決闘の策略
それは至ってシンプルで、簡単な作戦。
「この決闘を、引き分けにしよう」
それを聞いた途端、舞桜は眉を顰めて訝し気に目を細めた。
「……引き分けにして、どうするつもりだ?」
「現状維持で決着させる。京都支部を設置しない代わりにアルバイトである僕の京都残留は認めてもらう。舞桜は《平安会》に所属したまま身柄は協会預かり、美春さんは協会が身柄の引き渡しを要求したまま《平安会》の管理下で療養してもらう」
「そんな都合のいい話は絶対に誰も認めないぞ? 《平安会》はもちろん、協会だって、京都支部の設立を認めさせろという命令を無視されて、現場の独断で勝手に妥協されては黙っていないだろう?」
「京都支部なんて最初から無理な話だ。《平安会》の公認で人員を一人京都に残すことが出来るだけでも十分な成果だよ。上にはそれで納得してもらうしかない」
「だが、仮にそれが認められたとしても、決闘の結果が引き分けで現状維持なんて、両者の間には大きなわだかまりが残る」
「最初からいがみ合っているんだから、多少のわだかまりなんて今更だよ。それに、今回の事件で協会はようやく、《平安会》に勝負を仕掛ける気になったんだ。遅かれ早かれ、この二大勢力の睨み合いは終わりを迎える。だから僕たちは、それまでに美春さんを安全に目覚めさせるために、少しでも時間を稼がなくちゃいけないんだ」
京都支部を設置できない以上、《陰陽師協会》は京都で大きく動くことが難しくなる。
《平安会》も協会の監視がある以上、下手な行動は出来ないし、内輪でもめ事を起こすことも憚れるだろう。
現状維持が叶えば、美春の扱いや処置についてゆっくりと考えられる猶予が生まれる。
「……お前の考えが上手くいくとは思えない」
「それは妖花の交渉と、決闘当日の二人の演技次第だ。如何にも死力を尽くしたように戦って結果的に引き分けとなってしまったことが演出出来れば、竜道院羽衣をはじめ《平安会》の人たちを納得させられる。一対一の勝負の結果に文句は付けられないよ」
「……」
自信を持った静夜の説得に舞桜は言葉を呑む。
確かに、正々堂々の決闘に難癖をつけるというのは、見苦しく愚かな振る舞いだ。誇り高い《平安陰陽学会》の陰陽師たちがそんな醜態を晒してまで、現状維持を拒むとは思えない。
今、母屋の広間で行われている妖花の交渉が上手くいけば、この八百長に希望を見出せるかもしれない。
静夜は、自分のダミー人形から送られてくる音声に意識を向ける。星明や羽衣の意見に一歩も引かず、妖花は少しでもこちらが有利になる条件を引き出そうとしている。
「……この計画は、事前に妖花にも話してある。この調子なら――」
『――上手くいくかもしれない、とでも?』
希望を砕き、嘲笑う声がした。
『……それは甘い。甘すぎるよ。月宮静夜君』
気配は唐突に後ろから。少し呆れたような声は、インカムの向こうから聞こえて来た。
咄嗟に振り向くと白い鼠が一匹、部屋の入り口から静夜と舞桜を見上げて不気味な赤い目を光らせていた。間違いなく、誰かの式神だ。
インカムの向こうでは誰かが立ち上がって歩み寄る足音が聞こえる。静夜は事態を察した。
『に、兄さん!』
妖花が小声で迫って来る危機を伝えようとするが、残念ながら手遅れだ。
その場にはいない静夜に語り掛けた人物、竜道院星明の声は、先程よりも近いところから鮮明に聞こえて来た。
『……兄妹二人掛かりで上手く作られているね。僕も最初は気付かなかったよ。でも、君がずっと大人しく座っているだけというのがどうにも気になってね。式神にその離れを張らせておいて正解だったよ。……でもさすがに、こちらの代表者を脅して八百長を持ちかけるなんて、僕としては看過できないな』
『八百長?』『星明、それはどういうことだ?』
広間のざわめきがインカムを通して静夜にも届く。どうやら、星明には全て筒抜けだったようだ。
足下の鼠は、不自然なくらいにじっと静夜を見つめている。おそらくこの式神は、目で見たものや耳で聞いたことをすべて主人である星明に送信するようにできているのだろう。
静夜はインカムのマイクをオンにした。
「……妖花、暗示を解いて」
『で、ですが……!』
「解」
躊躇う妹に構わず、静夜はダミー人形に施した自身の姿の投影を解呪した。確認は出来ないが、彼の座っていた座布団の上には今、静夜の髪を張り付けた人型の呪符と、妖花が仕込んだ呪符、そして静夜のスマホが残されているはずだ。
静夜が偽物であると見破れなかった《平安会》の他の面々の間に衝撃と動揺が走る。
『……案外驚かないんだね?』
スマホを拾い上げた星明が意外そうに首を傾げたのが分かる。
これでも、静夜は十分に驚いていた。
この鼠の式神は簡単な造りではない。隠密行動と諜報活動に特化したこのような式神は、法力で創り出すことはもちろん、思い通りに動かすだけでもかなりの集中力、精神力が要求されるはずだ。
静夜は自分が広間に居るように偽装するために妹の力まで借りてようやく《平安会》の実力者たちを騙していたというのに、対する星明は、この式神を操りながら、妖花と苛烈な舌戦を演じていた。妖花が気付けないのも無理はない。
これが、竜道院星明の才覚だというのか。
静夜と星明、二人はスマホ越しに睨み合う。交渉は途絶え、重い沈黙がのしかかった。
羽衣も今日は大人しく星明に全てを任せているようだ。
静夜は続ける。
「……最初から、僕をこの部屋で待ち伏せしていたようですが、つまりあなたは僕と舞桜との会話も、全て盗み聞きしていたと?」
『安心していい。聞いていたのは僕だけだ。機密らしい秘密も漏れて来なかったし、良かったんじゃないかな?』
「お気遣いは結構です。それよりも、あなたは舞桜の気持ちを聞いてもなお、美春さんを、義理とは言え、ご自身の母親を人質に取るおつもりですか?」
星明の惚けるような口ぶりが癪に触って、静夜の語気は強くなった。
舞桜は、静夜との会話が兄に聞かれたということに気付いて顔を赤くしている。きっと初めて口にした、自分でもよく分からない胸の内を思いがけない人に知られてしまって急に恥ずかしくなってしまったのだろう。
だが、星明は妹の機微を気にも止めない。
『君は何か勘違いしているようだけど、僕は美春さんを人質にしているつもりはないよ? あくまであの人と妹の事を考えて、《陰陽師協会》の保護下では安心できないと言っているだけさ』
「僕に言わせれば、京都に残しておく方が安心できない」
『それは君の偏見だよ』
一歩も引く様子のない両者を、周囲は固唾を呑んで見守っている。
栞と妖花は不安を滲ませる顔で静夜のスマホを手にした星明を見やり、舞桜は乱れた心を落ち着けて、険しい剣幕で鼠を睨み付ける静夜を見ていた。
『……分かった。じゃあ、こうしよう』
何かを思いついた星明が不敵に笑う。
『僕と君で、個人的な決闘をしよう。もし君が勝ったら、妹たちの決闘の勝敗に関わらず、美春さんの身柄を《陰陽師協会》に預ける』
『なッ! それは本気ですか? 兄上!』
驚きに声をあげたのは彼の弟の紫安。突然の提案に腰を浮かせると、《平安会》の面々はまたざわついた。
『よろしいですか? 羽衣様?』
当の星明は、何食わぬ顔で後ろを振り向き、羽衣だけに許可を求める。
幼い少女はゆっくりと首肯し、それを認めた。
『よい。星明に任せる』
威厳ある風格に《平安会》の人たちは一斉に押し黙る。栞は最初から何も言えず、妖花からは何かを言いかけて止めたような息遣いが聞こえて来た。
静夜が口を開く。
「……もし、僕が負けたら?」
『その時は、妹たちの決闘の勝敗に関わらず、君には京都を出て行ってもらう』
『兄さん! 受ける必要はありません! 今すぐこちらに戻って来て下さい!』
堪らず妖花が口を挟んだ。
星明の提案はあくまで個人間の決闘。妖花と舞桜がそれぞれの組織を代表として戦う決闘とは、伴う責任と発生する義務の軽いものだ。必ずしも受ける必要はない。
『確かに断ってもいいが、今君が舞桜の目の前に居て、決闘にわざと負けるように脅しをかけていたという事実がある以上、このまま妹たちだけに決闘をさせても誰も結果に納得しないと思うけど?』
星明はわざと周囲にも聞こえるような声で、自身だけが聞き取った二人の会話の内容を捏造した。
確かに、静夜が舞桜の居る離れに忍び込んで話をしているこの状況だけを見れば、彼が《平安会》側の代表者を脅迫して決闘における八百長を画策していると思われても不思議はない。
《平安会》の中でも発言力のある星明がそのように吹聴すれば、たとえそれが嘘であっても、京都の陰陽師の間ではそれが事実となるだろう。
「……僕が星明さんとの決闘を受ければ、妖花と舞桜の決闘はクリーンなものになると?」
『君が勝てば、たとえ妖花さんが舞桜に負けても、君は京都に残ることが出来る。そういう条件なら、君が妹たちの決闘に横から口を挟む理由も無くなるんじゃないか?』
「……それは、確かにそうですね」
『兄さん!』
妖花が抗議に声をあげる。
しかし、
「妖花、話し合いは終わりだ。帰るよ?」
静夜は舞桜に背を向けて、部屋の戸に手を掛けた。さらにインカムのマイクをオンにしたまま、むこうの広間にも聞こえるように告げる。
「舞桜、さっきの話は忘れて欲しい。君は君が思うがままに戦えばいいよ」
それは、静夜と舞桜に繋がりがないことを印象付ける発言。舞桜はその朱色の瞳で静夜を睨んだ。
「……静夜、お前、本気か?」
「もちろん、望むところだ」
改めて、今度は正式に宣言する。
「竜道院星明様からの決闘のお誘い、私、月宮静夜は謹んでお受けいたします」
『……』『……』『……ふん、楽しみにしてるよ』
これに、妖花と栞は言葉を失い、星明は嬉しそうに微笑んだ。
「……そそるのぉ。これは見物じゃ」
黙って傍観していた竜道院羽衣は、話が決すると愉快そうな笑みを浮かべ、広間から逃げるように立ち去る妖花たちを見送った。
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