水野は刀を鞘に納めて制止している。


 ――カキン、と鞘と柄がぶつかり合う納刀の金属音が静寂を破った途端、鎌鼬は倒れて霞となった。

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