大見得を切る

「それにしても、随分と部下の管理がおざなりなようだね。……そんな調子で大丈夫なのかな? 静夜君の京都支部は……?」


 分かりやすい挑発で、星明はさらに静夜を煽って来た。


「……お恥ずかしい限りです。この春から新しく派遣された人員に対しましては、私の方から京都のルールや礼儀というものをしっかりと指導して参りますので、今後ともご指導ご鞭撻べんたつのほど、よろしくお願い申し上げます」


 どこで誰が見ているのか分からない以上、いくら辛酸しんさんめさせられようと、ここでは大人しく振る舞って何事もないまま帰るに限る。

 静夜はもう一度素直に頭を下げてこの場を収めようとした。が、……――


「それじゃあ、そこの天井裏でコソコソと聞き耳を立てている二人にも、あとで厳しく言っておいてあげてね」


「……はい?」


 何のことか分からず、静夜が撃たれたようにおもてを上げると、星明は呪符を手に取り、念を込めたそれを頭上の天井へと放った。


「――ばつ


 印を結び唱えると、呪符から半径2メートルの天井が突如消失し、そこに潜んでいた何者かが足場を失って落下して来る。


「え? ウソ!」「マジッスか?」


 畳の床に激突する寸前で体勢を立て直した二人は対面して座る双方の間に着地した。


「えへへ、残念」「あはは、バレちった」


 お揃いの服を着た瓜二つの双子は、ちょろっと舌を出して、わざとらしいウィンクをして見せる。今更可愛い子ぶったところで上司の青年には通じない。


「……萌依、萌枝、こんなところで何してる?」


「嫌だなぁ、先輩ッ、そんな怖い顔しないでくださいよぉ」


「ちょっとこのお屋敷に忍び込んで、話を盗み聞きしてただけじゃないッスかぁ」


 別にそういうことを聞いているわけじゃない。


 天井からいきなり落ちてきたくノ一の姉妹はいつも通りの惚けた様子で、それを睨み付ける静夜は、よくもこのタイミングで面倒事を増やしてくれたな、と内心の苛立ちを隠すことなく鋭い眼光に込める。


「し、忍び込んだって、屋敷の周りには何重にも結界が張られているはずだ! それをどうやって……⁉」


 静夜たちと同じで、天井裏に潜んでいた百瀬姉妹の気配に全く気付いていなかったであろう紫安が、驚いた顔のままで二人を指差す。


「結界? ああ、あの程度の薄壁なら、何枚あってもあたしたちには意味ないんスよねぇ」


「うんうん。ちょー余裕で抜けられたしぃ?」


 活き活きと勝利のブイサインを掲げる忍者たち。

 星明は、その二人の言動だけで姉妹の正体を看破した。


「……『抜ける』か……。たしか、忍術の一種に、術者の念の隙を探り当てて、術の効果をすり抜けるような技がなかったかな?」


「おッ、さすがは噂に聞く、京都の英雄!」


「顔も頭も実力も、先輩じゃあ足下にも及ばないッスね!」


「……うるさいよ」


 数日前、サークルのブースで、二人が静夜の呪符の拘束を掻い潜って見せたのもこの忍術によるものだ。これと言って決まった呼び名はないらしいが、この二人は特に相手の術の隙を見つけるのが上手い。


「初めまして。舞桜ちゃんのお兄さん方。あたしは、《陰陽師協会》京都支部に所属する忍び、百瀬ももせ萌依めい


「右に同じく、百瀬ももせ萌枝もえ


「あたしたちがその気になれば、どんな結界でもすり抜けて、あなたたちの懐に忍び込める」


「潜入、密偵、それに暗殺は、忍びの十八番おはこ。そしてあたしたちには、それが出来るだけの腕がある。……だから、」


「「あんまり、京都支部を甘く見ないことッスね!」」


 二人は声を揃えてはっきりと、不適な笑みを浮かべて大見得を切った。


「……ああ。肝に銘じておくよ」


 答える星明は気を引き締めていて、そこには油断も嘲りもない。

 気配に気付いたとはいえ、潜入を許してしまったことは紛れもない事実。

 百瀬姉妹の実力は、さしもの星明と言えど、認めざるを得ないものなのだろう。

 静夜は、少しだけ胸がいた気分になった。


「……それでは、これ以上お話がなければ、僕たちはこれで失礼します」


「ああ、そうだね、今日はこれくらいにしておこう」


 静夜と舞桜は、冷めたお茶とお菓子を置き去りにして立ち上がる。

 こんなところ、用事がなくなれば速かに立ち去るに限るのだ。


 障子を開け、急ぎ足で部屋を出て行こうとした手前で、突然、星明が思い出したように、妹の舞桜を呼び止めた。


「そういえば、明日は入学式だそうだね」


「……はい」


 紫安と同じ話題を振られて、舞桜は兄たちに背を向けたまま返事をする。


「新入生の総代として、挨拶を述べる大役を賜ったそうだけど、準備は大丈夫なのかな?」


「……はい」


「そうか。……分かっているとは思うけど、くれぐれも竜道院の名前に泥を塗るようなことだけはしないようにね」


 顔だけ振り向いて長兄の方を見る。優しい表情で舞桜に笑いかけている彼の瞳の奥は無味乾燥としていて、とても冷たかった。


「……心配されなくても、私はもう、竜道院の人間ではありませんので……」


 きっぱりと、舞桜は再び、己の決意に従って自分の立場を主張する。

 これを聞いた星明の反応は、弟の紫安とは全く異なるものだった。


「それはそうだけど、周りの人たちはそうは思わないだろう? だから、最低限の自覚は持っておいてもらわないと……」


 それはさも当然のように、世の中の常識を諭して聞かせるような当たり前の口調で発せられた。


(……それはそうだけど、か……)


 あまりにも自然に出て来た言葉で、危うく聞き流してしまうところだった。

 やはり竜道院星明にとって、腹違いの妹である舞桜とは、最初からそういう認識なのだ。


 舞桜も長兄の真意を察して、素早く視線を切った。


「……十分に、分かっているつもりです」


「……そう。ならよかった」


「失礼します」


 舞桜は早口に別れを告げて部屋を出る。

 力任せに襖を締め、自分の姿を兄から隠すと、唇を強く噛み締めてじっと何かに耐えていた。


「……帰るぞ」


 速足で玄関口の方へ歩き始めた少女に、今度は静夜が声を掛ける。


「……美春さんの様子は、見に行かなくていいの?」


「……」


 そこでまた、舞桜は一瞬だけ足を止めた。

 彼女の実の母親である竜道院美春が眠る部屋は、屋敷の奥。玄関とは反対の方向にある。


「……今日はいい」


 娘はそれだけ答えると、また一人で歩き出して、決して後ろを振り返ることはなかった。


「……今日も、でしょう?」


 遠ざかる少女のその小さな背中に、青年は悲しい呟きを溢す。


 どちらかと言うと、様子を見に行くことの方が少ない。

 用事で実家を訪れる度に気にして、いつも静夜が訊く度に迷うくせに、舞桜は大抵、目を逸らすのだ。


 合わせる顔がないと思っているのか、ただ眠り続ける母を見ても辛いだけだからか。

 それとも今日はただ、早くこの屋敷から逃げ出したかっただけなのかもしれない。


 どんな理由にせよ、彼女はいつも涙を見せまいと必死に堪えて、自分の胸の内を悟られまいと気丈に振る舞う。

 その様子はとても儚くて見ていられないから、いつ散るとも知れぬ春の桜と同じように目を離してはいけないと、静夜は春風に揺られる少女の頼りない影を追いかけた。

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