世界の裏側に潜む者

 エレベーターを待つ時間が異様に長く感じる。

 正直、頭はぼうっとして何も考えられなかった。

 吉田の語った言葉をどのように解釈すればいいのかすら、今の妖花にはよく分からない。


 でも、もし、期待をしてもいいのなら。……信じてもいいのなら。


 本当は信じたい。ずっと心の奥底で切に願い続けていた少女の純情は、暗闇の中で見た微かな光のその先に、一末の不安を押し殺して進もうとする。


 エレベーターの扉が開いた。


「――吉田さん! 逃げて!」


 飛び出して来たのは康介の叫び声。

 エレベーターの中から銃口を額に突き付けられて、吉田は逃げる間もなく硬直した。


「……え?」


 呆然としたままの妖花は、数秒遅れて戸惑いの声を漏らす。


 エレベーターには、先客がいた。

 坂上康介と、知らない男が五人、女が一人。

 男たちの手には黒光りする本物の拳銃。

 康介は両腕を背で縛られ、銃で脅され、勝手に動かないように抑えられていた。

 そして今、ホテルの支配人の吉田も同様に。


 その集団は明らかに、普通ではなかった。


「こんにちは。品のない挨拶で失礼するけど、あなたがここの責任者ってことでいいのよね?」


 一人だけ丸腰の女が、吉田の顔を覗き込んで問う。


「……」


 パニックと恐怖で固まったままの吉田は声すら出せず、ただ首を何度も縦に振って頷いた。

 それを見た女は満足そうに笑う。


 妖花はこの女性に見覚えがあった。

 先程、康介と一階のロビーで話していた時、彼を呼びつけてクレームを言おうとしていた女性だ。


 おそらく、元々はホテルの支配人である吉田に用があって、彼が見当たらなかったから、吉田と親し気にしていた康介を銃で脅してこの場所に案内させたのだろう。

 そして、雪崩や遭難事件などで騒然としているこのどさくさに紛れて、何か良くないことを企んでいる。


 妖花の思考がようやく状況に追いついて来た。

 相手は陰陽師ではない。だが、ただの一般人というわけでもなかった。


 女は、吉田の顎を掴んで無理矢理顔を向けさせ、不気味な笑顔を見せて脅しをかける。


「ねえ、支配人さん? あの水晶玉はどこにあるのかしら?」


「ッ!」


 吉田が息を呑む。


「……な、何のことでしょう?」


「うふふ、惚けても無駄よ? こっちの世界ではそこそこ噂になってるんだから。……《スノーフォックス》は、何か特別な力を持った水晶玉のおかげで、今の繁栄を築いているんだってね」


「そんなもの、ここにはありません」


「じゃあ、別のどこかにはあるのね?」


「……さあ? この広い世界のどこかになら、あるかもしれませんね」


 吉田は勇ましく強気な態度を見せた。女はしばらくその顔を睨み付けて、やがて、つまらくなったように手を放す。


「まあいいわ。私もそんな都市伝説みたいなオカルト話を本気で信じているわけじゃないし……。じゃあ代わりに、さっきこの子たちが着ていたような、VIP用のスキーウェアが置いてあるところに私たちを案内してくれるかしら?」


「それを、どうするおつもりですか?」


 吉田は女から目を逸らさない。女は彼の威勢が気に入ったのか、興が乗って楽しそうな声音で答えた。


「そうねぇ……。とりあえず調べて、『フォックスマジック』とやらのからくりの研究を進めて、その後は、ウチの製品ということにして売り出そうかしら? この場合は《スノーフォックス》の良質なコピー商品ということにしても良さそうね。海外でなら国内よりも高く売れそうだし……。そうね、そういう感じで進めましょう」


 圧倒的に優位な立場から、捕らぬ狸の皮算用を始める女。

 やはり、黙って見過ごしていい相手ではなさそうだ。


「あの、……銃を下ろして頂けますか?」


 冷静で落ち着き払った声だった。

 全く命乞いには聞こえない声色に、女たちは一斉に銀髪の少女に目を向ける。


「……お嬢ちゃんは、今がどういう状況か、分かってないのかしら?」


 生意気な小娘を見下して、女が顔を顰める。

 対する妖花は、怖気づくこともなく、堂々としていた。


「私は分かっています。むしろ分かっていないのは、あなた方の方ではないですか?」


 妖花は最初から懇願などしていない。これは警告だ。

 銃を下ろさなければ力づくで制圧するという警告。妖花にはここにいる全員を一人で取り押えるだけの力がある。それに人間用の拳銃なんて、彼女には意味がない。


 そんな妖花の鋭い目つきと翠色の瞳を見て、女は忌々しそうに顔を歪めた。


「アンタ、やっぱり似てるわね。……ロビーで見かけた時から思っていたけど、私の成功を邪魔した、あのムカつく銀髪の女狐にそっくりよ」


「……え?」


 銀髪の女狐。

 何かに符合するような単語を聞いて、妖花の警戒が一瞬だけ緩む。


 ――ビリビリビリ。


 青い閃光と共に、全身に激痛が走った。

 妖花の脇腹に押し付けられていたのは、スタンガン。口を大きく開けた蛇のようなそれは、服の上から妖花に噛み付き、強力な電流で身体の自由を奪う。

 力が抜けて、妖花は膝から崩れ落ちた。


「妖花ちゃん!」「―――……様!」


 康介と吉田が声を張り上げる。妖花は何とか意識を保つが、吉田が何と言って妖花を呼んだのかははっきりと聞き取れなかった。


 伏した妖花を見下ろして、女は煙草を取り出し、男の一人に火を付けさせる。


「ねぇちょっと、この廊下の先のロイヤルスイートの部屋にもまだ学生がいるはずだから、そいつらも全員連れて来て。銃で脅せば大人しくなると思うけど、抵抗するようならちょっとくらい手荒くしてもいいわよ」


「よっしゃ! じゃあ俺が行きましょう! 確か、あと女が二人くらいいましたよね? それも結構な上玉だった気が……、じゅるり」


 意気揚々と前に出たのは、服を着崩し、髪を伸ばしただらしない印象の男。


「おいちょっと待て、まだ仕事は残ってるんだぞ?」


 それを、服をしっかりと着こなした真面目そうな男が諫めようとする。


「別にいいわよ? ちょっとくらい遊んできても。アンタなら一人でも大丈夫でしょう? こっちは時間掛かりそうだし、人手も欲しいから、アンタに全部あげるわ」


「よっしゃッ、マジか! あねさん! やっぱアンタについて行って正解だったぜ!」


「ただし、ちゃんと連れて帰って来ること。生きてても死んでてもいいから、男も女もちゃんと全部持って来なさい。分かったわね?」


「ウィーっす。分かってますって。任せて下さいよ!」


 浮かれた様子の男は、拳銃を手でもてあそびながら部屋の方へと駆け出していく。

 女は煙草の煙を大きく吐き出して、呆れたようなため息をついていた。


 ロイヤルスイートの部屋には、風邪で寝込んでいる舞桜が一人だけ。銃で脅されたくらいで素直に言う事を聞くような少女ではないが、月の光もない吹雪の夜では、大人の男の力を前に簡単に組み伏せられてしまうだろう。体調が悪ければ殊更ことさらに。


 康介と吉田は銃口を突き付けられて動けない。

 妖花は、なんとか手足に力を込めて男を止めようともがくが、全身の筋肉が痙攣けいれんしていて、今は立ち上がることさえままならない。


「……姐さん、この銀髪、まだ意識があるみたいです」


 妖花の抵抗に、真面目そうな男が気付いた。

 足元を見下ろした女は、煙草の煙と共にまた呆れたような息を吐き、妖花の目の前に煙草を落とすと、それをヒールで勢いよく踏みつけ、火を消した。


「フルパワーで電流流してやったはずなのに、ホント、気味の悪い女ね。化け物みたい」


 すると今度は、うなじの辺りから強烈な痛みを感じて、妖花は完全に意識を奪われた。

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