第7話 偽りの栄光を簒奪せし妖花

復讐者

「――……ええ! ちょっとくらいつまみ食いしてもいいじゃないですか! このレベルでしかも現役女子高生なら、傷物でも良い値が付きますって!」


 遠くから男の声が聞こえて、徐々に意識がはっきりとしてきた。

 異様に寒い。素肌が風に晒されて身震いする。

 うっすらと目を開けると、黒ずくめの服を着た男の一人が、不機嫌そうな様子の女に向かって何かを訴えていた。


「ダメよ! アレはあのまま、生娘のまま出荷するんだ。ああいう感じでガラス細工みたいに整ったタイプの娘は中古になった途端、価値が半減するからね。処女好きの変態にこっちの言い値で売りつけるんだ。それでボロボロになるまで汚してもらう。……だからお前たち! あのメスガキには指一本触れるんじゃないわよ!」


 従順に「はい、あねさん!」と答える男たち。


 見渡すと、ここは倉庫のようだった。天井の高い空間に鉄筋の大きな棚がいくつも並び、無数のダンボールが隙間なく置かれている。埃っぽくて薄暗い場所。

 かつて一度だけ踏み入った生家の車庫の裏の、〈悠久の宝玉〉の置かれていた倉庫と少し似ている。


 月宮妖花は、そこで手足を縛られて宙に吊るし揚げられていた。服は下着まで全て脱がされていて惨めな姿。脇腹と首筋にはスタンガンを当てられたうっ血の痕が残っていた。


「あら? 目が覚めたようね、お嬢ちゃん」


 女が目を開けた妖花に気付いて、不敵な笑みを浮かべる。周りの男たちも、裸で吊るされている少女を下卑た視線で見上げていた。


「妖花ちゃん!」


 真下を見下ろすと、手足を縛られた康介と吉田が痛々しい表情を浮かべて妖花を心配している。


「坂上さん! ……その怪我、大丈夫ですか?」


「ああ、これくらいなんともない!」


 威勢のいい声で強がっているが、康介も吉田も全身傷だらけで、随分と痛めつけられたのが見て取れる。酷い有様だ。


「ふん、自分は裸に剥かれて吊るされてるっていうのに、他人の心配? 見かけによらず肝が据わってるのね。ますます気に入らないわ、あの男にもそっくりで」


「あなた方はいったい何者ですか? 何が目的でこんなことを?」


「そんなこと、あなたに教える必要ないでしょう?」


 腕を組んでそっぽを向いた女に、康介が声を荒げる。


「お前、旧うしおリゾートのうしお七海ななみだろ? 昔、雪ノ森冬樹に結婚を断られて、家を飛び出して行った潮家の放蕩娘ほうとうむすめ! こんな連中とつるんで、産業スパイの真似事か⁉」


 七海ななみと呼ばれたその女は、正体を看破されたことに一瞬の驚きを見せ、今度は恨めしそうな表情で康介の方を睨み返した。


「ありがとう、坊や。私の人生の汚点を蒸し返してくれて……。いろいろとこっちの事情に詳しいようだけど、口が過ぎると身を亡ぼすわよ?」


 取り巻きの男たちが康介の額に銃口を突き付ける。


 康介は、表情にこそ出さなかったが、背中からは冷や汗が噴き出し、足はがたがたと震えていた。日本に住む普通の大学生であれば、本物の銃を目の当たりにすることなどまずないだろう。恐怖して当然だ。


「……旧潮リゾートと言うと、《スノーフォレスト》の吸収に失敗して以降、経営が悪化し、十年ほど前に外資系のホテルチェーンに買収されたと聞いていますが……」


 吉田の溢した情報に、七海はさらに額に青筋を立てる。嫌な思い出と共に沸々と湧き上がる怒りを必死にこらえているようだ。


「ええ、そうよ。……うちの会社はバブルの崩壊の後も何とか持ちこたえていたけれど、私があの男と結婚できなかったばっかりにこっちは地位も名誉も売りに出すしかなかった。それに引き換え、あの男は新しいブランドを立ち上げて大成功? 実家の親会社も遂にホテル事業を再開して、今はこの通り、波に乗っているそうね? こっちは見事な転落人生の真っ只中だっていうのに!」


「それで、復讐の為にこんなことを……?」


「復讐? 笑わせないでよ。これは私が表の世界に返り咲くための下準備よ。《スノーフォックス》なんて気取った名前のペテン師どもから化けの皮を剥がして、この私が一気に頂点まで駆け上がるの。アンタらに地獄を見せるのはそのついで。……って言っても、一番地獄を見て欲しいあの男は、もうとっくにホントの地獄のっこちちゃったみたいだけどね。アハハハハハ!」


 女が嗤うと、それに合わせて男たちも嗤う。下品な嗤い声だった。


「冬樹様は地獄などにはおりません。あの方は今も天国から、私たちの事を見守っておられるはずです!」


 不愉快な嘲笑を振り払うように、吉田が叫ぶ。


「……知らないわよ、そんなの」


 七海の顔からは一転して感情が消えた。冷淡で凍り付くような瞳が吉田を見下す。

 そして、その冷たい視線はそのまま、天井に吊るされた妖花にも向けられた。


「ねえ、聞きたかったんだけど、あなたってもしかして、あの男の実の娘だったりするのかしら?」


 妖花の心臓がドクンと跳ねる。七海は再び不敵に微笑んだ。


「パッと見はあの女にそっくりだけど、改めてよーく見ると、目鼻立ちとかはあの男にも似てるのよね……。ねえ、どうなの? アイツに子供がいたなんて話は聞いたこともないけれど……?」


 じっくりと品定めをするように妖花の顔を覗き込む。

 逃げるように顔を背けるとその先では、何も知らない康介もまた驚いた表情で妖花の顔を見上げていた。


「でも、さっきあなたの服から出て来た学生証には、『月宮』って名前が書いてあったわね。……もしかして、捨てられたの? お母さんと一緒に」


 心臓がまた、大きく脈打つ。


「一度だけ会ったことがあるのよねぇ。『僕はこの女性と一緒になるから、あなたとは結婚出来ません』って、大真面目な顔で私に恥をかかせたあの男と、その隣で幸せそうに頬を赤らめていた女の顔は今でも覚えてるわ……。でも、幸薄そうな女だったもんねぇ。どうせ飽きて捨てられたんでしょう? それにアンタだって……、何? この服の中に大量に仕込まれたお札の数々は。身体の中に邪悪な竜とかが封印されてたりするのかしら? そんな気味の悪い子、捨てられて当然よね。アハハハハ!」


 気味の悪い子。捨てられて当然。

 やはり、普通の人間から見れば、妖花とはそういう存在なのだろうか。


 陰陽師である義父や義兄は、半妖という存在を理解することが出来たから、妖花のことを何の抵抗もなく受け入れてくれた。


 でも、普通の人は? 霊感を持たず、妖を架空の存在だと思っている人たちは、妖花のことをどう思うのだろうか。


 かつて、雪ノ森のお屋敷や、預けられた施設で周囲に馴染めなかった経験が、小学校でいじめに遭った経験が、答えを暗に指し示す。


 雪ノ森冬樹は普通の人間だった。母に出会うまで、妖と一切関わることなく生きて来た、ただの人間だ。


 そんな彼が、自分の娘とはいえ、人ではない異形の少女を、自分とは違う、遠く離れた全く別の存在のように感じることがあったとしても、不思議はないのかもしれない。


 自分が立ち上げ、成長させたブランドを、会社を、娘ではなく同じ人間の親族に託したのだって、同じ理由かもしれない。


「……さっきからだんまりだけど、何か言ったらどうなの?」


 七海が苛立ちを募らせる。


 どう答えるべきなのだろう?

 自分は、雪ノ森妖花なのか? それとも、月宮妖花なのか?

 自分の親は? 自分はいったい誰の子で、どこの子なのか?

 自分はいったい、誰なのか?


「……」


 結局、妖花は口を閉ざしたままだった。

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