終話 敗れた者たち
帰宅
年越しの瞬間を、静夜は
迎春。謹賀新年。ハッピーニューイヤー!
新たな一年の幕開けに人々は浮かれて飛び跳ね、騒ぎ出す。
初詣に行こうと言い出したのは、栞だ。
決闘の後、妖花と静夜は蒼炎寺邸の中で細かい取り決めを改めて確認し、概ねの合意をしてから三人揃って屋敷を出て、真っ直ぐここまで歩いてきた。
近年は外国人観光客に大人気だという鮮やかな朱色の千本鳥居が有名な伏見稲荷は、蒼炎寺邸からほど近い場所にある。
時間的にも初詣には丁度良かったし、せっかく栞が晴着を着ているのだからと、静夜も特に反対する理由はなかった。
妖花も、暗い雰囲気を払拭しようとする栞の意図を読み取ったのか、思わぬ京都観光の再開にはしゃいで見せ、遠回しに兄を励まそうとしていた。
それが伝わると静夜の表情も少しずつほぐれて来る。同時に、女の子に気を遣わせて申し訳ないとも思った。
三人は、さらに大社の裏にある稲荷山を登って、千本鳥居を抜け、山頂にある社にも手を合わせに行った。深夜の登山は寒くて暗くて、さすがに疲れたが、良い時間つぶしにはなった。次第に、東の空が明るくなってくる。
元旦の初日の出を見届けた後、妖花はすぐに京都駅から新幹線に乗って、東京にある《陰陽師協会》の本部へ向かうことになった。
本件の結果を理事会へ報告し、今後の指示を受け、対応を検討する必要があるのだ。
それに、《陰陽師協会》にも新年の行事はある。
「……それでは兄さん、行ってきます」
「……うん。気を付けて。
「はい」
元日の朝。新幹線のホームに人はまばらだった。
「妖花ちゃん、また遊びに来てや?」
「はい、もちろんです。栞さんには、これからもたくさんご迷惑をおかけすると思いますが、どうか兄をよろしくお願いします」
「うん。任せて」
二人は熱い抱擁をして、妖花はホームに入って来た新幹線へ。
静夜と栞は手を振ってそれを見送った。
その後、静夜と栞は、山陰本線の電車に乗って帰路につく。
花園駅で先に電車を降りる静夜は、妖犬の事件から始まった今回の一件を改めてもう一度謝って、一時の別れを告げた。
栞は、「もう、そんなに気にせんといてって言うとるやろ?」と困ったような笑みで手を振っていったが、静夜の気持ちがそれで晴れるはずもない。
嵯峨嵐山駅へと向かう電車を見送り、駅のホームに一人の残された静夜は、吹き抜けて凍てつく新年の風を受けて、肩に乗った重い荷物を降ろすように、息をついた。
独りになってようやく、取り繕う必要から解放される。
少し、眠い。
決闘の後に、初詣と稲荷山の物見遊山。考えるべきことを後回しにすることは出来ても、それが無くなるわけではない。今になって、全てが疲れと一緒に返って来て、自分の目の前に差し出される。
暗鬱とした思いだった。
静夜は駅から歩いて、下宿のアパートを目指す。結局、京都を追い出されずに済んだことを、喜ぶべきなのか、嘆くべきなのか。いまいちわからない。判然としない。
ボーっと、結局考えがまとまらないまま、静夜は自室のドアに手を掛ける。
閉めて出てきたはずの鍵は、開いていた。
「――遅いぞ、静夜。どこで何してたんだ?」
六畳間の真ん中のソファにふてぶてしく鎮座して家主を出迎えたのは、居候の家出娘だった。
「……そういう君は、随分と早いね。また抜け出してきたの?」
「前にも言ったが、あんなところに閉じ込められるのは、もう御免だ」
そう言うと、竜道院舞桜はテレビに目を戻す。正月特番に出演する最近話題のお笑い芸人たちがお年玉という名の豪華景品を賭けて体を張ったゲームに挑んでいた。
「……美春さんは?」
静夜は上着を脱ぎながら問う。舞桜はテレビを見たまま答えた。
「しばらくの間は大丈夫だろう。兄上も、自分で身の安全を約束した以上、下手に手は出さないはずだ」
決闘が終わった後の話し合いにおいて、妖花は《陰陽師協会》の代表として、支部長に静夜を推薦する代わりに、舞桜と美春の身柄の引き渡しを要求した。
これに対して星明は、舞桜が《陰陽師協会》への保護申請を取り下げたことを理由に、彼女は《平安陰陽学会》に所属したまま、身柄を《陰陽師協会・京都支部》に預けることを提案。美春に関しては、身の安全を約束する代わりに、意識が戻るまでは竜道院家で療養させることを求めたのだ。
ていのいい人質の預け合いだ。
妖花はその条件を呑み、静夜も舞桜も反対することなくそれを聞き入れた。
「……結局、全ては現状維持。最初に僕が君に引き分けの八百長を持ち掛けた時に考えていたのと、同じような結果になったんだね……」
「お前の思い通りにはいかなかったがな……」
求めて手に入った結果は望んだものと変わらないのに、込み上げて来るのは劣等感。自分の力で勝ち取ったわけではない。転がり込んで収まった結果に達成感はなく、惨めなだけだ。
「……そんなことよりお腹が空いた。何かないのか?」
頭と胸の中で渦巻く何かを振り払うように、舞桜は全然違う話題を出して駄々をこねる。
「……妖花が仕込んでくれたおせち料理が少しあるけど、食べる?」
「……アイツが?」
「味は保証するよ?」
「……」
妖花の名前を出した途端、舞桜の表情が苦くなる。
ついさっき、自分を負かした相手の作った料理だ。
「……お前は、どんな気分なんだ?」
「え?」
「自分を圧倒的な力で叩きのめした相手から、恵みを貰うというのはどんな気分だ?」
舞桜の問いは唐突だった。
彼女が眺めるテレビの向こうでは、お笑い芸人たちがお年玉を獲得して喜んでいる。そして画面には、視聴者プレゼントに応募するための電話番号が大きく表示されていた。
このプレゼントは、お笑い芸人が必死になって達成したゲームの成績に応じて、応募した人に贈られる景品が豪華になるらしい。
人の頑張りを、努力を、見て笑って、自分はそれを受け取るだけ。
自分は何一つやっていない。自分は何一つ出来ていない。
自分は何一つ、頑張っていない。
「さあ? 分かんないよ。そんなの」
あげると言うのなら貰えばいい。それを素直に喜べないというのなら、それは自分がひねくれているか、未熟なだけだ。
自分の力でそれを手に入れられないのなら、文句を言っても意味がない。自分が弱いから。自分の力が足りないから。ただそれだけだ。
でもきっと、自分をそのままにしていたら、いつか、自分が本当に欲しいと思ったものを取りこぼす。
その事実を突き付けられたばかりで、静夜もまだ、自分の頭と気持ちを整理できていない。
「分からないし、これから自分が考えて、その事をどういうふうに割り切るようになるのかも知らないけれど、……でも、たぶん、今僕が思ってることは、今君が思ってることと同じだと思うよ……?」
きっと、今の静夜の気持ちを、理屈ではなく感情で理解できるのは、目の前にいる五歳年下の少女だけだ。
負けた者同士、傷口を嘗め合うわけではない。
ただ、静夜と舞桜はどこか似ているから。
あとは言葉ではなく、二人がそれぞれに、自分の心の中で結論を出し、割り切り、自分の足で前に進むしかないから。
二人は、それ以上何も言わなかった。
「……で、おせち、食べる?」
「…………食べる」
舞桜は最後に小さく頷いた。
静夜は、座ったままテレビを見ているだけの少女のために、おせち料理を器に盛りつける。
少し摘み食いをしたが、やはり、妖花の料理の腕は落ちていない。
でも、今の静夜が一人でこれを食べていたら、きっと味など分からなかっただろう。
舞桜のいる、この狭い六畳間に帰って来て、静夜の心は普段の穏やかな静寂をようやく取り戻した。
新年。これから始まる波乱の一年に、一抹の不安を感じながらも。
〈了〉
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