鳥籠
四六時中見張りが付いているのなら、美春を秘密裏に連れだして保護するという計画は見直さなければならない。
客間を出た静夜は、もう一つの目的の為に竜道院邸をさらに歩き回っていた。
そして、それは美春の部屋よりも簡単に見つけることが出来た。
敷地の隅に立てられた離れ。入口の前には門番のような見張りの男が二人立っており、建物全体は二重の結界によって覆われている。
間違いなく、あれが舞桜の閉じ込められている場所だ。
静夜は隠形の結界を解くと、門番の前に堂々とその姿を晒す。男たちは突然現れた静夜に驚き、錫杖を構えるが、額に呪符を張られると暗示にかかり、建物の鍵と結界をすり抜けるための呪符を簡単に静夜に差し出してしまう。
静夜はそのまま、何食わぬ顔で離れの玄関を開け、中に入った。
間取りは1DK。こぢんまりとしているが、一人で過ごすには持て余してしまう程の広さ。母屋とは違い、比較的新しい離れの建物は、モダンなデザインと造りをしている。床は畳ではなくフローリングで、寝室の部屋には大きなベッド。学習机の上にはノートパソコンと、中学生用の教科書が乱雑に積まれていた。
その離れの主は部屋の真ん中に、まるで飾られた人形のような無機質さで空間に溶け込み、ぼんやりと外を眺めていた。
「……母親に、執着するつもりは、なかったんだがな……」
黙って入ってきた静夜を一瞥することもなく、舞桜はぼそりと自嘲を溢す。
「でも、簡単に諦め切れるものでもない」
沈鬱な空気は微かに震えた。
「……怒ってないのか?」
「怒る理由がないよ」
「私はお前たちを裏切った」
「それで負けが決まったわけじゃない」
まだ終わっていない。背中から刺されても、振り向いて切り返すことが出来たのだから、今はお相子だ。
窓の外は北風が強く吹き、黒くて重々しい雲が目に見える速さで流れて行った。
「……お前は、この部屋を見てどう思う?」
舞桜は首を回して、部屋の中に視線を戻す。カーテンの柄は華やかで、ベッドの上には大きなテディベアもある。
静夜は正直、舞桜らしくないと、そう思った。そこに彼女の意志は感じられず、舞桜以外の、別の誰かによってすべてを与えられた部屋。ここはまるで、
「まるで、鳥籠だ」
静夜の答えを聞くと、舞桜はまた外を眺める。透明なガラスに阻まれたその向こうを見る。
「……ここは、私を隔離するために新しく造られた離れだ。建築の段階から基礎や柱に呪符を張ったり、壁の内側に法陣を書いたりして、外と中を断絶させている。外から妖に侵入されないために。そして、私をここから逃がさないために、な」
それは、先天的な霊媒体質である舞桜を管理する竜道院家にとって、当然の対策だったのだろう。《平安会》での立場も考えれば、彼らは他の家に対して、責任を果たす必要もあった。しかし、訳も分からないまま籠の中に押し込められたひな鳥にとってここは、ただ虚しくて居心地の悪い空間でしかない。
「ここに進んで近付く者はいない。門番も結界の中には入って来ないし、食事は毎日決まった時間に家政婦がこっそりと隣のダイニングのテーブルに置いていく。食べ終えた食器は私がこっちの部屋に戻るのを見計らってこっそりと回収される。誰も私と関わろうとしないし、顔を合わせようともしない。……物心ついた時からずっとそうだった」
少し感傷に耽った様子で舞桜が
「だが、ここによく足を運び、私に顔を見せてくれたのは、やはり母上だった。……今となっては、それがただ母屋に居場所がなかっただけで、実家に帰るわけにもいかず、私を上手く育てなければ立場がなかったという打算から、私の世話を焼いただけだと分かっているが、……何も知らなかった頃は、母が訪ねて来てくれるだけで、十分に喜んでいた」
「……
「紫安兄上は、周りの人間に止められていたからな。たまに顔を見せることがあっても、すぐに家政婦に連れ戻されていた。……父上と星明兄上は一度も来たことがないな」
それは、総会での態度を見ていれば分かる。彼らは本当に、舞桜に一切の興味を示していなかった。
「母上も、私に陰陽師としての才がないと見限ってからはあまり近付かなくなった。それ以前から少しずつ態度が冷たいとは感じていたが、結婚の話を持ってきたときは、妙に嬉しそうだったな……」
それが結果的に、舞桜を禁術へと走らせる決め手になるとも知らずに。
背を向けていた少女は、そこで初めて静夜の方を振り返る。
「……母上にこだわるつもりはなかった。それは本当だ。……でも、私を最後まで見ていてくれたのは母上だった。だから……、もしかしたら、と……」
舞桜は俯き、言葉は消える。形にならない思いが胸の中で渦を巻く。
もしかしたら、と舞桜は期待していたのかもしれない。
美春なら、母親なら、もしかしたら分かってくれるかもしれない、と。
憑霊術に手を出したことも、政略結婚を嫌がったことも。
理解して、認めてくれるかもしれない。自分の味方になってくれるかもしれない。
そんなことはあり得ない。都合が良すぎる。きっと無理だ。舞桜はそう思い、必死に振り払って、甘い願いをすべて捨て去ろうとしただろう。
だがその一方でどうしても、心の隅に芽生えてしまった信じたい未来の光景を、捨て切ることも出来なくて。
だから、自分を殺そうとしていたのが母親だったと知った時、それが彼女の意思によるものだと知った時の絶望は、心が砕け散りそうになるほどの衝撃だったことだろう。
せめてもと願ったことが、これくらいはと乞うた慈悲が、悉く裏切られた瞬間。
その時のやるせなさを、悲しみを、悔しさを、怒りを、虚しさを、静夜はその身をもって知っている。
「……分かってる。君を責めるつもりはない。……舞桜が決闘に出ることを決めたのは?」
「最終的な決定をしたのは羽衣だが、提案して奴を説得したのは、星明兄上だ」
やっぱり、と静夜は内心で納得する。あの人の考えそうなことだ。
この決闘で、彼は舞桜の覚悟と忠誠を問おうとしている。
戦わなければ戻る居場所はない。負ければ母の命はない。今の舞桜に逃げ場はないのだ。
「私の相手をするのは?」
「妖花だ。今、条件面を必死に交渉してる。……でも、大分苦戦してるみたいだ」
インカムから聞こえて来る声は主に妖花と星明のものだった。
妖花も交渉に関してはかなりのやり手のはずだが、星明の辣腕には及ばないのだろうか、話の流れはあまり良くない。星明は決して、美春が意識を取り戻すまでは竜道院家の屋敷で療養させるという条件を譲るつもりがないようだ。
「……今の君が妖花に勝てるとは思えないけど、今の条件のままで妖花が勝ってしまうと、美春さんは協会に身柄を引き渡される前に殺される。妖花は戦いにくくなるね」
「それが星明兄上の狙いなんだろう」
いうなれば星明は、舞桜と妖花の双方に対して、竜道院美春を人質に取ったのだ。
妖花の実力と実績はこの京都にも轟いている。加えて半妖ということが分かり、彼女に勝てる人材となると、《平安会》全体を見渡しても数えるほどしかいない。
それに対して、舞桜の陰陽師としての才覚の無さは、家政婦が知っているほどに有名だ。憑霊術があると言っても勝ち目は薄いだろう。
そこで星明は美春を利用した。《陰陽師協会》が、というよりも、静夜と妖花の兄妹が、舞桜と同じように美春の身の安全を考えているなら、妖花は決闘で安易に舞桜を打ち負かすことが出来なくなる。舞桜も、決闘に負ければ母親が殺されるとなっては、必死にならざるを得ないだろう。
そして、仮に妖花が舞桜に勝ちを譲るようなことになれば、京都支部の話は頓挫し、静夜は大学を辞めさせられることになる。舞桜は母を守ることが出来るが、またこの部屋に連れ戻されることになる。さらに、静夜たち《陰陽師協会》の人間が去った頃には、改めて憑霊術の会得について、《平安会》から厳しい追及と裁きを受けることになるだろう。
負けたら終わり。勝っても終わり。人の情に訴える、冷酷な策略だ。
「舞桜、そこで僕から一つ、提案がある」
「提案?」
舞桜は真正面から静夜と向き合い、改めて彼の顔を見上げる。
微かに不安を滲ませる少女に対し、静夜は力強い眼で考えていた打開策を話した。
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