秘策

 星明は再び腰を落とし、錫杖を構える。足腰に蓄えた力を解放し、一気に静夜に迫った。先程よりも速い。静夜は後ろに下がって距離を保ち、手にしていたリボルバーでそのまま迎撃する。しかし、星明は弾を躱し、虚空を進んだ弾は地面に埋もれた。


 静夜を間合いに捉えた星明は、鋭い錫杖の一撃を下から掬いあげるように打ち込む。静夜は夜鳴丸でこれを防ぎ、弾切れになったリボルバーをいつものオートマチックに持ち替えると銃口を突き付け至近距離から銃撃する。


 星明は身を翻し、錫杖の長いリーチを生かして立ち回った。


 絶妙な距離を保たれると拳銃による攻撃は簡単に躱される。静夜は夜鳴丸の刀身に呪詛を込め、隙を見て懐に飛び込んだ。濃紺の霞が揺らめく。


「――月宮流陰陽剣術、六の型・〈水薙月〉」


 横薙ぎの斬撃は衝撃波を生み、星明は一度大きく距離を取る。錫杖の届かない、銃の間合い。静夜はしゃがんで拳銃を両手に握り、狙いを絞った。


 ――バン、バン、バン、と連続する発砲音。


 星明は素早く横に駆けて正確な銃撃を躱し、再び距離を詰めるべく踏み込んで、――足下に仕込まれた呪符の存在に気が付いた。


「――爆」


 静夜が印を結ぶと地面が爆ぜる。激しい炎と衝撃が襲い、星明は咄嗟に飛び退いた。直撃を避けるも爆撃は続く。


「――爆」


 今度は後退したその先に仕掛けられた呪符が爆散する。罠は一つだけではない。予め数か所に仕込まれていた。


「なるほど。……さっきの隠形の時か」


 星明は冷静に分析する。闘技場内を駆け回って銃撃していたのはこれを準備するため。ここには既に無数の地雷が仕掛けてあった。


「――爆、爆、爆!」


 静夜は、星明が逃げ惑う先々で次々と爆発を起こすが、素早く動き回る彼を捉え切ることは出来ない。静夜の法力を察知し、的確な読みと身のこなしで爆発を回避するその様はまさに華麗の一言に尽きる。


 でも、だからこそ、誘導しやすい。


 星明がそこに足を踏み入れた瞬間、地面は爆発ではなく、極彩色の光を放って彼を取り囲んだ。静夜の仕掛けた本命の罠が起動する。


 危険を察知した星明は即座にそこから離れようとするが、


「――〈地縄地縛〉、急々如律令!」


 静夜が結界を張って、星明の動きを封じる。


 光は星明を中心に円を描き、円周上に等間隔で貼られた五枚の呪符は、それぞれが光の線によって繋がり、五芒星の紋様を浮かび上がらせる。

 動けない星明は、その円の模様と五芒星から、これが一つの法陣であることを悟った。


 静夜は両手で印を結び、法力を高める。光は激しさを増し、夜空の星をかすませた。


「――天に仇なす悪行を罰し、霊峰の力を以って彼の者を鎮め給え! 〈五行大山封印符ごぎょうたいざんふういんふ〉、急々如律令!」


 伝説において、彼の斉天大聖せいてんたいせいを封じ込めたとされる山。その名を冠するこの術は、一種の法陣結界である。光は霊峰の幻影を映し出し、壮大な巨山の重さを以って中に居る者を押しつぶす。


 捕らわれた星明は必死の抵抗を試みるが、通常の何十倍もの重力に耐えかねて遂に膝をついた。こうなっては印を結ぶことも叶わない。抜け出すことは不可能だ。


 静夜はさらに念を込め、星明をうつ伏せにさせようと力を加える。


「ふん。……確かに、これはちょっとすごいな」


 それでも、星明の余裕の笑みは消えなかった。


「――青龍・白虎・朱雀・玄武・空陳くうちん南寿なんじゅ北斗ほくと三台さんたい玉女ぎゃくにょ!」


 地面に描かれた光の法陣に、彼はただ九字を切る。


 たったそれだけ。


 たったそれだけで、静夜渾身の法陣結界は、解れた糸のようにその調和を乱し、天に聳える光の霊山は消え、それは完全にあっけなく、崩れ去ってしまった。


「そんな馬鹿な!」


 静夜は弾かれたように印を解かれて、思わず驚愕の声を上げる。


 結界術には自信がある。その言葉に偽りはない。扱える結界の種類も精度も、相手が半妖の妹ならいざ知らず、普通の陰陽師の、それもただの九字切りで、それは簡単に破られていいほど、軟なものではないはずだ。


 星明は穏やかな表情で立ち上がり、静夜を見つめて来る。よろけることも、錫杖を支えにすることもなく、ただ真っ直ぐに佇み、静夜に笑いかけていた。


 それは静夜の神経を逆撫でしようと思ってやっているのか。だとしたら効果はてきめんだ。


 錫杖を構え、再び突貫を仕掛けて来る星明。静夜は彼をその笑顔ごと消し飛ばすように、残っている呪符に念を飛ばした。


「――爆!」


 またしても、星明が踏み出したその先に、呪符はある。地面に溶け込み隠されているそれは、爆発の直前になってようやくその存在を晒すのだ。


 しかし、星明はもう動じない。錫杖の先を爆発直前の呪符に叩きつけると、シャランと金具の音が響き渡った。


「――鏡鳴きょうめいせよ、急々如律令!」


 星明が錫杖に念を込め、唱えた直後、呪符は爆散する。激しい炎と煙が彼を呑み込む。すると、闘技場に仕掛けられたすべての呪符が、静夜の指示なく一斉に爆発した。


「な、なんで?」


 静夜は訳も分からないまま咄嗟に腕を翳して顔を守る。


 何枚もの呪符が同時に火を噴いたことで、蒼炎寺家の屋敷は凄まじい炎熱と衝撃に襲われた。闘技場は焦土と化し、山も揺れる。黒い煙がすべてを覆い隠し、静夜は相手を見失う。


 考える暇はなかった。


「――〈猛御雷〉!」


 その声と光は静夜の頭上、禹歩で優雅に夜空を歩く星明は、振りかざした錫杖を天空より叩き落とす。


「――〈堅塞虚塁〉、急々如律令!」


 使い慣れた結界はその一撃を防ぎ切り、弾き返した。静夜は一瞬ホッとして、すぐに反撃すべく自動式拳銃を引き抜き構える。星明は飛び退き、距離を取った。


 ――バン!


 静夜の銃声。星明はそれと同時に錫杖を投擲した。


「なら、こっちはどうかな? ――〈破矢武叉はやぶさ〉!」


 極光を纏った錫杖は、撃ち出された弾丸をはねのけ、真っ直ぐに静夜の右手を射抜く。それは手にしていた拳銃を粉砕し、背後の地面に突き刺さった。


 粉々になった銃に目を見開き、顔を歪ませて前を睨む。だが既に星明はそこにおらず、彼は静夜の背後を取って、錫杖を地面から抜き取っていた。


「ここだよ」


 声と同時に振り返る。錫杖の一突き。静夜は夜鳴丸を抜いてそれをいなすも、衝撃を殺しきれずに後退る。追撃の振り下ろしを躱すも、次の横薙ぎは静夜の脇腹を捉え、臓物が潰されるような衝撃が全身に響き渡った。


 吹き飛び、力なく地面を転がる。口に入った砂は焼け焦げていて、喉の奥から昇って来た血と一緒に吐き出した。


「静夜君!」


 思わず栞が声を上げる。


 静夜はすぐに立ち上がろうともがくが、先程の星明のように、とはいかなかった。足はふらつき、視界もぼやけて焦点が合わない。感覚を徐々に取り戻すと、痛恨の一撃を浴びてしまったことを悟る。これが二人の、力の差だ。


「ゲホ、ゴホ……、……なんなんですか? あの術は」


「最初の『鏡鳴きょうめいせよ』の奴かな? ……あれは、一枚の呪符に飛ばされた念をコピーして他の呪符にも飛ばし、同じ術を同時に発動させる術だよ」


「……まさか、星明さんの……?」


「いや……、古い書物に載ってたんだ」


 竜道院家の蔵には古今東西のありとあらゆる陰陽術を記録した書物が無数に保管されていると言われている。


 舞桜が憑霊術を覚えるために屋敷の蔵に忍び込んだのはそういう理由であり、彼もまた、蔵から古い巻物や文献に記された陰陽術を掘り起こしては研究しているのだろう。


「僕に、自分のオリジナルの術を編み出すような、そんな大逸れた才能はないからね。こうして日々、自分に使える術がないか探しては修業を積んでいるというわけだよ」


「……才能がない、ですか。とんだ嫌味、ですね……」


 脇腹を抑えて、星明を睨む。口の中はまだ、血の味が滲んでいた。


 京都にいなくても、竜道院星明の噂は聞こえて来る。彼を讃える言葉は様々だが、『天才』と『英雄』、それらは必ずと言っていいほどによく使われる。


 それなのに、当の本人は、謙遜するように笑って首を横に振った。


「本当さ。僕は天才なんかじゃない。本物の天才は、もっとすごい。生まれ持った才能が違いすぎるんだ。……君にだって覚えがあるだろう?」


 星明は静夜の後ろを覗き見る。半妖の少女が持つ、美しい銀髪は夜風に吹かれて流れる。その翠色の瞳は真っ直ぐに兄の背中を見つめていた。


「……本当に、君と僕はよく似ている」

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