雪山の主

 星明が指さした方へ目をやると、木々の影から猛烈な吹雪が起こり、静夜たちを襲う。直後に、キーンと耳を劈く高周波の音が空気を振動させた。


「静夜君、この声! 雪崩が起こる直前に、ウチが聞いたんと同じ声や!」


「声?」


「うん! 女の人の悲鳴みたいな声!」


 どうやら栞には、あの高音が女性の悲鳴に聞こえるらしい。


「……雪崩に吹雪、そして女性の断末魔とくれば、思い浮かぶ妖はアレしかいない」


 星明が木から飛び降り、収納用の呪符から錫杖を取り出す。

 妖の大群が、後ろから迫る禍々しい気配に恐れをなして道を譲った。

 森の奥から現れたのは、人間の女性の姿で、白装束に身を包んだ妖。肌や髪の色は病的なほどに白く、手足は今にも折れそうなほどか細い。


「やはり、雪女か」


 星明は表情を引き締め、腰を落として身構えた。


「え? あれが雪女なん?」


 栞が驚いた反応を見せる。おそらく、目の前に現れた妖の姿が、民話や伝承などで語られる雪女のイメージとは大きくかけ離れているためだろう。


 雪女は、若くて美しい女性として語られることが多い。それに比べて、星明と対峙するその妖は、背丈が2m近くもあり、頬は痩せこけて、飢えた獣のような目つきで息を切らしている。

 例えるなら、雪女というよりも、身体の大きな山姥やまんばと言った方が適切かもしれない。


「たぶん、《スノーフォックス》のスキーウェアから力を吸収したせいで、見た目が変異したんだ。妖としての分類はきっと雪女で間違いないと思うけど……」


「見たところ、しっかりとした自我すら獲得できていない、弱い妖みたいだね。〈存在の定義〉がはっきりしない状態で力を求めた結果、器が力に呑まれてしまったか、〈悠久の宝玉〉の力で器をあらぬ方向に変化させてしまったかのどちらかだろうね」


 雪女をはじめ、鬼や河童などといった世間一般によく知られている妖怪の存在は、名前を持たない妖として、そこまで珍しい種類ではない。

 多くの人がその妖に対するイメージを共有していると、人の信仰や興味関心、恐怖や畏れなどといった念はそれを起点として集まりやすく、それらの念は妖に成りやすい。


 この場合、妖の姿、つまり妖力を内包するための器の形は、妖力の元となった人々の念やイメージに大きく影響される。そのため、雪女や河童などといった妖は、一般的に人々が想像するそれに近い容姿となるのだ。

 つまりこの雪女も、以前はもっと身長が低く、見目麗しい女性の姿をしていたのだと考えられる。

 それが明らかに歪な方向に変化しているのは、やはり、〈悠久の宝玉〉の力が影響を及ぼした結果と考えられるだろう。


「ですが、とりあえず妖力を大きくすることには成功しているみたいです。暴走気味ですけど、結構厄介かもしれません」


「どうする? 君がやるかい?」


 挑戦的な口調で星明が静夜に問う。その口ぶりからは、二人で相手にするほどでもない、という嘲りと、静夜に任せてもしダメでも、自分なら一人で何とか出来る、とでも言うような、自信と余裕が含まれていた。


 それが、油断でも過信でもなく、適切に彼我の実力差を見極めた上での判断だということが、静夜にはなんとなく分かって気に入らない。


「……星明さんにお任せします。今日の僕は露払いということで」


 静夜は丁重に、彼の挑発を断った。


「そう。でも、不味いと思った時は手伝ってもらうよ?」


「はい。それはもちろん」


 どうせそんなことにはならないだろうと思いながら、静夜は適当な答えを返した。


 星明が精神を集中させ、錫杖に念を込め、身に纏う法力を高める。

 彼の作り出す純度の高い法力に身の危険を感じたのか、雪女は人間には発声できない超高音の悲鳴で空気を震わせ、己の妖力で吹雪を起こした。凍てつく風は肌を切り裂き、大粒の雪は銃弾並みの殺傷能力を持つ。


 しかし、星明にそんな直線的な攻撃は当たらない。


 深く積もった雪の上とは思えない軽やかな足さばきで星明は身を翻し、吹雪の弾幕を避けていく。さらに流麗な動きで、彼は瞬く間に雪女との距離を詰めた。


「――〈猛御雷たけみかづち〉!」


 錫杖が稲妻の閃光を放ち、弧を描く。雪女の額に渾身の一撃が叩き込まれた。


 耳を劈く悲鳴が上がる。雪女は頭を押さえて後退り痛みをこらえ、今度は鬼の形相で星明を睨んだ。怒ったようだ。


 雪女が膝をつき、骨と皮だけのか細い両腕を雪の中に突っ込むと、雪の地面がひび割れ、足元が崩れる。

 星明が地揺れに耐えて踏み止まった隙を狙って、四方から先端の鋭く尖った氷柱の矢が飛来した。星明は迷わず呪符を取り出す。


「――〈堅塞固塁けんさいこるい〉、急々如律令!」


 素早く展開された結界が矢を止める。しかし、氷とは思えないほどの硬度を持つ氷柱は、強引に結界を貫き、穴を開け、そのまま突き進んで星明の身体を穿ち、串刺しにした。


 赤い鮮血が純白の雪を犯す。


 星明が苦悶に顔を歪めると、雪女は右手を氷の刃に変化させ、結界の残骸ごと彼にとどめを刺さんとした。

 痩せ細った四肢にそぐわず、その動きは俊敏かつ力強い。氷の凶刃がうずくまる星明に迫った。


「――反鏡はんきょうせよ、急々如律令!」


 人間を容易く押し潰してしまえるほどの衝撃を、振りかざした呪符が受け止める。星明の法力が込められたそれは、冬の夜の山風に靡くことなく、まるで鋼鉄で出来た盾のように、氷の手刀を弾き返し、空中に衝撃の波紋を広げて、雪女の身体を大きく仰け反らせた。


「――〈治癒快々符ちゆかいかいふ〉、急々如律令」


 敵が体勢を崩した一瞬のうちに星明は呪符を呑んで傷を癒す。身体に刺さった氷柱の矢は水になって溶け、身体に空いた風穴は瞬く間に塞がり血も止まる。


 雪女は深く積もった雪の地面を踏み締め、もう一度、氷の手刀を振り上げた。

 全快した星明は、半歩下がるだけで目にも留まらぬ速さの斬撃を躱して見せる。透明な刃が雪に覆われた土の地面を深く抉った。


 星明は錫杖を伸ばし、正確な狙いでカウンターを叩き込む。


「――〈刃雷じんらい〉!」


 唱えた刹那、雪女の右腕は肩から先が錫杖の軌跡に斬り裂かれて宙を舞った。


「――!!!」


 雪女が苦痛に顔を歪ませ断末魔の叫びを上げる。

 それを黙らせるのは、星明から放たれる追撃の一矢。


「――〈破矢武叉はやぶさ〉!」


 帯電した錫杖は雪女の胸を貫き、後方の木に突き刺さる。そして次の瞬間には星明が錫杖を引き抜いており、そのまま雪女の背後から大きく跳躍して煌めく得物を天に掲げた。


「――〈猛御雷〉!」


 眩しすぎる閃光とけたたましい雷鳴が轟く。

 振り向いた雪女は両腕で顔を覆い、防御の姿勢を取った。


 怒涛の連撃。威力は必殺。それでもなお、雪女はその像を揺らめかせることもなく、器をはっきりと保ってその姿を現世に留めていた。


 彼女が《スノーフォックス》のスキーウェアから取り込んだ、『悠久の宝玉』の力の量は、思った以上に膨大のようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る