第5話 夜空に輝くは月か星か

大晦日の夜

 肌を刺す北風が年末の寒波を連れて来た。

 12月31日。大晦日。


 来たる新年を占う二つの重要な決戦は、《平安陰陽学会》の中でも一際広い敷地を持っている、蒼炎寺家の本邸で行われることとなった。

 蒼炎寺邸は京都駅を南に行った伏見区の小高い山の中腹にひっそりと佇んでいる。伝統的に多くの門下生を抱える蒼炎寺拳法の総本山には、木々を切り開いた庭の中心に、テニスコート二面ほどの広さの開けた演舞用の闘技場のような場所がある。

 決闘は今年最後の日の入りを迎えた後、この場所で執り行われることとなった。


 年末の行事を終え、新年を迎える準備を万全に整えた《平安会》の重鎮たちは、先日の総会よりもさらに多くの人が集まり、決闘の勝敗を見届けようとしている。


 突き抜けるほど澄み渡った夜空にはいくつもの星と、四日目の月が輝いている。年越しそばなどが振る舞われる喧騒の中、天を仰いでいた青年に、凛とした音を奏でる鈴が近付いた。


「……せ、静夜君……」


 少し陰のある声で話しかけていた栞に、いつも通りの快活さはない。

 それを見た静夜は、困ったような笑顔を浮かべた。


「栞さん、せっかく綺麗な晴着を着て来たのに、そんな思いつめた顔をしてたらもったいないよ?」


「せやけど……」


 栞は、緑を基調に草花の柄をあしらった華やかな振袖を着て、いつも以上に周囲の視線を集めている。


 今夜は、このままこの屋敷で年越しを迎えるかもしれないということもあり、集まった《平安会》の人たちも着物などの正装をしている。縁側に腰かけた長老たちは既に酒盛りを始めており、蒼炎寺家に仕える家政婦たちは、忙しそうに走り回っている。決闘の会場は、まるで何かのパーティーが催されているかのように盛り上がっていた。


 栞の装いは、そんな会場の雰囲気に合っており、着飾った女性たちとも肩を並べるほどだ。むしろ、その隣に居る静夜の方が、動きやすさを重視したいつも通りの服装のせいか浮いて見える。


「日付が日付だから、振袖を勧めておいてよかったよ。……もしかして、今度の成人式でもそれを着るの?」


「う、うん。お父さんが記念にって買ってくれたものなんやけど、成人式以外に着る機会もないし、ちょうどいいかなって……」


「そうだね、栞さんにすごく似合ってるよ」


「に、にあってって……!」


 静夜の褒め方があまりにも自然だったので、不意を突かれた栞は頬を赤らめて顔を背けてしまう。


「決闘の前に、随分と余裕ですね、兄さん」


 それを傍から見ていた妖花は、呆れた様子で二人に歩み寄って来る。肩には竹刀袋を提げ、服装は静夜と同様に普段着だ。


「別に他意はないよ。ただ思った感想を口にしただけ」


 いつも以上に冷めた声音。栞はさらに頬を赤くするが、妖花はため息をついて「そうですか」と受け流した。


「……それにしても、晴れてよかったですね」


 妖花は大部分が欠けた月を見上げる。


「……月が見えなかったら、舞桜は憑霊術を使えないからね」


 もしそうなったら決闘は成立しない。舞桜は為す術もなく、一方的に妖花に負かされるだけだろう。


「一つ気になったのですが、月の満ち欠けは、憑霊術によって得られる力の強さに影響を及ぼすんですか?」


 妖花は、ふと疑問に思ったことを口にする。静夜も改めて夜空を見た。


「いや? たぶん、関係ないと思う。満月でも、三日月でも、あれは術を発動させるときに月が見えてなければいけないっていうただの発動条件に過ぎないから、新月でもない限り、月の満ち欠けが舞桜の憑霊術に影響を及ぼすことはないよ」


「……それ、報告にはありませんでしたよね?」


「根拠のないただの憶測だからね」


 上司からの指摘にも、静夜は悪びれることもなく惚けて躱す。


「それに、たとえ月の満ち欠けで憑霊術の強さが変わるとしても、そんなの妖花には関係ないでしょう?」


「そんなことはありません。大事な情報です」


 そう言った妖花は、竹刀袋を掛け直して気を引き締めていた。


「兄さんの方こそ、本当に大丈夫なんですか?」


 本当に心配するような声音で、妖花の表情にも影が落ちる。

 栞も苦しそうな不安を堪えるように、瞳を揺らして静夜を見つめた。


「大丈夫だよ。ここ数日、妖花に相手をしてもらって仕上げて来たんだ。体調だって問題ないし、……あとは、あの人に勝つだけだ」


 目を向けたその先には、竜道院星明が多くの人に囲まれて挨拶と激励を受けている。白と黒の法衣を慣れた様子で着こなし、手には愛用する錫杖を握る。決闘を前に、笑顔で人と接するその振る舞いには強者の風格が表れていた。


「……ずっと気になっとったんやけど、静夜君って、あの星明さんの事をやけに意識しとらへん? ……ウチの気のせいやろか?」


「いいえ、それは私も気になっていました。……この数日、兄さんは星明さんが絡むと、珍しくムキになっているように感じます」


「……そうかな?」


「はい。……兄さんらしくないです」


 沈鬱な表情で妖花は俯く。決闘が決まってからの数日、妖花は静夜の部屋に滞在し、約三年ぶりとなる兄弟子との稽古に精を出していたが、その時からずっと、静夜の様子に違和感を覚えていた。普段から冷静沈着を心掛けている理性的な兄が、闘志のような熱気を滾らせて、まるで、自分の知る兄ではないようにさえ思えたのだ。


 静夜はきまりの悪い顔で頬を掻き、何かを諦めたように項垂れた。


「……まあ、そうかもね。……やっぱり、あの竜道院星明、だからね」


「……星明さんってそんなにすごい人なん?」


 栞が星明に改めて目を向ける。闘技場を挟んだ向かい側に居るため不躾に見ているが、おそらく彼は静夜たちの視線に気付いているだろう。


「確か、二年前でしたよね。京都で酒吞童子が倒されたという話が持ち上がったのは……」


「酒呑童子って、あの有名な? 民話とか伝説にもよく出て来る?」


「正確には、酒呑童子と目される、大きな鬼の妖。名前は確か『狂宴を喰らいし百鬼の王』、だったかな?」


「それをたった一人で倒したというのが、当時高校生だった、竜道院星明さんです」


「え⁉」


 栞が声を上げて驚く。


 二年前の初夏。梅雨がもう少しで開けるという頃。それは壮絶な戦いだったと聞いている。


 京都の街に突如として現れた巨大な鬼は、南からまっすぐに京都御所を目指して進行してきた。道中では人の念を吸い上げ、行き交う人々の意識を奪って自身の力に変えていったという。


《平安会》はその鬼を、九尾の妖狐と並び称される伝説の妖、酒呑童子と認定し、総力を挙げて討伐を試みた。一門や流派の垣根を問わず、実力と実績のある精鋭たちばかりを集めた部隊はしかし、あっけなく酒呑童子にあしらわれてしまった。他の陰陽師たちではその歩みを遅らせるのが精一杯だったらしい。


 疲弊していく《平安会》の陰陽師たち。未だ力を出し切らない鬼の王。


 竜道院星明は、その絶望の戦場に、父・才次郎氏の制止も振り払って単身で飛び込んで行ったそうだ。


 そして彼は激闘の末、京都御所にて、鬼の首をはね、見事に酒呑童子を討ち取って見せた。


 その偉業とそれを成し遂げた人物の若さに誰もが驚いた。酒呑童子討伐の英雄。その名は瞬く間に日本中の陰陽師たちの知るところとなった。


「でもそれ以前から、彼の名前は有名だった。京都の名門、竜道院家。そこに生まれただけでも注目されるのに、星明さんは幼い頃からその才能を発揮していた。三歳で九字切りをして妖を倒したとか、五歳で式神の創造に成功したとか……。《平安会》の誰もが、いや、京都の外の陰陽師たちですら、次の竜道院家の当主は、間違いなく彼だと、そう思っていた」


 竜道院羽衣が生まれるまでは。


 人の集まった闘技場に突風が走る。不穏なざわめきが起こると、黄色い着物に身を包んだ少女が母屋の二階の観覧室から姿を現した。


 まるで並べられたおもちゃを眺めるような目で闘技場を見渡す彼女は静夜たちを見つけて嬉しそうに口角を上げる。用意された席に腰を下ろすと、左右に控えていた専属の家政婦は無言のまま一礼して部屋の奥へと姿を消した。


 彼女、竜道院羽衣を実際に目にすると、星明がなぜ竜道院家を継げないのか、その理由に誰もが納得するだろう。


「……もしかして、静夜君が星明さんを意識するのは、自分と似とるから?」


 栞は星明と羽衣を交互に見た後で、隣に居る兄妹と見比べた。


 妖花は何を思ったのか、一瞬だけ静夜の顔を見上げ、すぐに俯いて目を背けた。


「似てる? 僕と星明さんが?」


「うん、なんとなく、そう思う」


 自信のない顔で栞は頷く。それは、妖の気配を感じ取って静夜に相談しに来る時の表情と少し似ていた。


 静夜は横目でもう一度星明の方を伺い見る。その時、彼も丁度静夜たちの方を見ていて、目が合うと含みのある笑顔を見せて錫杖をシャランと、地面に叩きつけ音を奏でた。


「……それは違うよ、栞さん。僕と星明さんは、全然似ていない」


「……そ、そうやろか……?」


 否定されて、栞は消え入りそうな声で俯く。対する静夜ははっきりとした口調で自信を持っていた。


「うん、僕と星明さんは全然違う。似ても似つかないし、比べることも出来ないよ」


「じゃあ、どうして兄さんは、星明さんとの決闘を受けたんですか?」


 妖花はどこか兄を糾弾するような声で問う。


 無理に受ける必要のない決闘だった。相手の実力を分かっていながら、冷静さを失い、挑発に乗せられるまま、静夜は星明の誘いを受けた。いつもの静夜ならあり得ないことだ。妖花はずっと疑問だった。


 妹として、上司として、この行動の意味を問い質す。


「答えたくない」


 静夜は乾いた笑顔で誤魔化した。


「兄さん!」


 抗議の声を上げる。静夜は星の光が眩しい夜空を見上げてそれを聞き流した。


「……だって、男の嫉妬は見苦しい」


「え?」


 静かに零れ出たその声は、誰かに届く前に闇に溶け、唐突に轟いた和太鼓の音に掻き消された。

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