覇妖剣

 舞桜が妖花に勝てない理由。主な理由は、先程静夜が説明した二つだが、たとえそれらをクリアできたとしても、最初から舞桜に勝ち目などないのだ。

 舞桜が妖花に勝てない理由。主な理由ではない最後の一つは、決闘が始まった最初から、妖花の右手に握られている。


 妖花は、闇に覆われた彼の刀の切っ先を天に向け、その〈存在の定義〉を解放した。


「――我、月宮妖花が、我が師、月宮第81代当主、月宮兎角の名を借りて、今宵、汝の枷を解き放つ。――天空を裂きし右の霊剣よ、我に力を与え給え!」


 唱えた直後、一瞬、刀を覆っていた黒い闇が清らかに晴れる。すると次は、さらに深くて悍ましい漆黒の闇が月光に輝く霊剣を覆い尽くした。


 天に掲げた覇妖剣を振り下ろすと、凄まじい霊圧が風となって押し寄せる。その風を浴びると理由もなく吐き気がこみ上げ、心臓も激しく飛び跳ねた。


 このプレッシャーに危機感を覚えたのか、舞桜は焦って両手から〈桜火〉の火球を二つ、妖花に向かって投げつけた。桜色の炎は真っ直ぐ、進むごとに大きさと熱量を増やしながら、妖花に直撃する。


 これに対し、妖花はただ覇妖剣を薙ぎ払う。たったそれだけで桜火は二つに斬り裂かれ、火の粉を散らして消え失せてしまった。


「ッ!」


 舞桜はたじろぐ。

 会場の陰陽師たちも何が起こったのか理解が追いつかない。


 先程、妖花が唱える前は、覇妖剣で斬っても桜色の炎は消えなかった。

 それが今は、たったの一太刀で、火球は見る影もなく霧消している。


 続けて妖花が覇妖剣を地面に突き立てると、足元で燻ぶっていた桜火もその光と熱を失い、煙を上げて消えてしまう。


 妖花は、少し苦しそうに顔を歪ませながらも、上手く行ったことに安堵したのか、不敵な笑みを浮かべて見せた。


「……それが〈覇妖剣〉の……」


 さすがに、舞桜も気付いたようだ。


 枷を解き放つ、と妖花は唱えた。


 護心剣が、人の心を護るための刃なら、覇妖剣は、妖に覇をとなえるための刃。


 普段は、妖花からあふれ出る妖力がその強すぎる神性を抑え、釣り合いを取っているが、その枷を、〈存在の定義〉を解放し、調和を崩して比重を傾けると、覇妖剣は全ての妖を斬り裂き滅ぼす、真の力を発揮する。

 舞桜の桜火でも、神造しんぞうの霊剣には勝らなかった。

 炎の消滅はそれを意味している。


 勝負は、着いた。


 舞桜はそれでも必死に妖花に挑んでいった。

 銃を撃ち、呪符を投げ、言霊を飛ばし、桜火を灯す。息の続く限り走り回り、往生際悪く抵抗した。

 しかし、銃弾は躱され、呪符は斬られ、言霊は耐えられ、桜火は消される。悉く。それは完膚なきまでに。

 妖花は覇妖剣の侵食に耐えながらも舞桜を圧倒し、終盤は足を一歩も動かすことなく舞桜の攻撃を軽々とあしらって見せた。

 しばらくすると、憑霊術が切れて黒髪に戻った舞桜が膝をつく。


 妖花はほっとしたように一つ息を着いて、覇妖剣を鞘に納めた。

 もう誰一人、舞桜に期待する者は居なかった。


「……ま、まだ……」


 舞桜は諦めず立ち上がろうともがく。勝敗は明らかだが、審判の三つ子は何も言えず、対応を迷って三人で目配せをし合っている。

 舞桜の眼はまだ死んでいない。勝ち目がなくとも、今ここで彼女の敗北を宣言すれば、京都に《陰陽師協会》の支部を作ることを認めることになってしまう。

 いざ自分たちがそれを宣言するとなると、言い出しにくいのだろう。


 それを見かねて、妖花は「はあ」と落胆のため息をつく。彼女としては、ちゃんと自分の勝ちを認めて貰わない限り、仕事を終えられない。

 妖花は心を鬼にして、腰の覇妖剣に手を掛け、明確なとどめを刺すべく、舞桜の方へ足を向けた。


「そこまでで結構です」


 待ったをかけた声に視線が集まる。声の主、竜道院星明は、竜道院家のために用意された席を立ち、審判を無視して妖花の前に躍り出た。


「健心、宣言しろ。この決闘は、コレの負けだ」


「え? いや、しかし……」


「公平公正なジャッジをするのが審判の務めだろう? 今は自分の仕事をしろ」


 厳しい口調で叱責を受け、主審の長男は押し黙る。


「……まさか、星明様が自ら京都支部を認めて下さるとは、意外です」


 妖花は覇妖剣の柄に手を掛けたまま警戒を怠らない。彼が腹違いの妹を庇うために出て来たとは思えない。何かを企んでいると、後ろで座っている静夜もそう思った。


 星明は穏やかな表情で両手を上げ、敵意が無いことを示すと、チラリと一瞬だけ静夜の方を一瞥した。

 傷は癒えても服は穴だらけ。毛布を借りて寒さを凌ぐ静夜は、鋭くその視線を睨み返す。


「コレはよく戦ってくれた。正直、僕も憑霊術とやらの力の凄さには驚かされたよ。……でも、やはり月宮兎角の後継者と称される君には敵わなかったようだね。誰が見ても、この決闘は君の勝ちだ」


「では、――」


「――とは言っても、平安の時代から京都の街を妖の脅威から守り続けて来た《平安会》としては、よそ者の《陰陽師協会》に無条件で京都に支部を作られるわけにもいかない」


「……事前に話し合いの元で決まった約束事を、反故ほごにするおつもりですか?」


 妖花は明確な怒りと苛立ちを見せて、腰を落とす。

 もし星明が、決闘の結果や条件を蔑ろにするようなら、斬って掛かることもいとわない、と妖花はこちらの本気を見せることで彼の真意を問い質そうとした。


 対する星明は、おどけたように軽い笑顔で妖花の殺気を受け流す。


「そういうわけではないよ。こうなった以上、京都支部の設立は避けられない。僕もそこには異を唱えないよ」


 その発言に、他の陰陽師たちからはどよめきが起こった。


「星明! それはどういうことや⁉」「まさか、これを最初から仕組んどったんとちゃうやろな!」「そもそも、そこの出来損ないを決闘の代表するのが間違いなんじゃ!」「負けると分かっとってそうしたんか?」


 一部からは、決闘の条件や相手を選んだ星明に対する野次も聞こえて来る。

 星明は、涼しげな顔でそれらを聞き流すと、屋敷全体に聞こえるほど声を張り上げて反論した。


「私がコレを指名したのは、勝つ可能性があると思ったからです。誓って嘘ではありません!」


「……」


 確かに、舞桜の母親、竜道院美春を人質に取ったこの決闘は、妖花が遠慮して舞桜に勝ちを譲る可能性があった。そして舞桜は母の為にも本気で戦い、勝利する必要があった。

 さらに憑霊術の力を測るという意味でも、舞桜を決闘に送り出したことには、星明なりの理由と目的があったはずで、決して、舞桜をただの当て馬にしたわけではないのだ。


 しかし、妖花が美春の生死を気に留めず、本気で戦い、舞桜に勝ってしまっては、京都支部の設立を阻止するという思惑は完全に破綻してしまう。


「ですが残念ながら、コレは負けてしまった。月宮妖花さんを過小評価してしまったのは、私の失態。ですので、この件に関しましては私、竜道院家の次男、竜道院才次郎の長子、竜道院星明が、一切の責任を負いましょう!」


 両腕を広げ、彼は堂々と宣言する。


「責任を、……負う?」


 責任を取るのではなく、責任を負うと言った彼の言葉選びに、静夜は訝しむ目を向けた。

 陰陽師たちは彼の真意を測りかねて次第に黙り込む。いったい彼は、何をするつもりなのか。


「……妖花さん、いえ、《陰陽師協会》の遣いの方」


 星明は妖花の方に向き直る。妖花は彼を睨んだまま、


「……はい、なんでしょう?」と、協会の代表として先を促した。


「……」


 静夜も黙って耳をそばたてる。

 次の言葉が、自分の胸を抉るとも知らずに。



「私は、先程の決闘であなたのお兄さんから頂いた勝ち星を、返上致します」



「な、……に?」


 息を呑む。目を見開いて、静夜は絶句した。


「へ、返上とは、いったいどういう意味ですか?」


 妖花も思わず聞き返す。舞桜は冷や汗を滲ませ、栞は一変した雰囲気に呑まれて、あたふたと周囲を見回している。


「言葉通りの意味です。僕は静夜君に勝っていない。だから、あなたの兄が京都を出て行く必要はない」


「なッ……!」


「その代わり、《京都支部》の支部長を彼、月宮静夜にして欲しい」


「…………………!」


 静夜は自らの内からあふれ出る憤怒と激昂を、喉元で食い止め飲み込んだ。


 桜火の残した熱のせいか、蒼炎寺の屋敷は大晦日の夜とは思えないほどに暑い。

 会場は、騒然となった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る