天才と努力家

「……本当に、君と僕はよく似ている」


 星明の口から出た言葉は、決闘の前、栞に言われて否定したそれと同じだった。


「自分がどれだけ努力しても決して敵わない相手がすぐそばに居て、圧倒的な才能の差をことあるごとに見せつけられる。自分の無能さ、無力さに惨めになって、苛まれて、心が折れそうになったことは何度もある。それでも挫けることなく、怠ることなく、努力を重ねた。だからこそ、今の自分がある。この自信と力がある。非凡な才能に恵まれなくても、自分と戦うことで、人は何処までだって強くなれる。努力は必ず、報われるんだから」


 拳を握りしめて、星明は語る。一瞬だけ目線を向けた先には、楽しそうな笑みを浮かべてこちらを見下ろす幼い少女が、黄金の竜の旗を背にして座っていた。


「もちろん、僕だって自分が十分に恵まれていることは分かっている。京都という地に生まれ、この竜道院という家に生まれて、日々いろいろな人たちに支えられている。僕が今、陰陽師として生きていられるのは、そのおかげだ。その事には当然、心から感謝している。……でも、それだけじゃない。僕は、いや、僕たちは、それぞれが自分の力で精一杯に頑張っている。努力をしている。戦っている。決して、生まれ持った素質や環境に胡坐をかいているわけじゃない。……君だってそうだろう? 月宮静夜君」


 きっと、星明には自信があるのだろう。自分が今まで、やって来たことに。それを『努力』と呼んで、誇れるくらいに。彼の言葉には誰に何と言い返されても負けないだけの強さが宿っているように聞こえた。


「……」


 賛同を求められた静夜は、黙ったままだった。

 星明は続ける。


「三年前、君が妹さんと決闘したという話は聞いたよ。戦いの詳細はよく知らないけれど、それに君が負けて、勝った妹さんは《陰陽師協会》で働き始めた。そして、彼女は鮮烈なデビューを飾った。あの月宮兎角の後継者が現れたと、この京都でも一時期は、その話題で持ちきりだったよ」


 月宮妖花の初陣は、三年前の晩秋。北関東の妖が著しくその数を増やしたことを受けて《陰陽師協会》が大規模な部隊を派遣した作戦でのことだった。


 妖花はその最前線において、月宮流陰陽剣術皆伝の腕前を遺憾なく発揮した。討伐した妖の数は記録に残る戦果となり、戦場を踊る少女の姿は記憶に残る伝説となり、月明かりを呑み込む覇妖剣の闇も相まって、業界にその名を轟かせるには十分な功績となった。


「決闘に敗れて、その戦いに参加することすらできなかった君の苦悩を僕は理解できるつもりだ。……でも君は、この京都にやって来た。戦うために、そして、自分が陰陽師として生きるために。その勇気と覚悟に、僕は敬意を表するよ」


 錫杖の金具をシャランと響かせて、星明は静夜を見つめる。汚れ一つない法衣を着て、冬の星空のように澄んだ表情。


 その周りを取り囲むのは、伝統と誇りを背負う《平安陰陽学会》の陰陽師たち。蒼炎寺家の屋敷は二人の激闘の余波を受けてもなお動じることなく立派に佇み、その威厳と荘厳さを保っている。


 その中心で、決闘の相手から同情を受け取る静夜はまるで、あの日見た偽りの金閣のようだった。


「……哀れだな」


 あの時の舞桜の台詞が静夜の口から零れ出る。あまりにも惨めで見るに堪えないから、目を逸らして俯く。ここに鏡のような湖が無くてよかったと、彼は心底そう思った。


「……これだけの実力差を見せつけておいて、僕とあなたが同じだとでも?」


「何も違わないさ。君もこのまま努力を続ければ、きっと今の僕と同じことが出来るようになるはずだよ」


「……僕にはそうは思えない」


 言葉が空気を震わせる。淀んだ何かが広がってそれは妖しい風となる。


 静夜は顔を上げ、『天才』を睨み付けた。


「星明さん。あなたは、ご自分は『天才』ではなく、ただの『努力家』だと、そうおっしゃりたいんですか?」


「……自分からそう名乗るのは趣味じゃないけど、確かにそうだね。才能のない僕は、『努力家』にしかなれないから」


「そうですか……。でも、あなたの言う『天才』だって努力しているし、苦悩しているし、戦っている。……特にうちの妹なんかは、生まれ持ったその才能に、随分と苦しめられていましたよ。大きすぎる力は扱いに困るし、その容姿はどこへ行っても注目を集めてしまう。自分が望んだわけでもないのに、『半妖だから』と、その事実はいつも彼女について回る。だから、幼い時のあの子はいつも泣いていたし、苦しんでいたし、その出生を嘆いてもいました。きっと今も悩みの種は尽きないでしょう」


 クラスメイトからのラブレターも、眠るときに変化してしまう体質も、陰陽師としての素質も、妖としての力も。それらすべては、益を生む代わりに同じだけの害を生む。

 その害がいったいどれほどのものか、それは兄の静夜にだって分からない。時には本人にすら分からない。


「それでも、自分と向き合い、逃げずに戦ったから、今の彼女がある。……あなたと同じように」


 語尾に力が入る。その後ろで引き合いに出された妖花本人は、顔を真っ赤にして体を小さく縮めていた。昔の事をこんな大衆の面前で暴露されては堪らない。

 だが、それは恥ではない。むしろ胸を張って誇るべきところだ。それは、捨て去ることの出来ない、月宮妖花の大切な時間で、積み重ねて来た、かけがえのない人生の一部だ。


「僕は別に、天才が努力をしていないなんて思っていないよ。天才は、その才を持っているからこそ、人一倍努力をしているし、それ相応の悩みだってあるだろう。それを蔑ろにするのはその人たちに対して失礼だ。でも、特別な何かというものは確かに存在する。君の妹さんや羽衣様のように、その運命に導かれて才能を発揮する人たちは、やはり『天才』と呼ばれ、讃えられることが相応しい。そして僕たちのような凡人は、愚直な努力を続けて天才を下す。……競い合うとは、そういうものだ」


「じゃあ、なぜあなたは『天才』と呼ばれているんですか?」


「それは僕の事をよく知らない人たちが、今の僕だけを見て勝手にそう呼んでいるだけだ。昔から僕の事をよく知っている人たち、特にここに居る《平安会》の人たちは、僕の事を決して『天才』などとは呼ばないよ」


 屋敷の中を見回すと、二人の話を聞いていた一部の大人たちが何人か、満足気な表情で「うん、うん」と頷いている。竜道院一門の陰陽師はもちろん、他の一門の陰陽師も、納得するような表情で星明の事を見ていた。

 どうやら本当に、この《平安陰陽学会》において、竜道院星明は『天才』ではなく、『努力家』らしい。


 だが、この場にいる陰陽師の中でただ一人、静夜だけは、この周囲の評価にどうしても納得することが出来なかった。


 静夜はもう一つ、疑問を口にする。


「じゃあ、どうしてあの子は、……竜道院舞桜は、『天才』と呼ばれていないんですか?」


 心臓が跳ねて、淀んだ呪詛がまた、静夜の体内を循環した。


 見物していた大人たちがどよめき、首を傾げる。そして次第に、彼の愚かさを嘲笑うような冷笑が広がった。


「……『天才』? あの子が?」


 星明すらも、肩をすくめて失笑する。


 屋敷の二階から一人、舞桜は闘技場を見下ろしていた。静夜が星明を睨むその険しい目つきは暗がりのここからでもよく分かる。


「あの子は呪符すらまともに使えない竜道院家の恥さらしだ。陰陽師としての素養はあっても、あの程度では話にならない。それに災いを呼び寄せる厄介な体質。哀れだと同情する人はいても、彼女を羨む人なんて、ここにはいないよ」


「ですが、その霊媒体質は、憑霊術を得る際には最高の適性となった。……報告は聞いているはずですよね? 今の舞桜に勝つのは、さすがのあなたでも難しいと思いますよ?」


「京都の掟を破り、一族の蔵から奪って手に入れた禁術の力だ。どれだけ強大でもそれは一つのインチキだ。到底認められるものじゃない。あの子は、ズルをする前にもっとまっとうな努力をするべきだった」


「まっとうな努力をしても意味がなかったから、あの子はあの子なりの努力をしたんじゃないんですか⁉」


「あの程度の修業は努力じゃない! この京都にいる陰陽師なら誰もがやっていることだ! ……それを、大して続けたわけでもないのに、報われないからと言って投げ出して、安易な方法に頼ってルールを破った。あの子のやった行為は、必死に自分と向き合い、頑張って努力を続けているすべての陰陽師たちを馬鹿にした!」


「向き不向きは誰にだってある。自分の特性を理解し、それを活かそうとしたことの、何が間違いだって言うんですか⁉」


 向かい合う男二人は声を張り上げた。感情の起伏は熱を生み、風を起こす。

 落ち着ていたはずの呼吸も乱れ、身体からは変な汗が噴き出していた。

 静夜は目を閉じて一瞬瞑想し、自身の念を鎮める。


「……確かに、舞桜のやったことは掟破りです。でも、もしも憑霊術が禁術じゃなかったら? 妖の力を借りることも、陰陽師の力の一つとして認められていたら? 舞桜の術やその体質は、他の者にはない特別な何かじゃないんですか? もしも時代が、歴史が、文化が今と違っていたら、舞桜への評価だって全然違うものになっていたかもしれない」


「でも現実はそうじゃない。仮の話ではなく、現実は今ここにたった一つしかないんだ。それにあの子は、一度憑霊術を扱い切れずに暴走させている。その事実がある以上、あの力を陰陽師の力として認めることは出来ない。……認めて欲しいというなら、現実を納得させるしかない。その力で今ある現実をひっくり返してみせるしかない」


 星明は揺るがない。芯の強い彼の答えを聞いて、静夜は俯いた。


「……それはつまり、結果で示せということですか?」


「ああ。そういうことだ」


「……じゃあ、その結果を出せなかったら?」


「その時は、その程度だったってことだよ」


「……努力は、必ず報われるんじゃなかったんですか?」


 それは、先程彼が言った言葉だ。下を見る静夜に向かって、星明は力強く頷く。


「努力は、必ず報われる。もし報われない努力があるとすれば、それはまだ努力じゃないんだ」


 それは、どこかで聞いたことのあるような言葉。静夜は顔を上げた。


「……確か、有名なスポーツ選手の格言でしたね?」


「へえ、よく知ってるね。……うん、その通りだ。そしてこの言葉は、僕の座右の銘であり、僕の世界で一番好きな言葉でもあるんだ」


 星明は、その言葉と想いを、大切そうに胸の奥にしまい込む。

 それを見て、聞いていた静夜は、全身に虫唾が走った。


「……そうですか。……では尚更、僕とあなたは、全く似ていない。……なぜなら僕は、その言葉が、世界で一番嫌いですから」

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