知りたかった真実

 康介と七海は話に追いつけず眉を顰めている。

 一方で妖花は、驚きのあまり息をするのも忘れそうだった。


「旦那様の訃報を聞いた親族の皆さんは大層焦っておられるようでした。なぜなら、《スノーフォックス》を《スノーフォレスト》の子会社にする上での正式な契約書はまだ交わされていなかったからです。そこで彼らは、旦那様が手書きで書かれた覚書おぼえがきを利用して《スノーフォレスト》にとって都合のいい遺言書を作り、本来の約束であれば雪ノ森の屋敷に引き取られるはずだったお嬢様を、厄介払いをするように施設へ預け、《スノーフォックス》とあの〈悠久の宝玉〉だけを首尾よく手に入れたのです」


「……そ、そんな……」


 話の流れをなんとなく理解して康介が絶句する。


 遺言書をでっち上げるということは、亡くなった人の想いや尊厳を踏みにじることと変わらない。


「……じゃあ、私を施設に預けるとき、荷物の中にあの遺言書を紛れ込ませたのは……」


「慈悲や慰めではございません。あれは、成長なされたお嬢様や、お嬢様を引き取った誰かが、会社を相続する権利を主張して来ないようにするための、予防策だったのです」


「……」


 辻褄はあっている。吉田の言っていることには筋が通っていて、確かにそうだったのかもしれないと、納得することも出来る。


 だが、それを信じていいのだろうか。

 それこそが真実だと、本当に信じていいのだろうか。


 迷った妖花は、思わず吉田から目を背ける。


 信じたい。今すぐにでもその話に飛びついて、縋りついて、ぐらぐらと揺らぐ自分の心を安心させたい。


 でも、そんな身勝手で浅はかな理由では、許してもらえないような気がした。


 母の死と引き換えにして生まれた自分は。

 父の死と引き換えにして生きている自分は。

 今、手元にある幸せだけで十分に満ち足りている自分は。

 そんな贅沢が許されていいはずがない。


「……ずっと、お嬢様のことが気掛かりでした。私が、お嬢様が施設に預けられたと知ったのは、旦那様の死後、お嬢様が雪ノ森の親族の方々に引き取られてから半年が過ぎた頃でした。工場こうばが《スノーフォレスト》に買収された時、私はそのまま《スノーフォックス》の社員として働くことになり、お嬢様は経営者一族の元で何不自由ない暮らしをしていらっしゃるものだとばかり思っていました。……ですが、少し気になって調べてみた時には既に、お嬢様は施設から別の誰かに引き取られた後で、私には何もすることが出来ませんでした」


 己の愚かさと無力さを恥じて悔いるように、吉田は肩を震わせる。


「ですが今日、お嬢様の様子を拝見して、安心いたしました。さぞ良い人の元に引き取って頂けたのでしょう。こんなにもご立派で、礼儀正しく、そしてお美しく成長なされた。ご兄妹にも恵まれたようです。お兄様があなたを背に庇って私を警戒するように睨んでいたあの目は大変印象的でございました。きっとあのお兄様なら、雪崩に巻き込まれても無事に帰ってきてくださると、私は信じております」


 吉田は目に涙を溜めながら、それでも笑って少女を安心させるように言葉を紡ぐ。


「ただ、これだけはどうか、忘れないで下さい。……あなたを生んだ実の母と実の父は、あなたのことを本当に、心の底から愛しておりました」


 この時、腕を縛られていた妖花が耳を塞ぐことが出来なかったのは、幸か不幸か。

 

 吉田の言葉は、少女の心臓を刺し貫いた。

 

 今まで、どうしても取り払えなかった疑念が、次第に晴れていく。

 誰かにはっきりと言ってほしかった。

 慰めではなく、励ましでもなく、希望でも、願望でもなく、ただそこにあった事実として。


 懐かしい丸眼鏡の奥の、皴の寄った目元から溢れて流れる澄み切った涙に嘘はなかった。


 吉田は鼻をすすり、表情を引き締めてから七海ななみの方に向き直る。


「旧潮リゾートのお嬢さん、どうか私以外の二人を解放してあげて下さい。代わりに私が『フォックスマジック』の秘密の全てをお教えします」


「よ、吉田さん! いきなり何を!」


 突然交渉を持ち掛ける吉田に、康介は目を見張り、首謀者の七海は楽しそうに邪悪な笑みを浮かべた。


「……秘密の全て、と言われると興味深いわね。それじゃああなたは、あの噂の水晶玉の在り処も知っているのかしら?」


「はい。……調べはついております」


 息を呑みこんで、吉田は答える。


「う、嘘だろ? 吉田さん。『フォックスマジック』にそんなオカルトみたいな話があるわけ……」


「いいえ、康介様。信じられないかもしれませんが、この世には、科学で説明の出来ないこともあるのです。『フォックスマジック』は間違いなくその一つ。私は専門家ではないので詳しい仕組みまでは存じませんが、アレには奥様の残された〈悠久の宝玉〉の力が不可欠でありました」


「……〈悠久の宝玉〉! そんな名前がついているなんて、これはいよいよあの噂が現実味を帯びて来たわね……!」


 興奮を隠せない様子の七海。吉田の話を疑ってはいないようだ。

 交換条件をちらつかせたところで、吉田はもう一度、頭を下げて懇願する。


「ですから、どうかこの二人だけでも見逃して下さい。二人を解放して下されば、私が知る限りのことは全てお話し致します」


「イヤよ」


 しかし、女の即答に慈悲はない。


「あなたねぇ、交渉っていうのは、お互いが対等な立場に立って初めて成り立つものなのよ? 自分が置かれた状況をよく見てみなさい? 主導権を握っているのは私なの。だから、知っていることがあるなら全て話しなさい。話さないって言うなら拷問よ? あぁそれとも、あの娘が汚い男たちに犯されるところを見せてあげた方が、あなたには効果があるかしら? アハハッ!」


「ッ! この女……」


 品のない高笑いを聞いて、康介は拳に力が入る。が、もがいたところで手足の拘束は外れない。


「……」吉田は絶望に言葉を失い、奥歯を噛み締めて俯いた。


「それじゃあ早速始めましょうか。まずは軽めの拷問から。誰か爪を剥ぐ道具とか持ってなかったかしら?」


 七海が号令をかけると、取り巻きの男たちは悪党らしい笑みで答え、準備に取り掛かる。本当に、吉田に吐かせるだけ吐かせて、交渉には応じないつもりらしい。


『フォックスマジック』の秘密を知っている、と口にしてしまったことが、悪い方向に転がってしまった。


「……すみません、お嬢様」


 謝罪の言葉が零れ落ちる。

「……すみません、旦那様、奥様、……また、私は何も出来ずに……」


 絞り出すような後悔と懺悔。その一方で、興奮した男たちは楽しそうな笑い声を上げて、はしゃいでいる。


 縛られた圧倒的弱者の立場では、目を瞑って現実を見ないことだけが唯一出来る精一杯の抵抗で、でも、耳からは男たちの話し声や笑い声が聞こえて来るから、これがどうしても逃げることの出来ない現実であるということを知らしめて来る。


 ただの人間に、この現実を覆す術はない。


 ――ただの人間、だったなら。

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