メロンといちごと喰えない果実

「しおちゃん先輩、そんなに不安なんだったら、もうその凶悪なおっぱい押し付けて、先輩と既成事実でも作っちゃえばいいんじゃないッスか?」


 恋に悩める繊細な乙女心に、乙女らしからぬ解決策が、わりと冗談には聞こえない口調で提案された。


「しおちゃん先輩には、男を狂わせる魅惑のメロンが二つもついてるんスから、先輩に思う存分食べさせてあげれば、イチコロだと思うッスよ?」


「た、食べさせるって……」


 あまりにも遠慮のないセクハラ発言に、栞は言葉を失う。

 恥ずかしがって身体を小さく縮めても、か細い両腕からこぼれ落ちそうになるほど豊満な果実は、異性だけではなく同性の目でさえも奪ってしまうようだ。


「……前から聞きたかったんスけど、しおちゃん先輩、いったい何を食べたらそんなに大きく育つんスか?」


 萌依が栞の胸元に羨望の眼差しを向ける。


「あたしたちにも、しおちゃん先輩くらいの色気があれば、ハニートラップとかもめちゃくちゃ成功して面白そうなのに……」


「お、面白うそうってお前ら……」


 女性らしくなりたいとか、男性にモテたいとかではなく、斜め上の理由が萌枝の口から漏れ出て来て、舞桜は呆れた。


「えぇっと、あんま大き過ぎてもええことあらへんで……? それに、ウチは食べるとすぐに体重が増えてまうさかい、いっつもご飯は少なめにしとって……、逆にウチはそんなに食べても全然太らへん、舞桜ちゃんの方が羨ましいなぁって思うけど……」


「は? 私が?」


 突然水を向けられて驚く舞桜。少女の周りには、買い揃えてあった屋台グルメの容器が空になって積み上げられており、焼きそばもたこ焼きもイカ焼きもりんご飴も、既に彼女の小さな胃袋の中へと吸い込まれてしまっていた。


「確かに! いつもたくさん食べるのに、そのスタイルの良さは謎ッスよねぇ……。二の腕や足は細いし胸も手に納まりそうなくらいの程よいサイズだし、お腹周りも引き締まってて羨ましい! これで身長さえあれば、トップモデルになれそうッス!」


「……それは、褒めているのか貶しているのか、どっちなんだ?」


「いやだなぁ、褒めてるに決まってるじゃないッスか! つまり何が言いたいかって言うと、二人共すっごく可愛いんスから、先輩のことを信用しててもあんまり気を許し過ぎちゃうのは良くないってことッスよ!」


「随分と他人事のように言っているが、そういうお前たちは大丈夫なのか? 自称、最強美少女軍団の一員なんだろ? 油断していると自分たちが痛い目を見るんじゃないのか?」


「……」「……」


 舞桜が意趣返しのつもりで双子の姉妹に脅しをかける。すると二人は鳩が豆鉄砲を喰らったようにぽかんとなって、少女が口にした冗談を頭の中で再現しようとした途端、一気に笑い声を噴き出した。


「……くっ、ぷふっ、……あはははは! 舞桜ちゃんも意外と面白いことを言うッスね! うふふふっ!」

「無理無理無理無理! 絶対に無理っス! あたしたちが先輩に襲われるとかマジであり得ないッスから!」


 声も容姿も性格も、何もかもが瓜二つな双子の姉妹は、花見茶屋の畳の上で揃って手足をじたばたさせ笑い悶える。


「え? どうして? 萌依ちゃんも萌枝ちゃんもすごく可愛いと思うけど……」


 栞は、二人の発言を謙遜だと勘違いしたのだろう。それを聞いてまた双子の姉妹はお腹を抱えて笑い転げた。


「違うッスよ、しおちゃん先輩! あたしたちが言いたいのは、先輩如きじゃ、あたしたちを組み伏せるなんて絶対に無理ってことッス! たとえ、どっちかが一人でいるところを狙ったとしても、先輩じゃあたしたちに勝てないッスから!」


「……えっと……、そうなの?」


「そうッスよ! あたしたちはこれでもBランク。Cランクの先輩なんかより格上なんスから! むしろヤれるもんならヤってみろって感じッス!」


 自信満々に断言する二人の台詞に、栞は当惑してしまう。


「……二人の目から見ても、静夜君はそんなに、その、……弱いんやろか……?」


 それは、彼女が以前から、ずっと誰かに訊いてみたいと思っていたことだった。

 月宮静夜の陰陽師としての実力とは、実際如何ほどのものなのか。


 本人はいつも謙遜ばかりしているけれど、栞に陰陽師の世界のことはよく分からないし、術の良し悪しだって判断できない。陰陽師の知り合いが多くいるわけでもないから誰かと比べて評価を付けるということも難しいのだ。


 確かに、憑霊術を使った時の竜道院舞桜や、Sランク陰陽師で半妖の月宮妖花、それに年末の決闘で彼を負かした竜道院星明などと比べるとやはり見劣りはするかもしれない。

 それでも、いろんな人から三流だと揶揄されるほど、静夜は落ちこぼれではないはずだ、と。

 この一年間ずっと彼のことを頼りにしてきた三葉栞は、心の奥底でどうしてもそう思いたくなってしまうのだ。


 だから、月宮静夜の実力を十分に理解している別の陰陽師の立場から、彼に対する客観的な評価が知りたい。

 そんな想いで、栞は双子のくノ一からの答えを待った。


 しかし――、


「しおちゃん先輩、それはいくらなんでも、先輩を過大評価し過ぎっス」


 返って来た答えは、やはり乾いた嘲笑だった。


「……う~ん、しおちゃん先輩にこんなこと言うのはアレかもッスけど、先輩って本当に大したことないッスよ? ランクもCが妥当だと思うし、今の先輩じゃ、頑張ってもせいぜいBランクってとこッス」


「まあ術は多彩だしぃ? 月宮流陰陽剣術もあるから、そこそこ戦えるんスけど、器用貧乏って言うんスか? どれもこれも精度は中途半端で、あれが一流かって言われると全然そんなことはないし、先輩より強い人なんてゴロゴロいるッスから! 逆に先輩がAランクとかだったら、マジで強い人たちに失礼ッス」


「っていうかそれだったら、協会の判定基準を疑うッスよねぇ……、あはは!」


 萌依と萌枝は相変わらず容赦なく、仮にも自分たちが所属する京都支部の支部長である青年のことを小馬鹿にして笑っている。


 それなのに、何故だろう。

 間違いなく、貶されているはずなのに。

 栞の期待した答えではなかったはずなのに。


「……そうなんや……」


 妙に、答えがすとんと胸に落ち着いて納得する。

 二人が静夜を嘲笑うその物言いは、何故か不愉快に思わなかったのだ。


「……そういう意味で言うとやっぱり、あの舞桜ちゃんのお兄さんは滅茶苦茶ヤバったッスねぇ〜」


「ね! さすがは英雄って感じッス! なんかオーラからして格が違うなって思ったッスよ!」


 静夜のことを馬鹿にする話の流れで、彼女たちは先程思わぬ対面を果たした竜道院星明の名前を引き合いに出した。


「……そうは言うがお前たち、昼間は兄上の前で京都支部を甘く見るなとかなんとか、大見得を切っていなかったか?」


「それはほら、あたしたちにもメンツってもんがあるッスから……」

「意気揚々と忍び込んだのにあっさりバレちゃって、思わず……」


 てへへ、と照れくさそうに萌枝が笑う。


《陰陽師協会》にもその名が轟いているという京都の英雄、竜道院星明の前で恥をかいてしまい、見栄を張ってしまったと二人は言うが、屋敷の結界をすり抜け、家の者に一切悟られることなく、星明に気付かれるまであの天井裏に息を潜めていたのだから、それだけでも大したものだと言えるだろう。


 星明にはきっちりと、顔と名前を憶えられたに違いない。


「……一応、身内の立場から忠告させてもらうが、星明兄上だけはやめておいた方がいい。迂闊に近付くと、身も心もダメになるか、盲目的な信奉者になるかのどちらかだ」


 何を思ったのか、舞桜は突然、自らの異母兄である竜道院星明の恐ろしさについて語り始めた。


 彼は優秀だ。才能に溢れ、おごらず、愚直な研鑽けんさんを積み重ね、これまでに数多の窮地と修羅場をくぐり抜けてきた。常に己と戦い、気高い信念の下、理想的な陰陽師の姿を体現している彼のことを慕う者は、一門の内外を問わず多いと聞く。


 しかし星明は、その優秀さ故に自分を慕う者を顧みない。


 高みを目指し、向上心を忘れず、ほとんどすべての難局を己が身一つで解決してしまう彼は、他人からの奉仕や献身を必要以上に求めない。

 彼に気に入られようと気を遣ったところで、彼は感謝以上の報いを与えてはくれないのだ。


 星明の持つ何かに惹かれて近付いた者は、感謝や信頼以上の見返りを求めて勝手に心身をすり減らし、やがて自滅するか、あるいはそこで満足して彼を信仰するかのどちらかになる。


「……特に、栞にはおすすめできない。星明兄上は歓迎していろいろとやってくれそうだが、あの人が興味を示すのはお前の持つその鈴であって、お前自身を守ることは二の次にされるだろう」

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