誕生日会

 静夜たちがホテルに帰還し、うしお七海ななみが率いる、自称産業スパイの襲撃の後始末をしていると、いつの間にか夜が明けていた。


 夜の雪山を踏破してホテルに辿り着いた静夜たち一行はもちろん、約三年ぶりに妖としての力を解放した妖花も、それ相応の体力を消耗しており、仮眠のつもりで床に就いたら、気が付いた時には日が堕ちて、また夜になっていた。


 昨夜は、雪崩と吹雪で孤立状態に陥り、混乱を極めていたホテル『フォックスガーデン』も、吹雪が収まり、朝を迎えたことで事態は一気に収束した。一般のスキー客を無事に下山させ、今はホテルの中も落ち着きを取り戻している。

 そして、多忙な仕事の合間を縫って準備を整えた吉田が、満を持して、月宮妖花の17歳の誕生日を祝うささやかなパーティーを催したのだ。


 人数が少ないので、妖花は宿泊するロイヤルスイートの部屋で十分だと訴えたのだが、それに舞桜が「先程まで病人が寝ていた部屋でケーキを囲むのは如何なものか」と異議を唱えたので、結局、結婚式の披露宴などにも使える広すぎる宴会場で、妖花の誕生日は祝われることとなった。


「……それにしても、陰陽師の世界かぁ……。本当にそんなものがこの現代社会に存在するなんて、なんかいまだに信じらんねぇ……」


 グラスでジュースを煽る康介は、未だに夢を見ているような気分だった。


「ほ、ほんまにごめんな、今までずっと隠しとって……」


「いいよ、いいよ! どうせ、妖花ちゃんのアレを見るまでは何を言われても信じなかったと思うし! それに、妖花ちゃんがあの雪ノ森冬樹の実の娘ってことだけで既に頭ん中はキャパシティオーバーだから、いろいろと理解が追いついてないだけだって!」


 呑気に笑っている康介を見て、静夜の隣に座る舞桜は顔を顰める。


「……本当に大丈夫なのか? アイツの記憶を消さずに残しておいて。言いふらすような奴だとは思っていないが、《平安会》では原則、一般人を巻き込んだ際はそれなりの措置を施すことが習わしになっている」


 それなりの措置とは、基本的に記憶の消去や改ざんなどを指す。

 それを可能にする陰陽術はいくつかあるのだが、静夜たちは今回、康介と吉田の記憶は一切操作しないことにしたのだ。


「まあ、いいんじゃないかな? ここは京都じゃないし、吉田さんはもともと全部知ってたみたいだし……。康介については僕の友人ということで大目に見て欲しい。記憶をいじる術はコントロールも難しいし、余計な記憶まで消しちゃうといけないからね……」


「……それにしては、先程妖花があの無法者たちに使って見せた十二の型は、見事なものだったぞ?」


「ああ……。まあ、それは妖花だからね……」


 月宮流陰陽剣術、十二の型〈師忘しわす〉。

 今となっては妖花にしか使えないこの型は、呪詛の加減に応じて、過去数時間分から数年分の記憶をごっそりと奪ってしまうことが出来るのだ。

 術の仕様上、陰陽師や陰陽術に関する任意の記憶だけを都合よく抹消するというような器用な使い方は出来ず、呪詛の調整にもかなりの神経を要するため、習得にも実践にもかなりの難易度が要求される扱いに困った型となっている。


 妖花はそんな難しい呪詛を〈覇妖剣〉を用いて振るい、潮七海と連れの男たち六人分の記憶を等しい時間で抜き取って、彼らの中で辻褄が合うように調節して術を行使したのだ。


「このホテルを襲った時の記憶をまるごと消して泳がせておけば、奴らはそのうちまた《スノーフォックス》のスキーウェアを狙ってここを探りに来る。そこをちゃんと協会の陰陽師に捕まえて貰って、この件は無事に解決だ」


「手柄は他の陰陽師たちに譲って、自分たちは一切関わっていないと装うつもりか?」


 舞桜は気に入らないとでも言いたげな視線で、静夜を軽蔑する。

 ホテルの支配人である吉田を銃で恐喝し、備品であるスキーウェアを強盗しようとした犯罪者をお咎めなしで帰したのだから、責められるのは当然のことだった。それに舞桜は、妖花たちが《スノーフォックス》に手を出さないでいることそのものに納得がいっていない。


 それでも、この決断を下した妖花の表情に迷いはなかった。


 宴会場の重厚な扉が開いて、一度席を外していた本日の主役が帰って来る。それに気付いた栞と康介が新しい飲み物を取りに行こうと誘って、楽しそうにまた談笑を始めた。

 妹が、憂いも影もない健やかな笑顔を浮かべているのなら、兄が不満に思うことは何もない。


「妖花が決めたことだ。今まで通り、僕がこのことに口を出すつもりはないよ。……それに、本当に渡されるはずだったものは、ちゃんと受け取れたみたいだから……」


 パーティーが始まる前、妖花は吉田から、もう随分と古くなってしまった封筒を一つ、手渡されていた。

 中に入っていたのは、妖花の実の父、雪ノ森冬樹からの直筆の手紙。


 妖花が雪ノ森の親族に引き取られてしまった後、工場の事務室の机の中からこれが見つかったらしい。

 いつか、妖花と再会できた時のためにと、吉田は今日までその手紙を肌身離さず持っていたという。


 これが、吉田が妖花に渡したいと言っていたもの。

 雪ノ森冬樹が最愛の娘に残した最後の言葉。


 数枚の便箋に渡ってつづられたそれをゆっくりと、噛み締めるように読み始めた妖花は、やがて膝から崩れ落ち、声も堪えきれずに泣きじゃくっていた。

 奇しくもそれは、廊下に飾られた父の肖像画の眼の前で。

 吉田も、ちゃんと渡せてよかったと、つきものが取れたように安堵して、目に涙を浮かべていた。


 その手紙に何が書かれていたのかは静夜も知らない。でも、どんなことが書かれていたのかは、妖花の涙を見ただけで十分に伝わった。


 兄はただじっと、笑顔で友人たちとの交流を楽しむ妹を見守る。

 彼女が自分の生い立ちをどのように受け止め、考え、今まで苦しんで来たのか。

 ずっと近くにいたはずの静夜も、所詮は血の繋がらない赤の他人だ。どんな言葉を掛けたところで、それはその場しのぎの慰めにしかならない。


 こればっかりは義理の兄でも、今は亡き育ての父でも役不足。実の父でなければ意味がないのだ。

 そのことが少しだけ寂しいと感じてしまうのは、やはり傲慢と言わざるを得ないものだろう。


 間違いなく、妖花はこれからも己の出生に苦しむことになる。誰にも理解されない、誰も理解できないその宿命に孤独を感じ、苛まれる時がいずれ訪れる。その時に、今日の出来事が、父から貰った確かな言葉が、想いが、少しでも彼女の道を照らしてくれるなら、不甲斐ない兄にとっても心強い。


 静夜のその穏やかで満足したような眼差しを見て、舞桜はそれ以上の言葉を飲み込んだ。



 食後のデザートとして用意されたのは、妖花の誕生日を祝うバースデイケーキ。3日後にせまったバレンタインにちなんで、チョコレートをふんだんに使って作られた特製のショコラだった。

 濃厚で優しいカカオの甘さを大切にしながらも、ほろ苦い大人の風味も加えられていて、それは17歳という子供とも大人とも言えない曖昧な歳の祝いにはおあつらえ向きの味わいだ。


 切り分けられたケーキを、まんざらでもないような顔で食べ進める舞桜の様子を見て、静夜は自然と笑みをこぼした。


「それにしても、舞桜はすっかり風邪が治って、いつも通りに戻ったみたいだね。吉田さんから貰った薬とお粥が効いたのかな?」


 静夜たちが雪崩に巻き込まれた直後、さらに様態が悪化して寝込んでいた彼女は、丸一日以上も眠り続けたおかげか、ここ数日続いていた咳も今は完全に止まっている。


「あの男たちの内の一人がロイヤルスイートの部屋に押し入って行ったって、妖花から聞いた時は焦ったけど、部屋に行ってみたら逆に男の方が縛られてて、君はぐっすり寝てるんだから、拍子抜けしたよ。風邪を引いて、しかも憑霊術だって使えない状況だったのに、よく制圧出来たね」


 心底感心したとでも言うような含みのある言い回しが、少女にはむしろ嫌味に聞こえた。


「……万が一に備えて、様々な対策を講じておくのは、陰陽師の嗜みだ。お前も覚えておくといい」


「へぇ……。心構えはともかく、舞桜にそれが実践できるだけの力が身についていたなんて、意外だな」


「あまり私を馬鹿にするなよ?」


「……これからは気を付けるよ」


 意味深な視線を交差させる二人。

 まだ何かを訊きたそうだった静夜に対し、舞桜はこれ以上話すことはないという意志を態度で示して会話を打ち切らせた。


 誰にも、話せない。


『……いい? このことは誰にも話さないでね?』


 今、思い出しても、あれが現実に起こった出来事なのか、自信がない。


『……これは、あなたがやったこと。あなたが、一人で、ここに踏み入って来た男を取り押さえて、拘束した』


 あの時はまだ、身体に熱が残っていて、頭も重く、意識は朦朧としていた。

 嫌な気配を感じて、無理矢理ベッドから身体を起こした時、その人物は唇に指を立てて、舞桜の顔を覗き込んでいた。


 足元には黒い服を着た大人の男が気を失って倒れている。


『……今日のこれはただの気まぐれ。本当なら、あなたがその男にどんな酷い目に遭わされようと、ボク個人はどうでもよかったんだけど……』


 部屋が暗くて相手の顔は良く見えなかった。声にも聞き覚えはない。

 それなのに、何故か異様に、舞桜はその人物を無視できないような、無関心でも、無関係でもいられないような、そんな気がした。


『……ま、いっか。とにかく、このことは内緒にしといてね。特に、あなたのお兄さんには絶対に知られないように……。よろしくね、憑霊術のお嬢さん』


 そして、その人物は身体を透明化させて姿を消すと、気配を殺して、ロイヤルスイートの部屋から立ち去って行った。


 後に残されたのは、気を失い、手足を縛られた男が一人だけ。屈強な体躯で、武装もしているようだった。

 部屋に入って来たこの男をあの見知らぬ人物があっさりと打ち倒したことは自明。

 少なくとも只者ではない。


 そんな人物が、なぜこのような場所にいたのだろうか。


 目的は、何なのか。舞桜か、妖花か、このホテルか、それとも……――。


 考えたところで分かるはずもなかった。


 舞桜はショコラを食べ終えて、紅茶を口に流し込む。

 ダージリンの苦味は、口に残ったチョコレートの風味と油分を残さず奪い去り、余計に喉が渇いたような感覚に、少女は思わず眉を顰めた。



 第3章『狐の恩返し』〈了〉

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